侯爵の悪あがき
「旦那様、ジェイクの結婚式はまたドレスを新調しなくてはいけないわね。」
サミュエル夫人は執務室で必死に書類と格闘している侯爵にドレスの新調を願い出た。夫人がローズとジェイクの結婚式のために作ったドレスは首が覆われた物で、さすがに騒ぎとなったジェイクの元婚約者のトレードマークとしてのイメージが強すぎる。また王都やサミュエル領ならまだしも南の領地では暑くてたまらないだろう。
「そうだな。手配しろ。」
顔も上げずに簡潔に話す侯爵は余裕が無いのだろう。その『手配』をしていた執事や侍女頭を一気に退職させたのだが、チラリと後ろに控える若い侍女を見ると青い顔をして首を小刻みに横に振っている。
「その手配の仕方が分からないの。何とかしてくださる?」
わざとのんびり話しかければ、ようやく顔を上げうんざりとした顔をする。そんな顔をするならせめて執事を残せば良かったのにと夫人は思う。
「シェラード夫人の店に人をやればいいだろう。すぐに来る。」
「あら、隣の領まで誰をやればいいの?それに元婚約者の母の店のドレスなんて、王女殿下は嫌がるわ。」
ぐっと押し黙った侯爵は先頃サミュエル領内の店が全て閉まったことを思い出したらしい。デリカシーの無いところはジェイクも似ている。親子で困った人だ。
「ではリメイクしたらどうだ?上手いのがいただろう。倹約にもなるし、イメージが良い。」
「あの子はシェラード領出身で、実家に戻ったわ。ローズがサミュエルに嫁がないと分かって、段々と調子が悪くなってしまったの。王都で注文しても良いかしら。」
夫人の言葉に侯爵は深くため息をついた。
王都に向かう許可を出せば、嬉しそうに夫人は出て行った。元々そうする気だったのだろう。ついでにと絵を買ってくる方が彼女の本命のようだが。
執事たちが出て行って一週間。侯爵は激しく後悔している。何故執事と文官をその場の感情で辞職するように促したのか。
二人とも荷物をまとめて次の日の朝には出て行った。昼過ぎには侍女頭が孫の世話のために仕事を辞めたいと申し出た。もう臨月のため、侯爵が帰ってくるのをずっと待っていたという言葉にすぐに首を縦に振る。こうして古参二人と高給の文官が辞めたことで今月からの人件費は大幅に削減された。執事補佐を執事に昇格すると伝えると、
「ありがとうございます、旦那様。病気の父に楽をさせてやれます。先代にも相談していたのですが、まさか自分が辞めてまで私の給金を上げてくれるなんて。」
パッと表情が明るくなった三十過ぎの若い執事に『給金は補佐と同じだ』などとは言えず、深く頷いた。確かに執事から『病気の父に高い薬を買ってやりたいと悩んでいる。』と男の昇給の相談を持ちかけられていた。ジェイクの件で忘れていたが、人間関係の把握は執事に一任していたので今まで苦労は無かった。あの若い執事ではどうだろうか。
次に王都に滞在していたために溜まっていた書類を片付け終わってからハタと気が付いた。大量の書類の選別、一通りのチェックは全て辞めた文官が一人で行っていた。契約の内容も分かりやすく説明され、侯爵は伯爵や執事の意見を聞きながら決定していたが、使用人の中で出来る者はいるだろうか。若い執事に聞くと、眉を下げて困った様子で首を振る。
「手順書は作ってくれていたようですが、あの量と内容は私共ではとても出来ません。新しく人を雇うべきかと思います。シェラード伯爵様にご依頼してみては如何でしょうか?」
若い執事には伯爵に今後の相談出来なくなったことは話していない。しょうがなく自分で書類を精査している。これがひと月、半年ならば耐えられるが幼いノアに引き継ぐまでとすると侯爵の体は持ちそうにない。早く人を見つけなければ、そう思っていると夫人が王都から一人の壮年の男を連れてきた。彼とは知人の画廊で出会い、博学で以前は公爵家に仕えていたという。代替わりした若い公爵とは反りが合わず、名のある商会で会計を担当していたという。試しに書類の山を渡してみると、あっという間に区分し侯爵の間違いまでも指摘した。給金は執事の半分で良いという。妻の買ってきた絵画の値段など気にならないくらいの好人物に浮かれ、秘書に任命してそのまま一ヶ月を乗り切った。使用人とも信頼関係を築いているようで、安心してジェイクの結婚式へ妻と向かうことが出来た。
まさか自分の嫡男だった息子が男爵が妥当だと判断されるとは思っていなかった。まだ未熟だが、侯爵としての責任を立派に果たせると思っていた。ショックと動揺はもちろんジェイクには見せていない。今の状況で頼られては悪評にしかならない上に、自分にだって余裕はないのだ。毅然とした態度で別れを告げて帰路についた。
本邸に帰り着くとエントランスに違和感がある。夫人はすぐに自室に走り、悲鳴を上げた。自慢の絵画が無くなっているのだ。出迎えた執事は夫人の連れてきた秘書が、王都の私邸に飾るように指示を受けたと馬車に積み込んだと言う。侯爵達が出立してすぐに出て行き、暫く王都に滞在すると言うからまだ戻って来ていないと聞くと夫人は目眩を起こした。既に日が経っているとなれば絵画が戻ってくる確率は低いだろう。大作でも価値が低い物は残され、掌ほどの大きさでも希少価値の高い物は持ち去られた。性格に問題はあったが、博学であることに間違いは無かったようだ。
こうしてまた資産を削り、人材を失った侯爵は恥を忍んで親類に助けを求めた。嫡男の件で見切りを付けられていた侯爵の元には凡庸な、ただし仕事は確実に行う執事と文官が送り込まれた。もちろん侯爵に対する忠誠心は無い。一つでも判断を誤ればすぐに親類に知らせが入る。侯爵が気付いていなかった職人の流出、主力産業の低下、シェラード伯爵領からの値段引き上げによる領民の緩やかな逼迫具合まで近隣に知られ、領地経営は悪化する一方だ。
「なに?シェラードに売りつける製糸の値段を変えられないだと?」
「三年毎の契約更新まではですよ、侯爵様。契約書にサインされたのは貴方です。ご長男が騒ぎを起こす数ヶ月前に契約されておりますので、あと二年は同じ値段ですね。」
「あちらの売値は上がった癖に、こちらが上げられないだと。おかしいとは思わんか?」
「契約ですから。契約破棄をすれば裁判になるでしょうね。やればご長男の婚約解消と相まってサミュエル領のイメージはガタ落ち。他との契約も危うくなるかと。シェラード伯爵家はともかく、令嬢の嫁ぎ先のウィンダム公爵家との繋がりを大事にする商家から取引を避けられてるんですよ。侯爵家としての矜恃を持ちましょう。それに契約更新をするなら、先方は恐らく値下げの要求をするでしょう。今までは親族になるから融通していたと訴えると思いますよ。」
「ううむ。」
文官はうんざりしている。前任の優秀な文官の引き継ぎ書にある通り、侯爵はあまり頭がよろしくない。物事を丁寧に説明すると、すぐに引き下がる。だがすぐに周囲の事も考えずに提案する。我に返って反省するようだが、あっという間に忘れる性格だ。今まで評価が良かったのはシェラード伯爵のおかげなのは間違いない。
父から継いだ時には既にベテランの執事がいて経験不足を助け、足りない部分を伯爵が見抜き、文官がそれを補ってくれていた。
まだ本人は実感していないようだが、三人を無くした侯爵の領地経営が破綻するのは目に見えている。大元の雇い主たる侯爵の親類に早く王国の査察が入るように促す手紙を送り、文官と執事は侯爵の無駄な提案を却下することに専念することにした。
若い執事は補佐に降格です。
続きはまた来週投稿します。
ありがとうございました。




