公爵家での夜
夕食会は恙無く終えた。これを一番に驚いたのはライルであり、次点は使用人たちであった。
以前の王女であればライルがいるだけで不機嫌さを隠さず、マナーだけは完璧な居心地の悪い食事だった。恐らく未だにライルのことは嫌いなのだろうが、わざと挑発する発言をしても片眉を上げるくらいで次の瞬間には息子に微笑みかけている。むしろローズとマーガレットにライルが冷たい目をされる。
また直接見たことは無くとも元王女の使用人に対する横暴話を耳に入れていた使用人たちは、皿でも投げるのではと不安げに見守っていたが一枚も割れずに給仕の手に戻ってきた。
控えめな元王女の息子は年相応に食事のマナーも素晴らしく、好き嫌いもない。聞こえてくる会話はマーガレットの図鑑に書いてあった話やマーガレットについての好意的な言葉ばかりでそれに応えるエリーゼとともに微笑ましい母子でしかなかった。
「人が変わられたようですね。」
子供たちが乳母にベッドに連れていかれると、応接間での大人の時間となった。酒が得意ではないローズとエリーゼに合わせてハーブティーを飲みながら、ライルはしみじみと呟いた。
「王太子殿下からは聞いておりましたが、妻への返事は誰か代わりの者に書かせていると思っておりました。」
あの王女が育児や作物に興味を抱くはずがない。使用人の文を書き写し、変わったふりをしてあわよくば王家から資金を分捕る気であるとライルは思っていた。三歳になるまでというのも、子供を自分の言いなりに躾けるのに必要な期間だと推測していたがライルの目から見るにエリーゼに対して怯える様子もなく屈託なく笑う様からは虐待の気配も感じられない。
「大きなお世話。私の使用人は母より年上ばかりよ。私の書いた手紙の下書きをする老婆を想像してごらんなさい。」
息子がいた時とはあからさまに違い元王女は眉間に皺を寄せるが、以前ほどの尊大さはなくただ失礼な事を言われたからだと分かる表情だった。それよりもしわくちゃな老婆がローズ宛に子育ての手紙を書いている姿を想像して、ライルは腹筋に力を入れて頬の内側を噛んだ。嫌いな元婚約者の言葉で笑うのはプライドが許さない。
「エリーゼ様のお手紙は子供を健康に立派に育てたいという気持ちが詰まった内容でした。太陽の下で遊んだ方がいいと書かれていましたので、マーガレットも遊ばせておりますわ。前よりも風邪をひきにくくなったような気がします。」
「あまり強い日差しはよくないけど、夏なら朝が良いでしょうね。カーテンを開けて窓から浴びるだけでも良いと昔の文献に書いてあったの。」
いきいきとまた育児談義を始める妻と元王女に、ライルは気持ちを鎮めて咳払いをした。
「悪いが昼間とは違う話をしたい。エリーゼ様、失礼ながら男爵はもうあなたの元へは戻られないでしょう。今後どうされるおつもりですか?」
元婚約者の家庭に口を出すのもどうかと思うが、王家が降嫁した王女のために動くのも問題である。ただの雑談だと言いながら息子がジェイクの子ですらないことを王太子に明かされてから、ライルは無駄な荷物を背負わされている。同席していたローズはジェイクへの怒りで王都を飛び出しかねない有様だったため、本人がいるこの時に何とか解決に導きたい。
「大前提として、ルイに継がせたいわ。それにジェイクと復縁するなんて考えたこともありません。」
安眠のためのカモミールティーを一口飲むと、エリーゼはライルに向かって微笑んだ。
「別にジェイクに罰を与えたいなんて思っていないわ。私が選んだ人だし、ルイと出会わせてくれたもの。だからジェイクと妾がこのまま別邸で大人しく判子を押すだけの存在でいたら、ルイが継げる年になるまではこのままの暮らしをさせてあげるつもりよ。継がせた後はもう少し田舎に大きな家と使用人をあげたいと思っているわ。もしルイが男爵になった後にジェイクが私と離縁したいというならそれでも良いの。しっかりルイを守れる人間を付けて私は農村にでも引っ込んで慎ましく暮らすわ。ただジェイクがね、まだ幼いルイに自分のサインを教えて仕事をさせようとしているみたいなの。妾もルイに自分が本当のお母様だから宝石をちょうだいってねだったみたいで扱いに困るわ。せっかくの穏やかな暮らしを自分から手放そうとするのよ。地下に幽閉でもされたいのかしらね。」
全く困っていると思っていないエリーゼの顔に困惑しながらライルは問いかけた。
「みたいというのはあなたが息子から聞いたお話ということですか?」
「ジェイクは自分が正しいと思っているのです。だから乳母の前で愚かな言動をしてしまうの。妾はこそこそしていたけれど、ルイを一人になんてするわけないのに影という存在を知らないんでしょうね。」
エヴァが代わりに答えると、ローズが肩を落としてため息をついた。
「前から散々手紙で伝えていたけれど、ローズは元婚約者というだけでジェイクの愚行とは関係ないのよ。そんなに落ち込まないでちょうだい。私が大人しくライルと結婚しなかったせいで様々な人に迷惑をかけたわ。サミュエル家のことも聞いてるの。ローズがサミュエル家に嫁いで上手くジェイクをコントロールしていれば、今も侯爵家のままだったでしょう。」
エリーゼがローズの肩に手を置くと、ローズはその手を両手で掴んでしっかりとエリーゼを見据えた。ローズの眼力に後ろに体をそらそうとしても頑として動かない。
「エリーゼ様。ジェイクいえ、男爵を追い出してしまいましょう。そしてルイ様が男爵となる時までエリーゼ様が当主となるのです。」
「は?」
「今となってはエリーゼ様にジェイクを奪っていただいたこと、大変感謝しております。私が嫁いでいれば、エリーゼ様のおっしゃる通りサミュエル家は安泰だったことでしょう。けれど私はあの赤いドレスで髪型だって自由がありませんでした。何より最愛の夫ともマーガレットとも会えずに生涯を終えていたのです。あなたは私の救いの女神様です。」
「え?」
「少し大袈裟だが、ローズと結婚出来たのは貴女のおかげかもしれません。サミュエル侯爵家に先を越されて、貴女と婚約していなければ私は別の令嬢と結婚していたでしょう。もしジェイクが他の馬鹿な女と付き合って婚約破棄していてもローズは手に入らなかった。正に運命でした。」
「馬鹿って!」
途中から会話に入ってきたライルを睨みつけつつ、エリーゼはローズの手を離そうともがいた。
「ジェイクからすれば、私たち夫婦が手を貸すなんて夢にも思っていないでしょう。ずる賢い者がジェイクにつく前に、男爵の地位を乗っ取ってやるのです。」
ローズのあまりの剣幕にタジタジのエリーゼが困惑しながらライルを見れば、腕組みをしながら悠然と微笑んでいる。
「私はローズを止めませんよ。彼女の突飛な行動は魅力の一つですから。」
「まずは実績作りです。私の生家に一人に優秀な文官が身を寄せております。エリーゼ様が領地にお戻りになった頃に訪問するようにお願いしておきます。」
ペラペラと話し始めるローズの言葉を壁際にいた使用人が当たり前のように書き綴るさまからして、これが公爵家の日常のようだ。
「明日の登城も付き添わせて頂きます。殿下たちにも相談しなければなりませんので。」
ローズと違い頭の中で整理が済んだらしいライルを見て、エリーゼは失敗であっただろう自身の結婚が目の前の二人を結んだことを少しだけ喜んだ。
木金で書いたので、雑です。
もう少しの予定のため、また来週お付き合いください。




