*夢のあと
深夜──ナユタが静かな寝息を立てているであろう寝室を一瞥し、ベリルは窓の外に広がる地の星々を見つめる。
これで良かったのだろうか……と、目を伏せた。
「考えすぎだ」と言われるが、先のない行為を軽く受け止める訳にもいかなかった。
恋愛感情が欠如している己と触れ合う事は、先の希望がまるで無いに等しい。「たった一度きり」だと割り切れるのは女性だけだ。
彼はその記憶を永遠に背負わなければならないのだから。しかし、だからこそかもしれない。
永遠に残るからこそ、女性たちは彼とのいち夜を求めるのかもしれない。
命は、彼の手をすりぬけて落ちていく──その手に留まるのは己の命のみ。自分は人間であると発したそばから、笑いがこみ上がる。
守りたい命、守れなかった命──それを背負い、生き続けていく。
「ベリル……?」
「!」
シーツを体に巻き付けたナユタが、不安そうに近づく。見上げる瞳に笑みを浮かべ、キスを与えた。
「ベリルは悪くないよ」
光の運河に照らされたエメラルドの瞳が、ナユタには愁いを帯びているように見えてチクリと胸を痛める。
朝──ナユタは物音に目を覚ました。
「?」
何やら玄関の方で話し声がする。シーツで体を隠して起き上がると、カタカタと小さな音が聞こえてきた。
ベリルとは違う気配に、慌てて体を隠し壁からそっとのぞき込むと昨日のベルパーソンがワゴンを押してリビングに向かっている。
漂ってくるこの匂いは、食べ物? ルームサービスを頼んでくれたんだ……ナユタは男性が出て行くのを確認して、料理を見にリビングテーブルに歩み寄った。
「おはよう」
「あ、おはよう」
変わらない微笑みに、少しあっけにとられたが挨拶を返す。
「シャワーを浴びてくると良い」
「うん」
この部屋には簡単なキッチンがあって、彼がコーヒーを煎れるために向かうのを横目に見ながらバスルームに向かった。
シーツを床に落とし、シャワーに手をかける。
大理石の壁を見つめながら昨夜の事を考えてニヤついたり慌てたりしたが、先ほどの彼の表情に少し寂しい気持ちにもなった。
まるで、昨日の事は夢か幻だったかのように、何も変わらない表情を見せる。
彼にとっては、そういうものなのかな……きっと沢山の女性に言い寄られて、うんざりしてるのかもしれない。
「うん、仕方ないよね」
ずっと聞き返してくれてたのに、あたしがそれでもいいって言ったんだもん。
「!」
そんな事を考えていると、ドアの向こうから気配がして体を強ばらせた。
その影はすぐに去っていったが、まさか彼が覗くなんてことある訳無いよね……と、ちょっと苦笑い。
バスルームから出て、彼が来た理由が分かった。
「着替え……」
下着から洋服までがキレイに折りたたまれてワゴンに乗せられている。
「あたしが着てた下着よね、これ」
ハッ!? 彼に洗濯させちゃったの!? ナユタは急いで服を着てリビングに向かった。
「あっ、あのっ!」
「さっぱりしたかね?」
いや、そういう問題じゃなくて!
「こっ、これっ……」
「ん? ああ、コインランドリーがあるのでね」
「! そ、そか」
そうよね、全自動洗濯機に放り込んでおけばいいだけだった……ナユタはホッとして、落ち着いた色の本革製ソファに腰を落とす。
目の前には朝らしく、さっぱりとした料理が皿に乗せられて置かれていた。彼の隣にちょこんと座り、じっと見つめるとキスをしてくれて嬉しくなる。
バターブレッドにシーザーサラダ、少量にまとめられたパスタが彩りよく食欲をそそってくれる。
食べ終えて、2人は紅茶を傾けた。
あたしだけ妙な態度とってるのってなんだかズルい……変わらない対応、何も変わらない微笑みに、ナユタは少し不満げに唇を尖らせた。
「辛くはなかったか」
「えっ!? あ、うん」
気にしてくれてるんだ……あたし、昨日が初めてだったから痛い時あったけど、それも気持ちよさに変えられちゃって自分で忘れていた。
あ、考えたらあたし初めての人が外国の人なんだな……次に出会う彼氏に幻滅しちゃったらどうしよう?
きっと、ベリルは凄く上手かったんだと思うのよね。初めてだから他の人のこと分かんなくて、そこの処はいまひとつ計りかねるんだけど……と、ぶつぶつと口の中でつぶやくナユタに、ベリルは首をかしげた。
「ねえベリル」
「なんだ」
「ヘタとか言われたことってある?」
「……? 何がだ」
「え……えと……」
思わず声に出して問いかけてしまったが、改めて訊かれると言い出せない。基準が解らないから聞いてみたいんだけど、訊いて答えてくれるのかな? なんか、答えられても困るような……聞きたくないような気持ちいっぱいなんだけど。
「ナユタ」
「! はい」
ティカップを傾けて視線を合わせる。
「就職についてなのだが」
「!」
「希望の職種があるなら私が紹介しても良い」
「ホント!?」
やった!
「あ、日本でだよね」
「他にあるなら構わんが」
「ないない、日本でいい」
ひと通り希望を話してるけど……メモしなくてもいいのかな? と少し不安になる。
「他には無いか」
「うん、多分。あ、でも思い出すかもしれないから番号教えて」
しまった、不自然だったかな? 我ながら上手いテだと思ったのに……と、無言で見下ろすベリルと視線を合わせた。
「携帯を」
「! はい」
携帯を渡すと、どこかにかけ始めた。
「?」
いぶかしげに眺めていたら、ベリルがバックポケットから携帯端末を取り出し震えている事を確認している。
「! あ……」
携帯が震えてるってコトは!?
「登録名は名前を使うな」
「ありがとう」
返してもらった携帯をさっそく開いて登録する。
「……」
名前どうしよう。
ナユタはベリルを一瞥して『E』と、たったひと文字ボタンを押した。
それからナユタは、限られた時間の中で色んな事をした──膝枕をしてもらったり、手をいじらせてもらったりと2人だけの時間を楽しんだ。
それでも、彼はどこかあたしたちの世界とは違うんだ……と、まざまざと見せつけられるその存在感に息を呑む。
こんなにも強く存在しているのに、どこか儚く消え入りそうな……これが『不死』というものなのかな。
あたしの体を差し出したって、彼の心は癒せない。そんなことでは無いんだと解ってる。
むしろ、そうやって供物のように体を差し出されることは、彼の哀しみを生むだけに過ぎないんだ。
でも、あたしたちはあなたの温もりが欲しい。その優しさに触れたい。そう思うことが罪だとしても……少しでも、あなたに近づきたい。
「忘れない」
「!」
突然、発せられた言葉にベリルが振り向く。
「忘れないから……あたしには、それが幸せだから」
忘れてしまう方があたしは幸せじゃなくなるの。だから、わかって。
「……」
切れ長の瞳を丸くして彼女を見下ろした。
そして、愁いを帯びた微笑みを浮かべ最後のキスを落とす。
今までで最も深く、優しいキス──何度も与えられたハズなのに、その度に頭の奥が痺れて体中から力が抜けていく。
キスくらい、あたしだって知ってる。彼氏がいたコトはあるんだし、キスくらいしてた。
でも……こんなキスは知らない~!
「ふにゃあ~……」
唇を解放され、ヘナヘナとベリルの膝につっぷした。





