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  5 スルガニャル子が見つかる


 それから何週間が過ぎた頃だ。スルガニャンも落ち着く。通常通り駿河屋は運営していた。夕方の五時、駿河屋に電話がかかってくる。

 またクレームの電話かな、俺はそう思った。

 駿河屋のクレームの電話は商品の状態が悪い。発送が遅い、といった内容がほとんどだった。

 少しの傷でも気にする神経質な人間もいるし、一週間も到着を待てない気の短い人間もいる。その大半が駿河屋の新参者だった。

 もっと広い視界で見ろよ。駿河屋にはいいところがいっぱいだぞ。

 ふぅ、と溜息をついて俺は電話の受話器を取った。

「――お電話ありがとうございます。駿河屋の涼野が承ります。どのようなご用件でしょうか?」

「あの……スルガニャンによく似た猫がいて……その……スルガニャル子さんなんじゃないかなって」

 え……? キタ? スルガニャル子の情報、キタ?

「ちょっ、ちょっと待って下さい。電話、切らないで……あ、あの。本当ですか? どこで見かけましたか?」

「いえ、あの……俺んちの近くなんですけど。お婆さんが一人で住んでいて、でっかい家で……いつもサングラスをかけた猫を膝に抱いていますよ」

「その猫のお尻に傷は?」

「えぇ、あります……左? だったかな?」

 確実だ。スルガニャル子! ついに見つけた!

「詳しく住所を教えてもらえませんか? お願いします! 謝礼も支払います。ですからお願いです!」

「はぁ……でも、俺はお金なんかいいです。……お金があっても本当に欲しいものは買えませんから」

「え……それはどういう?」

「なんでもないです。俺はずっと夢を追いかけているんです。ずっと求めても手に入らないアレを……。存在するのかしていないのか、まったくわからない……」

 なにかよくわからなかったけど、お金で買えない物か……。なにか思い出の品なんだろう、そう思った。

 そして俺は男の住所を聞き出す。そこは富山県だった。

 静岡から富山かぁ……高速を使っても五時間ぐらいかかるな。電車で行ってもそれぐらい時間がかかる。

 出発は翌朝だな。スルガニャンにこのことを報告しなくては。

 ――俺はこの件をスルガニャンに伝えた。彼は目からは涙が溢れた。

「あ……生きてっ、生きていたのか……」

「そうだよ、スルガニャン。でも、もしかしたら違うかもしれない。たまたまサングラスをかけて、左のお尻に傷があるなんて猫……いないよね。普通だったらいない。だからたぶんスルガニャル子だ。俺、明日行ってくるよ」

「おいらも行くにゃ!」

「スルガニャンも? ……待ってよ。電車に乗る気? 脳は人間でも、体は猫なんだよ? 電車に乗れるかなぁ?」

「だったらタクシーで行くにゃ。お金はいくらかかっても大丈夫にゃ!」

 今の駿河屋はスルガニャンぬいぐるみの売上でかなり余裕があった。静岡から富山までの往復料金なんか全然気にならないぐらいまで。

「わかった。じゃあ二人で行こう!」

 ちゃっかりスルガニャンと二人旅行する約束をしてしまった。泊まりなら、スルガニャンと一緒にお風呂、スルガニャンと一緒に同じ布団の中……ぐっふっふ。


 ――翌日。

「じゃあ、行ってくるよ」

 塔子さんと由宇君が駿河屋のエントランスまで見送ってくれる。

「父上、タクシーが来るまであとどれくらいかかるのだ?」

「もう五分で着くと思うにゃ。おいらたちがいない間、駿河屋を頼んだにゃ。まー、そんなに長くはならないと思うにゃ。……悪いにゃ、本当はお前たちだって一緒に迎えに行ってやりたいだろうに」

「母上は父上が連れて来てくれるのだろう? だったらここでどんと構えて待っている。……それと、サイコー君」

 俺? ……なんだろう?

「貴公のおかげで母上を見つけ出すことができた。心から礼を言う」

「待って、まだスルガニャル子さんが見つかったって決まったわけじゃないから。……でも、まあたぶん本人だとは思うんだけどね。これは会ってみないことにはわからないからさ。もし本人だとしたらすぐに連絡するから」

「わかった。期待して待っているぞ」

 ……ブルルルルッ。

「――おい、サイコー君。タクシーが来たにゃ。行くにゃ」

「じゃあ二人とも。駿河屋を頼んだよ」

 俺とスルガニャンがタクシーに乗った。ここから高速に乗って四時間だ。

 スルガニャンはずっと窓のほうを向いていた。いろいろ思い出しているのだろう。

 スルガニャンを膝に置きたい気持ちをグッと堪えて、俺は体力温存のため、寝ることにした。スルガニャン、お休み……。


 ……どれぐらい寝ていただろうか。確か一度パーキングエリアで止まったような気がする。

 そこでスルガニャンにサザエの壺焼きをあげて、俺は鯛めしを食べたんだ。おいしかった。

 で、また睡魔が襲ってきて……。

「――お客さん、着きましたよ。富山に」

「え、もう?」

 見渡すと、田んぼがけっこうあるな。のどかで落ち着いたところだ。実はこの富山県には親戚がいて、初めて来る土地ではなかった。昔の記憶が蘇り、懐かしい気持ちになった。

 俺は運転手さんにメモを見せた。そこにスルガニャル子さんが住んでいるとされる住所が書かれている。

「ここまでお願いします」

「ここね……ちょっと待って下さいよ。今、ナビで設定するから」

 再び車が動き出した。住所のとこまであと十五分だと表示される。もうすぐそばまで来ていたんだ。

「スルガニャン。スルガニャン……そろそろ起きて。奥方に会えるよ」

 寝ぼけ顔で感動の対面をするにはあまりにも不憫だ。さっさとスルガニャンを起こしてしまおう。

「……ん。もう着いたのかにゃ?」

「富山県に入ったよ。あと十五分で奥方のところさ。そろそろ起きておいてくれよ。はい、お水飲んで」

 グビグビとペットボトルに入った水を器用に飲むスルガニャン。動いている喉を撫でたかったが、今それをしたら怒られそうな気がしたのでやめた。

「ふぅーっ! おいしいにゃ! 目が覚めたにゃ」

「よかったー……あ、運転手さん。この猫、ロボットだから。ハハ、だからユーチューブなんかにアップしないで下さいね」

「へ、へいっ!」

 俺はスルガニャンを見慣れているけど、この人が駿河屋を知っている可能性は低い。運転手さんは五十代ぐらいの男性だった。

 車は民家が並ぶ地区に入っていった。人っけが少ないな。大型スーパーがいくつかあった。お店は少なかったけど、こういう大型の店は多い。コンビニも数件あった。

「――到着しましたよ」

 目的地に着いた。……いよいよだな。

「運転手さん。静岡まで往復頼んでいいですか?」

「えぇ、もちろん……」

「じゃあ電話番号教えてもらえますか? あとで電話します、遅くても六時間後には。それまで休んでいて下さい」

「じゃあ、ちょっと仮眠を取らせてもらいますね」

 運転手さんはどこかに走り去っていった。大型スーパーの駐車場なんかで休むのだろう。四時間、本当にお疲れ様だった。

「スルガニャン、ピンポン押すよ」

「ちょ、ちょっと待つにゃ。まだ心の準備ができてないにゃ。……もし。もしだにゃ? あいつがおいらのことを嫌っていて、それで今まで連絡をしなかったとするとどうするんだにゃ? おいら、迷惑なんじゃあ……」

 俺は微笑んでスルガニャンに言った。

「なにか嫌われるようなことでもしたのかい?」

「元はといえば、おいらの運転のせいで交通事故を引き起こしてしまったんだにゃ。そのことを恨んでいても不思議ではないにゃ」

「でも猫の姿になっても家族に会うため、日本に行くと言ったんだろう? そのときはどうだったのさ?」

「うん……別に怒ってなかったにゃ。『猫の姿もいいにゃる』って言ってたにゃ」

「にゃるって言うの? スルガニャンル子さん。……へぇー、なんかすごいな」

「な、なにをっ。サイコー君はウチの嫁をバカにしているのかにゃ?」

「するわけないじゃないか。さあ、行こう。奥方はきっと君が迎えに来るのを待っていたんだよ」

「うにゃー……」

 ――ピンポーン。

 しばらくしてお年寄りの女性がやってくる。家は趣きのある造りで、二階建てだった。

「はい……」

 足腰が弱い。今にでも手を差し伸べたくなるぐらい。

「あの、こんにちは。突然、すみません。実は俺たち、ある猫を探していて……」

「猫? ……あらあらそれは。で、どんな猫を探しているんですか?」

 お婆さんがスルガニャンに視線を移す。そして……。

「「あら、ヨシコ。出てきたのかい?」

 ヨシコ? 誰のことを言っているんだろう。

 軽やかな足取りで、家の中から出てきたのは一匹の白い猫。……スルガニャンと瓜二つだ。

「ニャー……」

「スルガニャン? ……いや、スルガニャル子さん?」

「にゃるっ? えっ?」

 今、「えっ?」って言った。スルガニャル子さん、えって言った。

「もしや……」

 そこまで言って、スルガニャル子さんは黙ってしまった。また、「ニャーン」なんて鳴いている。

 サングラス、お尻の傷跡も確認できた。間違いない。彼女はスルガニャル子!

「あらあら、そちらの猫ちゃん。ウチの飼っている猫とそっくり」

「あ、はは。もしかして双子なのかもしれませんね。この子がヨシコちゃんですか?」

「えぇ、そうなの。この子はね、十年前、わたしと夫が東京に旅行に行った帰り、道で倒れていたのよ」

 そうなのか。それをお婆さんが拾って今まで面倒を見ていたってことだな。それでもスルガニャンに一度も連絡しなかった理由がわからない。この問題、深いぞ。

「……お、お前……お前ぇっ!」

 スルガニャンがスルガニャル子さんに飛びつこうとした。――だが、それをスルガニャルさんは華麗な猫パンチでスルガニャンを叩き落とす。

「フギィーッ!!」

「あ、あらあら。よその猫ちゃんにおいたしたらダメよ。ヨシコや」

「ニャーン……」

 俺にはスルガニャンとのやり取りがこういうふうに聞こえた。

『あとで事情を説明してあげるから、ちょっと待ってなさい』って。

「この猫のことなら気にしないで下さい。……なんだろ? いきなり発情しちゃったのかな?」

 スルガニャンは俺のことをジッと睨む。でもかわいいから全然怖くない。

「お婆さん、ここら辺で猫と遊べそうなところってないですか? どうも車で長時間いたせいか、運動不足で不機嫌なのかもしれません、こいつ」

「そうねぇ……あ、ちょうどいいところがあるわ。この先を少し進むと堤防があるの。そこに流れる川は緩やかで、眺めるだけでも心が和むわぁ。そこで遊んでいらっしゃったらどうですか?」

「そうですか。……いいですね。ではまた数時間後に来るかもしれません。どうもウチの猫があなたのところの……ヨシコさんを随分気に入ったようで」

「ふふふ、そうね。白い猫で同じサングラスをかけているんですもの。これはきっとなにかの運命だわ」

「じゃあ堤防のとこに行ってきます。堤防に!」

 と、俺はわざとらしく何度もアピールした。スルガニャル子さんの顔を見て。


「……はぁ~っ、いきなり猫パンチされたにゃ」

 がっくり肩を落としているスルガニャン。俺たちは手頃な石の上に並んで座っていた。スルガニャンは人間っぽい座り方をしている。

「スルガニャル子さん……しゃべっていたよね。猫語じゃなくて」

「うん。話せるけど、なにか隠しているようだったにゃ。嫁とあのお婆さんの間になにがったんだにゃ」

 東京駅でスルガニャル子さんが倒れていたって言ってたよな。そのまま引き取られ、富山の家で飼うことにした。スルガニャル子さんはそのまま住み着いた……なんで?

「――手術の後遺症で言葉がしゃべれなくなったにゃる。一時的ににゃる」

 女性の声が後ろから聞こえてきた。

「スルガニャル子さん……」

「なに、そのスルガニャル子さんって……もしかしてわたしのことにゃる?」

「あー、やっぱりにゃるって言った」

「大体誰なのにゃる、あなた? ウチの人とどういう関係にゃる?」

 感動の対面にはならなかったな。えーっと、どう説明しよう。

「……彼はサイコー君だにゃ。嫁よ」

「あんた、今までどこをほっつき歩いていたにゃる? なんですぐにわたしのことを探さなかったにゃる? もう遅いにゃる!」

「待つにゃ! それは誤解だにゃ! おいらはちゃんと探したにゃ。お前のことをずっと探していたんだにゃ! ……お前こそなんにゃ? なんで連絡の一本も入れなかったにゃ?」

「だから手術の後遺症でしばらく言葉がしゃべれなくなったって言ってるにゃる!」

 すっげー、にゃあにゃあうるさい。でもなんか勢いは奥方にあるようだ。

「あんた!!」

「は、はいっっ!」

「今、なにやってるにゃる? 塔子は? 由宇はどうしてるにゃる?」

「今は駿河屋という会社を経営しているにゃ。二人の子どももそこで働いてるにゃ」

「駿河屋? それは和菓子のあれかにゃる?」

「違うにゃ。ゲームとか本とかのリサイクルショップだにゃ。けっこう人気だにゃ」

「ゲームぅ……そんなのでお金なんて取れるのかにゃる? きっと赤字なんだにゃる!」

「赤字とは……! 駿河屋はあえて儲けをギリギリに設定しているにゃ。駿河屋はお客さんの味方なんだにゃ!」

 そこは俺も激しく同意する。奥方でも駿河屋を軽く見ることは許されない。

「奥方、駿河屋は本当に素晴らしいお店です。多くの人が駿河屋に魅了されています。この世の最大の楽しみは駿河屋……そう言う人も少なくありません」

「お前はなんにゃる? サイコー君とはなにかにゃる?」

「俺は駿河屋が最高! というブログを書いています。そして、駿河屋に入社しました。社員ですよ、奥方」

「そうかにゃる。人を雇うぐらいは儲かっているにゃるか……」

「スルガニャンぬいぐるみのおかげですよ。生産すればするほど売れる。皆に喜ばれて、それがお金になるんです。こんなに素晴らしい仕事は他にはないでしょう? ……その、一つお聞きしたいことがあります」

「なんにゃる? 言ってみるにゃる」

「今、奥方はこうして人間の言葉を話すことができる。喉が治ったんですよね? いつですか? なぜそのとき、駿河屋に電話しなかったのですか? あなたの旦那さんが駿河屋で働いていることは知っていたでしょう?」

「そっか……。確か日本に来る前にそう言っていたにゃる。忘れてしまったにゃる」

 奥方はスルガニャンに近づいて、ポンと背中を叩いた。

「悪かったにゃる。心配かけたにゃるなー。喉の調子が治ったのは今から五年前にゃる。でも、お爺さんとお婆さんはこんなサングラスをかけたわたしを、嫌な顔一つせずにエサをくれ、寝床も用意してくれたにゃる。二人の幸せそうな顔を見て、いきなり言葉を話すにゃるか? 不気味がられるのがオチにゃる。だから待とう。あんたが来るまで……そう思ったにゃる。それから一年もたたないうちに、お爺さんは死んでしまったにゃる。子どもや孫は都会に住んでいて、お婆さんのところへ寄りつこうとしないにゃる。お婆さんはわたしを抱いて、優しく撫でてくれるんだにゃる。そんなお婆さんをほうって、静岡に行けと? どうやって?」

 奥方には奥方の事情があったんだ。それをスルガニャンは責められるはずがない。

「……ま、待たせて悪かったにゃ、お前……。静岡には塔子と由宇がお前を待っているにゃ。戻って来ないかにゃ?」

「戻って来れるわけないにゃる。あんたが思っているより、お婆さんにはたくさん面倒をみてもらったにゃる」

「にゃー……」

「せめて、お婆さんが息を引き取るまで。それまで待っているにゃる」

「お前……でも、いつになるかわからないにゃ? 子どもたちはお前の帰りを待ってるにゃ」

「だったら向こうから来なさいにゃる。それともわたしに会いに、わざわざ遠くまで行きたくないって言ってるにゃるか?」

「そ、そんなことはないにゃ。……わかったにゃ。お前の気の済むまでいたらいいにゃ。でも、いつかは絶対戻ってきてにゃ。お願いにゃ!」

「あんた……」

 おっと、いけない。猫同士とはいえ、キスシーンに突入しそうだ。俺はお邪魔君になってしまう。ここは二人にしておいてあげよう。

 俺は川が流れるところまで歩いた。屈んで水をすくう。……冷たくて気持ちいい。

 こういうとこ、やっぱ落ち着くな。大阪でこんなに手軽に自然と触れられる場所ってないもんな。もしかしてスルガニャル子さん、この土地が気に入って静岡に行きたくないのかな。静岡だってたくさんきれいなとこがあるんだぞ。

 水が流れる音がきれいだった。後ろからスルガニャンたちの声は聞こえない。二人は会話ではなく、空気で、肌で、表情で話した。そして愛した。

 まるで十年の隙間を急いで埋めるかのように……。


「――サイコー君」

 風景を漫喫していたところ、後ろからスルガニャンが声をかけてくる。

「スルガニャン。話はついたのか?」

「うん。嫁はしばらく静岡には帰って来ないにゃ。でも、いつか必ず帰ってくると約束してくれたにゃ」

「そっか。よかったね、スルガニャン」

「うにゃー」

 二人は仲良く隣り合っていた。……スルガニャル子さんが羨ましいな。俺もスルガニャンの隣に座っていたい。ずっと……。

「サイコー君、ウチの旦那はよろしく頼みますにゃる」

 スルガニャル子さんがそう言って頭を下げた。

「いえ、そんな……スルガニャンは俺の社長ですから。その、守るのは当たり前ですよ。名前も守だし。はは、はははー!」

「ふふ、サイコー君は愉快な奴だにゃ。そういうわけでこっちのことは心配するなにゃ」

「あんた……」

 無事に会え、また再会する日のことを約束した。

 これで俺とスルガニャンは静岡に帰ろうとした。でも、スルガニャル子さんを情報を提供してくれた人がこの近くにいる。せっかくだから会ってから帰ろう。

「――タクシーの運転手さん、ここの住所わかりますか?」

 俺は情報提供者の住所が書かれたメモを運転手に渡した。

「ここか。あぁ、わかるよ。すぐ近くだ。百メートルも離れていない」

 というわけで寄ってみることにしよう。

 ピンポーン……。

「――はい」

 家は一軒家で、まだ建ててから日も浅そうだ。中からは二十代後半ぐらいの男性がやってきた。

「あの……駿河屋の関係者です。以前、スルガニャンに似た猫を探しているとサイトに書いたところ、情報を提供してくれたこと……覚えていますか?」

「あぁ、あの! ……本当に駿河屋の人? わざわざそれを言いに来てくれたの?」

「いや、猫に会ったついでというか……近くまで来たものだからお礼を。ね、スルガニャン?」

「にゃーん」

 おっと、スルガニャンは猫モードだ。そっか、一般人には秘密にしているのか。

「ははっ、本当だ。あのスルガニャンにそっくり!」

「でしょ? お婆さんの家の猫もスルガニャンにそっくりでした。もしかしたら双子だったりして。謝礼を……三万円ですが、お受け取り下さい」

 そう言って謝礼を手渡そうとしたが、彼は受け取らなかった。

「いえ、お金はけっこうです。ボクの欲しいものはお金では買えませんから……」

 そう言えば以前にもこういうことを言っていたな。彼の欲しがっているのはどういうものなんだ?

「失礼ですが、なにを探しているのですか? お金で買えないもの、それは百万……一千万かけても買えないものなんですか?」

 彼は頭を抱えながら言った。

「クロガネの翼です。駿河屋さんには数年前から入荷通知リストに入れているのですが、未だ入荷されず……」

 まさかここでその名前を聞くことになろうとは夢にも思わない。

「クロガネの翼……にゃん?」

 スルガニャンにはピンと来ないようだ。でも俺はわかる。クロガネの翼……それは駿河屋に大きく関わる。

「クロガネの翼、ということはまさか?」

「サイコー君、どうしたんだにゃ? 顔色が悪いにゃ」

「スルガニャン。一度は聞いたことがあるだろう。クロガネの翼だ……サントラCDだよ!」

「サントラ? CD? ……あっ!」

 っていうか、秘密だったことも忘れ、スルガニャンは普通に言葉を口にしていた。

「クロガネの翼。もしかしてクロガネ君?」

「その名前をご存知なんですか……猫さん」

「彼はただの猫ではないんです。スルガニャン……のモデルになった猫とでも言っておきましょうか。いや、しかし……まさかあなたが。本当にクロガネ君ですか?」

 彼はゆっくりと頷いた。たぶん本物だ。本物でなければこんなこと言わない。

「俺はサイコー君です。駿河屋が最高の……」

「あぁっ! サイコー君ですか? ……いつもクロガネの宣伝をしてくれてありがとうございます!」

「いえ、でもまだ見つかっていないんですよね? その様子じゃあ」

「ボクは毎日、駿河屋のサイトを見てますよ。でも全然入荷されない。ボクは後悔している。なんであのときソフマップで予約しなかったのかを」

「ソフマップ……?」

 スルガニャンはクロガネの翼についてあまり知らないようだった。

「スルガニャン、クロガネの翼とはPCゲームだよね。予約する店によって予約特典があったんだよ」

「……メッセサンオー、グッドウィル、げっちゅ屋、コムロード、ゲーマーズ。それぞれ絵柄の違うテレカがもらえるんです。しかし、ソフマップだけはテレカとサントラのCDがつく」

「あの、なぜソフマップで買わなかったんですか?」

「近くに店舗がなかったんですよ。それにまさかこんなにはまるなんて思っていませんでしたから」

「一度もヤフオクなんかで出品されたことがないと?」

「はい……」

「流通量がほとんどないんですね。駿河屋の買取は千円でしたよね。じゃあもっと五千円とかに引き上げましょうか。それで買取に出してくれたものを優先的にクロガネ君に渡すということで」

「五千円……それで本当に誰かが売ってくれるのでしょうか?」

「それはどうゆう意味にゃ?」

 スルガニャンにしてみたらサントラ一枚が五千円という時点で信じられないだろう。

 でもこのサントラCD。一筋縄ではいかない。

「クロガネ君は宣伝しすぎてしまった。あれだけサントラCDの宣伝をしてしまっては、例えそれを持っていたとしてもヤフオク等でふっかけたくなる。一万円から出品するかもしれない。それ以上かもしれない。今、クロガネの翼のサントラCDは適正価格がわからないんだ」

「そうです……ずっと前から訴えても誰も買取に出してくれない! だったら初めから言わないほうがよかったかもしれない!」

「……クロガネ君。あなたにお渡ししようとしていた三万円。それで買取を募集してみようと思います。だから諦めないで。きっと見つかりますよ」

「サイコー君……そう言ってくれるのはありがたい。……頼みます。頼みましたよ? 早くサントラが欲しい。これ以上、市場からなくならないように、ボクが……うぅっ!」

 クロガネ君は泣いてしまった。俺もできるだけ彼の力になってやりたい。だって彼はスルガニャル子さんを見つけ出してくれたんだ。この恩に報いたい。


「クロガネ君、サントラCDを手に入れたら必ずここの住所に送ります」

「ありがとうございます。期待しています」

 俺たちはクロガネ君と約束をして、富山を去った。

 でも、クロガネのサントラを入手するのは極めて困難だ。もしかしたら世界中どこを探しても見つからないかもしれない。そんな雲をつかむような話だ。

「スルガニャン。見つかるかな、サントラ……」

 スルガニャンから返事はない。彼は眠っていた。

「いろいろなことがあったもんね」

 俺も寝よう。駿河屋についたらやることはたくさんある。まずは塔子さんと由宇君にスルガニャル子さんの報告を。

 その次にクロガネのサントラの買取価格を上げる。見つかるといいな。

 皆、皆、幸せになったらいのにな……。

 俺はスルガニャンを自分の膝の上に乗せた。スルガニャンは抵抗しない。俺に気を許しているんだ。いい顔している。なんだか嬉しいな。

「スー……スー……」

 帰りの四時間、俺たちは次の闘いに備え、ぐっすり眠ることにした。

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