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「でも、キリカさん。結局、なんであのヒーローたちに突っかかっていったんですか?」とお茶請け片手に安須野は切り出した。「遅刻してきて非常識だなとは思いましたけどあそこまで罵詈雑言を浴びせる程でもないと思うんですけど」
安須野にしてはするどい指摘だった。
キリカさんは大きくため息をつく。
「そう大したことじゃないんだけどね……今回ばっかしは、私も大人気なかった」
「そんなことないですよ総統。あの人たちの態度は、俺もちょっと気に入りませんでした。ああいうところじゃなかったら、俺も止めてませんでした。むしろ加勢してました」
血気盛んに言ってみるものの、情けない姿のせいか声量はいつもの半分も出なかった。余計情けない気持ちになった。さながら五行山の斉天大聖である。
「いやね、マモルちゃん。あれはどう考えたってキリカが悪いわ。先に喧嘩売ったのはこの娘だもの」
「ケンさんは手厳しいわ。まあ、そのとおりなんだけどね。その点では、あのヒーローの娘には感謝だわ。こっちが手を出してたら、いろいろ問題になってただろうし」
キリカさんはあっさりと認めた。それからお茶を一口啜って、徐ろに立ち上がった。
「ミサキ、手伝って」と言って、キリカさんは俺の上に重ねられた石に手を添えた。
「えーもう許しちゃうんですかー」
ミサキは頬を膨らませて、抗議を示した。
示すなよ。従えよ。
「さすがに可哀想になってきて」
たいへん不服そうだった安須野は「キリカさんは、マモルさんに甘々なんだから」と面倒くさそうに立ち上がった。
「ん? なんか足音が聞こえませんか?」
「安須野、焦らすんじゃねえよ。そういうのホントいいから」
「本当だわ。誰かが扉をノックしてる」と呟くケンさん。
ドンドン!
今度は扉を叩く音がはっきりと聞こえた。ノックというには些か野蛮過ぎる。
「うわっ」
声を上げたのはキリカさんだ。安須野も目を見開いて驚いている。アニメだったら髪の毛とかが逆立ってそうな様子だ。
鋼鉄の拳でノックでもしてるのだろうか。ものすごい音である。あるいは破城槌の類だろう。どっちにしろ友好的でないことは確かだ。
誰もがこの場になんとなく漂う嫌な予感のせいで扉に近づこうとしない。
本来なら、こういうときに率先して応対に出るのが俺の仕事なのだが、あいにく折檻中である。突然の訪問に減刑処分も後回しになってしまい、身動きは全く取れない。
というわけで、安須野に目配せした。ケンさんは別として、長たるキリカさんに出てもらうわけにもいくまい。
俺の視線に頷いて、安須野はとてとてと扉の方へと近づいた。
「あの……本日はどういった御用ですか? 殴りこみなら余所をあたってください。営業時間外です」
返事はなかった。
「あれ、帰ったんですか――うっひょいっ!」
ドンッと強烈な音とともに扉がふっとばされる。前に立っていた安須野はすんでのところで回避した。アルミ製の扉はベニヤ板のようにひしゃげて、床に積まれていたダンボールの山に激突した。
「あんたは!」
キリカさんが叫ぶ。
全員の視線が入り口に集中した。
そこには仮面セイバーオルトが立っていた。もっと正確に言うなら――、
「――カナタ、何してるんだ?」
我が愛すべき幼馴染が、オルトのスーツを着て立っていたのだ。手には物騒なくらい大きな片刃剣を持っている。マスクは外して簡単な装束になんているが、あのデザインは間違いなく仮面セイバーオルトのものだ。
ふっとばされてひしゃげた扉とカナタを交互に見る。もしかして、これをカナタがやったのか。いやいや、おかしいって。カナタの体躯でどうしたらそんなことが。
「マモル、助けに来たわよ」
本当、何が起きているやら理解が追いつかない。
「さあ、行こ、マモル。早く帰らなくちゃ」と、まるで学校から帰る時みたいに、カナタは笑ってそう言った。いつものように、まっすぐと俺のほうに寄ってくる。
「待ちなさい!」
それをキリカさんが許さなかった。俺とカナタの間に割り込み、それ以上の接近を阻む。
カナタは露骨に舌打ちをした。
「私に命令しないでください。もしかして、それがお得意の『総統命令』ってやつですか、オバサン」
そうか。これは夢なんだ。石を載せすぎて残念ながら命を落としたんだ。いや、違う。俺はさっきの扉にあたって気絶をしたんだ。今日はとっても疲れているし変な夢を見ているだけなんだ。そういうことにしよう。
「――今、なんて?」
「耳まで遠いの? あなた、よっぽどガタが来てるんじゃないんですか?」幼馴染の阿久根カナタさんは「反吐が出るわ」と吐き捨てた。
キリカさんはわなわなと震えながら、こめかみをヒクヒクさせている。
「おい、カナタ。これはいったどういうことなんだよ? さっきから意味がわからないぞ。あと総統は落ち着きましょう! 器を見せましょう。ここでキレたら昼の二の舞いです」
「「マモル(君)は黙ってて」」
「うっす」
ユニゾンですっごい怒られた。
キリカさんが一歩前へと踏み出しカナタと対峙する。火花飛び散るにらみ合いである。
「“うちの”マモルがお世話になっているみたいですね」
「ええ。マモル君は“うちの”バイト君だから。それで、今回はどういったご用件で? 彼からは“ゴリラ”の知り合いがいるとは聞いてなかったんだけど?」
重たいジャブだ。何故か俺のスタマック(ネイティブ風)にダメィージ(ややネイティブ風)が蓄積されていく類のやつだ。なぜ俺に蓄積されるのかはわからないけど。
「私も、アルバイトを始めたとは聞いていたけど職場にバカの一つ覚えみたいに色目使っている、万年発情コスプレ“オバサン”がいるとは聞いてませんでした」
二人は挨拶代わりだぜ、とでも言いたげに、ニコニコと笑っていた。ミュートにしたら、「私たちって気が合いそうじゃない?」「私も思った。今日からマブだね。このマブはマブダチのマブだよ」とでも言ってそうな雰囲気だった。
しかし、現実は非情である。非常事態である。
俺の不安を他所に、二人は次の攻撃の手を考えているらしい。ビリビリと空気が痺れている。
「……洗濯にしか使えなさそうな人は大変だねー」
どたぷーん、とわざとカナタの胸をチラと見てから胸を強調させるキリカさん。余裕そうに見えるが、かなりレアなキリカさんだ。彼女は自分の胸にコンプレックスを持っているらしいのだ。自分からその話題には触れたがらない。多少の付き合いがあれば、彼女の下ネタ嫌いは誰にでもわかるところだ。
「なんだか、やけに部屋が暑苦しいと思ったら、無駄な脂肪の塊があるじゃないですか。少しばかし見苦しいですよ。ダイエットしてはいかがです?」
キリカさんの胸を鼻で笑って、カナタはこれみよがしにパタパタ手を団扇にした。顔色ひとつ変えていないように見えるが、内心は煮えくり返っていることだろう。貧乳ネタは、たとえ家族であっても触れてはいけないのだ。
彼女を知るものが見たならば、よくぞ言い返していると感涙したことだろう。
「とっても面白いことを言う子だね、マモル君」
「ジョークのセンスがある人だね、マモル」
カッカッカッと笑う二人。もちろん目は笑ってないけど。
舌戦は今のところ五分だけど、持久戦になったらキリカさんに勝ち目はない。
ていうか、こういう時こそケンさんの出番でしょ。
ケンさんに目で救助要請。えすおーえすえすおーえす! えまーじぇんしーえまーじぇんしー! ピピーッ! ほらほら、呼んでいるわー! 今日もマモルのピンチー!
俺の視線に気づいたケンさんは軽くウインク。どうやら通じたようである。
ケンさんはゆったりと二人に近づいて、さり気なくキリカさんとカナタの間に入った。
「アタシは……皆からはケンさんって呼ばれているの。愛をこめてね。ここの上でスナックのママをやっているわ。お嬢さんのお名前は?」
「……あっ」とカナタは驚いて、小さく「〇・五人」と呟いた。
「どうしたの?」
「何でもないです……私は阿久根カナタ。マモルの、幼馴染です」
「それで、カナタちゃんは何をしに来たのかしら? オネエサンに教えて」
優しそうな笑みで敵意がないことを示すケンさん。うん、頼りになる。やっぱり“大人”がいると違うなあ。でも、その後ろで中指突き立てている総統は本当に大人げないと思う。見ている俺が恥ずかしくなってくる。
「――マモルを助けにきた」
「――な、何を言っているんだカナタ」
助けにってなぜ。そもそも、なんでカナタは俺がここにいるってわかったんだ。
「これ」カナタは言う。「ケータイにメールが来たから」
カナタは印籠のように携帯電話を見せつけた。そこには『最高のサタデーナイトフィーバーだぜ!』という文面が表示され、俺の折檻風景の写真が添付されていた。
「おい安須野」
「ギク」
ギクじゃねーよ。
「テヘ?」
テヘじゃねーよ。
「やっていいことと、やっちゃいけないことがあるだろ?」
「うっかり、送信ボタンに指が伸びてしまいまして」
ミサミサは照れ笑いしながら、俺からジリジリと距離を取っていた。拷問中じゃなかったら飛び蹴り食らわしていたところだぞコラ。
「なんで? 俺が嫌いなの? ミサミサって言ったことまだ根に持ってるの? ていうか、あれはオマエが呼んでって言ったやつじゃねーかオイ」
「悪気はなかったんですよ。でも、これ送信したら面白いだろうなあって考えたら……つい」
「悪意百パーセントじゃねーか!」
そんなびっくりサイエンス講座みたいなノリで、交友関係にあらぬ誤解をあたえないで欲しい。
そらもう、こんなメールが届いたのだ。カナタなら何があっても駆けつけるわな。俺の金髪騒動で、入学三日も経たずに暴れ回り、全校に名前を轟かせたカナタだ。
逆の立場だったら、俺だってそうする。あらゆる困難を打ち払って、きっとカナタを助けに行く。
「マモルちゃんを助けに来たのね。教えてくれてありがとうカナタちゃん。だって、キリカ、マモルちゃん」
キリカさんは黙っていた。むすっと機嫌が悪そうにカナタを睨んでいる。
ケンさんは手をひらひら振って後ろに下がり、俺のところまでやってきた。
「マモルちゃん、あんまり女の子心配させるもんじゃないわよ」
そう言って、俺の上に積まれた石を軽々どかした。
あまりに突然で、俺はバランスを崩して正座のママぽてっと倒れてしまった。起き上がれない起き上がり小法師である。
久しぶりの自由だったが、足は痺れていて、しばらく立ち上がれそうにない。
ともあれ、これで一件落着だ。俺が一言言えばいいのだ。バイト先の人たちとふざけて遊んでいたのだと。カナタは怪訝な顔をするだろうし、腹いせに俺をポカリと殴るかもしれないが、それで収まるならばいくらでもポカリされよう。
俺はすっかり気が緩んでいた。あらゆる問題が解消されたと思っていた。
「待って」
しかし、キリカさんはそれに待ったをかけた。
「マモル君も肝心なこと忘れてるでしょ」キリカさんは油断ならないと指摘した。「どうして、その娘はメールだけでここまで来られたのかな?」
糾弾されたカナタは押し黙る。キリカさんを仇敵のごとく睨んで、憎しと歯噛みした。
返事に窮したカナタは「ホントにイヤな人」と小さく呟く。
「いい? 比呂川マモル君は我が『悪の秘密結社K』の一員であり、私の大切な右腕よ。ノックのやり方も知らない非常識な小娘に安々と引き渡せないわ。たとえ、それが彼の幼馴染だったとしてもね。それに、『人材派遣会社HEROES』の人間なら尚更だわ」
ぐっ、とカナタは悔しそうに押し黙って下を向いた。
いやいや、おかしいだろ。なんで言い返さないんだ。それに『人材派遣会社HEROES』ってなんだよ。
「一日中チラチラとこっちを気にしているんだもん。嫌でも気付くわよ」とキリカさんは言った。「あれに気づかないのはよっぽどの鈍チンさんね」と俺の方を見た。
「……同族嫌悪ですか?」
「ええ。あなたを見ていると、昔の自分を思い出してイライラする」
「八つ当たりですね。オトナげない」カナタは吐き捨てるように言った。「私は、出来損ないのミライでも見せられているような、サイテーの気分ですよ」
吐き捨てるようだけど、キリカさんを否定しなかった。
「ちょっと待ってくださいキリカさん。まさか昼間の仮面セイバーオルトは、カナタがやってるとでも言いたいんですか?」
「そうよ。というより、昼間だけじゃないわよね? マモル君には隠していたみたいだけど」
「……」
キリカさんの問いかけにカナタは歯噛みした。おそらく肯定なのだろう。更に眼光を鋭くして、射殺さんばかりにキリカさんを見ていた。
お互いが睨み合っていた。二人の顔は、俺の知らない顔だ。あまりの恐怖に気を抜いたら漏れそうになる。前も後ろも。
俺はまたもや助けを求めた。ミサキに目配せをした。それまで黙っていたミサキも俺の目線に、はっと気づく。ぐっと親指を突き立て、任せてくださいと言わんばかりの表情をした。
正直、頼りないけど、シリアスシーンをクラッシュすることに定評のある安須野だから、なんとかしてくれるはずだ。
ぐぐっと前に勇み出て、両者の間を取ろうとする。
「ミ、ミサミサカッター!……なんちゃって」
安須野、それはないだろ。気まずさのあまり『なんちゃって』とか言って誤魔化しているあたりがポンコツである。すごすごと後ろに引き下がっていった。
二人は安須野をチラと見ただけでまたすぐににらみ合いを続ける。
ここで俺が『マモマモダブルカッター』と続けたら引っ叩かれるかもしれない。そこまでわかっていてやる度胸は俺にないけど、とりあえずポーズだけをとる。うん、安須野のことを言えないな。
ケンさんの方を見ると、優雅にお茶を啜っていた。
そんな場合ですか、これ。大人は若者を見守るだけよ、と言っているようにも見える。その『オカマは全て見通してるのよ』的な立ち位置をすぐとるところ、どうかと思うな。見通すだけじゃなくて解決まで持って行ってくれないのがなあ。
「とにかく、いつまでもそこにいられたら迷惑なの。扉は直さなくていいからさっさと消えて。あなたが駆けつけなくても、彼には私がいるから大丈夫よ」
キリカさんは冷たく言い放った。
が、それで切れた。なにかぷつりと、張り詰めたような空気が断ち切れた。
「―――決闘よ」
カナタの憎々しいと言わんばかりだった目は、いつの間にか闘志に満ち満ちている。そこにいるのは、悪に立ち向かわんとする掛け値なしの正義の味方だ。
「決闘! あなたが勝ったら私が引く。私が勝ったらあなたが引く! こうなったら白黒つけましょう?」
カナタはそう言い放って、左手に身につけていた革手袋をキリカさんめがけて投げつけた。それは時代錯誤も甚だしい行為だった。
「……ハッハハハハハハ!」対してキリカさんは散々笑って、足元に落ちた革手袋を拾い上げた。「なかなか面白いこと言うじゃない!」
冷たい、憮然としたキリカさんはそこにはいなかった。興に乗ったと白い歯を剥き出しに笑っている。そこにいるのは、向かってくる正義を木っ端微塵に叩きのめさんとする、掛け値なしの悪の親玉だ。正義の味方からの挑戦はいつでも受ける、そんな強者の在り方を示していた。
格好つけずにはいられない。キリカさんの悪い癖だ。カナタの撒き餌に躊躇することなく喰い付いた。
「気に入った。気に入ったよ。阿久根カナタ」
「私はアナタが気に入らない。出流原キリカ」
二人の間に火花が飛び散る。
「場所は?」キリカさんは革手袋をカナタへと投げ返す。「どうせなら、私たちにふさわしい場所にしましょう」
「東京スカイタワー」カナタは迷わず答えた。「あそこの下には広場がある。深夜だったら、誰も邪魔をしない」
それを聞いて、キリカさんは満足気に頷いた。
「本気かよ。カナタ、なんだってそんな――」
そう声をかける俺をカナタは制した。
「―――その先は、マモルには言ってほしくない」
カナタは寂しげに懇願した。
その時俺は痛感した。ああ、俺はいったいカナタになんて顔をさせているんだろう。
『助けてほしかったら、いつでも呼んでよね。たとえ、マモルが悪の秘密結社の一員でも、私だけはマモルを助けてあげるからさ』
二人で歩いた帰り道を思い出した。カナタはいつだってそうだ。いつだって変わらない。変わってしまったのは――違う、いつまで経っても変われないのは俺の方だ。
「本当だったら悪役側の本拠地に招き入れたほうが雰囲気出るんだけどね。ま、贅沢は言ってられないわ」
「それじゃあ、午前二時。スカイタワーの根元で」
「こっちは全力で行くけど、準備は大丈夫なの?」
カナタはキリカさんの問いかけに答えず、踵を返した。
「……カナタ」
俺が呼び止めるとカナタは歩みを止めた。痺れる足を引きずって、俺はカナタに歩み寄る。
呼び止めたはいいけど、何を言えばいいかわからなかった。軽率な行動だった。いつでも口先ばっかで、俺には『本物』がなかった。この場にいるのが恥ずかしかった。
俺が黙っていると、カナタはそっと近づいてきた。
「マモル……マモルはね、あの女に騙されてるの」
「えっ?」
耳元で囁かれる。カナタの目は真剣そのものだった。
「私が、マモルを助けてあげるから」
カナタがベルトに手を当てると、スーツは霧のように消えた。持ってきていた剣も、先ほど脱いだ篭手も消えている。
俺が一瞬の出来事に驚いていると、カナタはその間に階段を駆け下りていった。慌てて追いかけたけど、カナタの姿は見えなかった。
外はもうすっかり日が暮れていた。商店街は買い物客もまばらになっている。
雑踏に消えたカナタの背中を想像する。
部屋で不敵に笑っていたキリカさんの姿を想像する
二人は『本物』だった。場違いな俺は何も出来なかった。出来ないくせに、目の前のやりとり心奪われていた。
憧れて、夢焦がれて、なおも届かない四角形の王国。正義と悪のお話。テレビ画面の向こう側。
舞台は変わらず『主人公』が不在のまま、スイッチは下ろされ、チャンネルは回り、それまでの日常は四角形にキリトラレ、世界は斯くして戯画化されていく。
どうか、チャンネルはそのままで。
ご覧あれ。『視聴者』の皆々様。
これより日常は――――非日常へと反転する。
了/■第三話「トランジスタ・ジャスティス・ガール」




