侯爵家から伯爵家になる
サミュエル侯爵家嫡男ジェイクとエリーゼ王女殿下の手紙が新聞で公表された時、正式にそれぞれの相手との婚約が解消されて婚約が発表された時、サミュエル侯爵家の領民の中で執事と財務管理の担当者以外に絶望した人間がどれほどいただろうか。大半の人間は王女との愛を称えた。元々隣地だからと決まった格下の伯爵令嬢だと、誰もが婚約者を下に見ていたのである。
それが真綿で首を絞められる開始の号令だとも知らずに。
まずジェイクの婚約者のシェラード家が経営する洋服店が突然閉店した。発注を受けていた製品は『タイミング良く』全て納品済みで、そういえば新規の発注を店員との会話により延期していたなとご婦人方が感じたくらいに些末なことだった。けれどシェラード伯爵領は隣地で、都市部との交通の便も悪くない。少し足を伸ばすだけだと気にすることも無かった。
次にシェラード伯爵領に本店を置く商家が軒並み正規の値段での商品販売を始めた。不満の声に店員は「我が領主の姫様が嫁がれる領地と考え、他の領地よりも安く提供してまいりました。ご自分の身に置き換えて想像してくださいませ。」と、頭を下げれば文句の付けようはなかった。暴れる者がいれば、すぐに通報される始末だ。暴れる者が現れた店は即時閉店。売上が下がったことを理由に閉店する店も有り、需要と供給のバランスが崩れると残った店が値上げをして民の負担は増えた。
そしてある特定の人間の領地からの転出が増えた。隣地に親戚を持つ技術者である。
伯爵家の使用人と婚約していた侯爵家の庭師には手紙が送られてきた。
「こちらに来なければ、私はお嬢様に付いていくために公爵家の紹介した人と結婚します。」
この一文と雇い主の伯爵からの手紙を片手に侯爵の元に一目散に向かい、退職の許可を得て両親を連れて伯爵領へ向かった。
特産品の糸や布を染める染色職人や機織り職人が隣地にいる家族や親戚に勧誘され、領を離れることを決めた。雇い主や師匠が店を畳んで隣地に行くとなれば、その弟子や家族も同じ場所を目指した。ライバル店や師匠の後釜を狙う野心ある弟子たちは喜んで見送った。
一定のレベルの者が揃うとシェラード伯爵はサミュエル侯爵に手紙を送った。これ以上の侯爵領からの転出は受け入れられない。結婚、離婚以外はお断りすると。すぐにサミュエル侯爵は了解の旨を送り、転出の波は止まった。
結果として産業の質の低下が始まった。競う相手がいなければ堕落する。当然の原理によりサミュエル侯爵家は三年で国からの監査が入り、伯爵家へと降格となった。
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侯爵が領地に戻ると、早速執事と財務管理の担当者を呼んだ。父の代から仕える経験豊富な執事と、王城に勤めていた所をスカウトした若く頭の切れる文官だ。ウィンダム公爵家に払う慰謝料と籍を抜けるとはいえジェイクの結婚費用について相談しなくてはならない。しかし二人が口を揃えて一番の問題はシェラード伯爵家との婚約解消による影響だと言う。侯爵には理解が出来ない。何故ならばシェラード家には慰謝料を請求されていないからだ。
「サミュエル家はウィンダム公爵家とはそれほど関わりはございません。ですから慰謝料を一度払えば終わります。法外な値段でもありませんから、旦那様と奥様のご趣味を我慢いただければ五年程で通常に戻ります。」
「問題はシェラード伯爵様との繋がりです。何人かの領民が、シェラード領でローズ様を中傷して騒ぎを起こしております。これでは今まで手を取り合って発展してきた二つの領の調和が乱れます。」
文官をしていた男の計算は恐らく間違いない。しかし趣味を控えろというのは酷な話だ。侯爵は馬、夫人には絵画の収集という趣味がある。貴族は優雅に振舞うことこそが存在する意義だ。妻もジェイクの様子に肩を落としている。楽しみすらも奪うことは出来ない。
「二人はどうすれば良いと思うのだ?」
今までは伯爵にしていた問いを執事たちにする。困り事を伯爵に相談すれば、すぐに思いつかない答えを教えてくれる。とても良い相談相手だったが、今回の件で断られた以上領地の中で考えるしかない。
「幾許かの詫び金を贈るべきかと思います。利権でも良いでしょう。手紙を綴り謝罪の気持ちを表すべきです。」
執事の言葉に文官も頷く。が、納得出来ない。
「ローズ嬢にジェイクを愛する心は恐らく無かった。公爵家との縁談も決まったのだ。謝罪も十分に私がしてきた。これ以上金など贈れば伯爵もやりづらいだろう。」
こう伝えても二人は同調しない。どうするべきかと考えていると、ドアが勢い良く叩かれた。執事にドアを開けるように促すと、顔を真っ赤に息を切らした若い庭師が立っている。
「どうした?一体何があった?」
執事が心配そうに声をかけると、頭を下げながら手に持っていた紙を差し出す。
「旦那様!本日限りで仕事を辞めさせてください!婚約者が、このままだと他の男と結婚してしまいます。」
前半は怒鳴りつけるような大声であったが、後半になるにつれて弱くなっていく。顔を上げた庭師は目をうるませ、必死に何度も頭を下げた。
「婚約者はローズ様の侍女でして、こちらに来なければ解消だと。伯爵様は旦那様が良ければ受け入れると書いてあります。」
ざっと読んだ執事に説明されれば、息子のせいで引き裂かれそうになっている庭師が哀れに思える。
「良い。伯爵家に仕えて幸せに暮らせ。」
せめてもの餞にと執事に退職金を多めに渡すように指示すると、庭師は安心した様子で何度も礼を言いながら部屋を出て行った。
そこで思いついた。
使用人を減らせば、趣味を控えなくても良いのではないかと。丁度目の前にいる文官と金の準備をするために出て行った執事が使用人の中でも特出して給金が高い。執事は年齢のために高く、文官は勧誘する際に『彼のような人材にはちゃんと敬意をはらわないといけませんよ。評価を実感出来るのは給金の額です。』と伯爵に助言されたので、若手ながらに中々の額である。二人分を払わなければ一年分くらいは挽回出来るだろう。
「すぐに親を連れて伯爵領に移るようです。」
ほっとした顔で戻ってきた執事に侯爵は真っ直ぐに目を向ける。
「よくよく思い出すとお前がジェイクとローズ嬢の婚約を勧めたんだったな。このような事態になるとは思わなかったのか?そっちのお前も伯爵が私に勧めたから我が領土に招いたが、シェラード伯爵とは縁が離れたからなぁ、どうするべきか。」
その言葉に執事は瞬きを数回して、長年使えた主人の意志を理解した。
「申し訳ございません。ジェイク様の性格を鑑みず、旦那様にローズ様とのご婚約をお勧めました。私などが口出しすべき内容ではございませんでした。職を辞してシェラード伯爵様にお詫びして参ります。何卒お許しください。」
「よし、良い心意気だ。しっかり詫びてきてくれ。紹介状と退職金も少し増やそう。」
深く頭を下げる執事と満足気な侯爵を冷めた目で見た文官は自分も頭を下げた。
「私も伯爵様に見込み違いをされたようです。侯爵家を離れ、一からまた勉強して参ります。」
「うむ。お前が成果を出してくれば、また雇う日もあるだろう。それまで努力せよ。」
ここからベテラン使用人の退職ドミノが始まった。
読んでいただき、ありがとうございます。
繁忙期に突入したため、次回は12月になりそうです。




