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離婚

 兄から渡された資料を破って捨ててしまいたい気持ちだったが、取り敢えず、必要になる時が来るかもしれないと、自分の目に触れないところに置いておくことにした。これを渡す時の兄の表情は苦渋に満ちていた。兄を見送ってすぐに資料を見るつもりだったが、その前にハーブティを飲んで心を落ち着かせることにした。

 資料を全て読み終わり、怒りと悔しさ、悲しみで涙が止まらなかった。涙を拭う気力さえなく、資料が涙で濡れることも気にせずに泣いた。この先、どうすればいいのかを考える気力もない。兄は妹のためにと思って、この資料を見せてくれたのだが、資料を見せた兄にも小さな怒りを覚えた。


「良子、ちょっと話がある。今から、お前のマンションに行ってもいいか」

 兄の秀一から電話があったのは今から二時間程前だった。良子がここで暮らしはじめて二年以上になるが、秀一が訪れたことは、これまで一度もなかった。なのに、急に今から行くというのは、一体どういうことだろうか。考えたところで答えは出るはずもないが、秀一がわざわざ来て、話そうとする内容は良子にとって、いい話でないことは見当がついた。


 電話を切ってから十分ほどで秀一は部屋に現れた。兄はこの近くまで来てから電話してきたようだ。

「急に、押しかけて悪いな」

 秀一は、良子が出したハーブティを口にした。

「いいわよ、お兄ちゃんが急に電話してきて、すぐにここに来るくらいだから、すごく大事な話なんでしょ?」

 良子は秀一の前に座り、秀一の顔を覗きこんだ。

「まあ、そうだな」

 秀一はすっと目を伏せた。秀一は優しい性格で、相手に嫌な話をするのが苦手だ。いずれは父の後を継いで会社を背負わなければならないのに、こんな性格で大丈夫なのかと、良子は心配になる。

「きっと、わたしにとっては、いい話じゃないわね」

 良子は秀一に向けて笑みを見せた。

「そういうことになるかな。良子にとっていい話じゃない。もちろん俺や親父にとってもだ」

 秀一は指を組んで顔の前で合わせた。良子に向ける視線には苦悶の色が滲んでいた。

「そうでしょうね。お兄ちゃんから電話が来た時点でそんな気がしてた」

 秀一は「悪いな」と言って、一口ハーブティを飲んで俯いた。秀一は昔から妹思いの兄だった。今から妹が苦しむであろうことを自分が話さなければならないことが辛いのだろう。

「一体、なんなの、早く話してよ」

 話しにくそうにする秀一に、良子は少し苛立った。秀一の態度を見る限り、良子にとって、よほど悪い内容なのだろう。その話の中身がわからない. 今の状態はまな板の鯉の状態だ。

「良子の旦那のことなんだけど」

「旦那がどうしたの」

 旦那のことだということは、良子も最初から見当がついていた。

「良子と結婚して、俺のフォローをしてもらう為に部長に昇格させたんだけど、彼の仕事ぶりを見る限り難しいなと思ってな」

 社長の父が将来、長男の秀一と長女良子の夫に会社を任せるために、二人を部長に昇格させたのは一年ほど前だった。気の優しい兄と少し傲慢な夫がいい関係になると父は話していた。秀一も良子もそれに賛成した。

「それは、お兄ちゃんの意見、それともお父さん?」

「悪いけど、両方の意見だ」

「わかった。わたしは会社のことまでわからないから、お父さんとお兄ちゃんが言うなら仕方ないわ。もともとわたしと結婚してなければ、彼にそんなスピード出世はなかったわけだし」

「悪いな」

 秀一は申し訳なさそうに目を伏せた。

「あの人、課長に降格ってこと?」

「いや、それが彼の役職はなくなる。それに、それだけで終わりじゃない。まだ続きがあるんだ」

 秀一の優しい性格はこういう時は苛立たたせる。結論から話してくれと思う。

「じゃあ、部長からいきなり平社員になるってこと。彼の仕事ぶりって、役職が無くなるほど酷かったのかしら。わたしの知ってる限りだけど、仕事はできる方だと思ってたんだけど」

「残念だけど、彼は会社を裏切る行為をしていたんだ。社長は彼を解雇して、訴えることも考えている」

「彼が何をしたって言うのよ。はっきり言ってよ」

 良子はテーブルを手のひらで叩いた。ティーカップがガシャッと音を立てた。

「実は、彼は会社の金を横領していたんだ」

 秀一は唇を噛みしめた。横領と聞いて、良子もさすがに驚いた。

「まさか、嘘でしょ」

「これから彼に聴取することになるが、調査は済んでるから間違いない。俺は事を大きくしないで、最終的に彼には自首退職してもらおうかと思ってる」

「じゃあ、彼は無職になるってこと。そうなったら、わたしはどうしたらいいのよ」

 良子は両手で顔を覆った。さすがにショックは大きかった。

 良子は父親が経営する会社で事務職として働いている時に今の夫と知り合った。彼はルックスは良く、仕事もバリバリできた。話も上手くて面白かった。良子はそんな彼に夢中になった。良子から付き合いを申し込み、二年前に結婚した。それから結婚生活は順調だった。彼は仕事も順調なようで、良子と結婚して、いきなり部長に昇格した。二人の生活は順風満帆と思っていたのに、いきなり実の兄が嵐を持ってきた。


「良子も彼とは離婚した方がいいと思っている」

 秀一が良子の目をじっと見つめた。良子も目をそらさず秀一の目を見つめ返した。

「わたしは離婚はしない。彼の横領が事実だとしても、わたしは彼を愛してるから。彼がお父さんとお兄ちゃんを裏切って横領していたのが事実なら、それは申し訳ないと思うし、会社を辞めさせられても仕方ないけど、わたしは、彼の妻として彼を支えていくつもりよ」

「良子の気持ちはわかる。けど、あいつは女癖も悪くて、浮気もしてるんだ。俺とお父さんだけでなく、お前のことも裏切ってるんだぞ」

 秀一は辛そうな表情を浮かべた。

「わたしは彼に浮気癖があることがわかってて付き合って結婚したんだから、少々の浮気くらいは我慢できるわ」

 良子は無理に笑みを作った。

「良子の考えてる少々の浮気がどこまでのレベルなのかよくわからないけど、俺とお父さんだけでなく良子まで裏切られてると思うと、俺はあいつを許せないんだ」

 秀一の瞳の奥に怒りの焔が見えた。秀一は沈着冷静なタイプなのにめずらしいなと良子は思った。

 子どもの頃、良子が苛められていると、喧嘩が弱いくせに、いじめっこに立ち向かっていく秀一の姿を思い出した。妹思いの優しい兄は、今でも変わっていない。

「お兄ちゃんの気持ちはありがたいけど、わたしは彼についていくわ。だから離婚はしない」

「最後は良子が決めることだけど、彼の浮気の事実は知っておいた方がいいと思う。俺の口からいいにくいこともあるから、ここに彼についての興信所の調査記録がある。良子がこれを見てからどうするか決めてくれ。良子の意見は尊重するから連絡してくれ」

 秀一から資料を手渡された。良子はそれを受け取り資料に視線を落とした。

「わかった。これを読んでからお兄ちゃんに連絡するわ」



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