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結果から言うと――いや、恥ずかしすぎて結果を言いたくない。
俺は地面に寝転がって空を見ていた。東の空が明けかかっていた。地平線がぼやっとしていて、しばらくすれば深夜の黒は朝焼けのオレンジに塗りつぶされるだろう。
「――だいたいなんでよりにもよってアンタなのよ! そこにいるのは私だったのに!」
「――さあ? 愛想尽かされたんじゃない?」
「うるさいバカ! 年増! おっぱいオバケ!」
「ほら、そういう暴力的なところとか」
「違う! あれは、だってマモルがバカなことを言うから!」
「化けの皮剥がれてるじゃない」
「アンタのその厚化粧も剥がしてやる!」
ぐいぐいとほっぺたを引っ張り合う二人。なんだか歳の離れた姉妹を見ている気がしないでもない。
二人の戦いは、もはや喧嘩というレベルにまで落ちていた。
「まあまあ、お二人とも。ここはこのミサミサに免じて落ち着いてください」
「「ああああああぁぁあああんんっ!!?」」
「ひっ! なんか、納得いきませんよマモルさーん!」
見かねた安須野が仲裁に入ろうとしたが、そんなもので止まる二人ではなかった。二人は息ぴったりで安須野を睨む。相変わらずのポンコツ具合だった。
――結果から言うと、威勢よく啖呵を切って突撃した俺は、あっさりカナタに殴り倒された。ものの数秒の出来事だった。左頬がじんじんと痛い。名誉の負傷にしては地味だし、なにもかもが中途半端だった。
なにが『主人公』だよ。あっという間に殴られて、あっという間に舞台から転げ落ちて、俺は本物のバカヤロウだ。結局カナタに手が届かなかった。
「おい、マモル、よく聞け。この女はね、アンタの思っているような女じゃないのよ? それでも私じゃなくてこいつを選ぶっていうの!?」
カナタは俺のもとに駆け寄っていた。胸ぐらをつかんでぶんぶんと振り回す。
「よく知ってるよ。そこにいるのは掛け値なしの悪の親玉だ。そして、オマエは正義の味方だ」
俺の困り顔にカナタは更にカチンとなった。
「マモルのニブチン!」と言い捨てて、カナタは俺を突き放した。
そこまで言われる筋合いは――あるか。
『マモル……マモルはね、あの女に騙されてるの』
俺は、カナタが言い残した言葉の意味を全然考えていなかった。むしろ、考えないようにしていた。
「よく聞いてマモル……コイツは、人じゃないのよ――ここにいる出流原キリカは『人材派遣会社HEROES』が生み出した元正義の味方――いえ、正義の味方のなりそこない。破棄されたプロトタイプ。旧世代の産業廃棄物。出流原キリカなんて名前は嘘っぱち。仮面セイバー計画試作一号、それがコイツの正体よ」
カナタはぎりっと奥歯を噛み締めた。
二歩離れたところでは、キリカさんが黙って話を聞いていた。カナタの好きにしゃべらせる気らしい。
「マモルの前で、コイツがどういう風な振る舞いをしているか知らないし、興味もない。でも、高らかに理想を語る裏で腹の中は正義に対する復讐心で渦巻いているかもしれない。あまつさえ、マモルのことを『右腕』なんて呼んでその片棒を担がせようとしているかもしれない! そんなの、ほっとけるわけないでしょ……だって私は、マモルのピンチに駆けつける正義の味方なんだもん!」
「カナタ……」俺は、なんて声をかけるべきかわからなかった。
「それなのに、マモルってやつは……人の気持ちも知らないで!!」
カナタの小さい体は震えていた。徐々にその力は抜けて、ついにはその場にへたり込んだ。
改めて幼馴染の小さな体を実感する。いつの間にかこんなに小さくなっちゃって。それなのに、不釣り合いなものを抱えすぎだ。そして、余計な心配をさせているのは俺だ。
心配するな、とでも言えばいいのか。違う。そんなものでこの問題は解決しない。
そもそも、今カナタの話したことだって、どこまで本当なのかはわからない。
「……言いたいことは全部言えた?」
キリカさんは俺たち二人の側まで寄っていた。変わらずボロボロの格好のままで、その胸には『世界制服』の文字が踊っていた。
ここで何か言えるのは、出流原キリカをおいて他にいない。
カナタは無言のまま、悔しそうに頷いた。
そう、とキリカさんは頷いて大きく深呼吸した。
キリカさんの言葉が聞きたかった。どんなことを言うのか知りたかった。この人のことを、もっともっと知りたかった。
「何言ってくれちゃってんの、このバカちんがー!」
キリカさんはこれでもかとカナタに近づいて、思いっきり振りかぶりその頬をビンタした。
「えええええ!?」
俺の間抜けな声がこだまする。このタイミングでのビンタは意味不明だった。だったらしゃべらせるなよ。止めろよ。キリカさんはあまりに自由過ぎる。
ビンタを食らってふっ飛ばされたカナタも目を白黒させている。
「復讐心で渦巻いている? マモル君にその片棒を担がせようとしているかもしれない? そういう妄想は口に出さないでノートにでも書き溜めてろおおお!!」
再び甲高い音がなる。ついでとばかりに左ビンタ。幻の左である。
「だ、だって……」
ふっとばされて尻もちを付いたカナタは涙目になりながらキリカさんを見上げる。
「だってもヘチマもない! カナタちゃんはさ、この出流原キリカをナメすぎだよ。そんな復讐、とっくの昔に精算してきた!」
腰に手を当て、ビシっと人差し指をカナタに突きつける。
「そんなことよりもだ! そんなどうでもいいことよりもだ!」
わなわなと震え拳を握りしめるキリカさん。
結構今のは重大な秘密だったと思うんだけど、まだ何かあるのだろうか。
カナタは叩かれた頬を抑えながら今にも泣きそうだ。
「そんな大昔の話しちゃったらさあ! 『えっ、じゃあキリカさんって何歳なんですか? 結構ババアっすよね?』とか言われちゃうじゃない! 乙女のピンチじゃない! このスットコドッコイがー!」
「お、抑えてくださいキリカさん! ミサミサ的にコレ以上の暴力は反対です!」
必殺のグーを叩き込もうとしたところで安須野が後ろから止めた。俺も前から押さえにかかる。
過去の因縁より今現在。キリカさん、そこなんですかキレるところは。乙女理論はよくわからない。
「にゃー!」
「猫ですか総統は!」
「ガオー!」
「ダイナソーだった!?」
わーわーがしゃんがしゃん、と我が結社のキリカザウルスは暴れ放題である。俺と安須野の二人だけじゃ、とてもじゃないが手に負えない。
それでもなんだろう、なんとなくほっとした。
今俺が掴んでいるこの人は紛れも無く初対面でゲロを吐き、表情がコロコロ変わって、酒癖が悪くて、そのくせ時々幼くて、おっぱいがめちゃくちゃ大きくて、エッチなことは少し苦手で、そして誰よりも格好つけたがりな――俺の知っている悪の秘密結社Kの総統、出流原キリカだ。
こんなすごいこと、他にないと思う。
「ぷっ」吹き出したのはカナタだ。「なにそれウケる。バカみたいじゃん」
「カナタ、笑ってる場合か」
「ムリっしょこれ。めちゃウケ。超爆笑。くくくっ」
カナタは堪え切れずにお腹を抱えて笑い出す。
ここにも、意味不明なやつがいるわけだ。こんなタイミングで爆笑ぶっこかなくてもいいだろう。
俺はカナタに呆れた。呆れて、いつもの調子に戻った彼女に安堵した。俺の隣にいるのは、紛れも無く俺の幼馴染だ。気分屋で、元気が良くて、一度決めたら頑固で、その上ワガママだけど、誰よりもまっすぐで、自分の力を誰かのために使おうとする――俺の大切な幼馴染で、正義の味方だ。
「ちょっとマモル君何笑ってるのよ、この朴念仁!」
「それ理不尽!」
バシーンと行き場を失った左ストレートと俺のヘタれた叫び声が奏でるユニゾン。
これが『主人公』の姿かと思うと情けないけれど、これにて正義と悪の決闘劇の幕は下ろされたのだった。
キリカさんとカナタは、出会った時の印象から少しも変わっていない。
鮮烈で苛烈。誰をも魅了する、四角形の王国の住人だ。
その二人が俺の隣にいる。
こんな凄いことってあるか?
俺は、こんな特別、『主人公』にしか許されないって思うぜ。




