まえがき
「教育」について、長い間考えてきました。
かれこれ8年以上、「子ども」に関わっています。今は塾講師が中心ですが、障害をもった子どもから、土日の教会学校など関わりは幅広いのではないでしょうか。近頃注目し関わっているものに、「デモクラティック・スクール」というものがありますが、そこではクラス分け無し、カリキュラム無し、時間割無しで、自分の学びたいことを自由に学べる教育が行われています。
私は、中学高校の社会科の教員の免許を持っている「教育者」なのですが、そういう肩書に違和感を感じ続けていました。
教育って何?どんな生き方が素敵なのか。
長い間、世界の見方や、人間の見方に整理がつかなくて、混乱していたのですが、様々な世界を見て、また自分の「心の声」に従って生きているうちに、少しずつですが、「こう生きたらいいんじゃないか」ということがおぼろげながら分かってきました。
そして、基本的に現代の「常識的な」学校教育の枠組みの中には幸せはないと言っても過言ではないと勇気を持って思うことで、自由になれましたし、心からの幸せも感じられるようになりました。
「不思議なこと」も考えてきました。
「目に見えるものの全ては、目に見えないものによって支えられ、動かされている」ということです。現代のほとんどの人がきっと逆と考えているでしょうが、私の立場は違います。本当に珍しい人ですね(笑)
私の専門は「哲学」で、確かに普通の人がつい避けてしまうほど難しいのですが、きっとすべての人の魂は知っているし欲していることでもあるんじゃないかという信念のもと語ります。
「こういう教育があればよいだろうなあ」ということを、ずっとニヤニヤしながら考えていました。関連の本を読みました。そして、その実践を小出しにしてきました。
自分の考えていることと、自分の周りの「常識」が、かみ合わずに、「ああ、やっぱり自分はダメなのかなあ」なんて考えて落ち込むこともありました。
思考錯誤しながら、少しずつですが、自分の「これだ」と思うことに手ごたえが感じられるようになってきました。そのようにして考えたことや感じたことを断片的に綴っていきたいと思います。
むろん、私は教育論者や学者などの権威でもないので、「これのみが正解だ」といえることを語っているわけではありませんし、「違うな」と思う人がいれば、きっとそれは「普通の人」でしょう(笑)
私が、単に不思議な人であるというだけです。
私の言うことは、一教育論というよりも、広い意味での「人間論」、そして、それに付随する教育の捉え方と言った方がよいかもしれません。
この原稿を書きながらの半年間でずいぶん心が満たされてきたこともあり、どんどん物事の捉え方が変わってきたこともあります。それゆえ、まとまっていないつたない文章で、完全に整理もできていないかもしれませんが、私の中で「大切にしたいこと」を断片的に文字にしてみました。
なにかの参考になれば嬉しいと思います。