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短編小説

クリスマス企画 【足跡は残さない】

作者: 兎鈴

 今年は珍しく、雪が降った。

 だが、寒いことには変わりない。寒いのは苦手だ。

 そう思いながら、私はとある山奥にある温泉へ行くためのバスに乗っていた。

 バス内は賑やかだった。様々な年齢層の人間が、それぞれ楽しそうに会話をしていた。その中で私だけは、無言で外を眺めていた。

「君は、一人?」

 隣に座っていた男が話しかけてくる。私は男が嫌いだが、こういうのを無視するのは、私の心の奥底に隠されている、自覚すらしていない良心が許さなかった。

「ええ。一人です」

 とりあえずそれだけ答えておいた。だが男は何かを悟ったのか、それ以上は話しかけてこなかった。


 数時間後、バスは山奥の温泉宿に着いた。

 入り口はしっかりとした作りで、都会で見る大きなホテルのような感じだった。しかし内装はしっかりと和風で、私は内心ワクワクしていた。

「綺麗な場所ですね」

 先ほどの男がまた話しかけてきた。後ろを振り返ると、雪化粧をした山々が連なっている、幻想的な景色が広がっていた。

「そうですね」

 銀世界とはこのことを言うのだろう。少しだけ見とれていた。

 パシャ、という音が聞こえたのは、その直後だった。

「ちょ、ちょっと!」

 振り返る。男はもうロビーへ入っていってしまった。

「もう……」

 怒っているはずなのに、私は何故か嬉しかった。


 ロビー内は私たち以外、ほとんど人が見当たらなかった。

 それもそのはず、今日はクリスマスイヴだからだ。ほとんどの人間は都会に流れていくだろう。

 各自がチェックインを済ますと、部屋に案内された。私は宿の一番端の部屋で、先ほどから話しかけてくる男は、隣の部屋だった。

 あの男も一人だったのか。

 てっきり他の人たちと一緒かと思っていたが、どうやら違ったようだ。

 荷物を部屋に置き、一段落したところで、私は温泉に入ることにした。


 ここの温泉は、露天風呂が混浴となっており、専用の湯浴みが貸しだされている。

 湯浴みを借り、脱衣所へ入る。

 他の客はどうやら宿付近の観光に行ったようで、誰もいなかった。

「貸し切り状態か……」

 思わず口に出してしまうほど、私は心が躍っていた。

 実はこれが悩みの種だったりする。幼少の頃、様々な仕打ちを親から受けた私は部屋に閉じ込められ、勉強以外何もさせてもらえなかった。そしてようやく十九歳になった今の私は、子供が好きそうなことが大好きだ。


 身体の隅々まで洗い流し、屋内にある温泉を全て満喫した後で、私は露天風呂へ向かった。

 火照った身体に、冷たい空気が吹きつける。とても心地よかった。

 だがそれも束の間、その心地よさは次第に薄れ、代わりとばかりに凍える様な寒さが襲いかかってくる。そうなる前に、私は急いで露天風呂へ入った。

「ふぅ……」

 勢いよく、飛び込むようにして入った。やってはいけないのは知っているが、やはりやってしまう。流石に人前ではやらないが、誰もいないとなるとやってしまう。

 しばらくして、そのことが頭の中でぐるぐると廻り出す。だがその悪い輪廻を断ち切るように、誰かが入ってきた。

「……あれ、あなたは」

「あぁ、どうも」

 例の男が入ってきたようだ。

 湯浴みは既に装着済みなので、問題ない。私は露天風呂から見える景色を堪能することにした。

「あなたって、子供っぽいところあるんですね」

 噴き出しそうになった。

 見られてたのか。これはまずいな。私は赤面して、黙ってしまった。

「別に、気にするほどのことでもないですよ」

 苦笑しながら、男はそう言う。

 流石に気にするだろう、と私は思ったが、それと同時に別のことも考えてしまった。

「あなたは、そういうの気にならないんですか?」

「ん?どういうことだい?」

「だから、その……例えばそういう子供っぽいことをやったとして、人に見られても気にならないんですか?」

「俺は気にならない。そもそも見られることがないからね」

「いや、そうじゃなくて……まぁいいや」

「ところで、君の名前は?」

「え、私の名前ですか」

 私は迷った。もしこの男が私を捜している何かだとすれば、捕まる前に逃げなければいけない。そう勝手に考えていた。だが名乗る前に、男は私の名前を言っていた。

「あなたは霧裂亜梨栖。間違いないですね」

 頭の中が真っ白になった。逃げなきゃ、と心の中で囁く声が聞こえた。

「大丈夫です。もうあなたは悩む必要はないです」

 にっこりと笑っていた気がした。

 気がした、というのは、私は既にバシャバシャと音を立てながら逃げ始めていたからだ。

 脱衣所まで戻る。服を着た後、こっそりと露天風呂の方を覗きに行った。まだ男は入っていた。

「……逃げるしか、ないよね」

 私は靴下を履くと、急いで部屋に戻った。


 だが、流石に泊まらないのはもったいない。私はそう思い、朝方に出ていくことにした。

 夜十一時を回った頃、私はロビーに行き、湯浴みを借りようとした。だがそこには、例の男が待ち構えていた。

「あなたは、何者なの?」

 ロビーには男と私以外、誰もいなかった。

「そういえば、名乗るのが遅れましたね」

 男はその直後、お辞儀をした。

「私は幽霊警察の牧原と申します」

「……幽霊、警察?」

「そうです。私の仕事は、死んだあと彷徨う幽霊たちを保護することです」

 その言葉の意味を、私は何も理解できなかった。


「あなたはちょうど一日前に、両親に殺害されました。ですがその時に何らかの現象が発生し、記憶を保持し実体化したまま彷徨っていた。これは非常に危険なことで、今後の下界を破滅させる恐れがあります」

「……何を、言ってるの?」

「今、私はこの宿の周囲に結界を張り巡らせました。あなたはもうすぐ透明化し、この下界から完全に消え去ります。それは即ち、本当に死ぬということです。ですが、まだ十分ほど時間があります。何か言いたいことがあれば、どうぞ」

 そもそも死んでいたのに、どうして私が今ここにいるのか。透明化。本当の死。十分の猶予。

 淡々と言い渡されたそれは、単純にいえば死刑宣告だった。

「私……死にたくない」

 これしか、言葉が出なかった。

 考えることが、だんだんと出来なくなっていく。頭の中が冷え切るわけでもなく、熱くなるわけでもなく、温度を感じない、強いて言えばぬるま湯に包まれるような心地よさを感じた。

「死にたくない、死にたくないよ……」

 頬を何かが伝う感覚。だが温度はもう感じない。刻一刻と、本当の死が迫りくる。

 牧原という男は、ただそれをじっと見ていた。だが、ふと何かを思い出したような顔をすると、ポケットから一枚の写真を取り出した。

 そこに写っていたのは、雪が降り積もった山々を背景にした、私の横顔だった。

「これを持っていれば、あなたはきっと救われる」

 牧原は私の服のポケットにそっとそれを仕舞うと、ずっと泣いている私を床に寝かせた。

「最後に聞いてほしい」

 そう言って、牧原は話し始めた。


「あなたの経歴は私も知っている。簡単にいえば、束縛された退屈な人生だった。ただその中には途轍もない量の怒りと憎しみと悲しみが含まれていて、それを覆い隠すように虚無が広がっている。おそらくこうして実体化したのには、きっとこの下界の素晴らしさに感動して、最後に自由を味わいたいと渇望したからだと、俺は考えてる」

 一拍間を置いて、話を続けた。

「今日は何の日だ。そう、クリスマスイヴだ。サンタさんが、プレゼントを運んでくる。俺がそのサンタだとしたら、亜梨栖、君なら何を頼む?」

 唐突に振られた質問だったが、私は何も考えることなく、半ば勝手に口に出していた。

「何も、縛られ、ない…自由、な、せか、い……に」

 それを聞いて、牧原はにこりと笑った。

「なら、それを与えよう」

 その言葉を聞いた瞬間、私の意識はプツリと消えた。


 目を開けると、そこは先ほどまで横になっていた宿のロビーの床だった。

「あれ……私、何を……」

「メリークリスマス」

 起き上がり横を見ると、そこには牧原がいた。

「どうして、私は生きてるの?」

「いや、もう霧裂亜梨栖は死んだ。ついさっき、完全にね」

「それじゃあ、もうこの世界にはいられないはずじゃ」

「そう。だけど、この世界の裏に入り込むことは出来る。詳しいことは省くが、ここは無数に並行して流れる《下界の時間》の中でも《今現在から人間が突如消えた世界》、つまり建造物やあらゆる自然地形はそのままで、人間が存在しないという世界にいる。ここなら実体化しても誰も文句は言わないし、何も起こらない。人間は絶対に入れない時間の流れだが、俺たちは幽霊だ。だから問題ない」

 理解できない言葉が羅列され、いよいよ頭がパンクしそうになる私に、さらに追い打ちをかけられる。

「俺は、あなたに一目惚れした」

「……え?」

「だから、その…好きだ」

「えっと、あの」

「この世界が崩壊するまで、あと一週間ほどある。その間だけでいい。だから、付き合ってくれないか?」

 頭がまた、真っ白になる。だが、私はその中で、ある一つの文を作り上げた。

 それは単純明快で、本来ならば一瞬で思いつくようなものだった。

「……よろしく、お願いします」




 今年は珍しく、雪が降った。

 だが寒いことには変わりない。私は寒いのが、苦手なのだ。

 しかし、もう寒さを感じることはない。

 私たちは、降り積もった雪の上を、足跡一つ残さずに、軽快に歩いていった。

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