アスリート
スキー板の先端を広げ、体を前傾にして風をつかむ。
大ジャンプを飛ぶ必要はない。飛距離はこれで十分なんだから。必要なラインさえ超えればいいのだから。
あとはわたしのスキー技術が支えてくれるだろう。
スキー板をハの字に開くスケーティング走法で雪面を蹴り、スピードを上げてゆくと、また雪が舞い始めた。
視界が悪くなるが、こうした条件下での練習を重ねてきたわたしにはむしろアドバンテージだ。
板で交互に雪を蹴って推力をつける。ストックワークも大事な要素だ。
前方には誰もいない。
アスリートの戦いは常に孤独であり、自分自身との戦いでもあった。これまでだってずっと——。
それでも今、わたしは再び国を背負っているのだ。
コース上の地形は緩やかに起伏している。
上りの斜面はスケーティング走法で進み、下り斜面になったらストックの助けも借りて一気にスピードを上げる。
心臓が力強く全身に血液を送る。
断熱性のあるウエアは、わたしの体温をこの極寒の地でも維持してくれている。
森の中では歓声は聞こえない。
強くはないが風は渦を巻いていて、風の向きによっては自分の吐く息が白い塊になってゴーグルの先を横切ってゆく。
追い風になれば、それも利用して進む。わずかな微気象ですら味方につけることが推力の差になる。
あの表彰台に上った日もそうだった。
思い出せ。あのときの状況を。苦しいときこそ、もう一度!
森の木々は雪の中で黒々とそびえていて、あたりは白と黒だけのモノトーンの世界だ。
わたしは耳元を過ぎてゆく風の音と自分の息の音だけを聞きながら、ただただ前に進むことだけを考えてスキー板を操り続けた。
射撃ポイントに到達し、わたしは背中に担いだ銃を下ろして射撃の体勢に入る。
低い姿勢で雪の中に伏せると、白いウエアは雪に溶け込んでほとんど見えなくなった。
あの谷を飛び越えてスナイパーがこちらに来たとは、さすがの敵も想像すらしていないだろう。
人だと思うな。 競技の的だと思え。
侵略された我が故郷を守るために——。わたしは今、手を汚さなければならないのだ。
そう自分に言い聞かせて、スコープを覗く。
見当をつけたところに案の定、敵のスナイパーの姿があった。わたしが先につかまえた。
‥‥‥が。
伏せたスナイパーのその横顔を見たとき、わたしは思わず小さく声を出してしまっていた。
「ソーニャ!」
一緒に表彰台で抱き合い、お互いに笑顔で称えあったソーニャ。
あなたが真ん中の台で、わたしはその隣だった。あの頃は、喜びと歓声が2人を包んでいた。
ずっと2人で高め合ってきたソーニャ。
なんという再会をしてしまったんだろう。
ソーニャ。
彼女はわたしに気づいていないようだった。
アドバンテージはわたしにある。
でも‥‥‥
あなたはなんて悲しい目をしてるの。
いえ、それはむしろ悲しみではなく、絶望‥‥。
戦場に駆り出され、その手で人を撃たなければならなくなって‥‥絶望に満たされてしまった目。
あの表彰台で輝いていた瞳は‥‥もう戻ってこないの?
ソーニャ。
ソーニャ。
わたしもたぶん‥‥今、あなたと同じ目をしていると思う。
「我が国に勝利を! ウラアアア————!」
きらびやかな宮殿の中で、決して戦場に行くことのない男は演説の最後に勇ましげに拳を突き上げて見せた。
大勢の拍手に包まれて、得意満面の顔で。
了




