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あとがき



私がいつも不特定多数の誰かに向けて、本や文章を書くとき時というのは、たいてい、「これを言い残して伝えられたら、死んでもいいか」という気持ちなのです。




ところが、その「言いたいこと」というのは、生活や経験を重ねてきたりしていくうちにどんどん増えていくのです。いや、本当は、自分の書いてきたものが、何一つ「本当の言葉」でない嘘っぱちのような気がして、それで人を騙している一つの罪であるかのような感覚を否応なしに感じざるを得ないのです。でも、とにかく言葉に残しておきたいことがある。








普段私が書くことは、詩であったり、ノンフィクションエッセイであったりしたのですが、今回は、私の職業でもある「教育」ということについて書いてみました。今回書かせていただいたことは、ずっと短い私の人生の中で大きな問題意識として一度じっくりと考えてみたかったことなのです。








私は、どちらかというと完全に「子ども」の側の人間で、「しっかりしなさい」と言われながら、何をどうしっかりしたらいいのか分からないまま、本当に周りの「しっかりした人」のお世話になりっぱなし、甘えっぱなしだったのだなあ、と思わされます。




その、うけてきた恩のカルマのようなものを、今世の中に替えさせていただいているのだろう。子どもに関わる仕事を続けていてつくづく思うことです。




いつの間にか、甘えられる人が周りにいなくなり、いまや、20人以上の私の子どもを「慈父」のように甘えさせ、その成長を見守る毎日です。




昔の私は、「自分は特別」だと思っていた傲慢な節がありましたが、「自分は特別ではない」というのが、本当に納得できなかった。ところが、日常のなかで、「すべての人が特別」で、「すべての人が宇宙の中心で生きている」という観方は一層強まり、いまや動かしがたい実感となっています。そうすると、すべての生命に対しての深い慈しみのようなものを覚えます。この世界は、実に多くの宝を目のまえに提供してくれている汲み尽くせない学びの場だと、感謝したくなります。




それぞれの人生に、魂に、この世界で生きていく上で、困難が生じてくるかもしれないし、答えが容易に与えられるものではないでしょう。しかし、その中でも手探りで、一歩一歩進みながら、この世界を善いものにしていこうと学び、動く姿を想うと、私は尊いものを感じずにはいられなくなります。




ひょっとしたら、教育とは、「信じて見守り、応援すること」以上の何もできないのかもしれません。








「教育」というと、多くの人が、学校や家庭で、社会的に立派な大人が、勉強やしつけを教え込む、あるいは福祉的なイメージと関連付けられると、いうような「真面目」なイメージを抱かれていて、いつも私はそのイメージに乗っかることに違和感を覚えてきました。




むしろ、そのような「教育」の考え方が、「そうでないもの」を時に排除し、私たちを苦しめることもあるのではないか、と感じることが実に多くあります。




私が、普段思うことや、教育についての姿勢を率直にまとめてみました。私の語ることは、限られた「教育」の分野だけでなく、考え方のみならず、「生き方」の方向に向けられています。「楽しい社会」でいいんじゃないか、ということ。




今、教育現場に限らず、日本全体が病んでいる様子をよく聞きますし、調べもします。




「一度でも社会のレールからドロップアウトしたら人生は終わり」という不安に満ちた観念が世の中を支配し、大人は「社会に出てもいいことなんか何一つない」などと口々に言い、子どもを洗脳する。それを真に受けた子どもの世界に「生きづらさ」が噴出し、監獄か軍隊のような教室で、机に縛り付けられて一日をこらえるという生活を、終わりなく続けていく。まるで、まんじゅうを押さえたらあんこがはみ出るように問題も噴出してきます。




鬱憤やイライラを抱えて、「ありのままの自分」を愛せない攻撃的な子どもが、「ありのままの自分」を愛せないおとなしい子どもや変わった子どもをターゲットにして憂さを晴らす。つまり、「いじめ」です。あるいは、その空気に耐えきれなくなった子どもも学校に行くことを恐れ、外に出なくなる。そして、ネットやゲームに興じるようになる。




「社会に出ても自分は使えないやつだし、適応できないし、必要とされることもない。」「もう、この先何をしても未来はない」と将来を悲観した家族に、子どもが死んでしまうことが後を絶たない。




幸い、そこからのドロップアウトを逃れた人も、「自分はそうならないだろう」と安心しつつ、いつもどこかで自分もそうなる恐れがあるのではないかと恐れている。ぎすぎすして、イライラのたまった世界の中で、振り落とされないように一瞬たりとも気を抜けないのです。つまり、その世界の外に出られない。




でも、ちゃんと成功してかつ幸せな人の話を聞いていればはっきり分かりますが、不安から出ることは嘘なのだということ。ちょっと外の世界に目を向けてみると、美しいものやきれいなものはたくさんある。世界は本当は素晴らしい。




キーワードは、「自己肯定感」や、「自己尊敬感」ということ。つまり、人はみな尊厳を持っていて、「かえがえのない存在である」ということ。人は、自分自身を愛し、生かさなければならないということです。そして、もうひとつのキーワードが、




自分を尊敬して尊重するのとまったく同じように、他人も尊重して尊敬して扱わなければならないということです。




そして、その奥の私の考えかたには、人はみな「人格」を持っていて、その人格のなかには「全宇宙」が投影されている、という見方があります。つまり、人間はミクロ・コスモス(小宇宙)である。そして、その宇宙の中心は、すべての生命と繋がっているのではないか、ということ。いきなり言われて実感がわかないかもしれませんが、私はそう感じています。よくよく考えたら、そうですよね。




何やら大きな話になりましたが、それほどまでに人を尊敬し、尊重して扱おうということです。目上の人に向けられがちな「尊敬」ですが、本当は、自分より後にこの星にやってくる新しいいのちに対して最大限の敬意を払って、彼らに仕えることのできる大人でなければならないのではないかと思うのです。








私たちの人生は正しい心で明るく生きていれば、必ず道は開け、必ず日に日に善くなっていきます。きっと私たちは、これからも今まで抱え込んできた重いものを次々と脱ぎ捨てて、脱皮をくりかえし、自由と喜びのうちに憩うようになるでしょう。もっともっと、私たちは幸せになります。




ここまで読んで下さった、あなたに、すべての善いことが雪崩のように訪れます。




本当に心から感謝しています。












2014年2月下旬 




せんせい




こと




あだちゆう









◆参考文献





おすすめの本でもあります!ぜひぜひ目を通してみてくださいね。




『子育てハッピーアドバイス』シリーズ 明橋大二 一万年堂出版




『No.1理論』西田文郎 現代書林


『変えよう!日本の学校システム 教育に競争はいらない』古山明男 平凡社




『薬を使わずに自分のうつを治した精神科医の20の方法』宮島賢也 




『地球が天国になる話』斎藤一人 KKロングセラーズ




『自分を嫌うな』加藤諦三 三笠書房




『怒らないこと』アルボッムレ・スマナサーラ サンガ




『HUNTER×HUNTER1』富樫義弘 集英社




『私の嫌いな10の人々』『私の嫌いな10の言葉』中島義道 新潮社




『勝利の女神は勉強嫌い』上野晴彦 PHP




『奇蹟の教室 灘中伝説の国語教師橋本武の流儀』講談社編








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