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殺人事件

 ハンドルを何度か切り返して、やっと駐車スペースに車が収まった。助手席で舌打ちされるので、余計にうまく駐車できなかった。現場の前にあるコインパーキングは駐車スペースが三台しかなく、今、空いているのは、停めにくい位置の一ヶ所だけだった。現場が公園だと聞いて、無駄に広い駐車場を勝手に想像していただけに、この狭さは意外だった。

「現場が公園だと聞いてたので、もっと広いところを想像していましたよ。こんな狭いところだとは思ってませんでした」

 山川はエンジンを切って助手席に座る高木に向けてぼやいた。

「フン、捜査に思い込みは禁物だ。自分の目で確かめる前から先入観を持つな」

 高木はシートベルトを外し、助手席からさっさと出ていった。

「それくらい、わかってますよ。ちょっと思っただけじゃないですか。ほんと、口うるさいんだから」

 高木が出ていった後、山川は一人言のように呟いた。

 先に出た高木が車の中にいる山川に向かって早くしろとフロントガラス越しに顎を振って指図した。

 山川は「はーい」と音を出さずに口だけを動かした後、口元を歪めた。

 山川が車から降りると、高木はすでに駐車場を出て、現場の公園へと向かっていた。山川は慌てて高木の背中を追いかけた。遅いと高木の機嫌がすぐ悪くなる。山川は早足で歩いて高木の横に並んだ。

 高木と山川が二人並んで公園の入口の前まで来たところで立ち止まった。そこに立つ警察官に山川が「ご苦労様です」と言って警察手帳をかざした。

「どうも、ご苦労様です」

 警察官がそう言って敬礼した。高木と山川は規制線をくぐり、公園の中を見渡した。ブランコと滑り台、鉄棒だけしかない面白みのない狭い公園だ。

「子供たちはここの公園で遊んで満足できるんですかね」

 薄暗くて狭い目の前の公園と子どもの頃に青空の下で遊んだ緑いっぱいの公園を頭の中で比較した。

「都会に遊べるスペースがあるだけでもありがたいだろ。駅からは近いし、雨が降っても濡れねえしな」

 高木が上を見上げた。

「確かにそうですね。雨の日でも、駅から高架下を通れば濡れずにここまで来れますもんね」

 山川が見上げた時、ちょうど公園の上をガタンガタンと電車が通った。

「けど、うるさいですね」

「贅沢言うな」

「でも、ここって、幼稚園児や小学生の子どもたちが楽しく遊ぶ場所というより、生意気でいきがった若い連中のたまり場になってるんじゃないですか」

 山川は剥き出しになったコンクリートの壁一面に派手な色のスプレーで描かれた落書きに視線を向けた。この落書きのせいで、ここにある滑り台やブランコが子どもの遊具には見えず、凶器か武器のように見えた。

「こういう輩はどこにでもいるもんだな」

 高木は落書きを見ながら眉間に皺を寄せた。

「今回の事件は、ここでたむろしていたそういった輩の仕業かもしれませんね」

「山川、何の情報もなしに決めつけるな。先入観は禁物だと言ったとこだろ」

「別に先入観を持ったわけじゃないですよ。ちょっと推理しただけじゃないですか」

「フン、現場も見ないで、なにが推理だ。お前は素人なのか」

 高木が鼻を鳴らし、吐き捨てるように言った。

「すいません」

 山川は口を尖らせた。高木と組まされたことで、山川は今回の捜査は最悪だなと思っていたが、その通り最悪な展開だった。山川がちょっと口にした言葉に噛みついてくるし、ずっと仏頂面をしているし、高木は捜査一課では有名な偏屈人間だ。

「どうも、お疲れ様です」

 高木と山川の間に重苦しい空気が流れている時に、二人に向かって、高いトーンの声が飛んできた。山川は声のする方に顔を向けると鑑識の男が近づいてきた。ポッチャリした体型で、目が糸のように細い愛嬌のある顔をしている。殺人事件の現場には似合わない顔だ。山川は顔は見たことあるが名前までは知らない。

「お疲れ様です」

 山川が鑑識の男に向けて頭を下げた。

「高木さんお久しぶりですね」

 鑑識の男が高木に向かって頭を下げた。高木が「よお、所沢か」と言って右手を上げた。鑑識の男は所沢というようだ。

「で、やっぱり殺しか」

 高木が所沢に訊いた。

「そうですね、被害者は何者かに背後から殴られています。凶器はあそこに積んであるブロックと同じものですね」

 所沢は数個のブロックが積み上げられてある公園の片隅を指差した。公園の塀が工事中のようだ。

「ふーん、なるほど。てことは、計画的ではなく、衝動的な犯行てことか」

「その可能性は高いですかね」

「死亡推定時間は?」

「死後十時間ってとこですかね。正確にはこれからですが」

「昨日の深夜零時から一時くらいか」

 高木が腕時計に視線を落とした。

「その辺りかと思います」

「犯行は最終電車が終わってからだな。目撃者を探すのも骨が折れそうだ」

 高木が辺りを見渡しながら言った。

「この先に飲み屋街がありますから、その酔客がいたかもしれませんがね」

「酔っ払いの話があてになるかだな。で、被害者の身元はわかったのか」

「免許証と職場の身分証明書を携帯していました。名前は陣内晃、年齢は五十五歳。三和タクシーの運転手のようです」

「三和タクシーの運転手ですか」

 山川がよく利用するタクシー会社の運転手だ。知ってる顔かもしれないと身分証明書を覗きこんで顔写真を見たが知らない顔だった。

「被害者は仕事中だったのか」

「いえ、酒を飲んでますから、仕事帰りじゃないですかね」

「ブロックで殴られたのが致命傷か」

「はい。右頭頂部をブロックで殴られたことによる頭部打撲と頭蓋骨骨折による脳挫傷です」

 高木が「右頭頂部か」と言って、自分の右頭頂部を右手でポンポンと叩いた。その後、「うーん」と口を尖らせた。

「あの辺りに対峙する二つの下足痕があります。そこで被害者と犯人が口論にでもなったのでしょう。その後、被害者の下足痕が遺体のあったところまで伸びています。それを追いかけるように犯人と思われる下足痕も伸びています。犯人が被害者を後ろから追いかけて殴ったんだと思われます」

「被害者はこんな人気のない真夜中の公園で何してたんだろうな」

「酒を飲んだ帰りに、立ちションするために公園に入っただけかもしれません。あそこに形跡がありましたから」

 所沢がブランコの方に人差し指を向けた。

「それは被害者のものなのか」

「いえ、それはまだですが、被害者の下足痕をみると間違いないでしょう」

「なるほど、立ちションを済ませて公園から出ようとしたところで、被害者は犯人と口論になって、逃げ出そうとしたところを後ろからガーンてことか」

「そんなところでしょうね。ここは深夜、若者のたまり場になっているみたいですから、そいつらとトラブルになった可能性もありますね。若者たちが、自分たちの縄張りで立ちションしていた被害者に文句でも言ったのかもしれません」

「犯人らしき下足痕は一人だけだろ」

「ええ、そうですね」

「なら、若者たちじゃなく、犯人は一人だったってことだ」

「そういうことになりますが、若者たちの一人と被害者が揉めたのかもしれません」

「確かにそうだが、そういった輩は誰かと揉めていたら、集団で寄っていくんじゃねえか。だから怨恨の線も洗わんとな。それについては所沢はどう思うんだ」

「いやー、そこまでは、私にはわかりません。捜査については高木さんたちにお任せしますよ」

 所沢が頭を下げた。

「そうだな、後はこっちに任せておけ。俺たちは怨恨の線で捜査を進める」

 高木が怨恨の線で捜査するというが、山川はそれはないと思った。これから高木といっしょに捜査していくので、自分の意見はしっかりと高木に伝えるべきだと、山川は覚悟を決めて「高木さん」と言って高木に体を向けた。

 高木が「あー」と言って、山川に厳しい視線を向けてきた。山川はここで怯んではいけないと腹に力を入れた。

「俺は所沢さんと同じで、ここでたむろしていた若者に殺された気がするんですけどね」

 山川が言うと、高木は言葉を発することなく、ギロリと厳しい目で睨んできた。山川は高木のあまりの迫力に固まってしまった。これ以上話すのはやめた方がいいと警笛が鳴り、山川は後ろに一歩下がった。

「山川、脳ミソ空っぽのお前の頭で無駄なことを考えるな」

 高木は山川の頭を人差し指でさした。

 山川は、「はい」と言ったが、心中は穏やかでなくなった。頭に血が上って冷静でいられなくなっていた。さすがに、脳ミソ空っぽの頭って言うのは失礼過ぎるだろ。一応、二流だが四年生の大学を卒業できる頭は持っている。

 なぜ高木とペアを組まされてしまったのか。この事件が解決するまで、こんなことを言われ続けるのかと思うと、山川は暗鬱な気持ちになった。

「とりあえず、この辺の飲み屋にあたってみるか。山川、さっきの被害者の身分証明書の顔写真をスマホで撮影しておけ。これから、それを持ってこの辺りの飲み屋に聞き込みに行く」

 高木は山川の気持ちなど頭にはなさそうだ。

「わかりました」

 山川は気を取り直して、ポケットからスマホを取り出し被害者の免許証と身分証明書を撮影した。

「きれいに撮れよ。ボケてたら意味ねえぞ」

 山川は、「それくらいわかってますよ」と心の中でぼやいた。

「所沢、ありがとうな」

 高木が所沢に右手を上げて礼を言った。

「ご苦労様です」

 所沢が高木に頭を下げた。

「山川、行くぞ。さっさとしろ」

 山川は「はい」と言って、顔をしかめた。スマホをポケットに放り込んで高木の後を追った。つい、高木の背中を睨みつけてしまう。

「どこに行くんですか」

「さっき行っただろ。この辺りの飲み屋街で聞き込みだ」

「この時間に店開いてますかね」

 山川は腕時計を見た。

 高木が振り向き、また目付きの悪い視線を向けた。

「仕込みで仕事してるところもあるだろうし、最近は昼定食をやっていて昼から開けてる店も多いはずだ」

「なるほど、そう言えばそうですね」

 山川もたまに居酒屋がやっている昼定食を利用することがある。そうした店の昼定食はボリュームがあって安くて旨い印象がある。

「昨夜、被害者は、この辺りの飲み屋街で酒を飲んでいた可能性が高いからな。一軒一軒当たっていくか」

「わかりました」

 それから高木について飲み屋を一軒ずつ回っていった。高木の言う通り、昼から営業している店もあったし、仕込みのために早い時間から仕事している店もあったが、これまでに有力な情報は得られなかった。有力な情報が簡単に得られるとは思ってはいなかったが、さすがにお腹もすいて疲れてきた。高木は疲れた様子もなく、早足で一軒一軒飲み屋を回って行った。

 居酒屋弁慶という立て看板の前まで来ると、数人のサラリーマン風の男性が店頭に並んでいた。人気店なのか店内は満席のようだ。高木が山川に「今、何時だ」と時間を確認した。

「十二時半ですね」

 山川は腕時計に視線を落とした。店内から甘辛い醤油のいい匂いがもれてきて、山川は生唾をゴクリと飲みこんだ。そのタイミングでお腹がグゥと鳴った。高木はその音を聞き逃さなかった。山川に顔を向けてギロリと睨んだ。山川は肩をすぼめた。

「腹減ったのか」

 高木が山川に訊いた。

「いえ、大丈夫です」

 山川は背筋を伸ばしお腹に力をいれた。

「人気店みたいだし、ここで昼飯でも食ってから聞き込みするか」

 高木がめずらしく笑みを浮かべた。

「いいですね」

 高木からの意外な提案に山川の声は弾んだ。

 サラリーマンの列の一番後ろに高木と山川は並んだ。並んでいる間、山川のお腹は鳴りっぱなしだった。高木はそれを無視して、黙って何かを思考している様子だった。それから十分程で山川たちの順番が回ってきて店内に入った。店員がカウンター席になりますがと言ったが、高木はその方が都合がいいとカウンターに腰をおろした。

 高木がメニュー表を手にとるとすぐにお造り定食と言って、山川にメニュー表を渡した。山川は最初からトンカツ定食と決めていた。

 午後一時が近づいて、サラリーマンたちが爪楊枝を咥えたままレジへと向かっていく。「ご馳走さま」という声と「ありがとうございます」という声が店内を行き交う。そろそろ弁慶の昼のピークも終わりのようだ。お造り定食のトレイが高木の前に置かれ、すぐにトンカツ定食のトレイも山川の前に置かれた。

 高木がお造りにわさびをのせて口に入れた。咀嚼して首肯し、うんと言ってから白飯を口に放り込んだ。

「こういう店は魚が旨いんだ。トンカツなんて他の店と変わんねえだろ」

「そんなことないですよ。肉がジューシーで柔らかいですし、ボリュームもあって旨いです。高木さんも食べます?」

 山川はトンカツ一切れを高木の食べるお造りの皿の端に置いた。高木は、おうっと言って、それを口に放り込んだ。咀嚼してまた首肯を繰り返す。

「確かに旨い。お造りも旨かったが、トンカツも旨い。活気もあっていい店だから、人気なのはわかるな。夜の営業中にも来てみたくなる店だ」

 二人の会話を聞いていた、カウンターに立つ店長らしき男が「ありがとうございます」と威勢のいい声を上げた。眉が濃く目がキラキラした四十代くらいの体格のいい男性だった。出身は南国の方かなと山川は勝手に思った。口に出すと高木がまた先入観を持つなとか言い出しそうだ。

「おたくが店長さん?」

 高木がお茶を啜りながら訊いた。

「はい、そうです」

 午後一時を回って客もひいている。そろそろはじめるかと高木が山川に目配せをした。

「お忙しいところ、すいません。ちょっとお訊きしたいことがあるんですが」

 山川はそう言って警察手帳を店長の目の前にかざした。それを見た瞬間の店長の顔がひきつるのがわかった。山川はニコリと笑みを浮かべた。

「な、なんでしょうか」

「急にすいません、この方をご存知ないかなと思いまして」

 山川がスマホの画面を店長に向けた。店長が山川の出したスマホの画面を覗きこんだ。

「あーあ、これ陣内さんじゃないかな」

 高木が前のめりになった。

「お知り合いですかな」

「ええ、陣内さんなら、よくここに来ますから」

 山川と高木が目を合わせた。

「ここの常連客ですか」

 今度は山川が前のめりになった。

「ええ、そうですけど。陣内さんがどうかしたんですか」

「今朝、この近くの公園で遺体で発見されました」

 山川が言うと店長は目を剥いて、「えっー」と声を上げた後、体が固まった。

「陣内さんは昨晩もここに来られましたか」

「ええ、ええ、来てました。はい、確かに来てました」

 店長は慌てた様子で、そう言った後、「坂倉くん、陣内さん、昨日来てたよな」と他の従業員に確認した。

「ええ、来てましたよ」

 坂倉という男が近寄ってきた。小柄で目尻が垂れていて、温厚で優しそうな顔をしている。

「陣内さん、遺体で発見されたんだって」

 店長が坂倉に言うと、坂倉は垂れた目を見開いて「えっ、ウソでしょ」と驚いた様子だった。

「昨晩の陣内さんの様子をお聞かせいただけませんかな」

 高木が言ったあと、山川は手帳とペンを手にした。

「は、はい、えーっと」

 坂倉が額に手を当てて昨晩の記憶を探ってる様子だった。

「まずですね、陣内さんは昨日お一人で来店されてましたか」

「はい、一人でした」

「これまでもここに来る時はいつも一人でしたか」

「そうですね、いつも一人でしたね」

「昨晩の陣内さんで、いつもと変わった様子はなかったですか」

「いつもと変わった様子ですか」

 坂倉が宙に視線をやった。

「どんな些細なことでも結構です」

「昨日はよく飲んでましたね。それからすごく上機嫌でした」

「いつもより酒を飲む量が多く上機嫌だったということですか」

 山川は坂倉の言ったことを繰り返し確認した。

「陣内さん、タクシーの運転手なんで、普段はそんなに飲まないんです。けど、休みの前日はよく飲んでましたね」

「と言うことは、今日は休みだったんでしょうか」

「ええ多分ですけど、昨日の陣内さんの飲み方を見て、明日が休みなんだろうなと思ってました。けど、昨日は特によく飲んでたかな。ほんとすごく上機嫌で、隣に座っていた男性のお客さんにもお酌をしてましたからね」

「隣のお客さんにですか」

「ええ、丁度、今刑事さんが座ってるそこの席です。こっちに陣内さんが座ってて、こっちに男性のお客さんが座って、二人で楽しそうに飲んでましたね」

「そのお客さんが誰だかわかりますか」

「いやー、知らない顔でしたね」

 坂倉が首を傾げた。

「店長はどうですか」

「俺もはじめて見る顔だと思うんですけど、お客さんの顔を全員覚えてるわけじゃないんで、すいません」

 店長が申し訳なさそうに眉をハの字にした。

「いえ、いえ、大丈夫です」

 山川が手のひらを横に振った。

「では、そのお客さんはどんな人でしたかな。年齢とか体型とか、訛りがあったとか、何か特徴があれば教えていただけませんかな」

 高木が訊いた。

「そうですね、年齢は五十代くらいですかね。スポーツマンタイプでがっちりした体格をしてました。黙っているとちょっと厳つい感じでしたけど、陣内さんと話してる時はニコニコしてましたよ。けど、ちょっと作り笑いっぽかったかな」

「作り笑いですか」

「ええ、多分、陣内さんともはじめてじゃないですかね。たまたま隣に座って話が弾んだって感じですかね。けど、陣内さんの方が一方的に話してた感じでした」

「その男性の身長はどれくらいありましたかな」

「わりと高かったですね、陣内さんも高いですけど、同じくらいはあったと思います。僕は見上げる感じでしたね」

「陣内さんとそのお客さんは一緒に店を出たんですか」

「いえ、そのお客さんは先に帰りましたね。それで、お客さんがお勘定しようとした時に、陣内さんがそのお客さんの勘定も自分が払うからと言ってました。お客さんは自分の分は自分で払うからと断ってましたが、結局、陣内さんに押し切られてました」

「陣内さんはこれまでにもそうやって他の知らないお客さんと仲良くなって奢ったりしてたんですか」

「いやー、記憶にないですね。なんせ昨日の陣内さんはずっと上機嫌でしたからね。臨時ボーナスが入ったとか言ってました」

「臨時ボーナスですか。この不景気にいいですね」

「僕も陣内さんに同じことを言いました。そしたら陣内さんはニヤッと笑って、次入ったら、お前にも奢ってやるよって言ってました」

「次入ったら、ですか。そんなに次から次にボーナスが出るもんですかね」

「いやー、うちは絶対に出ませんけどね」

 坂倉は右手を口元に添えて、店長に聞こえないくらいの声で言った。

「普通は出ませんよ。タクシー業界が景気がいいとはあまり聞きませんし、もしかして、陣内さんは賭け事で儲けたんですかね。陣内さんは賭け事はやってましたか」

「陣内さんはボートレースが好きでした」

「尼崎ボートレース場はこの近くですね」

「はい、俺も陣内さんの臨時ボーナスはボートレースで大穴でも当てたのかなと思いました」

「そうですか。ところで、そのお客さんが帰ってからも陣内さんはこの店にいたということですが、何時頃までいましたか」

「陣内さんは十一時半位までいましたね」

「そうですか、十一時半ですか」

 所沢から聞いた死亡推定時間からすると、陣内はここを出てすぐに殺されたわけだ。

「陣内さんは上機嫌だったと言うことですが、普段はどんなお客さんでしたか。誰かに恨まれるようなことはありませんでしたか」

「そうですね」

 坂倉は言いにくそうに口を尖らせた。

「どうですか」

「正直言って、難しいお客さんでしたね」

 店長が横から口を挟んだ。

「難しいお客さんですか」

「ええ、気分屋でプライドが高いんです。だから、こいつは、陣内さんが機嫌悪い時はよく怒鳴られたりしてました。うちのアルバイトはみんな嫌がってました。特に女の子は嫌がってました」

「アルバイトの女の子が嫌がってたんですか」

「アルバイトの女の子たちが言うには、すぐに口説いてきたり、体を触ってきたりするそうなんです。女の子からその相談を受けて、私が陣内さんに注意すると、その時は一応謝ってくれたんです。ただ反省はしていませんでした。女の子が誤解しているんだと言ってましたから」

「女の子が誤解してる、ですか」

「ええ、女の子の体を触ったことについては、手が当たってしまったのかもしれないと言ってましたし、口説くつもりはなくて、元気がなかったから声をかけただけだと言ってました。可愛いとか綺麗だとか言ってデートに誘ったことはあるが、それも本気で誘ったわけではないと言ってました」

「でも、それからまたすぐに女の子たちから相談を受けました。だから、出来るだけ女の子を陣内さんに近づけないようにしてました。それでこいつが陣内さんの担当みたいになって、こいつによく当たり散らかしてましたね」

 店長が坂倉に顎を向けて言った。

「なるほど、わかりました。陣内さんも色々と問題はあったようですな」

 高木が立ち上がった。

「刑事さん、だからと言って、俺たち陣内さんを殺したりはしませんよ」

「それはわかってます。ただ、このタイミングで申し訳ないんですが、昨晩の午後十一時から午前一時の間、お二人はどこで何をされていましたか」

「俺たちのアリバイですか」

 店長が訊いた。

「申し訳ありません。関係者全員にお伺いしております」

 山川が頭を下げた。

「いいですよ。刑事さんもお仕事でしょうから」

 店長が人懐っこい笑みを浮かべた。

「ありがとうございます」

「私も坂倉もずっとここにいました。陣内さんが帰ってから学生のアルバイトたちと後片付けをしてました。片付けが終わってからは賄いをみんなで食べて、ここを出たのが一時半を過ぎていました」

「一時半までですか。遅くまで大変ですね。ご協力ありがとうございました。また何か思い出したことがあれば、こちらまで連絡下さい」

 山川が店長と坂倉に名刺を一枚ずつ渡した。

「是非、犯人を捕まえてください」

 高木と山川が居酒屋弁慶を後にする時に、店長が二人の背中に向かって言った。




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