腹が減ってからでは遅すぎる…吾輩は中国の国家冷蔵庫である
✦腹が減ってからでは遅すぎる
――吾輩は中国の国家冷蔵庫である――
………
お金は刷れる。
信用も演出できる。
だが――腹は、待ってくれない。
………
■目次
第一章 吾輩の身分
第二章 4つの害という国家実験
第三章 スズメが消えた国の末路
第四章 大躍進政策という誤算
第五章 3000万人が消えた理由
第六章 国家冷蔵庫が生まれた日
第七章 印刷機の国を眺めて
第八章 国民という最後の差
第九章 首根っこを握るもの
終章 違いの正体
あとがき 若者へ、数字の置き土産
………
■第一章 吾輩の身分
吾輩は中国の国家冷蔵庫である。
家庭用ではない。商業用でもない。
国家が沈黙を保つために作られた冷蔵庫である。
吾輩は感情を持たない。
しかし、記憶は持っている。
数字と結果と、
二度と繰り返さぬと誓った失敗の記憶だ。
備蓄の中身は語られない。
その量も公表されない。
ただ一つ確かなのは、
3年分という時間である。
■第二章 4つの害という国家実験
1958年、我が国は国家政策として
「敵」を定めた。
政策名を四害駆除運動という。
駆除対象は4つ。
スズメ、ネズミ、ハエ、蚊。
中でも最も力を入れられたのが、
スズメだった。
穀物を食うから、という理由である。
人々は鍋を叩き、太鼓を鳴らし、
空を追い回した。
スズメは止まれず、休めず、
疲れ果てて落ちた。
その結果、
数億羽規模のスズメが消えたとされている。
当時の指導者は、
これで中国は豊作国家になると信じた。
しかし、我が国の農家には、
昔からの言い伝えがあった。
「豊作になれば、鳥が集まる」
■第三章 スズメが消えた国の末路
勝利のあとに残ったのは、沈黙ではなかった。
虫の羽音である。
スズメが食べていたのは米ではない。
米を食い尽くす害虫だった。
ウンカ、イナゴ。
虫は増え、稲は倒れ、畑は壊れた。
生態系は理屈通りには動かなかった。
やがて、
もう一つの言い伝えが現実になる。
「不作になると、鳥がいなくなる」
■第四章 大躍進政策という誤算
同じ頃、国家は
大躍進政策を掲げていた。
農業国から一気に工業国へ。
農民は畑を離れ、製鉄に動員された。
鍋も農具も溶かされ、鉄になった。
畑は荒れた。
だが収穫量は虚偽報告で水増しされた。
中央政府は
「食料は余っている」と信じ続けた。
そして穀物は徴収され、
一部は輸出に回された。
「食料が止まれば、人民の心が乱れる」
それを止めるための政策が、
逆に食料を止めた。
■第五章 3000万人が消えた理由
この大失敗は記録に残っている。
1959年から1961年。
後に中国大飢饉と呼ばれる。
死者数は研究者によって差がある。
最小推計:2000万人
最大推計:4500万人
中間的推計:約3000万人
戦争ではない。
天災でもない。
政策と無知が生んだ餓死だった。
外敵が消えた日から、
滅びは内側に移った。
この数字こそが、
吾輩の設計図になった理由である。
■第六章 国家冷蔵庫が生まれた日
我が国は学んだ。
理想で自然を支配してはならない
数字は真実をごまかす
食料不足は政権の終わり
だから今、吾輩は満たされている。
穀物
飼料
種子
冷凍肉
国家が直接管理する3年分。
これは自信ではない。
恐怖の制度化である。
■第七章 印刷機の国を眺めて
海の向こうに小さな島国がある。
技術があり、礼儀があり、
かつて豊かだった国だ。
その国は別の道を選んだ。
長いデフレの末、
量的緩和で紙幣を刷った。
その結果、
日経平均:5万円突破(過去最高圏)
地価:都市部で2倍〜4倍
円安:80円台 → 150円台
でもね、
国家備蓄は
全くと言っていいほど増えなかった。
そして印刷機だけが、
24時間回り続けている。
なぜか?
それは、株価の値上がりこそが
国民感情を鎮める
最も安い麻薬だから…
あぁ、恐ろしや。
株高は喝采を生み、
国民は質問をしなくなる。
数字を眺めている間に、
彼らの現実は
別の場所で崩れていく…
■第八章 国民という最後の差
我が国の老人は言う。
「米1粒も無駄にするな」。
島国の人々は言う。
「節約は美徳だ」。
だけど、インフレが始まると、
違いは残酷に現れる。
物価が上がると、
本来は食料を確保する。
でも あの島国では、
最初に食料を削っている。
栄養を落とす
思考力が落ちる
判断力が鈍る
そして、転んでも
立ち上がれなくなるだろう。
■第九章 首根っことは何か
食料を持たぬ国は声を荒げる。
食料を持つ国は黙って計算する。
3年分とは、
時間の余裕だ。
その余裕が、
学問と文化と思想を生む。
吾輩は笑わない。
ただ扉を閉じたまま、時を数える。
■終章 違いの正体
我が国は、
一度、国家が国民を餓死させた。
だから、物を抱える。
島国は、
豊かだった時間が長すぎた。
だから、今でも数字を信じている。
腹が減ったとき、
国家も国民も正体を現す。
吾輩は中国の国家冷蔵庫である。
3年分を、
黙って抱えている。
■あとがき あなたへ
インフレは敵ではない。
貨幣の幻を剥がす装置だ。
通貨は裏切る。
だけど在庫は裏切らない。
お金は信仰だが、
食は命だ。
腹が減ってからでは、
思想も理想も遅すぎる。
………
最後に…
中国の冷蔵庫さんから
島国のあなたに
こんな小説が届いたよ。
✦令和版 四害駆除運動
その国では、
数字が豊作だった。
報告書の中ではお米があふれ、
倉は満ち、
未来は保証されていた。
だけど、
村の鍋は鳴らなかった。
鳴らしてよい鍋が、
もうなかった。
人々は空腹を語らなくなった。
語る言葉が、
先に消えたからだ。
代わりに掲げられたのは
理想だった。
「骨太の方針」
理想は腹を満たさなかったが、
黙る理由にはなった。
やがて、
別の時代が来た。
今度は飢えではなく、
数字が人々を慰めた。
株価は史上最高値を更新し、
国は祝杯をあげた。
生活は苦しくなったが、
画面の中では豊かだった。
人々は米の値段より、
指数の行方を語った。
怒りは下がっていない。
ただ、
数字の影に隠れただけだ。
ある者は金を信じ、
ある者は物を抱えた。
インフレが来た日、
負けたのはお金を信じた者だ。
人はなぜ備蓄するのだろう?
それは恐れているからではない。
忘れないためだ。
自然を支配しようとした理想は、
いつも最後に人を支配した。
敵を失った国は、
やがて自分自身と争い始めた。
腹が満ち、時間が余ると、
人は生き方を問う。
だが腹が空くと、
問いは許されなくなる。
歴史は叫ばない。
ただ同じ形で、
何度も起こる。
数字が満ち、言葉が減り、
鍋が黙る。
それが合図だ。
もうすぐ
あなたの冬が来る。




