1冊目 『幼女の日』
【2008年4月7日】
「んみゃあ、んみゃあ」
「…………」
さっきからずっと朝ご飯をねだってくるよもぎに無反応を決め込んでいた俺は、うっすらと目を開け、携帯電話を開いた。
まだ5時じゃねえか……よし、寝よ……
「んみゃあ!」
「いでっ! あーわかったわかった。起きるから猫パンチをするな!」
仕方なく布団から出た俺は、洗面と歯みがきをすませた後、向かいの部屋に行って少なめの朝ごはんを出してあげることにした。
おい……そのもっと出せ、みたいなジト目をやめんか。どうせまた、間食だなんだとか言ってバクバク食べるでしょうが。
しばらく、俺とよもぎの静かな戦いが続いていた。
やがて今日はあきらめてくれたのか、よもぎはしぶしぶといった風に食べ始めた。
これも今となっては朝の恒例となりつつある習慣である。
両親の仕事の都合で、俺が母方の祖父母の家に移り住むようになってからは、この早起きにすっかり慣れ親しんでしまったもんだ。
おかわりをおねだりされないためにも、俺は早めに下へ降りることにした。
降りた先のキッチンでは、おばあちゃんが鼻歌を歌いながらフライパンを器用に動かして料理していた。
「おはよう怜くん。今日も早起きでえらいわねえ。もっとたくさん寝てもいいのよ?」
「あはは……」
……よもぎのやつめ。あとで肉球をたくさんプニプニしてやろうか。
「朝ご飯作っちゃうから、怜くんはおじいちゃんと一緒にテレビでも見てて」
うん、とうなずいた後、俺は居間に行っておじいちゃんと一緒にニュースを見ることにした。
「おはよう」
「ん、おはよう。今日から学校なのか? じいちゃんが一緒について行ってあげようか?」
「大丈夫だよ。もうこっちに住むようになって1週間以上もたってるんだし、学校にだって1度挨拶しに行ってるんだよ?」
「そうかそうか。怜斗ももう中学生だからなぁ」
「中学2年生だよ」
おじいちゃんは今年でちょうど70になるが、ちょっとボケはじめてないか心配である。
話すことも無くなったので、もう1度テレビの方を向いた。
「ーーーーええ、次のニュースです。昨夜午後5時、西本町の住宅街に住む、会社員の九 弘樹さんの家族全員の死体と、身元不明の女性の死体が発見されました。死亡推定時刻は午ーーーー」
「あら、西本町っていったらちょうど隣町じゃない、なんだかこわいわねえ」
目玉焼きを持ってきてくれたおばあちゃんが、ちょうどそんなことをつぶやいた。
「ねえあなた、やっぱり一緒に登校しにいった方がいいんじゃない?」
「いや、本当に大丈夫なんだって」
「でも……」
おばあちゃんの心配性は今に始まったことではない。そして、おばあちゃんがなにか気にかけるたび、俺はいつも決まって、大丈夫だよと言う。
「じゃあそうだ。せっかくの入学祝いなんだし、怜くんの好きそうなお菓子たくさん買ってきてあげるわね!」
「いや悪いよ。というか、ただ転入するだけなんだから」
「いいのいいの。おばあちゃんがそうしたいだけだから気にしないで」
「そ、そっか。じゃあ……お言葉に甘えちゃおうかな。あ、食べ終わったら、もう一回持ってく物の確認してくるね」
「はーい」
そして俺は朝食を終えた後、再び二階に戻った。しばらくよもぎと戯れ、部屋で本でも読んでいるとあっという間に7時半になった。
そろそろ出ようかな……
制服に着替え、未読の小説を2冊カバンに詰める。
「よもぎー、いってくるねー」
「んみゃあ」
玄関まで行くと、俺はおばあちゃん達にも行ってきますと声をかけ、学校に向かった
。
家から15分程まっすぐ進んだ先に、俺がこれからお世話になる逆月学園の外形が見えた。行く途中、あまり道を曲がることが多くなかったので、下見しなくても到着できそうにも思えたのだが、念には念を、である。
とりあえず、自己紹介の時点で失敗しないように気をつけよう……
新しい学校への想いを胸に、俺は正門をくぐった。
【始業式】
「望月 怜斗です。両親の仕事の関係で、1週間以上前からこの逆月町にある祖父母の家に住んでいます。趣味は読書です。よろしくお願いします」
案の定、退屈だった始業式も終わり、俺は今、2年3組で自己紹介をしているところだった。
パチパチパチと全員の拍手が終わり、担任らしき人物の指示に促されて窓際の席に座った。
先生は俺が座ったのを確認すると、黒板の真ん中に名前を書き、話し始めた。
「はじめまして。いや、お久しぶりの人もいるのかな? このクラスの担任を持つことになった松山 色葉です。たぶん服装でわかっちゃう人もいると思いますが、担当教科は物理です。1年間楽しくやっていきましょうねー!」
優しそうな白衣の女の先生だ。この人が担任なら、間違いなく1年間楽しくやれるだろう。
「せんせー質問!」
「なんですかー?」
「この前付き合ってた彼氏とはどうなりましたかーー?」
「ぐはあっ!」
「せんせーっ!!」
なんだなんだ? 急に先生が倒れ込んだぞ。片膝ついてかろうじて体勢を立て直そうとしてるが……
「ちがうのよ……先生はただ、毎日愛してるという文面の手紙をたったの100通、彼の家の郵便受けに入れ続けていただけなのよ……」
……相当闇が深そうだった。というか、今のでこれからの学校生活が一気に不安になったのだが。
「でも、運命の王子様はきっとまたすぐ現れるに決まってるわ! そうよね……ふふふふふふ。…………ええと、あ! ちょっと色々渡さなければいけない連絡の手紙を忘れてきたんだった。取りに行ってきますねー! みなさんはテキトーに隣の人と会話でもしていてください」
そう言い残して先生は、慌ただしく教室を出て行った。
と、言われましても。いきなり簡単に話せるわけが……
「よー! 転校生」
そう考えていると、なんと隣の席の男子が自分から話しかけてきてくれた。
というかこの男子、金髪だぞ。染めてるようには見えないし、もしや生まれつきなのか?
「ん? ああ、これね。オレの父親がイギリス人でさ、母親は日本人なんだよ。ハーフって言えばいいのかな? 別にグレたわけじゃないから、心配しなくても問題ないぞー」
どうやら俺の考えていた事が伝わったらしい。この子の顔は童顔だし、素行不良の生徒にはあまり見えないだろう。
「そうだね。えーと……名前はなんて言うの?」
「カスミ シンイチロウ。ほら、霞草のカスミに、慎しみ深いのシン。あとはー、一郎二郎のイチロウだよ」
カスミ シンイチロウ……カスミ シンイチロウ……ああ! 霞 慎一郎か!
「なるほどね。とてもわかりやすいよ。あと、俺の名前は転校生じゃない」
「うん、名前忘れた」
「忘れたの!? 早すぎないか!?」
「いやー、人の名前覚えるのってどうも苦手でさ」
だとしてもこの短時間でよく忘れられたな……俺自身、そこまで目立つような人間では断じてないと思うが、転校生の名前は普通忘れないよな……
口で名前の説明をする自信がなかったので、カバンからメモ帳を取り出して、そこに『望月 怜斗』と記した。
「んん……ノゾツキ レイト?」
「確かに最初の文字を訓読みしたら、『望む』にはなるけど、無理があるでしょ!」
「ええと、ノゾキ レイトさん?」
「それじゃあ俺がのぞき魔みたいだよ! 初対面の男子にいきなり変態呼ばわりはびっくりだよ!」
「日本語って、むずかしいな」
「人名1つでスケールが大きいわ……モチヅキだよ。モチヅキ レイト」
「望月 怜斗ね。おっけー! これからよろしく、レイト!」
「ん、おう」
気軽に下の名前で呼ばれた事にたいそうびっくりした俺は、つい生返事で返してしまった。今までの人生の中で、家族以外の人達からはだいたい名字で呼ばれていたので、少し憧れていたのだ。
「あの、さ、俺はなんて呼んだらいいかな?」
「んー、オレのことだよね? ふつうに慎一郎でいいよ。でも長いし、小学校の頃はよく慎一って呼ばれてたな」
「じゃあそれにする」
「おっけー!」
他にもなにか話そうと思ったのだが、ちょうど先生が戻ってきてしまったので、それ以上話すのはやめておいた。
その後、連絡の手紙が配布されたり、係や掃除当番を決めたりなど、前の学校の新学期でも同じような取り決めが行われた。ちなみに、このクラスの委員長はなんと慎一が選ばれた。よほどクラスメイトからの人望が厚いのだろう。素直にすごいなと、密かに感心した。
「ではみなさん、明日からもう授業が始まるので、くれぐれも持ち物忘れだけはしないように。じゃあ霞君、号令お願いします」
「起立。礼」
さて、学校も終わったところだし、一緒に帰ろうって、慎一に誘ってみるかあ。
「あのさ慎一」
「あ、霞君にはクラス委員長バッジを渡さなければいけないので、今から職員室に来てもらえますか?」
俺がちょうど誘おうとしたところへ、教壇にいる先生が慎一に話しかけた。
そ、そっか。事務的な用事なら仕方がないよな。そうだよなぁ……
「はーい、今行きまーす。ん? どうしたレイト。気になっていた女の子がすでに彼氏持ちってわかった時の少年みたいな顔して」
「なにその甘酸っぱい青春!? というかそんな顔してないし!」
「そっかそっか。ところで、オレに何か用でもあったん?」
「あ、いや……なんでもない」
「ん。じゃあオレ職員室行ってくるわ。あと、今日の掃除当番はレイトだぞ」
「おう」
あーー、行ってしまった……それに掃除のことも全然覚えてなかったわ。
仕方ない、ちゃっちゃと終わらせますかぁ……
用具入れからほうきを出してゴミを集めていると、後ろからトントンと、肩を叩かれた。誰かと思って振り向くと、そこには前髪の長い茶髪の女の子が立っていた。
「あ、あのー……えっとその……転校生の方ですよね?」
再び転校生呼ばわりですか……もしかして人の名前がなかなか覚えられないのは、わりとふつうなのかもしれない。
「望月です」
「あ、ですよね。すみません……あまり人付き合いが得意でなくて、どうお呼びしたらよいか……」
要するに、人見知りする性格なのか。つい、慎一と接する時と同じノリで話してしまった。
「いやいや、そんなに気にしてないから。望月で大丈夫だよ」
相手の女子は了解した後、
「私はハナサキと言います。あの、もしよければ掃除が終わった後、屋上に来てもらえないでしょうか?」
と尋ねてきた。
断る理由もないので、俺は二つ返事でオーケーした。
掃除を終え、そういえば下見の時、屋上には行かなかったなと思ったが、とにかく上の階に行けばたどり着くだろうと確信して、教室を出た。
俺の予想は正しく、5階のさらに上をのぼった先に屋上へ続くドアがあった。扉をガチャリと開けると、10メートル以上先にハナサキさんが立って待っていた。
「おまたせ」
「あの、結構……早く来たんですね」
「そうかな?」
もう春だとはいえ、今日の最低気温は17度。そんな少し肌寒い中、女の子を屋上で長く待たせるのは心が痛む。
「あーー、なにか話したいことがあるんだっけ?」
「そうでした。話したい事というよりは、頼みたい事なんですけど」
頼み事? もちろんできる範囲のものだったら前向きに検討するが、なぜクラスの友達でなく、まだこの学校に2回しか来たことのない俺なのだろう。
しかし俺はこの疑問を口には出さず、続けて彼女の話を聞くことにした。
「実はですね、私の所属する文学部の部員数が今年から合計4名になってしまって、存続可能な最低ラインにぎりぎり届かないんですよ」
「文学部?」
「はい、小説や漫画について創作する部活なんですけど」
あーあれか。名前は違うが、俺が通っていた前の学校にも「文芸部」という形で存在していたな。
「なるほど。で、俺にそこへ入ってほしいってことか」
「はい。望月さんは読書が趣味だと言っていたので、きっと合うと思いますよ!」
「うーん」
正直なところ、入ってもいい。というか入りたい。しかし、まだ全ての部活を見て回っていない以上、即答するのは少しためらわれた。
「文学部には誰が入ってるの?」
質問をした後に、まだ多くの生徒と知り合っていないからこの問いかけは無意味だと気づいたが、今さら撤回するのも面倒なので聞くことにした。
「今入っているのは、私と、同じクラスの霞 慎一郎さんと」
「入部させてください」
「え?」
俺は深くお辞儀をした。
うん。これは即答でしょ。
元から入りたいと思ってた文学部に、さらにあの人柄のいい慎一が入部しているとなったら、入部するしかないだろう。
ハナサキさんには怪訝そうな顔をされたが、気にしないことにした。
「わ、わかりました。明日、入部届けを渡しますね」
「うん、ありがとう。じゃあ俺はこれで」
用事が終わったので帰ろうとすると、ハナサキさんに呼び止められた。
「ま、待ってください!」
「ん? どうしたの?」
もしかしたら、相談したい案件が他にもあったのかもしれない。また黙って聞くとするか。
「ええと……あの……もうちょっと……お話……しませんか?」
「……あ、うん」
雑談かよ! まあいいか……
それから俺は、ハナサキさんと10分ほど色んな会話をした。
ハナサキさんは、花咲 林檎という名前なのだということ、この学校の人達は、オカルトや怪談が大好きだということ、花咲さんと慎一は幼なじみだということなど、様々である。
「そういえば望月さん。朝のあのニュースは見ました?」
「少しは見たけど、なんのニュース?」
「隣町で、一家全員が殺されたとかっていう事件です」
「ああ、あれね」
俺が見たことを理解した花咲さんは、誰もいないのにもかかわらず、声をひそめて話し出した。
「殺された家族の中に、九 詩織さんという娘さんがいたそうなんですけど、その人ってこの学校の3年生なんです」
「えっ」
隣町と聞いてあまり実感がわかなかったが、今の話を聞いて、事件がとても身近に感じられた。
「学校側も混乱していて、ちゃんと報告されるのはもう少し後になると思いますけど、恐いですよね……」
「そうだね……」
周りの空気がとても冷たかった。
「そろそろ帰ろうかな」
「そうですね……あ、文学部なんですけど、火曜日と木曜日に活動しているので、空いてる時はぜいいらしてください」
「てことは明日からだな。了解」
話を終え、俺達は教室へ戻ることにした。
寄り道して帰ろうかとも考えたが、俺がこの町でわかっているのは、まだ家から学校までの道のりだけなので、まっすぐ帰ることにした。
【赤い本】
「ただいまー」
「おかえりー、今ちょうどお昼ご飯どうしようか考えてたところなのよ。怜くんはなにがいい?」
「なんでもいいよ」
「そう? じゃあテキトーに作っちゃうから出来たら呼ぶわね」
「うん」
おばあちゃんとの会話を終えた後、二階に上がって荷物を置き、気になっていた小説の続きを読もうとカバンを開けた。
すると、中に入っていたのは気になっていた小説だけでなく、俺が見たことのない真っ赤なハードカバー本が混ざっていた。
ん?なんだこれ?
取り出してみたが、やはり俺のものではない。恐らくクラスの誰かが間違えて入れてしまったのかもしれない。
にしてもこの本、題名も作者も記されてないぞ…………気になる。
人の私物を勝手に扱うのは良心が痛むが、汚さなければいいだけのこと。
まあ……ただの自己暗示に過ぎないが。
机に赤い本を置き、いざ読もうと表紙を開いたその時。
突然赤い本から膨大な光の嵐が俺を襲った。いや、襲われたというよりは、ただ圧倒されただけだが。
俺は驚いて、椅子から転げ落ちてしまった。鈍痛に顔をしかめる。
とにかく、本がまばゆい光に包まれているのだ。眩しくて目も開けてられない。
しかし、俺は一瞬であったが、真っ赤な本から誰かが浮かび上がって出てくる様子を目にしたのだった。
そして本はしばらく光り続け、やがてその輝きはゆっくりと失っていった。
もういいかな、と思って目を開けると、そこにはまた驚くべき光景が映った。
それは、季節を体現した少女だった。
小さな女の子が眠そうにしながら、ぺたんと座っていたのである。
…………これは夢なのか? そうだ、夢に違いない。こんなよくわからない状況、他にどう説明がつくというのだ。
俺が深く考えていると、少女は目をこすりながら小さな口を開け、
「ん……おなかすいた」
全く場にそぐわないことを呟いた。
「は?」
いや、そういう反応になるでしょ。突然現れたと思ったら今度は腹が減っただぞ?
そして俺がしばらく用心して少女を観察していると、階下からおばあちゃんの大きな声が聞こえた。
「怜くーん!」
「はーい」
呼ばれた俺は下へ降りようとしたが、先ほどの少女のことを思い出して、すぐさま部屋に戻ってドアを閉めた。
仮にもし、おばあちゃんがこの部屋でのありさまを確認してしまったらどのような反応をされるだろうか。
誘拐? 監禁? 児童ポルノ?
どう解釈しても最悪の事態に転ぶだけじゃねえかあああああ……!
俺はとりあえず最善の策をこなすため、少女に話しかけることにした。
「はじめまして。説明は後でたくさんしてあげるから、今はこの部屋から出ないようにしてほしいんだ。あと、できればそこの押入れに隠れてほしいんだけど……」
むしろ説明がほしいのは俺の方だと叫びたいが、今はそんなことを言っている場合じゃない。俺の社会的地位がかかっているのだ。
ところが少女は不機嫌そうに首を振り、
「おなかすいたのーっ!」
と、主張を曲げてくれなかった。
「わ、わかったよ。えっとじゃあ、もしずっと押入れに隠れ続けていられたら、おいしいものをいっぱい持ってきてあげるよ」
俺の取り引きに、青い瞳を輝かせた少女は、
「ほんと!? やくそくだよっ!」
と言ったのち、すぐさま押入れを開けて入っていった。なんてわかりやすい子……
ひとまず俺は、安心して階段を降りた。
おばあちゃんからは、
「もー、あんまり遅いもんだからラーメン伸びちゃってるわよー」
と、軽い文句を1つ言われるだけで済んだ。まあ……ラーメンがゆるゆるになっていたのは残念だったが。
二階に上がって、自分の部屋の押入れを開けると、こくりこくりと船を漕いでいる少女を見つけた。押入れの開く音に少女はびくっ! としたあと、すっかり目を覚ました。
「やくそくっ!」
「うん、たくさんお菓子を持ってきたよ」
本当はこのおぼんにのったお菓子は、今日おばあちゃんが俺のためにと思って買ってきてくれたものなのだが……言う必要はないか。
「やったー! ありがとーにぃたん!」
「に、にぃたん!?」
「うん! にぃたんありがとう!」
おい、誰ですか。小さな女の子にそんな変な呼び方を教えたのは。
少女はお礼を言い終えた後、獲物に襲いかかる獅子のごとく素早い速度で、山盛りのお菓子を平らげてしまった。モンスターかよ。
「ええっと、まず、名前はなんていうのかな?」
少女は深く考え込む仕草をした後、元気いっぱいな声で、わかんないっ!、と答えた。
そっかー、わかんないなら仕方がないよねー。
「じゃなくて!」
「ふえっ!?」
すると、真面目に答えなくてはいけないと思ったのか、今度は必死に考えて考えて答えた。
「えーと、えーと、ステキなおなまえをくださいっ!」
とんでもない返答に俺は深く頭を抱えた。
名前を付けろ? さすがにその切り返しは予想外なんだがああ……
「少し、考える時間をくれ」
考えること1分……
2分……
3分……
そして10分後に、俺はひねり出した名前を少女に伝えることにした。
「ええと、『こはる』なんて名前は……どうかな?」
…………沈黙……
やっぱり言わなければよかったあああああ!!
たしかに、今の季節が春だからという理由と、こはるの髪の色が桜のようなピンク色だったからという安直な理由で名付けたので、そうなってしまうのも無理はないと思うが。
俺が悶えていると、少女は小さく名前を繰り返し、
「こはる……こはる……。うん! こはる! とってもかわいいおなまえ!」
と、名前に負けないくらい可愛らしい笑顔で感想を述べた。
はぁ……気に入ったならそうと早く言ってくれよな……
俺はほっと胸をなでおろした。
「にぃたんは、にぃたんのおなまえもおしえてー」
「俺? 俺は、望月 怜斗って言うんだよ」
よくわからなかったのか、こはるは斜めに首を傾げた。ええっと……
「望月 怜斗だよ。も・ち・づ・き・れ・い・と」
しばらく考えた後、ひらめいたっ! という顔でこはるは俺の名前を言ってくれた。
「もちつき れんこん!」
どうやら俺ではない誰かさんの名前らしかった。きっと、今のこはるはまだまだ腹ぺこなのだろう。
名前を聞いたわりに、依然として呼び方は『にぃたん』のまま。もうなんでもいいや……
それからいくつかの質問をしたが、わかったことは、食いしん坊であることと、プリンが好物であることのみだった。つまり収穫なし。
一体この子は何者なのだろう。
まず、俺が最も気になっているのは、こはるの容姿や服装があまりにも浮いていることである。別にブサイクだとか、ダサいとかそういうことを言っているわけではない。
こはる自身の持つ美しさが、人智を超えたものとしか感じられないのだ。
真っ白のキャミソールに真っ白のスカート。春色の髪をショートカットにした髪型に、青色の瞳。よく見ると背中には、2枚の羽と黒くとがった尻尾が付いているではないか。
一般の人がこんな格好をすれば、ハロウィンや最近のアニメのコスプレと考えるだろう。
だがこはるは、生まれつきそうしていたかのようにフィットしているのだ。
そういえば、俺が開こうとした赤い本がとてつもない輝きを放った時、誰かが浮かび上がってくる様子を目にしたが、その人物はもしかしたらこはるだったかもしれない。
いや、まさかね。
だってその理論でいくと、まるでこはるがこの赤い本から出てきたみたいな言い草じゃないか。
あの時浮かびあがった人物は、もしかしたら違う人物だったかもしれない。男かもしれないし、大人かもしれない。もしかしたら老人という説も濃厚である。
考えれば考えるほどわからなくなってくるが、1つだけ絶対に片付けなければいけない問題が出てくる。
それは、こはるをこの家に置いておくべきかどうかだ。
正直言って、名前も住んでいる場所もわからないような記憶喪失の女の子をそのままどこかへほっぽりだす事は絶対に避けたい。だとすると、おばあちゃん達をなんとか説得するしか方法がない。さて、なんて言い訳しようか……。
俺が考えている間、こはるは押入れのダンボールに入っていた子供向けの絵本を静かに読んでいた。
へえ、『赤ずきん』かあ。なつかしいなぁ……そんなことより説得の方法考えなくちゃ。
再び思案にふけようとした時、突如こはるの姿が、ポンッという音を立てて白い煙に包まれた。
今度はなんだああ!?
煙はすぐに消え去ったが、肝心のこはるがいなくなってしまい、代わりに赤いビロードの頭巾をかぶった女の子が現れた。
「こはるが消えた!」
すると、俺の発言に驚いた外国風の女の子がなにか尋ねてきた。
「どうしたの? にぃたん」
「いや、なんでもな……にぃたん?」
すごく聞き覚えのある呼び方に違和感を覚えた俺は、もう一つ質問することにした。
「あのさ……君の名前はなんていうの?」
「えっとね……名前はこはるだよ!」
…………沈黙……
つまり……どういうことだ?
こはるちゃんはプリンが好きとのことでしたが、僕は焼きプリンよりもプッチンプリン派ですねー。
というわけで、閲覧ありがとうございます。不知火アカメです。
えっと、まずは事務連絡から。
今日から毎週日曜日投稿でお話を作っていこうと思います。
それと、Twitter始めました。
詳しくは、@AkameShiranuiで検索してみて下さい。
あと、これは個人的に思ったことですが、次のお話からは、もう少し1話ごとの量を増やしていきますね。
それでは、次回作も楽しみにしていただければ嬉しいです。