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妊娠

 目の前でスヤスヤと気持ちよさそうに眠る赤ん坊の頬に手を当てた。この子が生まれて、向日葵はとても幸せだ。そして、未婚でできたこの子を生んで育てられるかと悩んだ時に、背中を押してくれたのは幸仁だった。彼のおかげで今の幸せがあると、向日葵は感謝している。

 ただ、この子の誕生と引きかえに幸仁が失ったものは大きかった。向日葵はそれを取り戻さないと、家族三人の本当の幸せは来ないと思っている。

 向日葵はお腹にこの子ができて、幸仁に相談した日のことを一生忘れない。生んで育てる自信がなかった向日葵だったが、幸仁がかけてくれた言葉のおかげで子どもを生んで育てる勇気が持てた。


 向日葵は自分のお腹に手を当てた。どうするべきか考えても自分一人では結論は出せなかった。まずは、お腹の父親の幸仁に相談するしかない。幸仁が何と言ってくるのか、考えるだけで眠れそうになかった。

 大事な話があるから、明日会いたいと彼にラインをした。彼からは、わかった、明日、大学が終わってから、向日葵の家に行くからとラインが返ってきた。

 続けざまに彼からきたラインには、急にどうしたの? と書いてあった。向日葵は悩んだ挙げ句、二人にとってすごく大事な話とだけ伝えた。

 またすぐに幸仁からラインがきた。大事な話って何? 気になるから教えてくれときたので、向日葵は、明日のお楽しみと笑顔をつけて返した。彼からは、じゃあ楽しみにしてる、おやすみと返ってきた。向日葵は、おやすみなさいと返して、布団に入ったが眠れなかった。

 楽しみにして明日を待っている彼にとって、向日葵が明日、告白する内容は彼にとって喜ばしいことなのか、それとも困らせ悩ませることなのか、この時は全くわからなかった。

 幸仁に喜んでほしいと思うけれど、まだ、大学生の彼にとって、負担になることは間違いない。悩ませてしまうことになるかもしれない。

 布団に入り、いろんなことが頭に浮かんだ。やはり、彼には黙ったまま、病院に行って何もなかったことにしようか。そうしたら彼を悩ませずにすむ。そこで寝返りを打ってから、体を起こした。

 枕元のスマホを手に取り、幸仁の写真を開いて見た。写真の中の彼は満面の笑みでこっちを見ていた。将来、幸仁との結婚を考えている向日葵にとって、今のこの大事なことを無かったことにしてもいいものだろうか。隠したまま結婚していいものだろうか。やはり隠したまま無かったことにするなら、幸仁との結婚はあきらめて、すぐに別れるべきだと思った。

 幸仁と結婚するつもりなら、本当のことを話して、この先どうするかを二人で話し合うべきだ、いや彼の両親も含めて決めなければならないことかもしれない。もしかしたら、これで彼が逃げ出すかもしれないという不安もあった。

 向日葵は幸仁と出会った瞬間に、あたしはこの人と絶対に結婚すると直感した。彼と誕生日が同じで生まれた病院も同じだと知って、運命の人に間違いないと思った。彼も向日葵に会った瞬間に電流がビビビと走ったと言っていた。幸仁との絆を信じているなら、やはり隠し事をしてはいけない。


「向日葵、今日はちょっと顔色悪いぞ」

 幸仁は次の日に家に来て、すぐに向日葵の様子がおかしいことに気がついた。

「うーん、あんまり寝てないから。それにちょっとお腹が痛いし、体がダルいのよね。でも、大丈夫よ」

 向日葵は胸の前で両拳を握って見せて、元気をアピールした。言い出すタイミングがわからなかった。

「病院行った方がいいんじゃないか。俺ついて行こうか」

 病院に行った方がいいと言われて、向日葵はギクリとした。

「大丈夫だから、心配しないで」

 向日葵は笑みを張りつけた。

「そう、ならいいけど」

 幸仁が唇を尖らせていた。昨日、大事な話があるといったことが気になっている様子だ。彼は自分から聞き出すべきか迷っているように見えた。

 向日葵から言い出すべきなのだが、なかなか言い出せなかった。やはり、幸仁には内緒のままにして一人で病院に行こうかと、ここにきても、また葛藤を繰り返した。

「行けよ」

 幸仁が急に声を上げた。

「えっ、ど、どこに」

 向日葵は慌てた。

「病院に決まってんだろ」

「ああ、病院ね」

「調子悪いんだろ。病院行った方がいい」

「う、うん……、そ、そうだよね」

 向日葵は覚悟を決めた。今から告白しよう。

「いっしょについて行くよ。どうせ行かないつもりだろ」

「う、うーん、あ、あのね、ユキくん」

 向日葵は顔を上げた。前で胡座をかく幸仁の太股に手を置いて、幸仁の目をじっと見つめた。

「なに? やっぱりなにか隠してんだろ」

 幸仁が向日葵の手をぎゅっと握った。幸仁の手はあたたかかった。

「う、うん。実はね」

「俺に隠し事は絶対にするなよ」

 幸仁にじっと見つめられた。

「わ、わかってる。だから今から言うよ」

 向日葵は幸仁から少し離れて正座をした。背筋を伸ばして、フーッと息を吐いた。

「なに?」

 幸仁が背筋を伸ばした。ゴクリと喉の鳴る音が聞こえた。幸仁も緊張しているのがわかった。

「絶対に驚かないでよ」

「う、うん、わ、わかった」

「あのね」

「なに?」

「病院についてきてくれるのはいいんだけど」

「いいんだけど、なに? まさか癌とか言うなよ」

 幸仁が険しい表情を向けた。

「ちがう、ちがう。あのね、多分なんだけど」

「多分、なに?」

「多分ね、病院といっても産婦人科に行かないといけないと思うの」

「さ、さんふじんか?」

「そ、そう」

「さんふじんかって、あの産婦人科か?」

「そ、そう」

「てことは、向日葵はもしかしてこれか?」

 幸仁が右手でお腹を膨らませるようなしぐさを見せた。

「うん、そう。できちゃったかもしれないの」

 向日葵はお腹に手を当てた。

「えっ、えー、で、できちゃったって、どういうこと」

「あのね、ユキくんの子どもができちゃったかもしれないってこと」

 向日葵がそう言ってお腹をさすった。幸仁は目を丸くして向日葵の顔をじっと見た。そして向日葵のお腹に視線を落とした。向日葵は、幸仁が今どんな気持ちでいるのかが気になった。まだ若いのに子どもなんてできたら困る、まだまだ大学生活を満喫したいと思っているのかもしれない。

「ほ、ほんとに」

 幸仁が向日葵に体を寄せて、向日葵の左手を両手で握りしめた。

「う、うん、ほんと。間違いないと思う」

 向日葵は幸仁の両手の上に右手をのせた。

「それって、俺の子どもができたってことだよな」

 幸仁がまた向日葵のお腹に視線を落とした。

「うん、病院行かないとわからないけど、間違いないと思う」

 この後、幸仁はどんな反応をするだろうか。

「そ、そうか、そりゃ、めでたいことじゃないか。向日葵、なんでそんな暗い顔してんだよ。俺はてっきり重い病にでもかかったのかと心配したじゃねえか。心配して損したぞ」

 幸仁が向日葵を抱きしめて向日葵の体を揺らした。

「だって、今のあたしたちの状況じゃ、子どもなんて生めないでしょ。堕ろさなきゃいけないんだよ」

 向日葵はお腹に手を当てて床に視線を落とした。

「生めない?」

「うん」

「堕ろす?」

「うん」

 向日葵は言ってから涙が止まらなくなった。

「生めばいいじゃねえか」

「そんなの絶対に無理だよ」

 向日葵は俯いて首を何度も横に振った。

「なんで無理なんだよ? なんで堕ろすんだよ?」

「だって、それしかないじゃない。あたしとユキくんは結婚もしてないし、ユキくんは大学に通わないといけないし、あたしは仕事しないと食べていけないのに、子どもなんて生んでる場合じゃないでしょ。育てられるわけないじゃない」

「そんなことない。生めよ。そんなの何とかなるよ」

 幸仁が向日葵の手をギュッと握りしめた。

「そんな簡単に言わないで。何ともならないよ」

 向日葵は俯いて首を何度も横に振った。

「いや、ダメだ。堕ろすのはダメだ。絶対に、それはダメだ」

 向日葵は幸仁の言葉が嬉しかった。しかし、現実を考えると生んで育てることは難しい。幸仁も冷静になったら、それがわかるだろう。

「無理だよ。子どもを産んでも育てられないよ」

「何言ってんだ。向日葵らしくないな。今のままなら無理でも、今を変えれば無理でなくなるかもしんねえじゃないか」

「今を変えるって、何を変えるつもりよ」

「俺、大学やめて働くわ。今のバイト先が正社員募集してるから店長に頼んでみる。だから俺と結婚して、俺の子どもを生んでくれたらいい」

「ユキくんに迷惑がかかるし、そんなことユキくんのお父さんとお母さんも許してくれないと思う」

 幸仁の言葉に向日葵は嬉しくて涙が止まらなかった。けれど、向日葵は幸仁の両親のことを思うと、素直に喜べなかった。

「この際、親父とおふくろは関係ない。俺の人生なんだから俺が決める。大学をやめて俺は働く、向日葵と結婚する。だから、俺の子どもを生んでくれ。そして、俺と向日葵と子どもと三人で暮らそうぜ」

「ユキくんは、大学通ってる間にやりたいこと探すって言ってたよね。それを探さないといけないでしょ」

「うん、だから今やりたいことが見つかったんだ。いい機会なんだ。きっと、お腹の子が俺に教えてくれたんだ。お父さん、大学行ってる場合じゃないよ。学費ももったいないし、大学行っても勉強しないんだから、大学をやめてお母さんと僕を幸せにしてよってな」

「ユキくんのお父さんとお母さんはなんて言うかな」

「あいつらは放っとけばいいよ」

「でも、ちゃんと話さないといけないし、ユキくんのお父さんとお母さんに反対されてまで、あたし生みたくないから」

「そりゃ、わかってるよ。ちゃんと親父とおふくろに話して認めてもらう。じゃあ、明日にでも話してみるわ」


 幸仁は次の日に両親に相談してくれたようだが、最悪の結果になってしまった。幸仁は父親から勘当されてしまった。


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