2 ぷるぷるしないよ。僕が転生するまで。
「まず、自己紹介をしましょう。お互い『おい』とか『アンタ』とか『お前』とか……。そんな呼び方は、愛がないですから」
男が話している途中に、男と同じような服を着てはいるが目元が隠れるようになっている白い仮面をつけた人が大きめの茶封筒を持ってきた。男がそれを受け取ると、その人は男に一礼して、そのまま消えた。
そう、消えたのだ。忍者が煙玉を使って姿をくらますみたいに、消えた。
そういえば、どうやってここに来たんだろう、あの人。足音が聞こえなかったし、姿も見えなかったぞ。
「私は、神林と申します」
男――神林は、俺に小さくお辞儀をした。
どうやら、先ほどのことについてはなにも思っていないらしい。神林にとっては、これが日常なのだろうか。あの人とも交流があるみたいだし……。
まぁ、そこは気にしない方が楽なのだろう。神林も何も説明する気がないようだしな。
「僕は、雨谷 輝」
神林は茶封筒から何枚かの紙を取り出し、ペンでなにやら書きこんでいる。
「ふみ。雨谷 輝。享年18歳。川で溺れた犬を助けようとして、橋から増水した川に落ちて溺死……」
「――は?」
僕は眉間にしわを寄せて神林を睨む。
神林は不思議そうに目をぱちくりさせて僕を見つめた。
「違いますか? おかしいですね、資料にはそう書いてあるのですが……」
「いや、ちょっと待て。そもそも、俺って死んでる(・・・・)のか?」
「いえ、性格にいうと死んだ(・・・)ですね。今から生まれ変わりますから、貴方が目を覚まさなかったら死んでる(・・・・)のままでしたよ」
神林の言うことを聞いてはいるが、理解できない。
そもそも、俺は死んでるのか? 確かに、早朝のジョギングの途中で、増水した川で犬が溺れているのを見つけた。水飛沫をあげながら勢いよく流れる川で、必死に岸を目指す犬。それを見て、助けなきゃって思って、近くにあった棒に犬を捕まらせようとして、身を乗り出したら、そのまま――。
「思い出しましたか?」
神林は僕をしっかりと見ながら、小首を傾げる。
「大丈夫です。犬はちゃんと助かりました。貴方の愛のおかげです」
「神林の話と僕の記憶を合わせると、僕の愛は関係ないと思うんだけど。僕、犬死じゃん」
神林は口をへの字に曲げたが、目をそらさずに僕を見つめた。
「驚かないんですね。死んだって、言われても」
僕は静かに頷く。だって、死んだって言われると、全てに納得できるから。
僕の体がないのも、ここに影も光も闇もないのも、ここがただただ真っ白な現実離れした空間なのも、これが死後の世界だから。もしそうじゃなかったら、ただの夢だけど……。
だけど。僕は、覚えている。かじかんだ手で棒を掴んだ時の痛さを。橋から落ちて、だんだんと近づいてくる水面を。水に落ちたときの全身の冷たさを。息が出来なくなって、もがいて、もがいて、力が抜けたあの絶望を。
「もしかしたら、救急車で運ばれる貴方の夢かもしれないのに」
そうだな。神林が言うように、これが僕の夢だったらいいんだけどな。
けど、僕はこれが夢だとは思えない。先ほどから、僕は、ここにいてはいけないのだと思うのだから。それとともに、懐かしいとも思えて、何とも心地よいとも思うのだけど。
「まぁ、納得してくださり、助かりました。ここに来る人は、大抵自分が死んだことに気がつかないので」
そりゃあそうだろうよ。なんて思いながらも、黙って話を聞く。
「さてと。転生先は貴方の住む世界とは違う世界となっております」
「違う世界?」
「はい。所謂異世界というヤツですよ」
異世界に転生か。なんだか、本当にアニメか小説みたいになってきたな。
「場所は、そうですね……。転生した時の個体がこれですから、知り合いの家の近くで出現させましょうか」
神林が一人でブツブツ言いながら資料になにやら書きこんでいる。
転生する本人が目の前にいるのに、黙って書かないのか。不安を煽ってるってことが分からないのか、それとも癖なのか。
そもそも、個体っていう表現が不安だ。僕はもしかしたら、人間として転生できないかもしれない。そして、出現って表現からすれば、僕は何かから生まれる生物じゃない。生えるって表現でもないなら、植物でさえない。なんだよ、出現させるって。
「そして……。あぁ、これは壊滅的ですね。しかも、記憶を受け継いでいて、自我も残ったまま……。これはあの人にどうにかしてもらわないと」
神林が眉間に皺を寄せながら呟き、ペンをカチカチと鳴らしている。
さらに不安になった。壊滅的ってどういうことだ! ぐっと顔を前に出そうとするが、何かに抑えつけられているような感じがして、体が言うことを聞かない。まぁ、今の僕には顔も体もないんだけども。
「まぁ、これならそれなりに……。あの人に見つかれば、なんとかなるでしょう」
神林は小さくため息をついて、紙とペンを茶封筒の中にしまった。
僕はただただ俯く。神林の話を聞いて、転生したくなくなった。これが夢だと思いたい。夢でないなら、もっとましな条件で転生させてほしい。
「これで手続きは終了です。貴方はこれから、違う世界での生活を送ることになります。これ以上の説明はできませんが、どうか、お元気で」
神林が一礼して、口元に笑みを浮かべた。
それを見た瞬間、僕は、意識を手放した――。