*夢の時間
フロントに向かい、
「部屋を頼めるか」
「しばらくお待ち下さい」
「えっ!? ここっ!?」
高級ホテルなんですけど!?
「気にするな」
「ペントハウスが空いてございますが」
「そこで良い」
「ペ、ペントハウス!?」
最上階の部屋じゃない! 一番上って一番高いんじゃないの!?
「景色も素晴らしいですよ」
そう言ってフロントはベルパーソンにルームキーを渡し、2人をエレベータに案内した。いかにも……という真っ赤な絨毯がエレベータまで続く。
ベルパーソンが先に2人を中に促し、操作盤の前に立った。
「お久しぶりです」
最上階までの時間を潰すように、ベルパーソンが声を掛けた。
「大事ないか」
どうやら見知った間柄らしい、笑顔で発した彼にベリルも同じく笑みを返す。
「あなたのおかげで元気です」
顔は前を向いたままだが、その声色からベリルを慕っているのだと解る。
まだ20代だと見受けられるベルパーソンは、それだけ言うと口を閉じ部屋まで案内した。
鍵を開けてルームキーとカードを渡す。
「それでは、ごゆっくり」
ニコリとナユタに微笑み、去っていった。
「あの人は……?」
部屋に入るベリルのあとを追いながら訊ねる。
「10年ほど前に事故に遭遇してね」
「!」
ベリルの目前でその事故は起った。
対向車線の車がスピード超過でハンドルを切り損ね、彼の家族が乗っていた車に激突した──駆け寄って確認したが、運転していた父親と助手席にいた母親はすでに息はなく。
唯一、後部座席にいた彼だけはなんとか助ける事が出来た。しかし、心の傷は深く……誰にも心を開かなかった。
ベリルは彼をしばらく引き取り、少しずつその心を解きほぐしたのだ。
「関わってしまった以上、素知らぬ振りは出来ん」
「そうなんだ」
凄いな……素直にそう思った。
ベリルは彼を戦場に連れて行く事も、武器にも触れさせなかった。日本という環境において、それには意味が無いからだ。
彼を引き取っている間、ベリルは日本にある家で過ごした。
このホテルは、それ以前からベリルとは“ほどよい関係”を続けていて、紹介した彼を快く雇ってくれたという訳である。
「……スゴイ」
最上階の部屋はとても広く、窓から一望できる都心にナユタは感嘆の声を上げた。
それを一瞥し、渡されたカードを液晶テレビの後ろにある溝に差し込んでリモコンを手にした。
50インチの液晶テレビにニュース番組が流れる。初めて見る大きさに、ナユタは目を丸くして立ったまま見入る。
「! あ……」
しばらくして、紅茶の入ったポットとティカップがリビングテーブルに置かれた。
「……」
腰をかけたベリルが眉をひそめる。
「……? ハッ!?」
あたしってば、なにイキナリ隣に座ってんの!?
「ごめんなさいっ」
自然な流れでベリルの隣に腰掛けていた自分に慌てた。
「構わん」
落ち着いた処で、上品な作りのポットからティカップに紅茶を注ぐ。
ストロベリーの香りがリビングに充満し、ナユタは目を閉じてその香りを全身で感じた。フレーバーティを口に含むと、程よい甘さと少しのシナモンが鼻を刺激する。
「はぁ……」
今までの緊張が嘘のように消えていき、小さく溜息を吐いて視界全体でテレビ画面を捉えた。
何も言わずに隣にいる彼の温もりが伝わってくるようで、その安心感に浸る。
住んでる世界があまりにも違いすぎる。だから、ベリルはあたしのために距離を出来るだけ置いてたのが解るんだ。
あの時──「全ての接触をなかった事にしろ」と電話で言われた時に見たあなたの姿で、乗り越えてはいけない壁があるんだと解った。
それでも忘れられなくて、忘れたくなくて……携帯のメールは残したままにした。今でもそれは、あたしの携帯に大切に仕舞われている。
時々、読み返しては泣いた。忘れてしまえば楽なのは解っているけど、忘れたくない。と、さらに心に刻み込む。
忘れることだけが幸せなんかじゃない。
「ナユタ」
「!? は、はい」
突然、呼ばれて声がうわずる。
「お前とは相容れない」
「うん……解ってる」
きっと、そう言うと思ってた。
「何を望む」
静かに発し、絡め取られた視線は心の奥深くまで入り込んでくるようで、恐怖と快感の入り交じった感情が湧き上がる。
何もかもを見透かされそうな……それでいて、全てを包み込むような。
ナユタは無意識に抱きついていた。
「……」
しかしすぐ、怪訝な表情を浮かべてベリルを見上げる。
「! ああ……」
その顔に眉をひそめたが、気がついて前開きのシャツの中を探りショルダーホルスターを外してテーブルに乗せた。
ちょっとそれに驚いたナユタだが、気を取り直して再び抱きつく。
頭を優しくなでられている感覚に酔い、数分間の温もりのあとナユタは顔を上げて目を閉じた。
何を求めているのかは解っているが、そうすんなりと聞いてやる訳にはいかない。彼女の頬に手を添えて、唇に触れるだけのキス。
すると、ナユタは目を開けて不満げに見つめてきた。
2度目は少し深く。3度目はさらに──頭の奥が痺れるような感覚に、めまいを覚える。深く絡みつくキスは全身を刺激し、脱力感が襲ってくる。
唇が解放され、ベリルの胸に倒れ込むように顔を埋めた。キスなら何度も経験しているけれど、こんなに気持ちの良くなるキスは初めてだ。
キスだけで終わるのは嫌だな。
「……」
しまった、加減すれば良かったか……ベリルは、じっと見つめるナユタの視線に顔をしかめた。
次に彼女の口から紡がれる言葉は何か想像がつく。
「子どもは相手にしない」
「! 子どもじゃないです」
牽制したが無駄に終わった。
どう言えば諦めてくれるかをまた考える──
「ここ(ソファ)ではな」
「! 寝室? あっち?」
立ち上がったナユタに目を据わらせた。
どうしてこういう時だけ大胆になる、もう少し躊躇ったらどうなのだ。
さすがに自分から寝室には行かないだろうと考えていたベリルの予想を、ナユタはモロくも打ち砕いた。
どいつもこいつも……深い溜息を吐いて頭を抱えるベリルを見て、ナユタは足早に寝室を目指す。
折角アユタがくれたチャンスを逃がしちゃだめ! と意気込むが、果たして小学生の弟がここまで考慮していたかどうかは疑問である。
再び溜息を吐きつつ立ち上がる彼を待つ。
「もう一度訊くが……」
「訊かなくてもいいよ」
スッパリと斬り捨てると、ベリルの瞳がにわかに憂いを表した。
「ごめんね……」
小さくつぶやく。
あたしのために言ってくれてるのは解ってる……だけど、信頼できる人が初めての方がいい。そう思えるの。
一回、深呼吸してドアを開く。
ダブルベッドが目に入り、心臓がドキンと高鳴った。暗い部屋に踏み入り、ナイトテーブルの照明をオンにする。
琥珀色の間接照明がベッドを照らし、とても神秘的に見えた。
そして、まだ入り口付近にいるベリルに視線を送る。彼は三度溜息を吐き出し、意気揚々とベッドに寝転がったナユタを見下ろした。
降りてくるエメラルドの双眸は美しく透明で、全てを見透かしているように輝いていた。
言わなくても、その目は最終確認を問いかけているのだと解る。「気持ちは揺るがない」と示すように、彼の首に腕を巻き付けてキスをした。
そして意識はスパークする──





