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苦労人男爵令息の家出未遂

 学園を卒業すると僕は王都に別れを告げ、ウォール領に戻った。そして結婚したばかりの両親や使用人に歓待を受けたその日、皆が寝静まった夜更けに五歳以来の家出を試みた。年齢から言えば出奔だろうか。昔とは違って、僅かな金貨と地図と食料、それに学園の卒業証明書を鞄に入れて自分の部屋を抜け出した。


 しかし今回も門を出た所で見つかった。

「ジョンさんがさすがに夜中は無理だからお前に任せるって、酷いですよね。昼に抜け出すのなら私の出番は無かったんですよ。坊ちゃんのおかげで仕事でもないのに、夜更かしですよ。」

 壁にもたれ欠伸をしながら僕に愚痴を言うのはクラークだ。

「見逃してくれない?」

「無理ですね。エリーゼ様に張り倒された挙句に八つ裂きにされます。」

 クラークにあっさり断られた脳裏に蘇ったのは、母が気に入っている花瓶を割ってしまった場面だ。必死に隠そうとする僕にクラークは同じように即答した。あれから十年は過ぎたのに、クラークの母に対する評価は変わらない。

「どうぞ深夜のお茶会にご参加ください。さもなくばここで殴り倒して、地下牢に鎖で繋ぎますよ?」

 後ろに姿を現した門番の姿という物理的な脅しに負け、出奔を諦めてた僕は大人しくクラークの部屋に連行された。


 ジョンの部屋と違ってクラークの部屋には本ではなく、いつも書類が散乱している。椅子の座面から書類を退かし、文句を言いながら座った。

「僕を招待するって分かってたのに、何で片付けてないんだよ。」

「私は来ない方に賭けていたんですよ。エマ様と結婚する坊ちゃんが逃げる訳が無いってジョンさんと意見が割れたんです。片付けたら負けな気がするでしょう。」

 言い返すジョンはかろうじて布がかけられたカップを取り出して見慣れたユズジャムをスプーンでふた匙いれると、ドア付近の床に置いてあったポットからカップにお湯を注いだ。湯気が出ているということは、門番とクラークの他にも湯を用意してくれた人間がいるということだ。

「……情けない。」

 肩を落としてポツリと呟くと、スプーンでぐるぐるとゆず茶をかき混ぜるクラークが鼻で笑った。

「ですねぇ。卒業を待たずに、もしくは卒業してすぐに王都から逃げれば良かったんですよ。どうせエリーゼ様のお顔をもう一度とか思ったんでしょうけど。」

 クラークに図星を言い当てられ、足を椅子に上げて膝を抱えるとまた笑われる。

「身長も高くなったんですから、可愛くないですよ。エリーゼ様は『昔も今も可愛いわ』って仰いますけど、もう大人ですからね。五歳のルイ様とは違うんですよ。」

「分かってるよ。」


 クラークは最初、僕の家庭教師だった。若いお兄さんに僕は喜んだ。村の同世代の子供の父親くらいの若い人間は男爵邸にはいなかった。門番は筋肉からして違って、細い男の人は元男爵くらい。いつも隣に妾を侍らせて、遊んだ覚えもない。母が僕に甘いのは十分理解出来る年頃だったから、てっきり遊び相手だと思った。それが計算から文字の読み書き、言葉遣いまで教える鬼教師だと気付いたのは一時間後だった。母に泣きついても許されずに勉強は続き、鬼教師を追い出す方法を考えていた頃にクラークはバタンと倒れた。口から泡を出す人間を初めて見た僕は慌てふためいたものだ。

「あれは『かろう』というの。夜も寝ないでお勉強していると、こうなるのよ。だからルイはご飯をたくさん食べて、夜はしっかりとお眠りなさい。」

 もちろん昼間は運動と勉強ですよ、というお祖母様の説明に僕は首がもげるくらいに頷いた。そして僕には夜になったらクラークがベッドに入るのを見届けるという仕事が与えられた。六歳の僕の就寝時間よりも早く、今思えばこれから仕事に集中出来るタイミングで眠らせるというのは中々の荒業だった。しかし過労になったのに全く懲りないクラークには習慣づけが必要で、僕は適任だった。


「あの頃の坊ちゃんにお願いされたら、私だって言うこと聞きますけどね。」

「クラークは嘘つきだな。何回寝たフリを見つけたと思ってるんだよ。挙句にお母様に二人で怒られて、クラークが僕の言うことを聞かなかったからだろう?」

 軽口を叩くと、クラークがにこりと笑った。

「やっと笑われましたね。そのまま吐き出して、すっきりして、お部屋に戻って二度と家出なんて思いつかないでください。そうしたら皆も知らないフリしてあげますから。」

 その言葉にゆず茶を一口飲むと、深く長いため息が勝手に出て笑えてくる。

「跡継ぎはね、二人の子である方が良いと思うんだ。」

「やっぱりそれですか。だろうとは思っていましたが。」


 陛下はお母様の成長と義父上の人間性を鑑みて、義父上に種を絶やす薬を飲ませなかった。ライアンさんを領地に連れて来ると決めた時点で薬が使われないことに僕は確信を持っていた。二人が結婚して今後弟が生まれるという可能性が高くなった今、僕はもう退場するべきだろう。

「母と義父の子だったら、僕よりも領地を発展させられると思うんだ。愚鈍な領主は罪だろう?」

「愚鈍ねぇ。卒業までずっと特待クラスの坊ちゃんには不似合いな言葉ですね。」

「クラークだって、マーガレットだってそうじゃないか。」

「周りが天才タイプばかりで、努力型は愚鈍だと?エマ様だって随分と努力家でしょうが。あなたと同じクラスになるために、マーガレット様に教えを乞うた人を愚鈍とおっしゃいますか?」

 段々とクラークの声が冷たくなるに従って、僕の指先は勝手に震えてカップを握りしめた。

「エマが愚鈍であるはずがないよ。エマは僕がお母様の子ではないと知っても、変わらない態度でウォール家に嫁ぐと言ってくれた。」

「もしかして、まだ見ぬ弟にエマ様を託そうとしてます?」

 図星である。僕が黙ったことを確認して、呆れた声でクラークが目の前に仁王立ちした。

「さすがにこれからエリーゼ様が仕込んでも、跡取りが成人する頃にはエマ様はレディではないでしょう。というか坊ちゃんが逃げたら追いかけるか、修道院に駆け込むでしょうよ。そうなったらローズマリー夫人が坊ちゃん探し出して、八つ裂きにするでしょうね。」

「エマは貴族令嬢だよ。そんな事しない。」

 自嘲気味に否定すると、深いため息を目の前で吐かれた。

「坊ちゃんは女性という生き物を甘く見すぎです。ねぇ、エヴァ様。」

「!!」

 色々と語弊がある物言いを訂正しようとした直後にクラークの口から出た人物の名前に背筋が伸び、ドアを見るとガウンを着たお祖母様が立っていた。

「エヴァ様のように遠回りして初恋の相手と結婚する貴族令嬢もいらっしゃいますから。」

「クラーク、もう令嬢じゃないわ。恥ずかしい言い方は止めてちょうだい。」

「恋愛小説の主人公のようだと令嬢の憧れを独占していらっしゃるではありませんか。皆の注目の的ですよ。」

 お母様の結婚と同時期に、お祖母様はジョンと結婚した。今までの成果を陛下に認められ、管理していた王領を分け与えられたジョンは男爵になった。男爵夫人となったお祖母様を新聞は『初恋の成就!!運命の恋人』と書き立てた。おかげでお母様の再婚はあまり話題にならずに済んだ。それが誰かの狙いだったのだろう。

「ルイはひとまず私の話をお聞きなさい。そして貴族には血よりも大事なものがあることを理解なさい。」

 そう言ったお祖母様は、お母様にも話していないことを僕に話し始めた。

読んでいただき、ありがとうございます。


連休でリズムが崩れております。

多分次で終わりますが、イマイチ上手く締まらず悩み中です。

もしかしたらもう少し追加するかもしれません。

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