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もう少し落ち着いたら部屋の掃除でもしようかな―とは思うものの、全く腰は上がる気がしない。大した仕事もしていないくせに、今日はやたら疲れているような気がした。
「それにしても総統遅いなあ」
出来れば早く来て欲しい。このまったり空間ではなかなか自分で気持ちを切り替えにくいのだ。
ミサミサは話も終わって暇なのか足をブラブラさせている。
「オッサンが説教でもされてるとか。あの人、余計なことしか言わないからなあ。まさか、さっきの話をしてるんじゃ。俺の名前は出さないでほしいなあ。無理かなあ」
「キリカさん、なんか皆に話があるって言ってたから、すぐに上がってくるはずなんですけどねーもしかして、美味しいものでもごちそうになっているとか! あのオジサン、うら若い乙女との会話のためなら商品をワンコイン以下にしますからね。この前オバサンがキレてました」
「セクハラでも受けてるんじゃないの。下手な作り笑いで構っちゃったりしてさ。キリカ、変に猫被る時があるでしょ? そんなことしたって、とっくに化けの皮剥がれているのにねえ。あの娘って時々凄いわ」
三者三様の所感だった。特に生産性のなかった。
しかし、時間はうまく消費したらしい。雑談に興じていると、カツンカツンと外から階段をのぼる音がした。キリカさんの履いているヒールの音だろう。
噂をすればなんとやら、我らが総統出流原キリカのお帰りである。
「待たせたわね!」
今どき悪党も遅れて登場する。散々俺たちを焦らしたお山の大将は、しかしいつもの彼女ではなかった。
扉を開けて出てきたのは変な仮面をつけたキリカさんだった。服はいつもの軍服である。しかし、その仮面のせいで今にも『ヒャッハー!』とか『略奪タイムだー!』とか言い出しかねない悪党ルックになっている。
というかその出で立ち、どこかで見覚えが。
『ピコン。ヒトナナマルマル。悪の総統イズルハラキリカお姉ちゃんのお帰りだよ。野郎ども、耳の穴かっぽじってよく聞きな。お姉ちゃんが、なんでなかなか帰ってこなかったのか。なんで乙女チックな顔を隠そうとしているのか。話してやるからな~聞けよ~』
何か気に触ったのか、キリカさんはマークⅡちゃんをポカリと殴った。
「お帰り、キリカ。というか、あんたまたそんなのつけて……結局、気まずかっただけね。ばっかみたいだわ―。はいはい、青春青春」
「……ただいまケンさん。良いから口閉じて。あと服着なさい服」
いやーん、と乳首を抑えるケンさん。
やっぱりそれファッションじゃなかったんですね。恥じらいがあったんですね。それがわかっただけでも良かった。
「お勤めご苦労様でした、キリカさん」
「待たせてごめんねミサキ。すぐに終わらせるから」
敬礼をするミサミサ。仮面には突っ込まなくていいのか? それともキリカさんはその格好で迎えに出たんだろうか。
「お疲れ様です総統。今日はどこから手を付ければいいですかね? 一応掃除から入ろうと思うんですけど」
「……」
手をモミモミする俺。
顔をそらすキリカさん。
えっ、俺何か変なこと言った?
「あの、総統。ご立腹ですか? もしかして、俺がさっきまで寝ていたというか気絶していたことと何か関係が?」
ぐわっとすごい顔――仮面で見えないけど――でこちらを向く。
どうやらヒットしたみたいだ。まったく思い出せないんだけど、それを謝るわけにもいかない。俺たちは見つめ合う。世が世なら――ってあれ、なんかこれデジャブじゃない?
「……覚えてる?」
キリカさんが重い口を開いた。
「何か……何か大切なことを忘れている気がします。すみません。何も思い出せないです」
そう、さっきからここまで来てるのだ、と下腹部のあたりを示す。頑張ればつっかえが取れて、ビッグマグナムからフォーティーファイブで生誕のバーストストリームのはずなのだ。
「マモル君? 思い出さなくていいから」
「イエスマム!」
やっぱりその仮面怖い。ビッグマグナム周辺がちょろりと温かくなったのを感じる。
俺の返事を確認すると、キリカさんは大きく息を吐いて仮面を外した。ほんのり顔が赤い。仮面で蒸れたのかもしれない。ちょっぴりエロくていいね。
「それでキリカさん。話というのはいったい何なんですか?」
ミサミサは大きく手を挙げて質問した。
「……うん。予定もあるし早速その話をしないとね」
キリカさんようやく通常モードで話し始める。
「マモル君にも関係あることだから……というよりも、明日の仕事の話かな」
「明日というと土曜日ですね」
「そう。実はね、地域の交通安全と防犯についてのイベントがあるの。警察と自治会の主催でね。それの子供向けの講演をやって欲しいという依頼があったわけ」
なんとなく、小さな頃に開催された子ども安全教室みたいなものを思い出す。地域の安全指導に携わる悪の秘密結社。シュールにもほどがある。
「ミサキは地方から帰ってすぐだし、マモル君は初めてのことだしで大変だとは思う。おまけに私の苦手な朝一だし。しかもこういうときに限って人手が足りないから……まあ、三人で頑張りましょう」
「合点承知の助です!」
ミサミサがぐるぐると腕を振り回す。おお、レモン牛乳クッキーエネルギーで満ち満ちているのか。
「マモル君は?」
「俺もミサミサに同じです! ガッテン総統!」
俺もぐぐいっとサムズ・アップしてみせる。今日の分のエネルギーはまだまだ余っているのだ。
ところが俺のやる気とは裏腹に、キリカさんはげんなりした様子で俺を見た。
「なにそのミサミサって」
「なにって、もちろん安須野ミサキさんのことですけど」
おうおう、キリカさんなんですかそのあからさまに『商店街に頭の具合を診てくれる先生いたっけなー』という顔は。
「それ、やめたほうがいいんじゃない?」
「何を言いますか。だいたい、本人から呼んでほしいって言われたんですよ」
ねー? と俺は同意を求める。
「いや、ミサキ的に正直マモルさんセンスないなあって思います」
「おい、てめぇ」
なんだそのめっちゃ引いている顔は。言ったじゃん。ミサミサって呼んでって。とても親しげだったじゃん。
もう何も信じない。深く傷ついた。
「ミサミサって呼んで欲しいと泣いて頼んでも、もう二度と呼んでやらねえからな! バーカバーカ!」
マモマモは傷つくとすぐ小学生男子レベルにまで落ちるのだった。基本的に俺のボキャブラリーはスラム街レベルに乏しい。そして、スラム街レベルでスラングに溢れている。
安須野は相変わらず微妙な顔をしていた。なんだろう、こいつに頭悪そうって思われるのはウルトラむかつく感じがする。
とっちめてやろうかなと思って、俺は両手を上げて指をわきわきさせた。括目して見よ、比呂川家に代々伝わる秘奥『酔拳三の型シリーズ四十八手の舞』を!
安須野はさっと身を引いた。野生の感が何か良からぬ気配を察知したらしい。
「セクシャルバイオレットの予感です!」
それどこのナンバーワン。
「もしかしてセクシャルハラスメントって言いたいのか?」
「そうとも言います!」
「そうとしか言わないから」
井戸端コメディアンである母の血をひく俺がツッコミに回らざるを得ない異常事態である。ちょっぴり歯ぎしり。やはりここで倒しておくべきか。
そしてキリカさん、なんですか、そのあからさまに『私、人を見る目はあると思ってたけど、何か致命的なミスを犯しちゃったかもしれない』という目は。どう考えてもそれが向けられるのは俺じゃない。
そもそも、あんなレロレロバーでゲロゲロバーの状態の自分の目を信頼するキリカさんが悪い。
こうなったら逆切れである。セクハラしてやろうかなと思って両手を中段に構え指をわきわきさせてみる。
何故だろう、失われた記憶が俺を強気にさせるのだ。
括目して見よ、これから披露するのは『酔拳三の型シリーズ四十八手の舞』に手を加えることで編み出した『ナイト・オブ・フォーティエイトハンド~三分の一の純情な感情~』だ! 経験不足は知識が補うぜ!
キリカさんも(貞操の)危険を察知したのか、一瞬で俺との間合いを取る。
勘がいいじゃねえか。へへ、生娘じゃあるまいし良いではないか良いではないか。
わきわきと迫る俺。一歩後ずさるキリカさん。
ふふ、鋼鉄の自制心を兼ね備えた英国紳士、比呂川マモル(十六歳、彼女募集中こうなったらしょうがないCカップまで妥協します)は死んだもういない! これからはイーグルフィンガーマモル(十六歳、彼女募集中巨乳以外はアウトオブ眼中)の時代だぜ。
「はいはい。マモルちゃんもそこまで」
俺が金曜日限定の一手『フライデーナイトフィーバー~思い出はいつも綺麗だけど、一人で歩く朝帰り鶯谷編~』を放とうとする瞬間、筋肉の壁が現れる。
ウォール・オッサンであった。
下心エンジンはセーフティーが働いてストップする。危ない。社会的地位や築き始めた信頼関係を破壊するどころか、大切な何かすら失うところだった。
もしかして、ケンさんが上半身裸だったのはこのことを見越していたからだったのか? まさに晴天の霹靂だ。一分の隙もないロジックである。ロジカルパスカルうふふふふ、である。
「とにかく、明日は事務所に七時半集合! 弁当は用意されるから、身一つ。動きやすい恰好で来るように!」
見かねたのか、乙女減退モードのケンさんが締めてくれた。うん、なんだろうやっぱりいざという時、大人というか保護者であってくれる。
子供二人に、ボディは大人頭脳は子供一人にという状況。この悪の秘密結社には、ケンさんは必要不可欠である。
「そういうわけだからよろしく!」
締めの言葉を取られて不服なのか、ボディは大人頭脳は子供の人がまさかのこのタイミングで偉そうにする。
キリカさんは、今日も今日とて、プライド三人前のかっこつけたがりだ。
ケンさんはそんなキリカさんを嗜めるようにポカリと殴った。夕方の事務所に可愛い音が鳴る。
誰からでもなく、あははと笑った。
もうそろそろ夕焼け小焼けが流れて、夜になるだろう。
あたりを見渡せば、レモン牛乳クッキーの残骸に、手付かずの書類の山。どこにしまうか悩ましい段ボール箱。
「片付けますか」
自分に言い聞かせて、仕事にとりかかる。
これが、今の自分が示せる自分なりのプライドだ。俺が研修中の間くらい、この悪の秘密結社をホコリまみれにするわけにはいかない。
「手伝うわ」
「手伝いますよ」
「手伝ってあげるわん」
四角形の王国は、ずいぶんほこりにまみれている。
あと笑顔にも。
夕焼け小焼けで、また明日。ほこりにまみれた、非日常。
了/■第二話「ほこりにまみれた悪の秘密結社の(非)日常」




