七話 『はたらけ占い師』
魔法体験を終え、クリスがふんふんと金髪を満足気に揺らして帰ろうとすると、アンネから呼び止められた。
「おいまて。まだ用があるだろう?」
なにか? と首をかしげるクリス。どうやら、初めての魔法に夢中になるあまり忘れてしまっているようだった。
(占い、占いですよ……)
マリーがとっさにささやいてフォローする。約束をしたわけでもないので忘れるのは仕方がない。全く占い師らしくないアンネの外見も相まって、一度忘れてしまえば思い出すのも難しいだろう。
「そ、そうでしたわ。占いでしたわね!」
「そうだ。まったく……。魔法がそんなに嬉しかったか?」
「ええ! もちろんですわ!」
「そうか。それは教えがいがあるな」
アンネは口角を釣り上げ、ククッ、と笑った。八重歯がちらりと覗く。占いが忘れられていたことはあまり気にしていないようだった。
「それで、アンネはどのくらい占ったことがあるんですの?」
完全に興味本位だった。マリーから、占い師に宮廷で仕事はないと言われても、王からいろいろなことを聞き出せる関係なのだから、一件か二件くらいは信頼されるに至る出来事があったのだろうと、そうクリスは思ったのだ。
「ふむ……」
アンネは少し考えこんだ。もしかしたら、実はマリーの知らないところでたくさん仕事をしているのかもしれないと、クリスは期待を少し高めた。
しばらくした。
「……いな」
その迫力に不釣り合いなか細い声で、アンネは言うのが恥ずかしそうにつぶやいた。
「…………はい?」
マリーは聞き取れたようだったが、内容が信じられないといった風だった。
「なんて、なんて言いましたの、アンネ。もうすこし大きくおっしゃってくださりませんこと」
クリスは純粋に聞き取れなかった。ちなみに、リーンはクリスのそばに控えるだけであった。
アンネは大きく息を吐き出し、意を決したように深く吸い込んだ。クリスはちょっとワクワクした。
「ない」
堂々と言い放った。リーンがお嬢様二人を抱え、部屋を出ようとした。
「すまない。本当に申し訳なく思っているから、ひとまず二人を降ろしてくれ」
サプライズの時と異なり、全身から謝意を感じさせるもの言いだった。
マリーがリーンの腕をポンポンとたたき、最後の言い訳を聞きますとアンネに告げた。リーンは二人を渋々降ろした。
「いや、その、今の役職が占い師なのは事実なのだ。ただ、な。王家の直感やら夢やらで出番が……な」
声音は同意を求めるように、目線ははるか彼方へ向けられていた。
「そんなことは知っています。あなたは宮廷で何をしているのか、と聞いているのです」
なんだか大変なことになってしまいましたわね、とクリスは残っていた菓子を一つ口に放り込んだ。リーンは控えているが、今度アンネに不審な点が見つかればすぐにお嬢様を連れて家に戻ろうとするだろう。
「そう、だな」
アンネは記憶を手繰った。最近はお菓子を作ったり、紅茶を入れたり、マリーや王家の面々とどうでもいい話をしてばかりだったが、最後に自分が仕事をしたのはいったいいつのことで、何をしていたのか、と。
「あ」
思い至ることがあったようだった。
「……機械いじりだ。すくなくとも王城の時計は、すべて我が一度は整備したもののはず……だ……」
「占い関係ないじゃありませんの!」
クリスは驚いた。占い師らしくはないと思っていたが、仕事すら占いが関係ないとは。マリーは、ひとまず働いていたことに免じるようだった。
「それで、どうして占い師なんか名乗ったんですか?」
「王から直々に拝命仕ったのだ」
(それって閑職に追いやられてただけなのではなくて……?)
クリスは思ったが、言わなかった。しかし、そのような状態で自由が許されているうえ、魔法の指南ができるアンネはいったい何者なのだろうという疑問も浮かんだ。
「クリス、ごめんなさい。自信満々にずっと占い師と名乗るものだからてっきり……。この埋め合わせは後日必ず」
アンネの疑いが晴れたことで、場は解散する雰囲気が漂っていた。それをさえぎったのは、やはりアンネだった。
「まあ待て。確かに、我に実績はない。だが、占い自体が娯楽のようなものだ。すこし、我の戯れに付き合ってくれ。頼む」
「クリス嬢がうまくやってくれたおかげで時間もあるし、な?」
アンネは結構さみしがりやで、遊びたがりなのかもしれなかった。
魔法講座の時と同じように、クリスとマリーは並んで座り、リーンは立って警戒していた。
「さて、誰からみようか」
マリーが手を挙げた。普段のアンネなら粗相をするわけがないが、今日はもしかするかもしれないと思ってのことだった。要は人柱である。
「マリーか。ふむ……」
アンネがマリーに近寄る。
「水晶玉は用意しないのですわね」
「フッ、この眼があれば、あんなものはおもちゃにすぎんよ」
占いが遊びだといったのは誰だっただろうか、そうマリーが思っていると、アンネは自身の手をマリーのあごに添えた。そして、至近距離で、マリーの瞳を自身の眼でじっと見据えるのだった。
「ふむ。なるほどな」
そう言うと、便箋とペンを取り出し、なにやら書き始めた。占いの結果を書き記しているのだろう。
「別に、口で伝えればいいじゃないですか」
「風情がないだろう? それに……」
誰だって他人に知られたくないことぐらいあるからな、と書き終えた便箋をピンクがあしらわれた封筒に入れた。
「そら。人目のないところで開けるといい」
アンネはマリーに封筒を渡すと、次はどちらにする、ときいた。リーンが、クリスよりも早く答えた。別段興味があったわけでもなく、理由はマリーと同じ、人柱である。
「ぐっ、リーンか。まあよい」
そう言うと、マリーのときと同じように瞳を覗き込んだ。
(なんというか、絵になりますわね……)
リーンが立ちっぱなしだったので、アンネも立ったまま占いを始めた。アンネの方が身長が高いため、リーンが見上げる形となり、二人の容姿も相まって、そういうものに見えなくもなかった。リーンは一部の隙もなく無表情、無感動であったが。……すこし、胸が痛んだ。
クリスはとっさに胸を抑え、首を振った。考えない、考えてはいけない、と。
そうしているうちに、アンネの占いは終わったようで、リーンに封筒を渡すところであった。リーンが無感情で受け取り、クリスの番となった。
「さて、クリス嬢。はじめようか」
そういうと、アンネはクリスの瞳を覗き込んだ。
しかし、そんなことをされれば当然クリスもアンネの瞳を覗くわけで。クリスはアンネの瞳に見入ってしまった。
血を思わせる瞳。しかし、今は、それが血の瞳であることを確信できた。見つめていると、深く、深く入り込んでしまうような、そういう瞳だった。クリスは、ふと、自分の体が血の海に投げ出されるような錯覚に陥った。それは、クリスの体を蝕み、侵食し、小さな部分に分解していった。まるで、溶かすように。
当然、クリスは恐怖した。ただ、長くは続かなかった。アンネが覗き込むのをやめたからだ。そして、アンネはなんでもないように結果を書き始めた。マリー、リーンの時と同じように。もっとも、手元の速さがまったく異なっていたが。
その異様に早い手さばきを見て、クリスはさっきの恐怖は錯覚なのだろうとごまかした。
「……そんなに、書くことがありますの?」
ああ、すこしな、とアンネは答えた。クリスにだけ聞こえるようにアンネは語る。
「凶兆がみえるな」
「凶兆……」
あの夢かもしれない、と思った。
「気をつけろよ。このままだと非道い結末にたどり着くことになる」
他ならぬ、自分の意志でな、と付け加えたところで結果が書き終えられた。ほら、と渡された封筒は妙に重かった。