元王女への助力
いつもより早い時間に。
エリーゼたちが王都から戻ると、広間に待っていたジョンの後ろに見知らぬ男が控えていた。歳の頃は三十。黒い短髪に眼鏡、痩せ型、The文官という風貌である。
「ジョン、ただいま。」
マーガレットからもらった図鑑にご機嫌なルイの相手を共に留守番していた侍女に任せ、ジョンはエリーゼに手紙を差し出し男を紹介した。
「彼が以前サミュエルで文官として勤めていたクラークです。身元はシェラード伯爵が保証すると、直筆の書面にて確認済みです。」
ソファーにエヴァと座り、ルイは乳母に私室に連れて行ってもらう。ジェイクに余所行きの服が目撃されては都合が悪い。ジョンに紹介されながら手紙を見ると、ローズからエリーゼの元へ届けるように指示があったと伯爵は書いている。
「話が違うわ。私は条件を擦り合わせて、契約しましょうとローズから言われたのに。」
つい口を尖らせたエリーゼに深く頭を下げた文官クラークは顔を上げるとにこりと微笑んだ。
「ローズ様から奥様は私が名ばかりながらも元雇い主の息子の元で働くことを不快に思うか、心配していると聞きました。そこで奥様よりも一足先にこちらに到着して、ジェイク様にお会いして不快であったならば顔を見せずにお断りの手紙を置いて帰るつもりでいたのです。しかし、特に何も思いませんでした。もっともあちらは私の事を覚えていらっしゃいませんでしたから、凝視する私を不審そうに見ていましたけどね。」
「なっ。」
思わず声を漏らしたエリーゼだったが、よく考えれば王城にいた頃は使用人の顔など気にしていなかった。こちらの使用人はその息子や孫までスラスラと名前が言えるのに。ジェイクと自分が似たもの同士であることを感じたエリーゼの表情が暗くなると、クラークはいえいえと手を自分の顔の前で横に振った。
「普通ですよ。貴族の方に覚えてもらえるのは実力者の証です。ジェイク様にとって私は深く関わることのない父親の部下でしたから。だからローズ様のように自分の名前や以前お話した内容を覚えていてくださる方に忠誠心を持つのです。名ばかりの領主で実権は他の者というのもよくある話です。他の者が尊敬出来る方であれば仕えるのには問題ございません。」
その言葉にエリーゼは王城での自分を思い出し、顔を歪めた。可愛がっていた侍女ターニャの事だって婚約者や出身をかろうじて知っているくらい。修道院に入れられた使用人たちに至っては名前と男爵令嬢、子爵令嬢だというくらいしか覚えていない。婚約パーティーで会話をした双子の令嬢をこちらに招待しようにも、家名も名前すらあやふやで手紙も出せない。侍女が自分が知りたいことを知らなければ叱責していたというのに、傲慢にも程がある。
「修道院に入れられなくても、きっと私には侍女たちは付いて来なかったわね。」
彼女たちも自分たちが認識されていないことは当然理解していただろう。自分のことに精一杯で侍女たちの行先すら知ろうとしなかった自分が恥ずかしい。
「自虐と反省は私室でおやりなさい。」
再び落ち込むエリーゼにエヴァは笑いかけた。
「まだ使用人となっていない者に自分の弱い所など見せてはなりません。貴族として凛としなさい。」
エヴァが軽く背中を叩くと、エリーゼは思わず背を正した。
「お話し続けてもよろしいでしょうか?」
おずおずではなく、ピンと手を挙げてクラークという男は先に進みたいとアピールした。
「ごめんなさいね、どうぞ条件について教えてちょうだい。」
エリーゼは気持ちを落ち着かせようと使い慣れた扇を取り出して口元に当て、先を促した。
「では給料面はジョン先輩と話し合うことに致しまして、私の仕事は領地経営のアドバイスとそれに伴う実施計画、資産の計算などと伺っております。奥様は現時点で何か是正したい事はございませんか?危惧していることや改善すべきことなど何でもお話ください。」
ジョン先輩という言葉に一瞬場が止まったが、是正したいことという言葉にエリーゼは扇を閉じて目線を宙に漂わせた。
「まず気になるのはルイと遊びに行っている農村の道ね。東側には山。他の三方が川に囲われているから、街に出るには橋を渡る必要があるの。それが南にしか橋がかかっていないのよ。昔は南に村人が固まっていたから作ったみたいなんだけど、昔川が氾濫した時に北の方に住居を移した事で遠くなったの。長雨だと橋が渡れずに孤立してしまうし、北か西に橋をかけたいわ。」
困った顔で「雨が降ったらいらっしゃるのは避けた方がよろしいですよ。」と言う老婆の顔が目に浮かんでスラスラと話すと、クラークは目を丸くさせている。周りを見れば母もジョンも使用人も護衛も同じ表情で、場違いな発言だったかと唇を尖らせた。
「ルイが遊べなくて困ったわって思っただけよ。悪かったわね。」
途端にブンブンと音が鳴りそうなほどに首を横に振り始め、エリーゼは誰か特に一番年配の使用人の首が取れるのではないかと心配になった。
「いえ、とても良いご意見だと思います。領主として民を気遣う心は素晴らしい。それに水害になれば救助に向かう必要があります。民が自分で避難出来る手立てがあれば結果的に金銭も少なく済みます。また橋を建設するのであれば人手も必要になり働き口も増えます。奥様が村を気にかけていると知れば、村の人々は喜び仕事への活力となるでしょう。」
一人だけ首を動かしていなかったクラークはご機嫌に微笑み、机に紙を広げてサラサラと数字を書き始めた。その間に他の面々は首を止め、エリーゼの近くに歩み寄った。
「こんなに成長するなんて思ってなかったわ。必要な計算はクラークがやるとして、橋を建設する場所の選定をしなければ。」
「ルイ様にはどんどん領地内で遊んでいただき、弱き者の目線をエリーゼ様に教えていただかなければ。」
「とにかくルイ様をお褒めして、大好物を作りましょう。」
エリーゼがポカンとしている間に皆が我先にと広間を出て行き、残ったのはエリーゼと侍女と護衛とあっという間に二枚目の紙を取り出したクラークの四人だけだった。
「一つ、お願いがあるのだけれど。」
「はい、何でしょう?」
雇い主に顔も向けずに一心不乱にペンを走らせるクラークにエリーゼは声の声量を落として話し掛けた。彼のような状態になっている兄たちを何度も見たことがあったが、不用意に声をかけて怒られた記憶しかない。
「そんなに給金は出せないかもしれないわ。名産品は無いし、港町は領地じゃないの。橋を作るのであれば材料も人材にもお金がかかるし、いくらあっても足りないでしょう?」
「初年度は試用期間ということで寝る場所、着るもの、食べる物があれば構いません。無いならば作れば良いのです。名産となる何かを作りましょう。港町が近いのは利点です。他国の作物の中に村でも栽培出来る物があるか、試してみましょう。国内であれば輸送費も少なく、物珍しさで北に高値で売れるかもしれません。その為にも橋です。水害で孤立して納入が遅れては信用を失います。作物の目処がたったらその後は治水工事に進みましょう。忙しくなりますが、あのばかむす旦那様には気づかれない程度に進めましょう。」
上の兄と同じように思わず頷きそうになる物言いに、エリーゼはぐっと堪えた。ばかむすまで言うならば『こ』くらい言えば良いのに、扇で口元を隠してからニヤニヤと笑う。
「さすがにもう少しあげられるわ。忙しいのは分かるけれど、私とルイの教育もお願いしたいの。資産の計算方法とか、数字が関わることはさっぱり分からないから、理解出来るようにしたいわ。」
「ではそれを別料金で上乗せして頂きます。あと、お約束ください。必ずや男爵を追い出し、爵位と領地を奥様が手にすると。」
ニヤリと笑うクラークの目に笑みはなく、ジェイクの愚行によってプライド砕かれた恨みを感じる。
「分かったわ。それが私からあなたへの詫びよ。命をかけて誓いましょう。ルイを必ずや男爵に。ジェイクには男爵位から降りてもらう。」
元王女殿下には夫が原因で侯爵家を追い出された優秀な文官が味方になった。
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