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というわけで、現在に至る。こうして俺はいつもと違う帰り道を選び、ふらふらとあてのないアルバイト探しの旅に出た。
探してはいるものの、実のところアルバイトをするという実感がまったく沸かない。
比呂川マモルは一介の高校生である。働くという経験がない俺にとって、アルバイトという言葉は漠然としすぎている。一応、アルバイト非童貞の友人たちから情報は得ているが、これまた参考にするべきかは謎である。
『難しく考えるなって。キョーミがあることにとりあえず手を出しときゃいーんだよ。金のためだけじゃ人間あくせく働けないって。世の中愛だよ。ラブ。オンナと同じっしょ、比呂川?』
アルバイトヤリチンの山田川君のアドバイスだ。ちなみに、オンナを語っているけど、そっち方面ではただのチェリーである。残念な男だ。ミスター残念である。
好きなこと、興味のあること。やっぱり、ヒーロー特撮か? テレビ局にでも行けばいいのだろうか。それとも遊園地のヒーローショーか。
そういえば、俺の好きな物語がどのように作られているのか、よく知らない。どうすればアルバイトにすることが出来るのだろうか。これは結構な狭き門かもしれない。
『興味があるものだけターゲットにしててもさ、今どきそんなホイホイ採用されないっしょ。自分のチョーショを生かさないと。現実ってやつはキビシーんだからさ。レンアイと同じだよお、比呂川っち?』
アルバイトヤリマンの田中川さんのアドバイスだ。ちなみに恋愛に関しては『週刊彼氏を作ろう』というディアゴスティーニ状態で、長所を生かしつつ興味で動きまくるパワープレイを実施中である。恋多すぎ残念女子である。ミス残念である。
しかし、自分の長所ってなんだろう。
自慢じゃないが、比呂川マモルは至って平々凡々な人間だ。どこにでもいる男子高校生だ。
ちょっとイケメンで、人間性に優れ、ファッションセンス抜群で、天然ジゴロなところもある、ナイスガイというだけである。あと体の半分が優しさで出来ているくらいしか取り柄がない。ヤバい。ヤバ過ぎる。どう考えても引く手数多の優良物件じゃん。あらゆる業界よ、俺を求めよ。
『アルバイトねえ。止めたほうがいいんじゃない? マモルってジーシキカジョーだし、うまくいかないと思う。ほら、マモルは私以外に友達いないじゃん。良い歳こいてヒーロー番組とか見てるし。仕事って人間関係が大事なんだよ? したら、マモルじゃん? ムリじゃん? クビじゃん? ダメじゃん? やめといたほうがいいよ。それより、マモル、肩凝った、揉め。十円チョコ買ったげるから』
アルバイトヴァージンの幼馴染阿久根カナタのアドバイスだ。ちなみにカナタこそ友達がいない子なのだ。コイツこそ、俺以外の誰かと喋っているところを見たことがない。
カナタとはハイハイを共にし、同じ釜の離乳食を食べ、オムツグッバイを同じくし、つい最近まで一緒にお風呂に入っていたような生粋の幼馴染関係である。ダブルおもらしマップで、二人して泣いたこともあった。
俺の歴史はカナタの歴史であり、カナタの歴史は俺の歴史でもあった。揺り籠から高校まで。何から何まで一緒じゃなくてもいいだろうとたまに思うが、実は同じクラスになったことは一度もない。
それでもカナタのことなら、体重からお気に入りの下着の柄――ちなみにパステルグリーンのフリルだ――までなんでも知っている。
その俺が断言する。カナタ、友達いない子。マモル、辛い。哀しい。
原因は語るべきもないだろう。カナタは普段大人しいくせに、ひょんなことで爆発するのだ。
ちなみに無いのはフレンドだけではない。まな板族であるカナタには凝るべき肩も、揉むべき胸もない。カナタ、胸ない子。マモル、(見てて)辛い。哀しい。
原因は――なんだろう。わかるなら教えてやりたいくらいだ。それくらい、カナタの時たま見せる『あー胸成長してきたわーもう刺激されまくりだもんクーパー靭帯。ほんとに巨乳まっしぐらだわ―』アピールが辛い。
残念レベルは限界突破している。クイーンオブ残念である。
三人の忌憚のない意見をそこそこの参考にしつつ、コンビニの軒先でフリーの求人雑誌を手に入れる。
とりあえず、なるべく近所で、しかも高校生でも雇ってくれるところ――ペラペラとページをめくってみるが特にこれだというものもない。
「仕方ない。履歴書を買いに行こう。そのついでに散歩でもしてみよう」
ひたすら行動あるのみだ、という訳で家とはほとんど反対方向、普段は行かない川むこうへ足を伸ばした。以前、アルバイト募集の張り紙をしている店を見たことがある。
この街には、地域を分断するように細長い一本の川が流れている。東側には住宅地が広がり、西側には繁華街が形成されている。俺の家は東側に位置する。ついでに愛すべき母校も東側だ。
都立スカイタワー高校。俺が小学生くらいまでは、由緒ある名前を持った高校だった。最寄りの駅と同じく、ある平安の歌い手プレイボーイに由来する名がつけられていた。
そんな伝統も、屹立した東京の新しいシンボルの前に敗北した。
デカいもの、新しいものが好きな江戸っ子に、世間で思われているような伝統意識はほとんどない。彼らは流行に弱いのだ。しかし、悲しいかな。飛びつくのも早ければ飽きるのも早い。おまけに伝統意識は薄いから、一時期やれ地域再生だ、下町パワーだ、新しい時代の幕開けぜよと賑やかしたものも、『スカ高』という愛があるんだかないんだかの愛称の前に滅びてかけている。
川には多くの橋がかけられている。向こう側に行くのはたやすい。幼いころ、橋の先は未知の場所だった。川向こうへの大冒険。幼馴染と二人で超えたこともあった。あの時は、それこそ何か決心でもするように、覚悟を決めて橋を渡っていた。
止まってはいけないよ。振り向いてはいけないよ。追いつかれて、川の底へ引きづられてしまうからね。
それも今では、多少移動が手間なだけで、何の気なしに訪れることが出来る地元である。
しばらく歩いていると見慣れないアーケードの商店街に出くわした。『新仲見世サンバカーニバル通り商店街』と入り口の看板には書かれている。センスの欠片もないネーミングである。とりあえず『サンバカ商店街』とでも呼ぶとしよう。
変な名前の割には、商店街の中は夕方の買い物客で賑わっているようだった。
「それにしても、こんなところに商店街があるとは」
アーケード内には、個人商店が多く軒を連ねている。八百屋では野菜の量り売りが見られ、魚屋の客引きの声が響く。鼻孔をくすぐるのはお惣菜の匂いだろうか。お肉屋さんの前には買い物客の列があった。
いらっしゃいいらっしゃい。安いよ安いよ。わーわーじゅーじゅーがしゃんがしゃん。まいどありー。
楽しげな風景に自然と足取りは軽くなる。雑踏の流れに逆らうことなく歩を進める。
しばらく歩いていると、前方で急に人の流れが変わった。まるで川の中に、大きな石でも投げ込まれたみたいだった。
果して、そこには〈何か〉がうずくまっていた。その姿はまるで怪獣の卵か巨大なオハギのようだった。
「ママーあれなにー?」「こら見ちゃいけません」というママと娘定番のやりとり。
「ウケるんですけどー」「ラインで拡散しーちゃお。巨大オハギなう」という学校帰りのJK軍団の会話。
下町であるこの辺りには義理とか人情とかの現代日本において忘れられて久しいものがまだまだ存命中だと思っていたのだけど、どうやら幻想だったらしい。
しかしそれも頷ける。確かにこんなものを気遣うほど、世の中に優しさってやつはあり余っていない。
「うぅ……うぐぅ……」
唸っている! 人間か! 人間なのかこれ!
ますます関わってはいけない雰囲気が増し、謎の物体は夕暮れの混雑をモーセのように真っ二つにする。
「あの、大丈夫ですか? 見たところ具合が悪そうですけど」
体の半分が優しさで出来ている俺は、声をかけてみることにした。
こんな、普通の人ならまず声をかけないであろう状況でも声をかけてしまうのがナイスガイな俺だった。『マモル相変わらずバのつくカの日はポイント二倍じゃん』と幼馴染なら笑うかもしれない。
「……水、を」
「反応がある。まるで人のようだ」
人でよかった。さすがに猫とか犬とか、あるいは黒いゴミ袋なんかに話しかけてしまうほど俺の頭はハッピーでない。半分の優しさにも限界があるのだ。
ちょうど手持ちにお茶の入ったペットボトルがあったので供えてみる。安っぽさが上がったな。
謎の物体は供えられたペットボトルを、餌を嗅ぎつけた野生動物のようにひったくった。意外と素早い動きである。そしてうずくまったままゴキュゴキュと喉を鳴らした。
おーよしよし。たんと召し上がれだ。俺の飲みかけでいいならどうぞどうぞ。
俺が『間接キスだね……奪われちゃった……ファースト間接キスなんだからね!』という脳内茶番を繰り広げているうちに、ものすごい勢いでペットボトルは空になっていった。
「ぷはー」
「飲み終わった?」
コクリと頷いたように見えた。というかいつまでその体勢でいるんだろうか。
「えっと、大丈夫? 立てる?」
ぶるぶると震えるファニーオブジェクト。
「え、なにその反応。肯定なの? 否定なの?」
やっぱりこれは犬とか猫なのかもしれない。びっくり動物大集合とかいう番組で『ご飯』としゃべる猫が出ているのを見たことがある。それなら『水』としゃべる動物がいても別におかしくない。
そんな風に訝しげな眼で見ていると、謎の物体はモソモソと動き出した。
まだお天道さまが出ているうちから酔狂なことをしている人物(?)の素顔とご対面である。
はろーはろー。こいつは未知との邂逅だ。
その時、ばさっと何かが飛び上がった。黒いマントだ、と気付いた時には、もうそれは中空でマントをはためかせていた。それはまるで映画のワンシーンのようで、世界は伸びきったフィルムのようにスローモーションに見える。
黒衣の間から覗かせる面貌が、余計に景色と時間を遠くする。カッチカッチと、長針も短針も秒針もこの光景に目を奪われて、足が止まっているのだろう。
それくらい、劇的な光景だった。
「やっぱり、人間じゃないか」
そんな呆けた感想が、ぽかんと開いた口から零れる。
馬鹿言うな。よく目を見開け。オマエの目は節穴か。それはただの人間ではない。そこにいるのは、掛け値なしの美少女だ。
――否、少女というのは適切さに欠けるかもしれない。その表現を容易には許さない一物を、彼女は確かに有していた。大人への過渡期。終わらない夢の所在。誰もが憧れ、なお手の届かぬ理想。きっと、あれはただの人間じゃない――そんな妄想を一瞬の内に思わせるのだ。
風に流れる長く鮮やかな黒髪、好奇心の強そうな目、豊かな胸、体のラインがはっきりと出る服、黒いスカートから伸びる白い足、大きな胸、はち切れそうな二つの果実。つまり、おっぱい。
きっちり三秒の出来事が、永遠のように感じられた。
彼女は世界に舞い降りる。尖ったヒールの靴での着地は重さを感じさせない。音が少し遅れて聞こえてくるようだ。
アーケードの向こうから西日が届く。まるでスポットライトだ。そこどけここどけ。ここに御座す方を誰と心得る。頭が高いぞ愚民ども。世界は主役の登場を告げる。
舞台の上で一層煌めく彼女。自分の役は心得たとばかりに、不遜に、不敵に、遍く人類へ魅せつけるように笑った。
そう、例えば俺がいつも見ている正義の味方。
そう、例えば俺がいつも見ている悪の親玉。
彼女の在り方は、画面の向こう側を思わせた。区切られた四角の中を、縦横無尽に駆け回る。苛烈にして鮮烈。その四角形の領土において、世界は彼らを中心に回っている。
三日月のように歪んだ彼女の口が開く。
俺はその時、彼女が気取った口上を述べることを期待せずにはいられなかった。だってそうだろう。これは、新しい物語の創造なのだから!
「――遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 私は天下に轟く悪である! 堕落した正義を罰する悪であろオロロロロロロロロロロロ」
――お互い開いた口は塞がらなかった。
世界は斯くして戯画化されていく。それまでのことなんて全部台無しにして、夕焼け小焼けの商店街は酸っぱい臭いに征服された。




