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キャラ弁

 大学生になってまで、母さんの手作り弁当を学校に持っていくのは、お前はマザコンかよと笑われそうで嫌だった。しかし、母さんは僕のために朝早く起きて弁当を作って持たせてくれる。だから、いらないとは言いにくい。友達から弁当を持ってきただけでもマザコン扱いされそうなのに、弁当の中身を見られたら、なんて言われるだろう。恥ずかしくて絶対に弁当の中身は見せられない。せっかくの休憩時間なのに、僕はいつも友達から離れて学食の隅でこっそり弁当を食べなければならなかった。

 なぜ弁当の中身が恥ずかしいのかというと母さんが作る弁当は普通の弁当ではなく、キャラ弁なのだ。幼稚園児じゃあるまいし、大学生がキャラ弁で喜ぶはずないのにといつも思う。

 母さんに学食で買って食べるから弁当はいらないと言ったことがある。その時、母さんは「どうして?」「美味しくないの?」とクエスチョンマークを頭の上に浮かべて訊いてくる。

「いや、美味しいよ」と答えると、じゃあ、いいじゃないと言ってニコニコ顔を浮かべる。母さんの笑顔にはいつも勝てない。

 確かに母さんは料理が上手だ。僕の健康のことを考えて、栄養バランスや添加物のことなども気にしてくれている。

 一度、父さんに相談したことがある。その時、父さんは僕の気持ちを理解してくれた。父さんが母さんに、斗真も大学生なんだから、学食やコンビニで自分で買って食べさせればいいんじゃないかと言ってくれたが、母さんは頑としてきかない。

「斗真の健康のことを考えると、あたしの作るお弁当の方がいいのよね。それに斗真にお弁当を作るのがあたしの今の楽しみなのよね」

 母さんはニコニコと笑って言う。

 そう言われた父さんは母さんの意見に、「それもそうだな」とすぐに折れてしまう。

 父さんは母さんの笑顔にメロメロだから期待した僕がバカだった。母さんに、とりあえずキャラ弁だけはやめてもらうように自分でお願いした。

「お弁当の蓋を開けた時に、斗真に明るい気持ちになってほしいのよねー」

 母さんはまたニコニコと笑いながら、僕にそう言った。

 母さんの作るキャラ弁は毎日同じ絵柄だ。弁当箱の蓋をあけると、いつもヒマワリの笑顔が僕を見ている。母さんの名前が向日葵だから、そうしているらしい。

 同じヒマワリのキャラ弁でも中身は様々だ。ハンバーグやウインナーの周りにスライスチーズを切って花びらのようにしている日もあれば、おにぎりの周りに薄切り玉子を花びらのように並べた日もある。他にもウインナーを飾り切りしてヒマワリのようにしたり、白いご飯の上に細く切ったタクアンをヒマワリの花びらのように並べて、その中に昆布の佃煮や漬物で笑顔を作ったりと、いつも母さんなりに工夫している。

 母さんの言うように、お弁当箱の蓋を開けるとヒマワリのキャラ弁が僕の目に飛びこんできて、気持ちがパッと明るくなるのは確かだ。

「まあ、弁当箱を開けた瞬間は明るい気持ちになるけど」

「でしょ、じゃあ、いいじゃない」

「まあ、そうだね」

 やはり、僕も折れた。父さんのことを偉そうには言えない。


 今日はどんなヒマワリが出てくるだろうか。弁当箱の蓋をそっと開けると、目に飛び込んできたヒマワリはハンバーグバージョンだった。それを見て、僕は周りに気づかれないよう、こっそりと笑みを浮かべ、手を合わせてからお箸を手にした。

「ウワーッ、何それ」

「めっちゃおもろいやん」

 僕の背後から大きな声が飛んできた。慌てて振り向いて見上げると、同じ学科の岡田大翔と園山美優の二人が立っていた。二人はニタニタと笑って僕の前に置いてあるキャラ弁を覗いていた。

 大翔は「それ、すげえな」と言いながら僕の前に回ってきて、椅子に腰をおろしキャラ弁を覗きこんだ。僕は手で蓋をしたい気分だった。美優も物珍しそうにキャラ弁を見ながら、僕の前に座った。

「斗真はいつも一人で弁当食ってると思ってたけど、中身はこんなだったんだ。ハハハ」

「う、うん」

 僕は顔が熱くなった。このまま弁当を食べずに片付けたかった。

「これ、お母さんが作ってくれてるの」

 美優が弁当の具材を確認するようにキャラ弁に顔を近づけた。 

「ま、まあ、そうだけど」

「まさか、いつも、こんな弁当なのか」

「そのまさかだけど」

「美味しいの」

「まあ、美味しいかな」

 大翔と美優は、僕の前に座ってから、他にどんなキャラ弁があるのか等、次から次へと質問をかぶせてきた。

「お前の母ちゃんは、なんで、こんな弁当作ってんだ」

 大翔が訊いてきたので、僕がいつまでも健康でいてほしいのと、毎日明るい気持ちでいてほしいから、母さんが作ってくれているんだと、正直に答えた。二人から、『ガキみたいだな』とか、『マザコンなの』といった言葉が返ってくる覚悟はした。

「へぇー、そうなんだ。斗真が羨ましいな」

 大翔から意外な答えが返ってきた。

「あたしも、子どもができたら三浦くんのお母さんみたいに、子どものためにキャラ弁を毎日作ってあげたいわ」

 美優が指を組んだ両手を胸の前で合わせ、宙に視線を向けた。

「お前、料理できねえじゃねえか」

 大翔が美優に突っ込んだ。

「まっ、今はね。これからは大学の勉強だけじゃなくて、料理の勉強も頑張らなきゃね。あたし、三浦くんのお母さんに教えてもらおうかな」

 僕は嬉しい気持ちになったが、恥ずかしくて下を向いた。

 その日から、僕はみんなと一緒にお弁当が食べられるようになった。弁当を開けた時のヒマワリのキャラ弁は、僕だけでなく、大翔や美優をはじめ、他の友達も笑顔にするようになった。母さんの他人を笑顔にする力はすごい。


「いただきます」

 目の前に並ぶテーブルの上の夕食に手を合わせた。そしてこれらを作ってくれた母さんに感謝の笑みを向けた。

「これまで長い間、美味しいご飯を作ってくれてありがとう」

 言葉に出すのが恥ずかしくて心の中で呟いた。

 明日からしばらく母さんのご飯が食べられなくなると思うと寂しい気持ちになった。今日のメニューは豚の生姜焼きだ。母さんは今日のメニューを僕の大好物にしてくれた。お皿に敷き詰められたキャベツの上に浮かぶ豚の生姜焼きを箸でつまんだ。母さんの豚の生姜焼きは、生姜がよくきいていて辛口だ。最近はコチジャンもいれている。その辛さが僕をやみつきにした。

「斗真、一人暮らししても、自炊しなさいよ。コンビニ弁当やファーストフードばっかり食べてちゃダメだからね」

 母さんが心配そうに言う。母さんは添加物は体に悪いからと言って、僕が小さい頃からファーストフードやコンビニ弁当をあまり食べさせてくれなかった。料理する食材も無添加にこだわっていた。亡くなった祖父が創業したスーパーミウラは無添加や無農薬の商品をたくさん扱っていて、僕が生まれてすぐの頃、祖父母から僕と父さんに安全な食品を食べさせてあげてと、そうした食品をよくもらっていたそうだ。

 父さんは、安全が確認されたものなんだから、添加物が入ってても、農薬を使っててもいいじゃないか。コンビニ弁当やファーストフードは便利だし美味しいし、それに、そうした企業も最近は食の安全にも力を入れてるよ。無添加や無農薬にこだわると家計がきつくなるだけだろと言っているが、母さんは頑としてきかなかった。

「だって、ユキくんと斗真には、いつまでも健康で元気でいてほしいんだもん」

 母さんがニコニコと笑顔で言うと、父さんはいつものように何も言えなくなる。父さんは母さんのことが大好きだからだ。

 明日から僕は愛知県に本社がある食品スーパーを運営する会社にお世話になる。祖父が創業したスーパーミウラに就職するつもりだったが、祖父の後を継いだ叔父が、スーパーミウラに就職する前に、愛知県に本社があるスーパーで修業した方がいいと言ってきた。本当は僕の父さんが若い頃にそこで修業する予定だったらしいが、父さんは祖父の後を継ぐつもりがなくて、その話はなくなったらしい。

 祖父は父さんにスーパーミウラを継がせるつもりだったが、父さんは後を継ぐ気はなかったらしい。叔父さんは詳しく教えてくれないが、父さんが後を継がなかったのは、僕が生まれてきたことも少し影響しているみたいなことを言っていた。


 愛知県のスーパーで働くようになって五ヶ月が過ぎた夏の暑い日に父さんから電話がかかってきた。

「もしもし、斗真か、よく聞け。落ち着いてな」

 父さんはすごく慌てている様子だった。

「僕は落ち着いてるよ。父さんこそ、落ち着いてよ」

「落ち着いてる場合じゃないんだ」

 落ち着いてなと言ったのは父さんの方だろと突っ込みたかったが、父さんの様子から、それを言っても無駄だとわかった。

「どうしたの」

「向日葵が、向日葵が倒れたー。入院しちゃったんだよー」

 その時の父さんの声は涙声だった。

「母さん、どうしたの。なにがあったの」

 ただならぬ父さんの様子に、スマホに向かって話す僕の声がつい大きくなった。

「癌だって。向日葵が癌だってー。ウォー」

 スマホの向こうで父さんは大泣きした。

「父さん、今はどこ?」

「う、うー、びょ、病院だー。ウォー」

「どこの病院?」

「す、駿河総合病院だ。斗真、どうしよう。向日葵は大丈夫なのかよ」

「とりあえず、明日休みだから、すぐにそっちに向かうよ。今から病院行っても間に合わないから、今日は家に泊まるから」

「わかったー、ウォー」

 父さんの泣く声を聞いてから電話を切った。母さんが癌と聞いて、さすがにショックだった。どれくらい進行しているのだろうか。父さんに訊きたかったけど、父さんは混乱しているようだし、訊くのが怖かったのでやめた。すぐに帰る準備をした。

 新幹線から外の景色を眺めて、母さんの病状がどんなものか考えた。電話での父さんの様子からすると、不安しかない。母さんの笑顔を思い出す。僕たちの健康のことは気にしてたくせに、母さん、自分のことは、気にしてなかったのかよと外の景色に向かってぼやいた。

 自宅についた時には夜十時を過ぎていた。部屋に入ると空気がムンとしていた。父さんはエアコンもつけずにボーッと座っていた。

「父さん、お医者さんはなんて言ってたの」

 まず、それを訊いておかなければならない。余命何日なんて言葉が父さんの口から出たらどうしようかと胸が苦しくなった。

「早期発見だから、ちゃんと治療すれば大丈夫だって」

 父さんは項垂れていた。

「そうなんだ。お医者さんがそう言うなら父さん、大丈夫だよ」

 少し安心したけど、本当はまだまだ不安だった。

「そうだけど。でも、癌だぞ。医者の言ってることを鵜呑みにはできねえよ」

「お医者さんを信用しないと、治るものも治らないよ」

 母さんは乳癌だった。父さんが異変に気づいたらしい。今でも二人は仲良しなんだなと思った。とりあえず早期発見できて良かった。異変に気づいた父さんのファインプレーかもしれない。

 次の日に朝から母さんの見舞いに行った。

「母さん、具合はどう」

 さすがに母さんからは、いつものあの笑顔がなかった。顔色も暗く沈みがちだ。僕と目が合ったが、ぼんやりと僕の顔を見ていた。

「斗真、心配かけてごめんね」

 母さんの声は掠れていた。

「本当だよ。母さんは僕と父さんの健康のことばっかり心配してたけど、これからは母さん自身の体も大切にしてくれよな」

「わかった。これからは気をつける」

 母さんは、ぼんやりと天井を見つめていた。

「あたしね、この病院で生まれたの」

「知ってるよ。父さんといっしょの日に生まれたんだろ。運命的だって言ってたもんな」

「昨日、あたしのお母さんの夢を見たのよね。会ったこともないお母さんの夢。この病院であたしを生んでから、すぐに死んじゃったお母さん。命懸けであたしを生んでくれたの。もしかして、お母さんがあたしに会いたくて、あたしを迎えに来たのかなって思った」

「何バカなこと言ってんだよ。お医者さんもしっかり治療すれば、すぐに治るって言ってくれたんだろ。母さんらしくないこと言うなよ。母さんは、僕と父さんが健康で元気でいてほしいと思ってるんだろうけど、僕と父さんは、母さんが健康で元気でいてほしいと思ってるんだから。そんな弱気なことは絶対言わないでよ」

 僕の体が熱くなった。

「ごめんなさいね。あたし頑張るわ」

 母さんが微妙な笑みを浮かべた。


 明日は仕事があるので、後ろ髪をひかれる思いだが、今日中に愛知県へ戻ることにした。病院から駅まで少し距離はあるが歩いて帰りたい気分だった。

 病院を出たら、ムッとした空気が体を包み、息苦しいくらいだった。ニュースでは真夏日が続いていると言っていた。歩き出すとすぐにどっと汗が吹き出した。やっぱり病院の送迎バスに乗った方がよかったかなと、額から流れる汗を拭いた。

 短い影を見ながら田舎道を歩いた。田んぼや畑の緑が太陽の光を受けて輝いて見えた。背中に人の気配を感じ顔を向けると、そこには黄色く輝いて咲く向日葵が見えた。僕の背丈ほどある大きな向日葵がきれいな花を咲かせている。どの花もお陽様に向かって顔を上げて笑っているように見えた。母さんの笑顔とキャラ弁を思い出した。少し落ち込んでいた気持ちがパッと明るくなった。見るだけで、人を元気にしてくれる向日葵の力ってすごいなと思った。すぐにポケットからスマホを取り出し、目の前の向日葵を写真に収めた。落ち込んだ時はこの写真を見て元気をもらおうと思った。

 そう言えば、僕が大学の時に母さんの作ってくれたキャラ弁は恥ずかしかったけど、いつもこんな気持ちにしてくれた。あのキャラ弁も食べる前に写真に収めておけばよかった。そうだ、母さんが元気になったら、また、あのキャラ弁を作ってもらおう。そして、それを写真に収めることにしよう。

 母さんは向日葵のような笑顔が似合う。だから、きっと病気を克服して元気になってくれる。僕は今撮った向日葵の写真とまたキャラ弁を作ってほしいとメッセージを書いて母さんにラインを送った。

 母さんからすぐにオーケーと返ってきた。とびきりの笑顔と向日葵のスタンプが続けて届いた。



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