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世界を繋ぐ星巫女

作者: ケイ
掲載日:2026/05/10

〜〜〜 


この世界には、“星脈”と呼ばれる巨大な魔力の流れが存在する。


 大地を巡り。


 海を循環し。


 空に季節を運ぶ、世界そのものの血流。


 もし星脈が止まれば、春は訪れず、海は腐り、空は砕ける。


 だから人々は、代々《星巫女》を捧げてきた。


 星脈を制御し、世界を繋ぎ止めるための生贄を。


 ――もっとも。


 そんなこと、俺が知ったのはずっと後の話だ。


「アレン! 見て見て!」


 春の丘。


 桜の木の下で、少女が笑っていた。


 風に揺れる栗色の髪。


 花びらを両手いっぱいに集めながら、彼女は子どもみたいにはしゃぐ。


「桜の匂いって好き!」


「匂いなんかあるか?」


「あるもん!」


「いや絶対気のせいだろ」


「もー! アレンってほんと情緒ない!」


 そう言って頬を膨らませる。


 でも次の瞬間には、また笑う。


 ころころ表情が変わるやつだった。


 アリシアという。


 村でも有名なお人好しで。


 困ってる人を見つけたら放っておけなくて。


 雨の日には捨て猫を拾い。


 冬には凍えた子どもへ自分のマフラーを巻くような。


 どうしようもなく優しい少女だった。


 だからきっと。


 世界は、そんな彼女を選んでしまった。


〜〜〜


 アリシアはよく笑う子だった。


 花を見ればしゃがみ込み、猫を見れば追いかけ、俺が剣術の訓練で負ければ腹を抱えて笑った。


「アレンって、本当に才能ないよね!」


「うるさい!」


「でも、頑張ってるから好き!」


 そんなことを、平気で言うやつだった。


 ――それが今。


 王城最奥、“星祈りの間”。


 巨大な魔法陣の中心に座る彼女は、まるで別人だった。


 白銀の髪。


 透き通るような肌。


 閉じられた瞳。


 感情の消えた顔。


 世界中の魔力循環を制御する存在。


 《星巫女》。


 それが、今のアリシアだった。


「本日の接続率、安定しています」


 神官が安堵した声を漏らす。


「さすがは星巫女様だ」

「これで今年も冬を越せる」


 周囲は称賛する。


 誰も疑問に思わない。


 十六歳の少女が、人間をやめさせられていることを。


「……アリシア」


 俺が名前を呼ぶ。


 ゆっくりと、彼女の瞳がこちらを向いた。


「どちら様でしょうか」


 胸が、軋んだ。


 昔の彼女なら、ありえない言葉だった。


「俺だよ。アレンだ」


「アレン……」


 彼女はその名前を口の中で転がす。


 まるで知らない単語を確認するみたいに。


「重要記録に存在しています。幼少期に交流のあった人物ですね」


 記録。


 交流。


 まるで書類だ。


 あの頃、一緒に泥だらけになって遊んだ記憶が、そんな言葉に変わってしまった。


「……お前、それでいいのかよ」


「世界維持のため、必要な処置です」


「そういう話じゃない!」


 思わず声を荒げた。


 神官たちが眉をひそめる。


「無礼だぞ」

「星巫女様に向かって」


 違う。


 違うだろ。


 なんで誰も怒らない。


 なんで誰も、こんなのおかしいって言わない。


「感情同期率を下げなければ、星脈制御に乱れが発生します」


 アリシアは淡々と続ける。


「個人感情は、世界維持の阻害要因です」


「だから消したっていうのか……?」


「はい」


 あまりにも静かな肯定だった。


 そこで俺は気づく。


 ああ。


 本当に、失ってしまったんだ、と。


 怒りも。


 悲しみも。


 好きだったものも。


 全部。


「……アレン様」


 神官長が前に出る。


「星巫女様は世界そのものです。個人として扱うのはおやめください」


「世界そのもの?」


 笑ってしまった。


 乾いた笑いだった。


「ただの女の子だろうが……!」


 空気が凍る。


 神官たちが息を呑む。


 まるで禁句を口にしたように。


 でも、構うか。


「こいつは世界なんかじゃない」

「花が好きで、甘い菓子が好きで、雷が怖くて……」

「泣いて、笑って、怒る、ただの女の子だ!」


 叫ぶたびに、胸が痛んだ。


 だって、その“ただの女の子”は、もうどこにもいない。


 神官長が冷たく言う。


「世界を守るためには必要な犠牲です」


「犠牲?」


 頭の中で、何かが切れた。


「じゃあお前がなれよ」


「……何?」


「そんなに尊いなら、お前が人間やめろよ!」


 怒号が響く。


 兵士たちが動く。


 でも、その瞬間だった。


「――待機してください」


 アリシアが言った。


 兵士が止まる。


 彼女はゆっくり立ち上がり、こちらへ歩いてくる。


 白い足。


 感情のない瞳。


 でも。


 俺の前まで来た彼女は、ほんの少しだけ首を傾げた。


「……不思議です」


「え?」


「あなたを見ると、胸部に異常な負荷が発生します」


 心臓が止まりそうになった。


「桜の映像記録を閲覧した時と、似ています」


 桜。


 昔、一緒に見た。


 村の丘で。


 春になるたび、彼女がはしゃいでいた。


『来年もまた見ようね!』


 その記憶が、喉を締め付ける。


 アリシアは胸に手を当て、小さく呟いた。


「……なぜでしょう」


 感情の消えたはずの顔。


 その瞳から。


 一粒だけ。


 涙が落ちた。


 神官たちがどよめく。


「ありえない……!」

「感情反応だと……!?」


 俺は彼女の手を掴んだ。


 冷たい。


 機械みたいに冷たい。


 それでも。


「帰ろう、アリシア」


「帰る……?」


「世界なんか知らねえ」

「お前が泣けなくなるくらいなら、そんなもん壊れていい」


 世界がざわめく。


 神官たちが青ざめる。


 だが構わない。


 彼女を道具扱いする世界なんて、知ったことか。


 アリシアは長い沈黙のあと。


 本当に、本当に微かに。


 笑った。


 ぎこちなく。


 壊れかけたみたいな笑顔で。


「……はい」


 その瞬間。


 星を繋ぐ魔法陣に、亀裂が走った。


星を繋ぐ魔法陣に亀裂が走った瞬間。


 王城全体が激しく揺れた。


 天井から砂埃が降り、神官たちが悲鳴を上げる。


「星脈が乱れている!?」

「まずい、このままでは結界が――!」


 怒号が飛び交う。


 だが、俺はアリシアの手を離さなかった。


 彼女もまた、俺の手を見つめていた。


 まるで。


 ずっと昔の記憶を探るみたいに。


「……温かい」


 ぽつりと、彼女が呟く。


 その声は、初めて“人間”のものに聞こえた。


「覚えてるか」


「……何を、でしょう」


「昔、お前。冬になるといつも手が冷たかった」


 脳裏に、幼い頃の景色が蘇る。


 雪の日。


 村の外れ。


 真っ赤になった鼻をすすりながら、アリシアは震えていた。


『寒いぃ……』


『だったら手袋しろよ』


『なくした!』


『またかよ!?』


 呆れながら、俺は自分の手を彼女に押しつけた。


 すると彼女は目を丸くして。


『わ、あったかい』


 次の瞬間には、にへらっと笑った。


『じゃあアレン、ずっとこのままでいて!』


『嫌だよ!』


『ケチー!』


 どうでもいい。


 本当にどうでもいい記憶だ。


 でも。


 俺にとっては宝物だった。


 アリシアは微かに眉を寄せる。


「……記録に、ありません」


「当たり前だろ」

「そんなもん、記録するようなことじゃねえ」


 すると。


 彼女の瞳が小さく揺れた。


「…………あ」


 まるでノイズ混じりの機械みたいに。


 不安定に。


「雪……」


 俺は息を呑む。


「白い、丘……」

「冷たい手……」


 思い出している。


 欠けた記憶の底から。


 必死に。


「アリシア!」


「頭部に異常負荷を確認」

「星脈接続率、低下――」


 彼女が苦しそうに額を押さえる。


 神官長が叫んだ。


「危険です! これ以上感情を刺激するな!」

「星巫女様の人格が戻れば、世界維持機構が崩壊する!」


「だからなんだ!」


 俺は怒鳴り返す。


「そんなもんのために、こいつが死んでいい理由になるか!」


「数億の命が失われるのですよ!?」


「だったら他の方法探せよ!!」


 沈黙。


 神官たちは言葉を失った。


 誰も探さなかったのだ。


 最初から。


 少女一人を犠牲にする以外の道を。


 その時だった。


 アリシアが、小さく笑った。


 本当に微かに。


 昔みたいに。


「……アレンって」

「昔から、怒ってばっかり」


 俺の目が見開かれる。


「思い出したのか……!?」


「少し、だけ」


 彼女は自分の胸に触れる。


「ここが、痛いんです」


 その言葉に、泣きそうになる。


 だって。


 その痛みこそ、人間の証だったから。


「ねえ、アレン」


「……なんだ」


「私、昔。世界を守りたいって、本当に思ってたんですよ」


 静かな声だった。


「みんなが笑ってるの、好きだったから」


 それは、アリシアらしい理由だった。


 昔から彼女はそうだった。


 困ってる人を放っておけない。


 誰かが泣いてたら、自分まで泣くような子だった。


 だから、巫女に選ばれた。


 優しすぎたから。


「でも……」


 アリシアは空を見上げる。


 巨大な魔法陣の光が、彼女の白銀の髪を照らしていた。


「怖かった」


 その一言で。


 胸が締め付けられた。


「忘れていくのが」

「好きだったものが、わからなくなるのが」

「アレンの顔を見ても、何も感じなくなるのが……」


 声が震える。


 感情を失ったはずの少女が。


 今、泣きそうになっていた。


「なのに、誰も」

「大丈夫って、言ってくれなかった」


 神官たちが目を伏せる。


 誰も何も言えない。


 当然だ。


 彼女を、“世界を維持する装置”としてしか見てこなかったのだから。


 俺は、彼女の手を強く握った。


「もういい」


「……え?」


「世界なんか背負わなくていい」

「怖かったなら、逃げてよかったんだ」


 アリシアの瞳から、涙が零れる。


「でも、世界が……」


「知らねえよ」


 即答だった。


「俺は、お前が笑ってるほうが大事だ」


 魔法陣の亀裂が広がる。


 光が暴走し始める。


 警報の鐘が鳴り響く。


 世界が壊れ始めている。


 でも。


 その混乱の中で。


 アリシアだけが、昔みたいに泣いていた。


 子どもみたいに。


 ぼろぼろ泣きながら。


「……っ、わたし」

「まだ、桜を見たい……!」


 その願いは。


 世界を維持する神の言葉ではなく。


 ただの、一人の女の子の願いだった。


 崩壊の音が響いていた。


 王城の壁が軋み。


 空には無数の亀裂が走り。


 星の光そのものが、不安定に明滅している。


 神官たちは蒼白になっていた。


「星脈が限界です!」

「このままでは世界結界が完全崩壊します!」

「海が溢れるぞ……!」


 誰かが絶望した声を漏らした。


 大地の裂け目の向こう。


 夜空そのものが崩れ始めている。


 世界が、死にかけていた。


 その中心で。


 アリシアは静かに空を見上げていた。


 涙の跡を残したまま。


 けれど、その横顔はどこか穏やかだった。


「……やっぱり」


 小さく呟く。


「世界、壊れちゃいますね」


「だったら!」


 俺は彼女の肩を掴む。


「もうやめろ!」

「こんな世界、滅びればいいだろ!」


 本気だった。


 世界より。


 彼女のほうが大事だった。


 でも。


 アリシアは困ったように笑った。


 昔みたいな。


 優しい笑顔だった。


「アレンは、昔から極端です」


「うるさい……!」


「覚えてますか?」


 彼女は懐かしそうに目を細める。


「村の子たちが川で溺れた時」

「アレン、一人で飛び込んだんですよ」


 そんな昔の話。


 忘れていた。


『危ない!』


 子どもたちの悲鳴。


 濁流。


 考えるより先に身体が動いていた。


 結局、俺も流されかけて。


 岸に上がったあと、アリシアに泣きながら怒られた。


『馬鹿ぁっ!!』

『死んだらどうするの!?』


 あの時。


 彼女は本気で泣いていた。


 俺のために。


「アレンは、誰かを見捨てられない人です」


「……違う」


「違いません」


 彼女はそっと俺の頬に触れる。


 冷たかった手が。


 少しだけ温かくなっていた。


「だから、私は」

「そんなあなたが、好きでした」


 胸が止まりそうになる。


 ずっと。


 ずっと聞きたかった言葉だった。


 なのに。


 どうして今なんだ。


「……嫌だ」


 喉から漏れた声は、情けないほど震えていた。


「行くなよ……」


 アリシアは悲しそうに笑う。


「本当は、私も行きたくないです」


 その一言が。


 刃みたいに胸へ刺さる。


「もっと、桜を見たかった」

「もっと、色んな場所に行きたかった」

「アレンと……もっと、一緒にいたかった」


 涙が零れる。


 彼女も。


 俺も。


 止められなかった。


「じゃあ!」


 叫ぶ。


「だったら生きろよ!」

「世界なんか放って逃げればいいだろ!」


「それができたら、よかったですね」


 アリシアは空を見上げた。


 崩れゆく星空。


 泣き叫ぶ人々。


 遠くで燃え始めた街。


 その全てを見つめながら。


 彼女は、静かに言った。


「……でも」


「私は、この世界が好きなんです」


 優しい声だった。


「春の匂いも」

「夏の海も」

「秋の風も」

「冬の雪も」


 一つ一つ。


 愛おしむように。


「泣いてる人も」

「笑ってる人も」

「馬鹿みたいに喧嘩してる人たちも」


 そして最後に。


 彼女は俺を見た。


「あなたが生きてる、この世界が好き」


 世界が軋む。


 限界だった。


 彼女の身体が淡く光り始める。


 星巫女としての力が、再接続を始めていた。


「やめろ……」

「頼むから……」


 手を掴む。


 離さないように。


 でも。


 指先から少しずつ、彼女が光になっていく。


「アレン」


 最後に。


 彼女は、あの日みたいに笑った。


 桜の丘で。


 無邪気に笑っていた頃みたいに。


「私が愛した世界を、愛してください」


「――っ」


「だから」

「生きて」


 その瞬間。


 光が、世界を包み込んだ。


 暴走していた星脈が止まる。


 空の亀裂が閉じていく。


 崩壊が、静かに止まっていく。


 代わりに。


 俺の手の中から。


 アリシアが消えた。


 まるで最初から存在しなかったみたいに。


 何も残さず。


「……アリシア?」


 返事はない。


 冷たい風だけが吹く。


 遠くで。


 春の花びらが舞っていた。


 その日から。


 世界は救われた。


 人々は星巫女を讃えた。


 世界を守った聖女として。


 永遠に語り継いだ。


 でも。


 誰も知らない。


 彼女が、本当は泣き虫で。


 甘い菓子が好きで。


 冬になると手が冷たくて。


 桜を見るたび、子どもみたいにはしゃぐ。


 ただの女の子だったことを。


 だから俺は。


 春になるたび、丘へ行く。


 桜の木の下で、一人空を見上げる。


 そして。


 風に向かって、呟くのだ。


「……ちゃんと愛してるよ」


 お前が愛した、この世界を。



それから十年が経った。


 世界は、何事もなかったみたいに回り続けている。


 春になれば花が咲き。


 夏には子どもたちが川ではしゃぎ。


 秋になれば実りを祝い。


 冬には雪を眺めて恋人たちが寄り添う。


 誰もが日常を生きていた。


 まるで。


 一人の少女が消えたことなど、最初から存在しなかったみたいに。


 星巫女の名は歴史に残った。


 教科書にはこう書かれている。


『世界崩壊を防ぐため、自らを星へ還した聖女』


 美談だった。


 綺麗すぎるほどに。


 けれど、その文章を読むたびに俺は思う。


 違う。


 あいつはそんな立派な存在じゃない。


 ただ。


 優しすぎただけだ。


 困ってる人を放っておけなくて。


 泣いてる誰かを見ると、自分まで泣いてしまうような。


 そんな、普通の女の子だった。


 春風が吹く。


 桜が舞う。


 俺は今年も、あの丘へ来ていた。


 十年前。


 アリシアと一緒に桜を見た場所。


『来年もまた来ようね!』


 あの日の声は、今でも忘れられない。


 俺は木の根元に腰を下ろす。


 すると、小さな足音が聞こえた。


「おにーさん!」


 振り向くと、女の子が立っていた。


 七歳くらいだろうか。


 白いワンピース。


 陽の光を溶かしたみたいな銀髪。


 不思議と目を引く子だった。


「どうした?」


「これ、落としました!」


 差し出されたのは、古びた木彫りのお守りだった。


 ずっと持ち歩いていたものだ。


 昔。


 アリシアが作った。


『へたくそとか言わないでよ!?』


『いや普通にへただろ』


『むー!』


 そんなやり取りまで思い出して、少し笑ってしまう。


「ありがとな」


 受け取ろうとした時だった。


 少女が、じっと俺を見上げて言った。


「おにーさん、さびしそう」


 どきりとした。


 子ども特有の、妙に核心を突く声音だった。


「……そう見えるか?」


「うん。でもね」


 少女は桜を見上げる。


 花びらが、ふわりと髪へ落ちた。


「きっと、その人」

「ここにいるよ」


 風が吹く。


 桜が舞い上がる。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 花びらの向こうに、見えた気がした。


 白い髪を揺らして笑う少女の姿が。


『アレン!』


 懐かしい声。


 振り返る。


 もちろん、誰もいない。


 夢みたいに消えていく。


「……あ」


 気づけば少女もいなかった。


 さっきまでそこにいたはずなのに。


 ただ。


 桜だけが静かに揺れている。


 俺はしばらく空を見上げていた。


 青空は、どこまでも綺麗だった。


 ――ああ。


 お前、本当にこの世界が好きだったんだな。


 春風が吹く。


 どこかで、誰かの笑い声がした。


 その音が妙に懐かしくて。


 俺は、潤んだ瞳で澄み切った空を見つめ、


「アリシア」


と、その名を呟いたのであった。

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