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人を動かすためのテクニック



・傾聴





傾聴とは、知識ではなく、心をこめて誠実に耳を傾けることです。




私のお世話になった先生に、巨大な知識の権化ごんげのような大御所おおごしょの方がいて、よく教育や政治の理想を語ってくれて、その中の言葉は今でも私の座右の銘です。しかし、しかし、玉にきずだったのが、生徒がしゃべるのをじっくり聞かず、生徒が語り終わらないうちから口をはさんで、その相談に対しては10分以上、膨大な知識で語り続け、話が終わらない。すっかり「小さな講演会」になってしまっていたということ。これでは、生徒としては理屈としては分かるのですが、自分のことを見てくれていない気分がして、哀しくなりますね。教授や知識人には、知恵を手にすることを第一義として、そこに幸福を感じていて、そのようになってしまうタイプは少なくありません。無理して甘く(?)振る舞う必要もないと思うのですが、「心を伝える」方法は身につければ「ぐっ」っときますね。




相談に対しては、生徒1割、先生9割とかいう事態は避けたいところです。




子どもがうまく語ることが出来ない場合もあるので、せいぜい、生徒3、先生7。できたら、何も語らないほうがいい。じっくり考えさせ、本人が答えを出すのを待った方がいい。なぜなら、本当の答えというのは、外に居るお偉い人の言葉ではなくて、自分の魂から絞り出された「自覚」、「響き」のなかにあるものだから。




答えはいつも、自分の魂の中にあり、もっぱらそれが、愛と感謝に放射されている時に限り輝きを増し、そこに自己は取り戻せるものだから。








「この人なら私の話を聞いてくれる、という人を見つけただけで、その人の悩みの半分は解決している。」と哲学者のサルトルは述べました。




褒める力と同じく求められるのが、「人の話をしっかり聞く」ということではないでしょうか。とりわけ、優しく人の話をうなずきながら聞く素質は圧倒的に女性に多い。




悩んでいる人の気持ちをほぐす、カウンセラーの方や、養護教諭の方に女性が多いのもひとえに、「聞き上手」だからなのでしょう。そのような人の周りには「この人は、自分を否定も批判もしない。傷つけないな。話を聞いてくれそうだな。」と暖かい雰囲気が出てくるので、自然に人が集まりやすい。




聞き力は素質のある人だけの特権ではなく、やはり技術だけでも身につければ大きく変わります。「愛とは技術」(エーリッヒ・フロム)なのです。




簡単に「使える聞き方」を紹介しておきましょう。




・笑顔でうなずく。頭をしっかり上下させる。




・返事のバリエーションを増やす。




「うんうん」「へえ」「そうなんだ」「おーすごい」




・相手の話に興味を持つ。




「ふんふん、それで?」「どうしたの?」




・相手の言いたいことを自分の言葉で、まとめて、




「つまり、こういうことなんだね。」「嬉しかったんだ。」「哀しく思ったんだ。」と言い換えてみる。




そうすると、たいがい、「そうそう、そうなんですよ!」と返してくれます。








・相手の言動に被せない。




・説得しない。




・正論を言わない。




「あ、でもさ」「それってー」と言動を否定されると嫌な気持ち。




「あ、この先生は私の話を聞こうとしていないんだな」と哀しい気持ちになります。











・「教えない」教育





よく言われます。




「へえ~、先生やってるんだ。子どもに勉強教えるってすごいですね。」と。




話がややこしくなりそうなので、「あ、はあ」と言いながら、心の中ではこう言っています。




「本当は、勉強なんてほとんど教えた記憶はないんだがなあ。かといって、放置しているわけでもないし・・・。」




きっと、多くの人が、「教育とは、生徒に勉強を教え、またその他生活や進路の指導をするもの」だと思っています。




教育は英語でeducationエデュケーションと言いますが、語源は、ラテン語のeducareエデュケアー。意味は「引き出す」ということです。古代ギリシアにプラトンという哲学者がいました。みなさんも、自分の影を本物の世界だと勘違いしている奴隷の男を描いた「洞窟の比喩ひゆ」というのを学んだかもしれません。あのお話は、『国家』という対話編の書物で、最も良い国を作るための教育というのを話しているときの例えです。そこで、教育とはどのようなものかというと、男を何とかして、「転回」させ、洞窟の外の太陽の光の世界が本当の世界だと気がつかせること。




「視力を植え付けるのではなくて、もともと備わっている視力を正しく働かせて、真理の世界を認識できるように導く」ことなのだそうです。




「教育」で「引き出すこと」において、で重要視されるのが、「対話」という方法にほかなりません。




子どもたちは、自己を表現する意欲に満ちあふれています。そして、それは私たち大人もですが(笑)




とにかく、私たちは語りたくてたまらない。聞いてほしくてたまらない。そして、それが満たされた時喜びを感じます。




逆に、一番耐えられないいじめは「シカト」だと言われます。誰からも一切口を聞かれない状況になった時、人は卒倒するほどのショックを受けると聞いたことがあります。それほどまでに、自分の存在が認識から遠ざかるということは、愛から離れたことであり、幸福からは程遠いところにあるものなのです。良心の痛みを感じるということは、愛が正常に働いていることです。




冒頭で、「愛とは存在に向かうことであり、正しい存在の在り方を実現すること」と述べましたが、存在は「対話」のなかでこそ深まります。




勉強というのも実は、客観的な真理を探究しているようでいて、実はやはり「誰にでもわかる知識を人類で共有したい」という存在承認への欲求があるのではないでしょうか。




英語や国語や社会は言わずもがな、数学は宇宙との対話であり、自然科学は、自然との対話であるともいえます。またそれを通じての人と人の理性の間の対話でもあります。




とにかく、私たちは、心を伝えあい、分かち合いたいという欲求が根源的にあります。




飲み会に高い金を払っていくのもそうですし、ネット上でチャットやSNSやブログが盛況を呈しているのも、人は「コミュニケーション」をしたい動物だから、なのです。








自分の頭で考えさせて、表現させることの重要性が益々高くなっているのではないでしょうか。「これからの時代」というよりも、私は「普遍的に」だと思っていますが。




人の中にはもともと、光が備わっています。それを自分で輝かせる手伝いをする。教師の役目はそれ以上でもそれ以下でもないのではないかと思います。




なので、出来るだけ、私は一方的に「やれ」とか「がんばれ」ということは、最小限にしています。学びは本来真理の探究のためであって、それはまた喜ばしいものであるはずです。それを強制すれば、「厭いや意識いしき」が強まり、マイナスに働くからです。




それを言うのは、その人の中にできた「機」を見計らってです。




やはり、教育の基本は「焦らない」「待つ」ことにあります。








ボランティアで関わっている「デモクラティック・スクール」では、大人のスタッフは、子どもには「聞かれない限り教えない」のが原則で、いつも「つい、口出しをして教えたくなってしまう欲求」と戦っているのだとか。




いやあ、私なんか、知ったことを得意げに人に教えて驚かせたり、笑わせたりするのが好きで、語りたいことだらけでいつも心の中は満ちています。ある種それがすきで教師をやっているというのはあるのですが(笑)楽しそうに聞いてくれる子どもたちは、きっと私の力で生きがいです。心から感謝しています






・「見守る」教育





先ほどのトピックと関連しますが、「北風よりも太陽になろう」ということです。




「見守る」といっても、「放置」ではありません。




やれと言われて、やらない子がほとんどだし、それはきっと、私たち大人にも言えることでしょう。それが、長く続くと、「厭意識」は強く、強くなって、「学び」に対する殻はより強固なものになって、ひょっとしたら、人生そのものにまで、影を落としかねない。




私の場合、思い切って、最低限課題をやれば、好きなことを思う存分させています。読書に、専用ノートへの落書きに模型の組み立てやカルタやビンゴやすごろく、またはクロスワードゲームなどの遊び。(うるさくしすぎなきゃね!)




何カ月か、ちょっとだけつつきながら待っていると、必ず、その子どもは何かを自主的に取り組むようになります。ある日、「よし、今日僕は、これをここまでやります!」と持ってきてくれますので、私も真剣にそれに応じます。




ある子どもたちは、英語の勉強と、お絵かきや遊びがほぼ同列度の興味で境界はあいまいです。




「生徒が先生に、勉強のことでも、勉強以外のことでも、教えてくれる。」という現象が増えてきたら、しめたものです。




「やらせる」意識は、やはり持ってしまうのですが、できるだけ、「遊びと同じで楽しいから、楽しんでやろうぜ」という方向を意識しています。




最も大切なのは、「楽しむこと」。




「それでいいのか?」という人もいるかもしれません。「勉強と、遊び、けじめをつけなければいけない」という人もいるかもしれませんが、それは否定しません。




それでも、やはり「夢中になること」が、学力、しいては生きる力の原点だという私の哲学に変わりはありません。(進めようと思いながら取り組めないRPGがある一方、ついつい徹夜で読んでしまう哲学書があるとかいう私が変なのかもしれませんが(笑))




勉強は、実は遊びの延長線上にあってしかるべきものではないでしょうか。このことは後述しますが、ある東大生が言っていました。勉強が好きになった原因は子どもの時の「ウルトラマン」だったそうです。ウルトラマンが好きで、それを見た両親がウルトラマン図鑑を買ってくれたそうです。それが嬉しくて、ぼろぼろになるまで読み返して、ウルトラマン博士になってしまった。そうしたら、次は、川の生物や、宇宙、歴史・・・と同じように興味の赴くままに徹底的に調べていったそうです。そうして、当たり前のように、テストでも難なく好成績。




もし、両親が「そんな勉強と関係のないことばかりやって。そんな役に立たないことよりも、このドリルをやりなさい。」とやっていたらどうなっていたでしょう。きっと、学ぶ喜びの分からないまま、たとえ成績が優秀だったとしても、苦しみに満ちた生き方だったに違いありません。




もちろん、「子どもの都合」もあれば、「やってもらわないと困る。この先不安。」という「大人の都合」もあるかもしれませんが、「心配より、信頼」を多めにした方が、価値のある生き方だろうと思います。











・二つの「愛」





愛には二種類あります。「慈悲じひ」と「渇かつ愛あい」、ギリシア語では、「アガペー」と「エロース」といいます。前者は「与える愛」、後者が「求める愛」もっといえば「奪う愛」です。前者は暖かさや幸せをもたらしますが、後者は絶えない不満です。




地上のあらゆる不幸は、慈悲と渇愛を取り違える無知(「無明」と私は呼びます)から、始まると言っても過言ではありません。




相手のことを想ったり心配するのは分かりますが、もし、相手を支配して思い通りにさせて、「自分がいい目をしたい」という気持ちがあるなら、それは後者の愛でしょう。




本当に、自分の愛が「慈悲」なのか、「渇愛」なのか注意していたいものです。











・悪口や陰口は言ってはいけない!





愚痴や悪口は、いわゆる「地獄言葉」。これもまた、「渇愛」ですね。また嫌なことを呼び寄せる法則があるというのは不思議でもなんでもなくて、道理で分かることだし、一番傷つくのは実は本人。




悪口は聞こえています。一番身近な人に。そう、あなた自身の脳に。




決して、それに同調してはいけません。




「そうなんだ~。分かるよ。」とおいてから、「でも、そういうのは良くないよ」と釘をさすことです。




そればかり言っている人や集まりがいたら、きっぱりと距離を置くのも優しさです。








さて、ではなぜ批判や悪口が生じるのかということを観察してみますと、それを言う人の中には、必ずなにか「満たされないもの」があります。




そして、彼らはその満たされないものを埋めることに際しては「無知」であり、それを環境や他者という外部に転嫁することによって、自分の足りないものを埋めようとしているわけです。しかし、そこに光はなく、一つの外部の問題が仮に解決したとしても、またその人は同じような問題で永遠に苦しみ続けることでしょう。そして、彼が「本当に変えるべきは自分自身だ」と悟るまでその課題は永遠に繰り返されます。




苦しいと思うかもしれませんが、解決の方法は、「自分には愛や慈悲に満たされてない部分があるのだな」と気がつくこと、そして、その傷の部分に慈悲を注ぐことで、数カ月もしないうちに「奇蹟」とも思える現象が周りに起きてくるかもしれません。しかし、それは奇蹟でもなんでもなく、道理どおりの現象でしかないのです。




詳しくは知らないのですが、ホ・オポノポノという、ハワイに伝わるヒーリングで、自分の心の苦しい思い出に「ありがとう、ごめんなさい、許して下さい、愛してます」という言葉をかけ続けるだけで心がきれいになるという手法があるようですが、自分に対して慈悲を注ぐ方法としては、「言葉」をくりかえし口に出すことは、大きな知恵なのかもしれません。




後述しますが、私自身も「愛してます、ついてる、うれしい、たのしい、感謝してます、幸せ、ありがとう、許します」という言葉をくりかえしいうことを習慣にしただけで、あらゆる物事が好転し始めました。




「なんだか、毎日が疲れるなあ、うまくいかないで厭になるなあ」と思う人は、是非思っていなくてもいいので、言葉だけでも何回も口に出してみてください。











・「脳」をうまく使おう





人間の脳にインプットされたモチベーションはたった二つしかありません。マザー・テレサも、ヒトラーも、通り魔も、組み込まれた同じ原理で行動しています。




それは、「快を求め、不快を避ける」という原則です。




「勉強をするのはなぜか」のモチベーションには様々あると思いますが、やはりつまるところ、二通りしかありません。




「純粋に学問の世界を探求したいから。」




「医者になってお世話になった家族を喜ばせたいから勉強する。」




「志望校に受かり自分のやりたいことをしたいから勉強する。」




「志望校に受かりいい思いをしたいから勉強する。」




「いい学校でないと馬鹿にされるから勉強する」




「いい学校に入れないと未来がないから勉強する。」




「親や先生が勉強をやれという。やらなければ怒られるから勉強する。」








どこで線引きができるかはみなさんにはおわかりですね。




前者になればなるほど、喜びを求めることが原動力で、後者になればなるほど不快からの逃避が原動力です。実は、殺人や万引きなども、そこに快楽があるからではなく、「恐れ」が動機なのです。余談ですが、麻薬や非行に走るのも、自己の中が愛に満たされておらず、「恐れ」があるから、それを紛らわすために逃避しようとする。




賢い皆さんにはすでにおわかりでしょうが、力を発揮し、成功するのは前者の「快」の感情が多いほうなのです。決まっています。




「ウキウキ・ワクワク」「愛」「感謝」の感情に従うのが正解です。




「やらなければいけない」、「もっとがんばれ」が多くなりすぎると、精神や身体に不調が噴出するか、たまったものを外に吐き出す形で暴力や嫌がらせといった現象が起きます。




愛と感謝の関係は、人を生かします。




義務と責任の関係は人を殺します。




「頑張る」「努力」は一般的に良いと思われがちで礼賛されてきましたが、実はインプットされる情報は「不快」なので、脳には悪いのです。




「出来た!」ビジョンの快をインプットさせておくことが大切です。それにはどうすればいいかというと、「小さな成功体験」の積み重ねなのです。








身体や精神の不調は、身体や魂からの「その生き方は間違っているよ。修正して直しなさいよ。」という愛のメッセージで、生き方を変えるチャンスなのです。




事故死として処理されているものも含め、自殺者が10万人を超えると言われている日本社会も、「生き方や考え方を改めた方がいい」と神様がメッセージを送っているのかもしれません。








話が広がりましたが、脳というと「高度に思考するもの」ともっぱら考えられているようで、それが人間であることの条件と見られがちです。しかし、それは「大脳皮質」の部位に限られた話で、実はあくまでも補助的なものにすぎないのです。




空手をやっていることもあるのでしょうが、近頃は益々実感として「頭(大脳皮質)より、身体(偏桃体、脳幹)の方が雄弁だ。」「頭は嘘をよくつく」ということを感じています。




何が言いたいかというと、論理や言葉の脳は、机に向かうだけでは最大限には働かない。身体を動かさなければならないということです。




勉強の様子を見ていますと、実に、覚える際は「見ている」だけの子が多いですね。よく言われることですが、手を動かして書く。書いて書いて書きまくる。




次に、口をうごかすことです。音で覚えることです。昔ながらの音読は、脳を働かせるためにやはり効果が抜群なのです。




みなさんは、般若心経の何百文字を見ているだけですべて覚えられるでしょうか。「主の祈り」の文句をすべて覚えられるでしょうか。空手道場の道場訓7つをすべて覚えられるでしょうか。




そういう習慣がある小学生、下手をすれば未就学児でも意味は分からずともスラスラと口に出します。それはいつの間にか五体に染みついているものです。なぜかというと、口に出すことが習慣になってしまっているから。




計算にしろ、自転車にしろ、楽器にしろ、覚えるのに、初めは「どうすればそんなにできるのか」と途方もない苦労を感じるものなのですが、いつの間にか自由自在に使いこなしている自分の脳があるのです。








もうひとつ、蘊蓄うんちくですが、人間が一番初めに形作られるのは大脳からではなくて、腸、丹田からなのだそうです。つまり、腸に命の源があるわけなので、腸内環境が悪いと、脳も働きません。通じが悪いと、精神的にも不安定になりやすいのだとか。そして、できる男はやはり通じも良いらしいです。








心を鍛えるには、脳からです。




良い気分でいようと思ったら、「ありがとう」や「ついてる」「感謝してます」と思うだけでなく、口に出して言う。嘘でもいいから言う。


カロリー消費ほとんどゼロであなたの人生はがらりと変わります。


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