涙のクリスマスプレゼント
「ふむ……大丈夫じゃよ。たいしたこたぁない。ちょいと疲れとるだけじゃ。これを飲ませて、ゆっくりと休ませてあげなさい」
「そうですか……よかった」
私は安堵の息とともに、その場に崩れ落ちた。ここまでの距離、ひたすら全力疾走をして、疲れてしまったのだ。精神的な疲れも出ていたのかもしれない。そんな私を、リラは心配してくれた。
「ガリガリ? だいじょぶ?」
「あぁ……大丈夫。私も、リラのお母さんも、心配ないよ」
そう言うと、リラは嬉しそうに笑ってくれた。この笑顔を見ることができただけでも、私は幸せだ。いいクリスマス・イヴを過ごせたと思う。いや、どんな過ごし方よりもきっと、いい一日を送ることが出来たと思う。
私は、私たちの恩人である先生に向かって深々と頭を下げた。
「先生。本当にありがとうございました」
私は、いつもお金をしまっているポケットに手を伸ばした。あまり入ってはいないが、診察代くらいは払えるはずだ。
「いくらになりますか?」
「何がだい?」
何がって……払うものといえば、ひとつだけのような気がするのだが。私は布切れで出来た財布を出しながら、もう一度訊ねた。
「治療費です。どれくらいでしょうか」
すると先生は、にっこりと笑いながら、診察カバンを整理していた。
「今夜は楽しい感謝祭じゃよ。お金なんて、要らないさ」
「えっ……? し、しかし……」
私は、取り出したお金を落ち着きなく出したりしまったりを繰り返しはじめた。困ってしまうではないか、先生。私はお金を払いたいのに、要らないだなんて言われたら……。どうしたものかと、視線も泳いだ。
「いいから、いいから。気にしなさんな、カガリくん」
突然呼ばれたその名前に、私は身体を震わせた。この先生からは、出るはずのないと思っていた「もの」だったからだ。
「先生……私のことを、ご存知だったのですか?」
すんなり診てくれると言ってくれた時点で、私のことを「カガリ」だとは、知らないのものだと思っていた。いや、そうであることに違いないと思ってそれを疑わなかった。また、私もリラの母親を診てもらうまではこのまま名乗らないでおこうと、ずるい手を選んだのだ。
それなのに……この医者は、全てを知っていて、私を「疫病神のカガリ」だと知っていて、この依頼を受けてくれたというのか?
「あの……私がカガリだから、代金は受け取れないとか、そういう言うことなのでしょうか?」
私が医者の顔色を窺うようにそう訊ねると、先生は首を横に振った。
「何を言っているんだね、君は。関係あらせん。君は、君じゃろう?」
私は先生の目をじっと見たまま、その場に立ち尽くした。なんてよくできた人なんだろう。なんて、心の広い方なんだろう。私のことを疎まないなんて……。侮蔑しないなんて。
師匠のまわりには、こういった優しい人がたくさんいる。これはやっぱり、師匠のお人柄によるものなのだろうか。私は、この先生にむかって、再度深々と頭を下げた。色々な意味をこめて……。
「先生。本当にありがとうございます。このご恩は、一生忘れません」
「大げさじゃなぁ……君は」
そういって、先生は目を細めて笑っていた。
城までの帰り道、私はぼんやりと月を見ながら歩いていた。リラの母親の無事も確認できたし、いい医者にも出会えた。これ以上のない、幸せを味わうことができた。
これでいいと、思った。
だけど、まだ足りないものがあるんだ。
「リラの父さん」
これが……私の願いだ。
「ルシエル様!」
願いごとがようやく決まった私は、寄り道することなく急いで師匠の部屋を訪ねた。ノックもせず叩き開けた扉の向こうで師匠は、いつものように本を読んでいた。唐突に現れた私を不思議そうな目で見ながらも、やはり落ち着いている。常に平常心を保っているお方だった。
「なんだい? こんな時間に……」
読んでいた本にしおりをはさむと、師匠はそれを机にしまい、私の方に視線を向けてきた。
「決まったんです! 私の欲しいものが!」
その瞬間。師匠は少し、困ったような顔をした……ような気がした。
「そうか。それで、何が欲しいのかな?」
私は、机に手をつきながら話した。
「リラの父さんを!」
その瞬間、師匠は明らかに固まった。そして、むせはじめた。リラの母親といい、この時期は何かが流行るのだろうか。師匠も疲れか、あるいは何か悪い病にでもかかっているのではないかと心配した私は、師匠に湯飲みを差出した。
「大丈夫ですか? 軍医をお呼びしましょうか?」
「あっ、いや、大丈夫だ。それより、リラの父さんとは、どういうことなんだい?」
本当に大丈夫なのかと再三確認してから、私は師匠に、今日あった出来事をはじめから話しはじめた。
「なるほど。それで、リラという子に、家族三人でのクリスマスをプレゼントしたい……というわけか」
「はい。師匠、サンタクロースは、私の願いを聞いてくださるでしょうか」
師匠は少し考えていた。やはり、こういった願いは、いくらサンタクロースといっても、叶えることは無理なのであろうか。サンタクロースに頼める願い辞典などがあれば便利なのだが、おそらくはそんなものは存在していないだろう。そういうものがあれば、師匠がとっくに私に貸してくださっているはずだ。師匠は、一般常識はもちろんのことだが、かなりの雑学王でもある。
「……大丈夫だろう、きっと。カガリ、安心して寝なさい」
「本当に大丈夫なんですか?」
今度は、大きく頷いてくれた。そして、私の方をみて微笑んでくれた。
「大丈夫だから……明日、起きたらリラの家にいってごらんなさい」
師匠の笑みを見て、それは嘘ではないと感じ取った私は、ゆっくりと頷き返した。
「はい、分かりました! おやすみなさい、師匠」
部屋を後にしようと、ドアノブに手を伸ばしたときに、師匠が後ろから呼び止めてきた。
「あ……待て、カガリ。その子の父親の名前はなんと言うんだい?」
あぁ……そうか。やっぱり名前を言わないと、サンタクロースにもリラの父さんが誰なのか、分からないものなんだ。万能ではないということが、ここでもうかがい知れる。しかし困ったものだ。あのとき、結局リラの苗字は分からなかったのだから……。
「ジューイという、兵士らしいのですが……苗字までは、わからないんです」
この時代には、家に表札なんていうものはない。訊ねてみなければ、苗字なんてものは分からないのだ。また、孤児には苗字すらない。そんな時勢だった。
「ジューイ……そうか、分かった。おやすみ、カガリ」
「はい。おやすみなさい、師匠」
私は、そっと師匠の部屋のドアを閉めた。
「さて、と……まさか、リラという少女の父親をねだってくるとは、思いもしなかったな」
私は苦笑いを漏らしつつも、とりあえず、一度立った席にもう一度ついた。もはや本を読んで、お茶をすすっている余裕はない。直に日付が変わってしまう。
「ジューイという兵士……か」
頭に何かがひっかかっている。私の知っている人物なのかもしれない。けれども、ラバースにもレイアスにも、ジューイという兵士はいない。
「……となると、この城の警備兵であろうか」
軍隊の兵士と警備兵とでは、また部類が違っていた。
(門番? いや、門番はもっと違う名前であったはず。どこの兵士だ?)
私は、必死に記憶をたどった。私は、長年城に勤めていることもあって、全兵士の名前を記憶しているつもりだった。知らない人物など居るはずがない……とまでは、さすがに傲慢すぎて言い切れないが。
「……もしかしたら」
そのとき、ふと頭によぎった兵士の名前があった。「ジューイ=クレマディ」という名前だ。確か二十代半ば程の年の男なのだが……。彼は、武器庫の護りをしている、雇われ兵だった。
「彼かもしれない。とりあえず、あたってみるか……」
今夜は随分と冷え込んでいるため、私は厚手のコートを身にまとうと、部屋を出て、そのまま武器庫へと向かった。
廊下を灯すものは、月明かりのみ。この城には松明という明かりが廊下には無かった為に、かなり暗かった。フロート国王が、反逆者が松明によって放火をしないようにと、対策を取った結果がこれである。
このフロート城は、迷路のように廊下が入り組んだ構造になっている。慣れないものは、この暗さの中、灯りを持たずして歩けはしないだろうが、私はもう、何年もここで生活していたため、体が城の構造を覚えていた。
「この階段を下りたところだったな……武器庫は」
階段の下に、二つの松明が揺れているのが見えた。兵士は見張りのため、松明を持つことを許されている。
「ご苦労さま、ジューイ」
私は松明を持つ兵士のひとりに、声をかけた。
翌日、私は朝一番に街に降りた。
そして、そのままリラの家に向かった。
サンタクロースは本当に来てくれたのだろうか。私の願いを、聞いてくれたのであろうか。心配で、あまり眠れなかった。
(……頼む)
師匠のことを信用していないわけではないが、不安ではあった。リラの家にたどり着くと、そっと窓のところまで歩み寄った。そして、願いが叶っていることを祈りながら、私はこっそりとその窓から部屋の中をのぞいてみた。
まずは、母親の姿が見えた。もう、立ち上がれるほど元気になったんだ……と、思わず安堵の笑みが浮かんだ。後ほど改めて、あの先生のところにお礼に行こうと心に決める。それから、リラの笑顔が見える。
そして、リラの前には……男のひとが立っていた。
(あの人だ!)
それは、写真立てに写っていた人に、間違いなかった。少し髭が伸びているけれども、この人だった。
(叶えてくれたんだ。私の願いを……本当に!)
私は心の底から、サンタクロースに感謝した。
せっかくの家族水入らずを邪魔するつもりもないため、私は早々と城に帰った。それから真っ直ぐに、師匠の部屋を訪れた。
「ルシエル様!」
「……なんだい?」
師匠は、早寝早起きをする方だ。任務などで生活リズムをやむを得ず変えなくてはいけないとき以外は、必ずそうする方だった。しかしそれなのに、今日はこんな時間まで眠っていたようだ。しかも、まだまだ寝たりないらしく、目をこすりながら、眠そうに応えてきた。なんとも珍しく、未だベッドの中だ。
「すみません。まだ眠っているとは、思わなかったものですから……」
「ん? それはいい。それで、どうしたんだい?」
何事かと師匠は眠い目をうっすらと開けながら、私の顔をしっかりと見た。
「はい! 師匠。サンタクロースが、私の願いを聞いてくれたんです!」
師匠はそれを聞くと、優しく微笑んでくれた。
「そうか。よかったね、カガリ」
「はい!」
私もそれに応えた。
どうも師匠はとても疲れている様子だったので、私はそのことだけを報告すると、すぐに自分の部屋に戻った。しかし特にすることもなかったので、私もまたひと眠りすることにした。
ベッドに入ろうと布団をまくる。すると、そこには大きな靴下が置いてあった。私の所持品ではない……というか、こんなサイズの靴下、誰が使うんだろうというほどの巨大なものだった。おまけに、片方しかない。この奇妙な靴下を、とりあえず私は手にとってみた。すると、小さなカードが添えてあることに気がついた。
「メリー……クリスマス。サ……!?」
その続きに書かれていた文字に、私は思わず声を張り上げた。
「サンタクロース!?」
私は自分の目を疑った。どうしてサンタからの贈り物が、ここにあるのかと。私の願ったものは「リラの父親」であり、このような物はねだった覚えはない。まったくない……というより、このような巨大な靴下を願うひとって、どんな人物なのだろうかと、そちらの方に興味がいってしまう。このような、赤と白のシマシマ模様で、どう見ても派手な靴下を履く趣味のものが、城に居るのだろうか?
いや、よく見てみると、靴下の底に何かが入っているようだ。そこだけ少しふくらみがあった。
他人のものである可能性が高い。でも……なんだか気になってしまい、中をのぞいてみたくなってしまった私は、悪戯心を抑えきれず、ゆっくりと靴下の中に手を伸ばしてみた。するとその中には、小さな箱が入っていた。丁寧に包装してあって、綺麗だった。そこにもカードがはさんである。「カガリへ」……安心してよいのだろうか。とりあえず、これは私宛であるようだ。
「何が入っているんだろう」
身に覚えのないものではあるが、私宛であることは確認できた。よそ様のものではなかったという安心感と、これは何かという好奇心を抱きながら、私はゆっくりと包み紙を丁寧に開けていった。そして、中から出てきた箱のフタを開けた。
「……?」
中には、小さなペンダントが入っていた。それは、写真をいれられるタイプのもので、写真もちゃんと、中に入っていたんだ。
その写真が……信じられないものであった。
「私の、家族の写真……」
幼い頃に撮ったのだと思われる写真が、そこには入っていた。幼かった頃の私がいる。亡くなった母さんも、父さんも、弟のハルナも……みんな居る。こんな写真を撮った覚えなんてない。写っている自分は、三歳ほどだろうか。ハルナはまだ赤子だ。母さんも父さんも若々しくて、優しい笑みを浮かべていた。こんな家族写真が存在していたなんて……。何もかもが焼けてしまい、遺品はハルナの赤いリボンだけだった私にとって、これは信じられないものだった。
その写真に、ぽたぽたと滴が落ちていく。私の視界は、涙でにじんでいた。そして、そのペンダントをぎゅっと握り締めた。
「……」
ありがとう……何度そう言えばよいのだろうか。サンタクロース……ありがとう。こんなにも素晴らしいものを、ありがとう。
私はそれを、首からかけた。
久しぶりに見た家族は、優しく笑っていた。
はじめまして、小田虹里と申します。
今回の「クリスマスの約束」は、2003年に初期モデルを考えたものでした。それを、少しずつ加筆したり、書き直したりしながら出来上がったものが、今回の作品となります。
カガリを主人公として確立させたかったので、ここでは出てきませんでしたが、クリスマスの夜も仕事が入っていたリラのお父さんが、何故、帰宅して家族と過ごせていたのかを、想像していただけると嬉しいです。
その鍵は、翌朝。普段では考えられない、眠そうな「ルシエル」にあります。
また、最後のロケットペンダントですが、その写真のルートは?
なんていう謎も、お持ちいただけると幸いです。
いつの日か、回収したいと思います。
皆様は、どのようなクリスマスをお過ごしでしょうか。クリスマスだからといって、特別何もされないという方も、いらっしゃるかと思います。
ただ、そのような方にもこの作品を読んでいただき、少しでも気持ちがほっこりしていただけたら嬉しいなぁ……なんて思いながら、います。念じております。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。また別の作品でも、お会いできますと幸いです。
これからも、精進して参ります。
どうか皆様に、素敵なクリスマスを……。