疫病神の運命
リラの家は、この街の外れに位置していた。あまり大きくない家だ。でも、ふたりで住むのならば、充分な広さかもしれない。
私は誰かに見られていないかを確認してから、そっと家の中に入った。以前起きた一件以来、ここでは私の立場があまりよくないためだ。もしもリラが私を家に招き入れたなどということを街の人たちに知れてしまったら……。きっと、彼女達によくないことが起きてしまう。
本当はもう、リラ達とは関わりを持たないでおこうと決めていた。しかし、どうしても気になってしまった私は、今回だけは……と、こっそり関わることにした。
「失礼します」
私は母親の姿を探した。寝ていると言ったのだから、布団の中であろうか。私は辺りを見渡した。すると、台所で人影を見た気がした。
「リラの……母君ですか?」
そっと近づいた。するとそこには、身動きせずに倒れている女性の姿があった。私は一瞬凍りついた。
死体だ……そう思ったんだ。彼女からは、まったく生気が感じられなかった。しかし、無邪気に母親に近づくリラをみて、私は正気を取り戻した。まだ死んでいると決まったわけではない。私はひざを床につけると、倒れている彼女の呼吸を確認した。そんな私の姿を見て、リラも私の真似をしだした。嬉しそうに、笑いながら……。
「……生きてる」
微かだが、呼吸音が聞こえる。ふと安堵の息がこぼれた。しかし、このままではいずれ止まってしまうだろう。私はすぐに彼女の気道を確保した。
(私には医学の心得などない。誰かを呼んでこなければ……)
しかし、そうすれば私がリラの家に来たことがバレてしまう……ただ、このままではリラの母さんは助からない。
私はしばらく考え込んだ後、ここまで来たのならば……と、腹を決めた。
まず、彼女を動かしていいものか……それすら迷った。だが、どうも体温が下がっているように感じられたため、ベッドに運ぶことにした。そしてその時、ふと目にとまったものがあった。ひとつの写真立てだ。リラと、母親と……そして、見知らぬ男がひとり、立っていた。
「リラ、この人は?」
「ん? これね、パパなの! リラはね、覚えてないんだけど、パパだってママがゆってたの!」
(父親……覚えていない? もう、死んでいるのか? それともどこかに?)
私にはまるで見当もつかないが、リラは依然として無邪気な笑みを浮かべて私と母親との間を行ったり来たりして、はしゃぎまわっていた。久々の訪問客だったのだろうか。どこか寂れた感じのする家だった。
リラは街の中でもいつもこんな感じで明るくて誰とでも仲良く遊べる優しい子だ。だから、リラの背景はきっと安らかで温かいものなのだろうと、私は勝手に想像を描いていたことを省みた。
「リラ。お父さんはどこに?」
私はあえて聞いてみた。もしも近くにいるのならば、ここへ連れてきたい。そして母親の助けとなって欲しい。私に助けられるなんてこと、母親の意識があれば完全に拒絶されているはずだ。
「えっとね……へーたいさんしてるの!」
「兵隊?」
フロートの……だろうか。ラバース? しかし、今の言い方から察するに、死んではいないのであろう。名前が分かれば、もしかすれば私にも分かるかもしれない。
「リラ、君のお父さんの名前は?」
「ジューイ!」
ダメだ。聞き覚えのない名前だった。でも、一応苗字も訊ねてみることにした。少しでも情報を得るためだ。
「リラ。君の苗字を教えてくれないか」
「みょ~じ?」
あぁ……まだ、この単語を知らないのか。私は少し、懐かしくも新鮮なものを感じつつ、リラにも分かりそうな単語でもう一度訊ねた。
「リラの後ろにつく名前だよ。私の苗字はヴァイエル。カガリ=ヴァイエルだ。さぁ、リラは?」
私がそう言うと、リラは嬉しそうに笑った。どうやら理解してくれたらしい。
「バレル! バレル!」
(……バレル?)
私は首を傾げた。バレルという苗字なのか? 珍しいが……でも、なんだかどこかで聞いたことのあるような響きのような気もする。
「ガリガリ~バレル~!」
「違う……」
私は、がっくりと肩を落とした。まるで伝わっていない。
このままでは、埒があかない。こうしている間にも、リラの母親の様態は悪くなっている。私は、慌てて部屋を飛び出した。今は一刻も早く、母親を医者に診せるべきだった。
「リラ、いいかい? ここに居てくれ」
リラが頷くのを当てにしてもいいものかどうか躊躇しながらも、私は家を飛び出し、街の医者のもとへ走った。
冬の寒さがいっそう厳しくなり、鼻頭がツン……と息を吸うたびに痛みを帯びた。口から吐かれる息は白く、街の景色もまた、降り積もる雪に白く染められていた。この地域でこれだけ冷え込むのは、久しぶりだ。
「確かこの辺りに、医者の家があったはずなのだが……」
リラの家から走って二十分といったところに、なかなか豪勢な建物があった。ここが医者の家なのだろうが……看板などは建てられていない。
しかし、間違っているかもしれないが、確かめるにはやはり扉を叩くしかないため、私は玄関のところまで入っていった。
「すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」
ドアのところにベルが置いてあったから、私はそれを二、三回鳴らした。けれども、誰かが出てくる気配はない。少し様子を窺ってから、私はもう一度、ベルを鳴らしてみた。しかし、やはり反応がない。
(この、時間がないときに……)
私は痺れをきらし、ドアを激しく叩きはじめた。
「すみません! 誰か居ないのですか!」
私の声は、無残にも拡散していくだけであった……。冷え冷えとした風が私の声をさらっていく。
「……ダメか」
そう思ったときだった。ドアの向こう側から音が聞こえてきた。よかった。中にひとが居たんだ。
「どちら様で?」
ドアの向こう側から、少し気難しそうな中年の男が出てきた。こういう人物と接するのが、私は苦手だ。
もっとも、接することが得意な人物など、私の中には存在していないのだが……。
「あの……貴方は医者ですか?」
「あぁ……そうだが?」
その返事を聞いて、私はほっとした。長年住んでいる割には、どうにもあやふやな地理がなんとか実を結んだ。
私は、早くリラの母親の具合を診てもらおうというはやる気持ちを抑えながら、医者に往診の依頼をした。
「すみません。急患がいるんです。どうか、診てあげてください」
医者はしばらく、私の顔をじろじろと観察していた。そして、嫌そうな顔をするや否や、何を思ったのか……ドアを閉めようとしてきた。私は突然のことに慌てながらも、完全に閉められる前に、手を扉のところにねじ入れ込んだ。
「何をするんですか! お願いですから、急いでください!」
すると男は、渡しにこう吐き捨てた。
「お前、疫病神のカガリだろう? お前のような奴の言うことが聞けるか。消えてくれ」
それを受けて私は絶句した。何も、私を診てくれと言っているのではないのに。この街に住むひとを、助けてほしいと言っているだけなのに……。
「その人は、私とは一切関係のない人だ。頼む、診てあげてくれ!」
「冗談じゃない。いいから帰ってくれ」
そして、私の手がまだ挟まっているというのに、男はためらいなく思い切りドアを閉めてきた。私のことなど、人間以下としか見ていないのだろう。
手を挟まれた痛みで、私はつい手をそこから抜いてしまった。挟まっていたものが消え、当然のことながらドアは完全に閉まってしまい、それから開くことはなかった。
私はその場にひとり、取り残された。
この人は、医者じゃないのか? 私のことをいくら嫌おうが憎もうが、いっこうに構わない。だが、医者とは人を救うものだろう? 医者ならば、医者の仕事をちゃんとしろ……。
沸々とこみあげてくる怒りと、自分を呪う負の感情が消えることはない。
病人を癒すことは、万能にも見える魔術士にすらできないことなんだ。これは、医者にしかできないことなんだ。だからこそ、医者はその職務を何よりも優先し、全うすべきなんだ。それなのに、この医者は患者を選ぶというのか……?
私はやるせなさを残しつつも、その場を後にした。
この医者がそうならば、他の医者を当たってみても同じことになるとは思ったが、万が一ということもあるので、私はひとつひとつ、自分の知っている医者の家を廻り歩いた。
しかし案の定、結局結果はどこも同じだった。
知っている医者の家は全て廻りきり、どうしていいのか分からずに街の中をただふらふらと歩いた。もう行く当てもない……肩を落とし、泣きたい気持ちになった。自分が情けない。屈託のない笑みで私に接してくれるリラのその笑顔を、私は守ることができないのか? 医者を呼んでくる……こんな簡単なことすら出来ないなんて。私はあまりにも無力……いや、むしろ存在が「害」としか思えない。国王や「レイアス」の隊長が私のことを「疫病神」だとよく罵るが、まったくもってその通りではないか。私は自嘲の笑みを浮かべた。
完全に絶望していた私の脳裏に、ふとある言葉がよぎった。それは、私の師匠の言葉だった。
街を出てしばらく行ったところに、医者の心得がある老人が住んでいるらしい。なんでも、師匠が昔からお世話になっている人だとかなんだとか……。
(その人なら、私にも力を貸してくれるかもしれない)
私は顔をあげ、ぐっと拳に力をこめた。街はずれで少し遠くはなるが、そこに賭けるしかない。もう他に当てはないのだから、私は祈りを込めながらも急いでそこに向かって走った。
走っている途中、だんだんと日が暮れてきた。結局、私の欲しいものは見つからないままだ。けれども、今はそれを気にしている場合でもなかった。
「すみませんっ! 急患がいるんです! お願いします……どうか来てください!」
私はドアのところで叫んだ。ここが駄目だと、もう隣町まで行かなくては医者がいないんだ。そんなところまで行って帰ってくる時間はおそらくない。ここで何とかしなければ、リラの母親はきっと助からない。
そんなこと、あってはならない!
「お願いします。助けてください!」
そのとき、扉がギギっ……という音を立てながら、徐々に開いた。中からは、白い髭を生やした、優しそうな老人が出て来る。その容姿が、私にはある人物と重なって見えた。
「サンタクロース?」
老人は、くりっとした瞳で私の顔を不思議そうに見てきた。
「サンタ? わしゃぁ、そんな名前ではないのだがのぉ」
私は顔が赤くなるのを自覚した。いけない……こんな大事なときに、何を夢みているんだ。書物……というか絵本によれば、サンタクロースはもっと遠くの国、雪に囲まれた国にいるんだ。このようなところに住んでいるわけがないではないか。それに、ここにはトナカイという動物もいないようだ。家畜小屋が見当たらない。そして何より、サンタクロースのシンボルであるはずの赤い服も、この老人は身にまとってはいなかった。
なぜそのような老人のことを、サンタクロースと見間違えたのか。冷静になってみると、不思議に思えてくる。
「それで、急患はどこにおるんじゃ?」
「えっ……診てくださるんですか!?」
老人は何を躊躇うこともなく、そそくさと回りに散らばっていた医療器具を黒いカバンにしまいながら、往診の準備をはじめていた。今まで私を見るやいなや、門前払いされてきていたというのに、この老人は私を追い返そうなどとはまるでしなかった。
「もちろんじゃよ。案内してくれ」
そういって、老人は準備を終えた診察かばんを手にし、ゆっくりと歩きだした。私はそれをみてしばらく立ち尽くし、頭をふって現実に自分を呼び戻すと、医者をひょいっ……と背中におぶった。
「若いもの、わしは歩けるぞ?」
分かっている。でも、一刻も早くリラの母親のところに連れて行きたかった私は、彼を背負って何も言わずに走り出した。その方が格段に速いからだ。
「やれやれ。どうやら、かなり切羽詰っているようじゃのぉ」
説明しなくとも、この医者は私の心境を理解してくれた。世の中捨てたものではないと、一体どれくらいぶりに思えたことだろうか……。私は心の底からこの老人に向かって手を合わせたい気持ちでいっぱいになった。