さて、ずっと好きだった幼馴染から「お見合い用の肖像画を描いてほしい」と頼まれてしまったわけですが……
約6千字。自分にしては珍しく真っ当な恋愛系
「頼みがある。僕の肖像画を描いてくれないか」
幼なじみの伯爵令息が、そんなことを言い出した。
私は昔から絵を描くのが得意だ。貴族の令嬢としては少々変わった趣味だけれど、幸い家族も理解してくれている。
彼もその一人だった。
幼い頃から何度も私の絵のモデルになってくれたし、出来上がった絵を褒めてくれることも多かった。もっとも、子供の頃はじっと座っていられず、何度も描き直す羽目になったものだが。
だから、今回の依頼も喜んで引き受けるつもりだった。
「いいわよ。何に使うの?」
「……見合いだ」
「お見合い?」
「ああ。だから、できるだけ感じよく描いてほしい」
少し照れたように笑う彼を見て、私はようやく気づいた。
そうか。この人も、そろそろ結婚するのか。
伯爵家の跡取りなのだから、むしろ遅いくらいだ。考えてみれば、私たちもそんな年齢になっていたのである。
「任せて。どんなご令嬢でも気に入るような、立派な肖像画にしてあげる」
そう答えると、彼はなぜか微妙な顔をした。
「それと、ひとつだけ注文があるんだが」
「何かしら?」
「僕を画面の真ん中ではなく、左端に寄せて描いてほしい」
「左端? ずいぶん変わった構図ね」
「理由は……完成してから話す」
ふうん。
まあ、依頼主の希望なら仕方がない。
もしかすると、縁談がまとまったあと、空いた場所にお相手の令嬢を描き足すつもりなのかもしれない。
それはそれで素敵だ。一人の肖像画が、やがて夫婦の肖像画になるなんて。
私は少し感心しながら、早速構図を考え始めた。
* * *
肖像画の制作は順調に進んだ。
彼は昔から、モデルとしては優秀だった。長時間座っていても文句を言わないし、私が姿勢を変えてほしいと言えば素直に従ってくれる。幼い頃に比べれば、ずいぶん辛抱強くなったものだ。
それに、何より描きやすい。
笑いをこらえるとき、わずかに口元を引き結ぶこと。照れると無意識に視線をそらすこと。真面目な顔をしていても、目元には柔らかさが残ること。
私は全部知っていた。
昔から何度も描いてきた顔なのだから、当然といえば当然だ。けれど、改めて肖像画にしてみると、彼もなかなか立派な青年になったものだと思う。
少し癪ではあるが、きっと令嬢たちにも人気があるだろう。
「そろそろ休憩にしないか」
ある日、彼がそう言った。
「疲れた?」
「いや。君がずいぶん集中しているようだから」
言われてみれば、用意されていたお茶はすっかり冷めていた。私が絵を描き始めると時間を忘れるのを、彼はよく知っている。
ありがたく休憩することにして、二人でお茶を飲んだ。
これも昔から何度となく繰り返してきたことだ。私が絵に夢中になり、彼が適当なところで声をかける。休憩中には他愛のない話をして、また絵を描き始める。
いつもと同じ、気楽な時間。
ただ、この日は少しだけ違った。
この人は、きっとよい夫になるのだろう。
奥方が何かに夢中になっていれば、今のように頃合いを見て声をかけるに違いない。疲れていれば休ませてくれるだろうし、好きなことにも理解を示してくれるだろう。
何しろ、幼なじみの私にさえ、こんなに親切なのだから。
……なんだか、腹が立ってきた。
この人の魅力を、どうして私が見知らぬ令嬢に教えてやらなければならないのだろう。
しかも、絵は我ながら素晴らしい出来になりつつあった。
凛々しさの中に柔らかさを残した表情など、会心の仕上がりだ。これなら、よほど好みが合わない令嬢でもなければ、悪い印象は持つまい。
そう思うたび、ますます気が滅入った。
別に、彼の結婚を邪魔したいわけではない。幸せになってほしいと心から思っている。
けれど、今まで当たり前のように一緒にいた相手が、突然遠くへ行ってしまうような気がした。
彼が結婚したら、今のように二人きりで過ごすことも減るだろう。新しい奥方を差し置いて、幼なじみの私がいつまでも彼を独占するわけにはいかない。
それは仕方のないことだ。
わかっている。
わかっているのに、どうしても寂しかった。
* * *
その日以来、肖像画の右側に残された空白が、妙に気になるようになった。
最初は洒落た趣向だと思っていたのに、今では見るたびに胸が痛む。
いずれ、ここに誰かが描き足される。
美しく着飾った令嬢だろうか。優しそうな人だといい。彼と気が合う人なら、もっといい。
きっと、彼はその人にも今のように笑いかけるのだろう。
そうして二人でお茶を飲み、他愛のない話をして、時には喧嘩もする。やがて子供が生まれ、家族が増えて、年を取っていく。
そんな未来を思い描いているうちに、ふと思ってしまった。
(私じゃ……いけないのかな)
彼の好きな食べ物も、苦手な社交の席も知っている。退屈すると少しだけ眉間に皺が寄ることも、嬉しいことがあると子供のように笑うことも。
彼の隣に座って、他愛のない話をしながら年を取っていく。
そんな暮らしなら、きっと楽しい。
……ああ。
どうして今まで、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
私は、彼が好きなのだ。
ずっと昔から。
あまりにも近くにいたせいで、気づかなかっただけなのだろう。彼が誰かのものになると知って初めて、その隣を誰にも譲りたくなかったのだとわかった。
なんて間抜けな話だろう。
しかも、よりによって彼の縁談を助ける肖像画を、あんなに張り切って引き受けてしまった。
でも、今さら後悔してももう遅い。
まさかここまで来て依頼を反故にするなどできるはずもなく。
結果、筆を進める私の心には、嫉妬と悲哀と寂寥ばかりが積み重なっていった。
彼の表情を美しく描けば描くほど、この人を誰かに渡したくないと思ってしまう。
けれど困ったことに、だからといって、手を抜いてわざと下手に描くこともできなかった。
だって、彼なのだ。
幼い頃からずっと一緒にいて、誰よりもよく知っている、大好きな彼なのだ。
その姿を美しく残したいと思うのは、絵描きとして当然ではないか。
とうとう、画布の前で涙がこぼれそうになった。
幸い、そのとき彼は休憩のために席を外していた。私は慌てて目元を拭い、筆を握り直した。
「……がんばろ」
せめて、この絵だけは立派に仕上げよう。
彼の幸せを願う気持ちだって、嘘ではないのだから。
* * *
そして、肖像画が完成した。
出来栄えは上々だった。
最初の注文どおり、彼を左側に寄せた少し変わった構図ではあるものの、そのぶん余裕のある、落ち着いた印象に仕上がっている。
出来上がった絵を前に、彼はしばらく言葉を失っていた。
「……驚いたな。僕がこんな立派な男に見えるとは」
「実物より少しよく描いてあげたのよ」
「それはなんともありがたい話だな」
彼は笑った。
いつもの、私が大好きな笑顔だった。
「ありがとう。本当に、君に頼んでよかった」
その言葉を聞いて、私は胸を締めつけられた。
これで終わりなのだ。
完成した絵は、やがて見知らぬ令嬢のもとへ送られる。お見合いがうまくいけば、二人は結婚するだろう。
そして私は、幼なじみとして二人を祝福することになる。
彼の幸せを願っている。そう思う気持ちは、今も変わらない。
けれど、その幸せの隣に私がいないのは、どうしても嫌だった。
――今ならばまだ、間に合うだろうか。
閉じ込めていたはずの想いが急激にあふれ出してくる。
そうとも。
たとえ断られたとしても、何も言わずに彼を送り出すよりは、ずっといい。
「……ねえ」
気づけば、声をかけていた。
「ん? どうした?」
「ひとつ、お願いがあるの」
彼が不思議そうにこちらを見る。
私は、肖像画の右側を指さした。
「ここに描き足す人…………私じゃ、ダメかな?」
「え?」
「……もちろん、“ただの友達として”じゃなくて」
言ってしまった。
一世一代の大告白。
顔が熱い。きっと、耳まで真っ赤になっている。
それでも、目をそらすわけにはいかなかった。ここで逃げたら、一生後悔する気がしたからだ。
彼は目を見開いたまま、しばらく動かなかった。
やがて、何かを確かめるように肖像画へ視線を戻した。
私は心臓をバクバクさせながら、神に祈るような気持ちで彼の言葉を待った。
そして、返ってきたのは。
「……それはダメだ」
その一言で、目の前が真っ暗になった。
ああ、やっぱり。
心のどこかで覚悟はしていたつもりだった。それでも、こうしてはっきり断られると、胸が張り裂けそうだった。
「……ごめんなさい。変なことを言って」
なんとか笑おうとした。
けれど、うまくいかない。
彼の幸せを願うなら、ここは笑って引き下がるべきなのだろう。そんなことはわかっているのに、目の奥が熱くなってしまう。
俯いた私を見て、彼が慌てて何かを言いかけた。
「い、いや、ちょっと待ってくれ。違うんだ。そういう意味ではなく……!」
「?」
そういう意味ではない?
とすると、いったいどういう意味だろう?
私としては、これ以上何を言われても傷つくだけなのだけれど。
そう思っていると、彼は口をつぐみ、何やら考え込んでしまった。
そして続きの言葉を述べることもなく、部屋の隅に置いていた大きな包みへ向かうと、それをほどきはじめた。
そういえば、今日は来たときから妙な荷物を抱えていた気がする。
「少し前から今日が完成日だと聞いていたので、予め用意してきたんだ」
布の下から現れたのは、一枚の肖像画だった。
若い女性が椅子に腰かけ、少し首を傾けて笑っている。絵そのものとしては特に違和感もなく、なにか問題があるわけではない。
気になったのは、二点。
一つは、その人物はなぜか画面の右端に寄せられており、不自然な構図である点。
そしてもう一つは、その女性の顔がどこかで見た顔である点。
いや、どこかで見たどころではない。
だって絵の中で笑っているのは、どう見ても――。
「……私?」
その瞬間、彼は気恥ずかしそうに目線を逸らした。
「ど、どういうこと?」
そう答えを求めて尋ねると、彼はおもむろに先ほど私が完成させた彼の肖像画に近づいた。
そして手に持った私の肖像画を、そっと並べる。
すると――。
「あ」
二枚の絵を通して、私たちが隣り合う。
……違う。そうじゃない。
その二つの肖像画は、画風こそ違うけれど、まるで初めから一組の絵だったかのように自然に収まっていた。
「これって……」
思わず見入ってしまった私に、彼がおずおずと声をかけた。
「……どうかな。隣り合わせると、意外にしっくりくると思わないか?」
その妙にもったいぶった言い方に、私は思わず彼の顔を見た。
すると彼は、ますます気まずそうな顔になった。
……まさか。
「もしかして、最初からこうするつもりだったの?」
「……うん」
それから彼は、ようやく今回の件についての詳細を語り始めた。
なんと、彼はもともと私の肖像画が完成したら、お礼として自分の描いた絵を渡し、偶然を装って二枚を並べるつもりだったらしい。
そうして「二人で並ぶとお似合いだ」などと話を持ちかけ、そのまま結婚を申し込もうと考えていたのだという。
「え。じゃあ、お見合いは?」
「……実は、そんな話は最初からないんだ」
「ええっ!?」
「その、なんていうか、そんな理由でもないと自然に肖像画を依頼する流れが思いつかなくて……」
正直、唖然としてしまった。
まさかそんな経緯だったとは。
「あなたねぇ……」
「ごめん。本当にすまないと思っている」
平謝りする彼を前に、私はすっかり呆れてしまった。
あんなに悲しい思いをしたのに。
見知らぬ令嬢に彼を取られると思って、何度も泣きそうになったのに。
それが全部、彼のついた嘘によるものだったなんて。
文句のひとつも言ってやろうと思ったけれど、目の前に並んだ二枚の絵を見ていると、どうにも怒る気になれなかった。
まったく、ずるい人である。
そもそも彼は、私が肖像画を描いている間、せっせと私の絵を描いていたわけだ。それも、私との結婚を夢見ながら。
つまり、なんてことはない。
私と彼は、はじめから両想いだったのだ。
「でも、それにしたってちょっと回りくどすぎじゃない? もう少し、普通に告白しようとは考えなかったの?」
「それができたら、こんな苦労はしていないよ。……もっとも、君が見合い用の肖像画をあんなにすんなり引き受けたときは、どうしようかと思ったけれど」
そう言いつつ、彼は少し照れくさそうに笑った。
聞けば、当初は依頼の際、私がもっと嫌がるものと期待していたらしい。自分に気があるなら、きっと少なからず渋るだろうと。
なのに、私が思いのほか張り切って引き受けるものだから、「もしや僕は彼女から何とも思われていないのでは?」と内心で少し焦っていたそうな。
が、私からすればそんなの知ったことではない。すべては彼の自業自得である。
もっとも、今となっては今回の出来事があったからこそ、私は自分の気持ちに気づけたわけだから、ある意味で結果オーライかもしれないけど。
などと考えていると、彼が控えめに呟いた。
「……それでその、さっきの話なんだけど」
「さっき?」
……ああ、アレか。
そういえばこれまた冷静に思い返せば、言い回しこそ直接ではなかったにしろ、すでに私は彼に想いを伝えている。
どうやら、彼はそのことについてなにやら確認したそうにしているが……。
「なによ。まさかこの期に及んで、また私から言わせる気?」
「い、いや、違う! もちろんそんなつもりはないよ!」
慌てて否定した彼は、ひとつ咳払いをすると、改めて姿勢を正した。
その様子に、私も少し緊張してしまう。
彼はそっと私の手を取ると、まっすぐに目を見つめてきた。
「率直に言う。僕は君が好きだ。幼い頃からずっと、君のことが好きだった」
その言葉に、胸が熱くなる。
長い付き合いなのに、こんなふうに見つめられたことはなかった。
「これから先も、ずっと君の隣にいたい。どうか、僕と結婚してほしい」
私は彼の手を握り返した。
「……はい。喜んで」
その瞬間、彼の顔がぱっと明るくなった。
あまりにも嬉しそうな笑顔。
それはこれまで私が見てきた彼の笑顔の中でも、一番と言っていいものだった。
「ふふ。今の顔、肖像画に描きたかったわ」
「勘弁してくれ。あれでも精いっぱい格好をつけていたんだ」
「うん。知ってる」
何しろ、私が描いたのだから。
それからしばらくして、私たちは結婚した。
なお、結婚式では古くからの友人たちに散々からかわれた。
祝福の言葉よりも「やっとなのね!」という声の方が多かったくらいだ。中には「いつになったらくっつくのかと、いい加減イライラしてきてたくらいだわ」などと言う友人までいて、私たちは顔を見合わせるしかなかった。
……どうやら私たちの知らないところで、周囲はずっとやきもきしていたらしい。
そして、そんな私たちが住む伯爵家の玄関には今、二枚の絵がぴったりと寄り添うように飾られている。
その二枚とは言わずもがな、私と夫が互いに描いたそれぞれの肖像画だ。
ちなみに、夫の絵はお世辞にも上手とは言えなかった。
なにせ絵を描くのが好きな私と違い、夫はもともと美術方面についてはからっきし。出来栄えを比べてみれば、少々不格好なのは否めないだろう。
……けど、それでも。
もしもこの先誰かに、「あなたにとって世界で一番お気に入りの絵はどれですか?」と聞かれたら。
私は迷わず、こう答えるだろう。
「夫と二人で描いた、あの絵です」
――と。
最後までお読みいただきありがとうございました。もしよければ、↓の☆評価をもらえると嬉しいです!




