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キリカさんは猛然と走り出した。マントは脱げ、軍帽は飛び、軍服はいつの間にか霧散した。Tシャツ一貫、徒手空拳で倒すべき正義へ突撃していく。
「我が『世界征服』を見よ!!」
よく見ればキリカさんは徒手空拳ではなかった。どこから取り出したのか、一升瓶を持っていた。彼女は『第六天魔王』と書かれた酒瓶を一息に煽り、更なる加速を得て憎き正義めがけて一直線だ。
Tシャツに書かれた『世界征服』の文字が燦然と輝く。闇夜に軌跡を残して、キリカさんは止まらない。
一方カナタは歪に笑った。「悪の親玉っていうのは、ここぞという時わかりやすくていいわ」と大剣を地面に突き立てる。
両者殴り合いを選択したと思われたその時、カナタは突き立てた剣を二度三度と蹴りつける。
「悪に屈するな! 悪に折れるな! 折れるなら、せめてその価値を見せつけてからにしろ!!」
するとどうしたことか。煙を上げ沈黙していた正義の剣は、カナタの宣告に刺激され、今再びの輝きを見せる。気焔を吐き、鳴動する。最強の飛び道具は健在だ。
気付いた時にはもう遅い。キリカさんは既にカナタの喉笛に飛びかからんと空中だ。いかな彼女とはいえ、安須野のような曲芸は期待できない。
「良い子だよソードフィッシャー。あなたの最期に、親玉の首級を手向けにとして送るね」
カナタは愛しい愛剣を構える。
「二秒遅いわジャリガール!」キリカさんは一升瓶を振り上げる。
「セット! 平列配置、回路回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ回セ! 急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ急ゲ! 一〇八層を緊急展開! もいっちょ一〇八層を超速展開!!!!」
機械剣は唸りを上げる。宣告された二秒を乗り越えようと、回路を焼き切らんばかりにエネルギーを増幅させる。
それはまるで映画のワンシーンのようで、世界は伸びきったフィルムのようにスローモーションに見える。
そう、例えば俺がいつも見ている正義の味方。
そう、例えば俺がいつも見ている悪の親玉。
その在り方は、画面の向こう側を思わせた。区切られた四角の中を、縦横無尽に駆け回る。苛烈にして鮮烈。その四角形の領土において、世界は二人を中心に回っている。
―――――否。
否、否、否!!
『二人』を中心に回っている? それは違うだろ。俺を忘れるなよ『視聴者』ども。俺を置いていくなよ正義と悪。
「――――安須野。いや、ミサミサ。見とけよ。これが、この世界の『主人公』だ」
気付いた時には、俺はもう走りだしていた。
「――――はい、マモルさん。いえ、マモマモさん。しかと見届けさせていただきます」
そんなふうに、安須野が答えてくれた気がした。
舞台までの距離は五十メートル。今の俺は、四角形の王国にだって手が届く。
「――――暴虐の一升瓶アタアアアアアアアアック!!」
「――――必殺のカナタビィィィィィィィィィィム!!」
二つの物語が激突する。
キリカさんの一升瓶が煌めく。まさに魔王。まさに鬼神。酒呑童子もかくやという暴力。
カナタの大剣が輝く。まさに正義の執行者。問題解決のための圧倒的な暴力を許された存在。
俺には何がある。バカでスケベで口先ばっかの俺には何がある。
憧れだろう。
夢だろう。
その他なんて、びた一文もありゃしない。
ノッポの塔が乱入者である俺を見つめた。『お呼びじゃない』そう言った気がした。
お呼びじゃない? 笑わせるな。笑わせるな笑わせるな!!
呼ばれなくても、そこまで行ってやる。
バカも夢を見て、夢に憧れて、夢に焦がれて天に登る。
全く、バカもおだてりゃ世界一だ。
この世界を、二人だけのものにはさせない。
「させねぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
二人までの距離はゼロになった。衝突する二人に割りこむように、撃ちてし止まぬ運命の夜を、捨身の力で蹴りあげた。
走ってきた勢いそのままに、俺の右足はカナタの大剣を弾きあげる。
「ぐがぁっ……!!」
強烈な痛みが全身を駆け巡る。足が折れたかと思った。
普通、人間の脳は痛みを予測して、思い切り殴ろうにも咄嗟に力を弱めてしまうという。反射と呼ばれる本能だ。
「―――でも、俺はバカだ」
バカに反射はわからん!
「「っ!?」」
俺の渾身の一撃で、ようやく二人は乱入者の存在に気づいた。
しかしもう遅い。今の一撃で、砲身は逸れた。キリカさんに直撃するはずの閃光は、空の闇へと消えていくはずだった。
「あつぅっ!!」
カナタの必殺ビームは、キリカさんの右腕を掠めていった。暴虐非道の奔流は闇夜を切り裂き、塔を照らした。
「スカイタワーが……折れ曲がっちゃってますよ!」
驚天動地と安須野が言った。
目線を上げると、そこには頭を垂れた世界一のノッポがいた。最敬礼とはいかないまでも、それは実に丁寧にお辞儀をしているように見えた。
スカイタワーを追う視界の端に黒い影が落下した。夜明け前の空に負けない黒髪。キリカさんだった。キリカさんが、まるで火に近づいた■■のように―――――――――――。
俺は痛む足を意識の外に飛ばして駆け出した。
「キリカさん!!」
その甲斐あって墜落寸前のキリカさんを受け止めることが出来た。腕の中の人は羽のように軽かった。
キリカさんは苦悶に顔を歪めていた。Tシャツは半分破れているようなものだし、長く美しかった黒髪の一部も焦げていた。
俺が飛び出たところで勝負は既に決していたのだ。なんという分の悪い賭け。なんという格好つけたがり。向こう見ずも大概にするべきだろう。
「はは。バカだねマモル君は。底知らずで、天井知らずのバカだよキミは……」
「それはこっちのセリフですよ総統。いくらなんでも今のは直撃したらヤバかったですって」
俺の言葉にカラカラと笑って、攻撃をもらっても決して手放さなかった一升瓶を煽る。
「勝負あった、でいいよね?」
カナタはゆっくりと近づいてきた。
先ほどの一撃で、カナタにも反動があったのかスーツのほとんどは破れていた。完全に壊れてしまった機械剣も手放している。
「それともまだ足掻く気?」
カナタは俺なんか目に入っていないかのように、キリカさんだけを睨んでいた。
一方、キリカさんは涼しげだ。夕涼みに出てきたのよと言いたげなくらい澄ました顔でいる。
「今回は私の完敗……と言いたところだけど、ごめんねカナタちゃん。それ、私の口からは言えない」
「どうして?」カナタは怪訝な顔をしていた。「もうここには、戦える人間はいないじゃん」
どうして、か。戦える人間はいない、か。
俺は優しく総統をその場に横にして、カナタの前で立ち上がった。
ようやくカナタは目を合わせた。今日はじめて、俺はカナタと目があった気がした。
ギリッとカナタは強く歯噛みした。それは泣きそうになるのを我慢しているようにも見えた。
「マモル、帰ろ。今日は特別に、ぎゅーどん奢ったげる」
カナタはボロボロの手を差し出した。
俺はカナタに応えない。
「……マモル、なにしてんの。こんなとこ、いつまで居てもしょーがないじゃん」
カナタは先ほどよりも大げさに手を差し出した。
俺はカナタに応えない。
「マモル。それが、マモルの答えなんだね」
カナタは俯いていた。声が震えていた。痛いほど拳を握りしめていた。
俺はカナタに、応える。
「違う。カナタはわかってない。カナタはさ、もうこの『物語』は終わりだって思っているんだろ?」
「……なに言ってんの?」
「ほらな。そう思ってんだ。甘いなカナタ。オマエはオマエの幼馴染を舐めすぎだ」
「マモルは私を裏切ったんだ! やっぱ巨乳がいいんだヘンタイ!」
謂れのない誹謗だった。いや、謂れがないは言い過ぎか。
「違う。カナタはわかってない。俺を仲間外れにするなよ。こんな面白おかしい世界、俺にも味わわせてくれよ!」
「バッカじゃないの! 死ねバカマモル!」
「ああ、バカで大いに結構だ。そうでもなきゃ、オマエと張り合えない。命を賭けるくらいしなきゃ、出流原キリカの隣にいられない」
「ほんと、底知らずで、天井知らずで、命知らずの大馬鹿だ。やっぱり、私の目に狂いはなかったわ」
キリカさんは肺に残った息を吐き切るように笑っていた。心底楽しそうだった。
「ホント呆れた。私のシナリオが台無しじゃん。このことは高く付くからね。具体的に言うと、スカイタウンで一番高いお店の一番高いメニューくらい……」
カナタは呆れながらも笑っていた。遠い昔、泥まみれになって遊び回ったあの頃を思い出させた。
マモル。オマエはなんで髪の毛なんて染めたんだ。まるで似合ってないじゃないか。
マモル。オマエはなんであの時知り合いでもなかったキリカさんを介抱したんだ。普段なら、そんなことしないじゃないか。
マモル。オマエはなんでキリカさんの誘いを断らなかったんだ。いつもなら、口先だけでどうにかしていたじゃないか。
マモル。オマエはなんで二人の間に割り込んだんだ。そういうキャラではないじゃないか。
マモル。オマエはなんでカナタの手をとって帰らないんだ。昔から、助けてもらった帰り道は手をつないで一緒に帰っていたじゃないか。
どいつこいつもうるせえよ。この四角形の王国は、オマエらだけのものじゃないだろう。
見ているか『視聴者』ども。聞いているか世界の中心。
スカイタワーは折れて曲ったが、俺は折れねえ曲がらねえ。
バカも夢を見て、夢に憧れて、夢に焦がれて天に登る。
全く、バカもおだてりゃ世界一だ。
「聞いて驚け。見て笑え。悪の秘密結社Kの総統出流原キリカの右腕がいる限り、この世に正義は栄えない。カナタ、まだ終わっちゃいないぞ。オマエに、この世界の『主人公』ってやつを見せてやる」
俺は、残った力を振り絞って、カナタめがけて走りだした。
「この世界の『主人公』は俺だ」




