真実の愛の代償
まさか出発が翌日と思っていなかったエリーゼとジェイクは早朝にメイドに叩き起され、それぞれ違う馬車に乗せられた。
今は側妃と王妃の別れの挨拶中である。
「お姉様、陛下と仲良くお過ごしください。今までエヴァは幸せにございました。」
ハンカチをびしょびしょに濡らして号泣する側妃をよしよしと撫でながら、王妃もハラハラと涙を零している。
「これからはもっと幸せにおなりなさい。南で頑張るのよ。」
二人が抱き合いながら咽び泣く姿にエリーゼは呆気に取られていた。
「あんなにもお母様たちが泣くなんて。」
いつもそつ無くこなす王妃と側妃だ。それが姉妹のように別れを惜しんでいる。
「嫁ぐ前からお二人は姉妹のように仲が宜しかったと聞いております。側妃、いえエヴァ様は王妃がいらっしゃったからこそ王家に嫁ぎ、仕事に邁進されたのです。」
同じ馬車に乗る元側妃エヴァの侍女は冷たい声でエリーゼに教えた。ジェイクと同じ馬車に乗りたいという要望を「まだ独身同士ですので承りかねます。婚約など結婚せねば意味が無いとご存知でしょう?」と断った無礼な女だ。
「お兄様達はいらっしゃらないのかしら。」
愛する妹の出発だというのに見送りは王妃だけ。王妃はエリーゼとは直接会話もせずに、ただ頷かれただけである。
「殿下たちにはお知らせしております。ですが、安全面に懸念があるためお見送りを控えるように陛下から申し付けられているようです。」
「あ、そ。」
淡々と話すこの侍女が嫌いだ、エリーゼはふと周りを見渡した。馬車は三つ。エリーゼとエヴァ、ジェイクと補佐官、もう一つは使用人が数人乗っているはずだ。
「ねぇ、この馬車にもう一人乗れるならターニャに傍に居て欲しいのだけれど。」
エリーゼが謹慎させられていた一番可愛がっている侍女の名前を言うと、冷たい侍女は眉を顰めて首を横に振った。
「ターニャは既に嫁いでもう城には勤めておりません。」
「私、知らないわ。デビッドとの式には出席してくださいとターニャにお願いされていたのよ。」
ターニャが結婚したなんて初耳だ。婚約者との式はもう少し先だった筈だが、どうせ王都に居る間なら出席してあげても良かったのにとエリーゼは唇を尖らせた。
「ターニャが結婚したのはデビッド様ではなく、マルク商会のご次男です。式は商会の本部がある隣国で行うと聞いておりますので、王女殿下の出席は難しいかと思われます。」
エリーゼは唖然として淑女らしからぬ口をぽかんと開けてしまった。
「何でマルク商会の?ターニャは言い寄られて気持ち悪いと言ってたわ。」
『お手紙を頂きましたが、私にはデビッド様がいらっしゃいます。断っても、気持ちが悪いものですね。』
そう言って手紙の束を見せてきたターニャを思い出しながらエリーゼが首を傾げると、侍女は相変わらず無表情で答えた。
「エリーゼ様のお手紙が新聞社に流出した件の咎で修道院に十年入ることとなりました。婚約者様は何年でもお待ちすると申し上げたらしいですが、マルク商会に口利きを願って修道院に入らずに婚姻、出国をしたと聞いております。」
エリーゼがローズに投げつけた手紙がターニャのせいになろうとは思っていなかった。十年経ったらターニャは行き遅れだ。デビッドだって本当に待っていてくれるか分からない。それよりもすぐに結婚出来る金持ちの商人に乗り換えたということだろうか。
「では、セイラは?」
エリーゼは次に働き者のメイドの事を思い出した。平民に人気のロマンス小説を教えてくれた子爵令嬢である。茶色の長髪に黒い瞳で容姿は目立たないが、元気いっぱいな良いメイドだった。彼女のおかげでジェイクとの恋も勝ち取れたとエリーゼは思っている。
「セイラ、とは茶色の髪をポニーテールにしていたメイドのことですか?彼女は新聞にエリーゼ様のお手紙が掲載された日に、この騒ぎは自分のせいだと辞めて行きました。念の為尾行はしたようですが、自分の荷物を持って肩を落とした様子で実家に行く馬車に乗ったそうです。」
「なっ、何ですって。」
そんなに前からセイラが居なかったとは思わなかった。手紙が発表された後、自分に付いていた使用人は全て替えられたがてっきり領地には付いて来てくれると思っていたからだ。
「エリーゼ様の他の使用人たちは全員修道院へ預けられましたよ。ほとんど婚約破棄されたようですが。」
王女の使用人という輝かしい職歴を持っていた侍女たちは皆然るべき嫁ぎ先があったのに、なんということだろう。
「貴女の真実の愛のための犠牲ですよ。心に刻みつけなさい。」
隣に座ったエヴァは涙をハンカチで拭きながらエリーゼを睨みつけた。その途端に馬車は走り出す。
「今日出発するのも命を狙われる可能性があるからです。」
狙われるという言葉に驚きながらエリーゼが母を見れば、もう涙の跡も残っておらず凛としたいつもの様に戻っている。
「あなたの使用人をしていた男爵や子爵令嬢たちも多くが政略結婚です。それが破談となれば、家の者たちに被害があるのは当然でしょう?結婚したかった婚約者たちもあなたに恨みを抱く筈です。だから内密に領地に行かねばなりません。」
窓の外が見えないようにカーテンは閉められ、そのままエリーゼを乗せた馬車は南の領地を目指した。
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知らない補佐官との二人きりの車内でジェイクはローズとの別れの挨拶を思い出していた。
婚約破棄の発表がされた後、一応のけじめとして王城内で設けられた場所で向かい合ったローズはワインレッドではなく緑のデイドレスを着ていた。
「何で緑なんて着ているんだ。赤じゃないのか?」
座って早々にジェイクの口から出た問いかけに、護衛の騎士は疎か、後ろにいるメイドたちまで目を丸くした。しなかったのはローズ一人である。
「婚約解消されたのに、服に文句を付けられるなんて思ってもみなかったわ。」
表情も変えずに返すローズの言葉に、ただの幼馴染に戻ったのだとジェイクは実感した。婚約している間、ローズはジェイクに反論することなく大人しく従っていたからそれに慣れてしまっていた。勉学面では口煩かったが、少しやれば言わなくなるので気にならなかった。
「私はあなたにあんなに嫌われているなんて思わなかったわ。」
黙ったジェイクに、ローズが口火を切った。
『あんなに』とは何の事だろう。そもそもローズの事を嫌ってはいない。エリーゼを愛しているだけだ。
「『辛辣』で『冷たい』のでしょう?」
ローズにヒントを出されて、ジェイクはようやく新聞に発表された手紙のことだと気付く。
「いや、それは。」
あれはエリーゼがライルの事を悪し様に書いているから、こちらも酷いのだと書いただけだ。まさかローズやその他大勢が読むのだとは思わない恋人同士の戯言だった。まぁエリーゼがローズに自分の手紙を投げたと言われて、自分も倣って公爵令息に投げつけたのだけれど。
「まぁ、いいわ。思うのは自由ですから。南でお幸せに。サミュエル領はお兄様が支援してノア様が跡を継ぐわ。さようならサミュエル侯爵令息様。」
見慣れた美しいカーテシーをして、去って行くローズの姿をジェイクは呼び止めた。
「ローズも南へ行かないか?エリーゼ様の侍女とかでさ、僕を。」
『手伝ってくれないか』とジェイクが言葉を続けようと口が動くと、騎士が今にも殺しそうな形相で睨んだ。殺気に気圧されている間にローズはメイドに連れられて部屋を去ってしまった。
「僭越ながら、サミュエル侯爵令息。婚約解消された方を名前で呼び捨てられるのは如何なものかと存じます。」
白髪混じりのメイドが鋭い眼差しで告げると、飲まずに放置されたテーブルセットを片付け始めた。ジェイクは耳が赤くなるのを感じ、つい声を荒らげた。
「使用人の分際で、僕に説教など失礼だろう!」
ジェイクの怒鳴り声など微塵も受け止めていないだろう表情で、老いたメイドはジェイクに慇懃無礼に頭を下げた。
「お客様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。主に説明し、共に謝罪に伺いますので少々お待ちください。」
使用人の粗相は主の責任。当たり前の事を言うメイドにジェイクは考えた。この老メイドの主は誰だろう。王か王妃か王太子か王子妃か、エリーゼが若いメイドしか使わないのは知っている。いずれにしても自分よりも格上であり、事情の説明をするならば自分の分が悪いことはさすがに気づいている。確かにメイドの言うことは尤もである。もしライルがエリーゼを呼び捨てにしていたら、批判は尤もだった。
「いや、こちらが悪かった。ただローズと私は幼馴染なんだ。だから、あちらも気にしていないよ。」
なるべく優しくジェイクが謝ると、老メイドは殺気を飛ばした騎士と目を合わせてからジェイクの方を向いた。
「しかしローズ様はこちらの部屋に入ってから一度もサミュエル侯爵令息のお名前を呼んではおりません。御自身のお立場を考えてのことだと思います。もしくは。」
言葉を切った老メイドに息が詰まる。婚約解消するまでは『ジェイク様』と注意するにも意見するにも必ず名前を呼ばれていた。しかし今は『あなた』としか言われていない。そして続きが気になり、先を促すと言い淀む老メイドに変わって騎士が苦虫を噛み潰したように告げた。
「名前を言うのも嫌なくらい嫌いなのではないでしょうか。」
ここからジェイクの記憶はあやふやだった。いつ部屋に戻ったのかも、あのメイド達にどう返事をしたのかも憶えていない。
「ジェイク殿、聞いておられますか」
補佐官の声に意識が戻る。考え事をしながら眠ってしまったのか、渋い顔をされるので思わず頷いた。
「聞いておりました。」
「では、そのプランで参りますのでよろしくお願いします。」
言葉少ない補佐官は手元の書類に目を落とした。
(ローズが近くにいれば)聞いていないことをこっそり叱って、もう一度教えてくれるのに。
補佐官のプラン通り、二人の馬車は領地の重要拠点をくまなく巡回してエリーゼの乗る馬車よりも一ヶ月遅れて到着することになる。
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エリーゼに『セイラ』と呼ばれたメイド・サラは、久しぶりの実家を二週間堪能した後、王都に帰ってきた。ポニーテールにしていた髪をショートカットにして、真ん中で分けていた前髪はぱっつんに切り揃えて。
本来勤める公爵家の使用人用のドアを叩き、王城とは違うお仕着せに着替えて坊ちゃんの元に向かった。
「ライル坊ちゃん、ただ今戻りました。」




