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自分も人も幸せに!



・人が一番力を発するのは、「うれしい」「ウキウキ」「ワクワク」の状態のとき。





義務の力が強いとか、怒りの力が強いとか、いいますが、人間が本当に力を発揮するときは、このウキウキワクワク状態なのです。




脳科学の分野でも、ウキウキワクワクになった脳の状態を「メンタルヴィゴラス」と言い、スポーツ界のトップ選手は例外なくこのような状態にあるということです。




実は、やりたくもない勉強をいやいや我慢して行うのは、脳にとって悪いことなのです。毒なのです。これに慣れた人は、「本当に自分のやりたいこと」を見失い、ストレスをため続けて、時に病気になってしまうことも。そのような人が社会に増え続けて多くの命が失われていることに私は懸念以上のものを覚えていて、本気で対策をしようと考えています。




なので、私は、「勉強は楽しくていい!」と言います。いえ、「楽しくなければ勉強でない」とまで言い切ります。




では、具体的にどうやってその方向に持っていけばいいのでしょうか。







・すべての子どもは、自然に伸びたがっている。成長したがっている





私たちでも誰でもそうだと思うのですが、成長することは本来楽しいことです。


それに喜びを感じるようにつくられています。


では、なぜ、成長することがきらいな子がいるのでしょうか。そのための努力をすることが嫌な子どもが多いのでしょうか。




自分の魂の声が、大人の都合とか焦りとかによってかき消され、自ら育てはぐくむ機会が損なわれている現状があるからではないでしょうか。つつかず、焦らず待つことが基本でしょう。




人を変えたいと思うこと。それは苦しみです。




変えられるのは自分だけなので、まず、自分を愛して、自分が喜びに満ちた生き方を実践し、それを人に伝えることが一番なのです。これは、教育者でも親でも同じです。




自分を信じる。人を信じる。子どもを信じる。




コントロールしたい欲求があれば、それはきっと自分の中に満たされないものがある証拠。






・他人と比較しない 競争相手は昨日の自分自身





物事が嫌になるのは、たいがいそれが義務になってしまったり、他者との比較で自分を貶められたと感じ始めたときから、あるいは親や先生に「あの子は出来ているのに、あなたは駄目ねえ」とため息をつかれた時から始まります。




そのとき、学問も、生きることも、他律的な目的の為の機械になってしまい、純粋性を失うのです。それは、「存在の正しいあり方」から外れているので、人は苦しみます。




本当の成功や進歩は、「昨日の自分自身よりも、一つでも二つでも進むこと」であり、それを喜びに感じる感性があれば、いつのまにかその人は努力を楽しみと思い、とんでもないところにたどりつくものなのです。自他の区別で、高い能力を得たから幸せなのではなく、存在それ自身に近づいたことに本質的な喜びを見出すのです。








先日、ある子どもが私に言ってきました。




「小学校時代の私立に行った友人と会ったんだけど、そいつは昔勉強をいっぱいしていたから、優秀なんです。でも、それに比べて俺なんか勉強もしてないし、馬鹿だし、嫌になります。」と。




私は言いました。「それね、考え方が間違ってるよ。人と比較する事じゃ、永遠に幸せにはなれない。競争相手は昨日の自分自身。昨日出来なかったことが今日出来たら、それで成功なの。」




はじめは、「ええ、でも」という感じでしたが、それを言い続けているうちに、彼は安心して一歩でも二歩でも机に向かう姿勢を見せてくれたようです。




きっと、私のこういった考え方は「無理なんじゃないか」と思う人もいるかもしれません。ついつい比較してしまうのが人間ですし、多くの人がその流れの中にいますから。しかし、比べることの中に幸せを感じた人はいるでしょうか。仮にそれがあったとしても、常にそれは不安と隣り合わせなのではないでしょうか。それでは幸せはありません。そこをぐっと抑えて、「自分は自分でいいんだ」と外に向いていた目を内に向けることをすれば、大切な自分の人生を充実して生きることが出来るようになるんじゃないでしょうか。




私の学校は中高一貫でしたが、その中にも中学で退学になっても、後に企業に勤めて元気でやっている人もいれば、東京大学に入ったかと思いきや、自殺未遂をしたとかいう人もいました。詳しいことは分かりませんが、生きる上で大切なのは、「自分が自分であれること」なんです。




100点だったらOK。でも、10点だろうが、0点だろうがそれでもマルなんです。学んで成長すれば、0点が1点になっただけでも、「大成功」なんです。




他者との比較で測る「幸せ」のモノサシを、思い切って捨ててみることです。








ちなみに、私はフルコンタクト空手を続けていますが、試合は体格も違う、組み合わせによって結果も全く違う、不平等極まりなく、また勝負がすべての世界を知っています。




きっと、受験以上に過酷な世界と観ることもできますが、たとえ、負けても、「自分が成長した」「多くを学んだ」という点では、すべては喜びに変えていくことが出来るのです。




何より、勝負の相手は自分自身であり、それに気がついた人から、「勝ち」も掴めるようになるのです。深いところまで行くと、自他は一体であり、勝負は共に高めあい、尊敬し合える場所なのです。




何事も、捉え方次第です。







・未熟でも、一つの人格とみて尊敬し、尊重すること。





子どもは、子どもなりに、大人以上に予想もできない深い考えや、プロセスで納得のいく形で結論を出そうとしています。確かに、口出しをして、合理的に素早くやる方法を押し付けてしまいがちだし、その気持ちは私にもたくさんあります。しかし、その欲求をぐっと抑えて、待つことが大切なのではないでしょうか。




同じ目線で、忍耐強く優しく耳を傾けることで、結論以上の豊かな土壌が、大人にも、子どもにも




はぐくまれていくはずです。







・子どもは、大人の二十年先は進んでいる。





様々な本で、子どもの魂は大人よりも進んでいるということを聞きます。本当かどうかはともかくとして、子どもをひとつの人格として見る際には最大限の尊重を払って、愛を注がねばならないでしょう。




「仮に、彼らが非行や犯罪に走ったら?」との声もあるかもしれませんが、逸脱行動のほとんどは、大人の植え付けた、「不安」や「被害者意識」からの反発によるものということを知れば、むやみやたらに、うるさく押さえつける必要はないということを知ることになります。








・「させる・やらせる」は少なく。「提案」がベター





私は、「これをやりなさい」と強制することはあまりなくて、子どもが「やりたくない」と言えば、「だったらやらないでいい」とまで言います。




おそらく、多くの教師や親を含む大人が、本当に漠然としっかりした信念も理由も持たずに、とりあえず「やらなければならない」「やらせなければならない」と強迫観念に追われているように感じることがあります。それには、さして「みんながやってるから」「周りがそうだから」という「不安」に基づく行動原理なのかもしれません。「なぜか」分からないまま、「やらない」いや、「やれない」子どもを怒鳴りつけ、叩くことは、はたして教育なのでしょうか。「不安」が原因の行動は、必ずつぎの不安を生みだすことにしかなりません。




怒られるかもしれませんが、嫌なことはやらなくてもいい、というか、やってはいけないのが正解なのです。好き嫌いをなくすようよく言われてきたと思いますが、好き嫌いをはっきりさせる生き方こそ好まれ、自分らしい生き方が出来るのです。




子どもには、本来なら、「教育を選ぶ権利」がもっと保証されてもいいはずで、ひょっとしたら、数十年後には今の教育は「とんでもない人権侵害だった」と批判されても良さそうなのですが、一部の「心から幸せに生きている成功者たち」しかそういうことを言わないようです。




こういう話を初めて聞いた時は驚いたのですが、実は脳の造りからして実に理にかなっていますし、ほとんどの成功者は必ずと言っていいほど好きなことしかやっていません。




「お金儲け」の世界では、実は苦労や努力や根性、「やりたくもないことをいやいや我慢してやる」こと程の悪徳はありません。お金の流れを止めるばかりか、不幸を生みだしてしまう







・すべての子どもが(もちろん、大人も)特別。





職業柄、関東から関西まで様々な子どもも大人も見てきて接してきたのですが、一人として「普通の子」はいませんでした(笑)




つまり、みんながみんな個性的で、「かけがえのない」存在と観るか。




一人ひとりに、「自分」が存在して、一生懸命生きていて、やっぱり「自分のことは特別なんだ」と思いたい。




そして、人間とは、「心」です。そして、心は、心を持った人と人との関係によって形作られて、さらに、その関係は繋がっていき、無限の広がりの世界を見せるものなのです。人は生まれてから死ぬまでずっと、この関わりや繋がりのなかでいきていくのです。




なんだかそういうことを想うだけで、不思議でなんともいえないありがたい気持ちになってきますよね。






・ほめる





古の人々は「10ほめて、1叱る」ことを言いました。




「どうせ自分なんて」という子どもが少なくありません。








ほめる練習は、一生かけて磨くべき課題だと私は思っています。




私がお世話になった教授はカトリックの司祭でもありましたが、「言葉が人生を作っていく。三つ善い言葉をストックしておいて、それを口癖のように使えるようにすれば、きっとその人の人生は豊かになっていくよ。」と語っていました。




一歩目は、




「すごい」「すばらしい」「頑張ったね」「よくできたね」「いい子だね」「どうしたの」




などの、優しい言葉のストックを用意して、ぱっと出せるようにしておくこと。








素敵なほめ言葉を書きだしておいたら、とある子どもから「テンプレートだ」と揶揄されましたが、




「全然すごくないし。全然だめじゃん。もっと頑張れ。頭悪いね。」




「全然すごくないし。全然だめじゃん。もっと頑張れ。頭悪いね。」




「全然すごくないし。全然だめじゃん。もっと頑張れ。頭悪いね。」




・・・というテンプレを毎回繰り返されていたらどうでしょうか(笑)




冗談でも、嫌な気持ちになるはずです。




それよりは、いいはずですよね。




「きもい、うざい、しね」などという言葉を、本気でなくても冗談でも使い続けていたら、確実にその言葉は、心を蝕み、汚していき、人格にまで及んできます。恐ろしいことです。言葉の使い方には本当に注意したほうがいい。








そして、いい言葉も、悪い言葉も、潜在意識に刷り込まれて、人の行動や考え方も決定していきます。心は「ころころ変わる」から「こころ」なのです。








それでも、テンプレ(笑)だと、心のこもっているのが分かりませんので、具体的にほめると、さらに良くなるはずです。




本当に感動して褒めたくなるときに、大げさでもいいので、感動や、喜びが入るとさらに嬉しくなるはずです。




「この前は、ここまでしかできなかったのに、今日はここまでできた。頑張ったね。」




「靴を並べてくれてありがとう。助かったわ。」




などなど。




「その場で褒める」、「しみじみ褒める」、「くりかえし褒める」といった、やり方も効果的です。




さて、一番良いのが、「感謝」です。「そうしてもらって、自分が嬉しいな」ということをテクニックとしてではなく、素直に伝えられると、心は嬉しくなります。








ただし、その前に、一番大切なことは自分をほめることです。




私はつくづく思うのですが、「自分を愛して好きになれない人が、人を愛する事も出来なければ幸せにすることもできない」と。自分を愛して幸せでいっぱいにしてこぼれた幸せの水を人に飲ませて、そうして人を満たすことが出来るのです。




普段、人をほめている自分が、いざ落ち込んだ時、自分をほめることを戸惑ってしまったので、「こ、これはえらそうな態度を取ってはいられない」と思い反省して、「自分、頑張ったじゃん、偉いね!」と自分がどうしたら喜ぶか、褒めまくったものです(笑)




人を褒める前に自分を褒めまくりましょう。嬉しくなりますよね。基本は、「自分がして欲しいことを人にもする」です。自分に心からして欲しいことは何か、恥ずかしがらず真剣に考えたいものです。




なぜかというと、自分と他人は、深いところで一体であり、繋がっていて同じだからです。




この原稿をここまで書けた私はえらい!そして、私の文章をしっかり読んでくれているあなたもとても偉いです!ありがとう!








幸せな成功者や幸せなお金持ちは、例外なくほめ上手で、人に嫌な気持ちをさせないことのプロです。いかに、他人に自己重要感、つまり「私は大切な人だ」と思ってもらえるか。(本当は気が付いてもらえるか。)この「ほめ道」を究めるかが、幸せや成功の道なのではないでしょうか。私もこれから笑顔で修行します!


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