公爵令息の困惑
引き続きライル視点にお付き合いください。
そこから先、私は完全に部外者だった。
案内された伯爵夫人と共に入った侍女を見てローズは立ち上がり、駆け寄った。
「ごめんなさい、ごめんなさい。あんなに大事なものを。」
「良いのです。私よりもお嬢様が無事でようございました。」
二人でひしと抱き合い、涙を流す姿に唖然としているとハリーがこっそりと後ろに現れた。
「あれが件の刺繍の作成者でございます。どうしても同行したいと志願されまして、夫人も納得をされました。」
母からの厳しい視線を受け部屋の外に出ると、そのまま自分の私室に向かう。恐らくこのままローズは帰るだろう。私のことなど忘れているかもしれないが、ひとまずホランド侯爵家の方が問題だ。
「私が伯爵邸を訪れますと、外に侯爵家の紋章が入った馬車が停まっておりました。玄関では執事が対応をしておりまして、馬車に侯爵本人が乗っているから訪問を受け入れろと年配のでっぷりとした使者が慇懃無礼に申していました。伯爵家の執事は平身低頭に断っていましたので、こちらも公爵家の使いだと偉そうなふりをして合図しましたら中に入れてくれました。」
先触れも出さないほど伯爵家を侮ったのか、はたまた余裕が無かったのか。
「で?」
「夫人にお手紙をお渡しすると先程の侍女を呼んで手紙を見せておりました。赤くなって手紙を持つ手が震えていらっしゃいましたから、ローズ様は大変慕われているようですね。」
「当たり前だろう。ユーリだけなわけが無い。」
ふざけた言い方に返せば、ハリーがにこりと笑う。
「夫人はわざと髪を少し乱して、玄関に駆け下りて『伯爵が不在時に家に侯爵様を入れる訳には参りません。娘が公爵家で泣いているので、私もそちらに向かいます。お引き取りください。』って、応接間ではのんびりしていたのに使者に言い放ったんです。あの人女優ですよ。」
「辺境伯の娘だから肝が据わってらっしゃるんだ。」
おっとりだけではない義母上のようだが、母と仲が良いのも納得がいく。
「だから私も言い添えました。『ローズ様の婚約者はウィンダム公爵の嫡男です。伯爵家への御用は公爵家にて承ります。』と言いましたら、使者はスタコラサッサと馬車に戻って行きましたよ。途中まで馬車を付けていたようですが、事実だと分かったのか離れて行きました。」
「よくやった。」
満更でもない様子で語っていたハリーが急に真剣な顔になり腕組みをする。
「ただホランド侯爵様と言われるとご夫妻揃って温厚で少し気が弱いというのが使用人たちの印象でして、今回のお嬢様の件にしてもイメージが違うんですよね。」
「調べられるか?」
「既に奥様から調査の指示が入ったようですよ。」
サラリと言うハリーを睨みつけるが、素知らぬふりをされる。
「まだ勝てないな。」
護衛も調査の指示も母に先を越された。次期公爵夫人を守る母は完璧だ。自分に落胆するばかりである。
コンコンコン
使用人のノックよりも小さい音が響いた。ハリーがドアを開けると微かなレモンの香りと共にローズの姿が見える。
「そろそろ帰ります。その前に母がライル様にご挨拶するようにと。」
ありがとうございます、義母上。と忘れられていなかったことに喜びながら、頬を引き締めてドアに向かう。後ろのユーリが何かを目で強く訴えているが、全く分からない。
「ちょっと失礼します。」
私に訴えても無駄だと分かったのかハリーの手を掴んで廊下に出すと、軽くローズの背を押して部屋の中に入れた。バタンとドアが閉まるとユーリの声がする。
「奥様方の了承済みですので、問題ありません。イチャイチャしてください。」
よろけたローズを支えようとしていた手が思わず止まった。ローズと目が合うと、ローズは瞬時に顔が赤くなりドアに勢いよく背中をぶつけた。
「そういう意味だとは思っておりませんでした。」
「分かったから、落ち着いて。痛くなかったかい?」
両手を上げて後ろに下がると、ローズは胸に手を置き目を閉じて深呼吸する。
「痛くないとは言えませんが平気です。それよりも今日はありがとうございました。ライル様がいらっしゃると聞いた時は、イザベラ様と揉めると大変だとしか思っていなかったんです。けれど居てくださって助かりました。」
気持ちを整えたのかにこにこと話す様子には可愛い。が、内心苦笑いである。ハリーに『行かない方がいいですよ』と言われていたものの邪魔だと思われていたとは。こちらの気が離れている間にローズは部屋の中に視線を巡らせ始めた。机に書棚に休憩用のテーブルとソファー。特に変わった物も無い部屋だ。
「何か面白い物でもあったかな?」
書棚に目が止まったことに気づいて声をかけると、小さく微笑む姿は絵になる。
「いえ、兄の書棚とよく似ていると思ったもので。何冊か同じ本もあります。」
「お兄さんか、結婚するまでにお会いしたいものだな。」
領地で伯爵の右腕として活躍しているローズの兄は簡単に王都には来られないらしく、会いに行くより他は無い。しかしこちらにも仕事があり、運が悪いと式まで会えない可能性がある。出来れば早めに味方につけたいところだが、今は手紙のやり取りしか出来ていない。ひとまず受け入れられていると思うが、反対されるわけにはいかないため懸案事項である。
「デイジー様は大丈夫でしょうか?このまま学園を去ったりしないでしょうか?」
段々と今日の出来事を思い出してきたのか、両手で自分を抱きしめるローズについ手が伸びた。頭を撫でると少し表情が和らぐ。
「それは明日から考えることだ。ローズが心配しないように私も動こう。」
「ありがとうございます。」
弱々しい笑みに何かしなければと思った。レモンの香りがしたのも理由かもしれない。気分を変えさせればいい。
「ところで、ご褒美をくれないか?そのレモンの香油を選んだご褒美を。」
わざとらしくふざけた声を出せば、ローズは小さく笑った。空気の読める人だ。
「どんなご褒美ですか?高い物は買えませんし、お約束している刺繍は今作っておりますので待っていてくださいね。」
私に合わせて軽い口調で窘めるから、ローズの前で大きく手を広げた。
「抱きしめたい。」
「だ?」
目が丸くなるローズに笑いが出そうになるが、必死に堪えているとローズが私の手を叩いた。
「もう笑いそうではありませんか。ふざけないでください。」
「いや、本気だとも。胸で泣かせてばかりだろう?癖がついてはいけないから、私のご褒美にさせてくれ。」
その言葉にローズは考え始める。庭だろうか、今日のことだろうか顔を顰めた。
「確かに泣いていますが、別に癖にはなりません。それにご褒美というほどのものでもありませんわ。」
そろそろと自分に近づくローズがあまりにも可愛くて見つめていると、下を向いて私の腕の中に入った。
「このくらい、大したことはありません。」
上を向いたローズがどうだと言わんばかりの笑顔を見せるので、ドキリとして背中に腕を回す。ぎゅうと力を込めて胸にローズの顔を押し当てた。
「私には大したことみたいだ。」
心臓がバクバクとして、自分が提案したことなのに後悔している。
「た、たしかに、大したことかもしれません。」
ローズにも動揺が移ったのか、耳が赤くなるのを盗み見て安心していると小さな手が私の背中に回る。
「ライル様の方が私よりもドキドキされています。」
ローズが私の胸に顔を押し付けるから心拍数が上がっているのに、楽しそうに言われるとこちらは何も言えない。髪に頬を寄せると、ローズがじっと口を噤んだ。呼吸で胸が動く衣擦れの音だけが響いている部屋に、申し訳なさそうなノックが鳴り二人はそっと体を離した。
次回は来週になるかと、思います。
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