十五話 『おだやか』
カリカリ、カリカリ。お嬢様たちのペンが走る。白い紙に、図と作戦が書き込まれていく。ひとつ書き終わったら、お互いに見せあって、首を傾げたらすぐ放棄。床に紙が散らかされていく。もう十回ほど、そんなやり取りを交わしていた。
「「わかりません(わ)!」」
作戦会議をはじめて、すこしたった。床には雑多に紙が敷き詰められ、それぞれに『×反応が無理』『×当たらない』など、バツ印とその理由がセットで記されている。作戦の対象はアンネローゼ。今、お嬢様たちが唯一うまくいっていない訓練の相手である。
『走り出しでは絶対に勝てない』
そんなエリザのヒントをもとに追いかけっこを工夫し始めて、十三日が経っていた。
一日目は、見に徹しようと決めた。ものすごくはやいことがわかった。
二日目は、自分たちも走ってみようということになった。勝てない。
三日目は、水魔法を背中に当てようとした。届かない。
四日目は、水を風で飛ばした。届いたが、躱された。
五日目は、やけくそ気味に走りながら水魔法を乱射した。アンネは遠かった。
六日目は……。
いまだに勝てない。だから、休みを一日使って作戦を練ろうとマリーが提案してきたのだった。
しかし、部屋の乱雑さの通り、成果は芳しくない。魔法で妨害しようとしても届かなかったり、ちょっと攻撃して足止めしようとしても躱される、かといって、真面目に走っても追いつくわけがない。いったい誰がどんなことを考えたら、こんな理不尽なヒトが作られたのか聞いてみたいものだった。この無茶苦茶具合は王家といい勝負だとクリスは思う。
「水と風、良いと思ったんですけどねー」
「まさか、あそこからさらに踏み込んで加速していくとは思いませんでしたわね……」
もはや、新規の案など出るわけもなく、口から漏れるのは試した作戦のことばかり。なにか成果があればよかったのだが、アンネに触れることすら出来なかったそれらにそんなたいそうなものはない。
「というか、なんですの『走り出しでは絶対に勝てない』って。……勝てませんけど」
「ヒントになってませんよね。姉様のことですから考えなしでやっているわけではないはずですが……」
出されたヒントをもとにクリス達はやってきたはずだった。だから、走り出しででは妨害せずに背中を狙ったり、魔法も使わずに地道についていこうとしたのだ。失敗だったが。
とはいえ、エリザのヒントは真実を含んでいることはわかった。スタートの合図と同時に足元や体をどうにかしようとしてもアンネはもうそこにはいない。だから、そのあとを狙った方が比較的、本当にわずかな差だが楽。だが、わかったところで対処のしようがない。速すぎる。
「「はぁ……」」
だらーん。
二人はそろって頬を机の上につけた。まったくわからない。ヒントの意味はともかく、ほぼ答えとはなんだったのか。わからない。
「クリス、なにかありません?」
「なーんにも。マリーは?」
「なーんにも」
案なんて出し切ってしまった。しかも、どれも似たり寄ったりのものばかりだ。アンネに対してできることなんて、極端に言えば妨害か、いたずらみたいな攻撃かの二択。走り出しに合わせられない以上、妨害の効果は少ない。かといって、攻撃してもかわされるだけだ。
そもそも追いつけない。攻撃しても通らない。妨害なんてものともしない。いったいどうすればいいというのか。
いや、そもそも勝つ必要なんてないのは二人ともわかっている。報酬なんて提示されていない。勝ったところで夕飯が豪華になるわけでもないし、結局体力のために走らされるのは間違いない。せいぜいエリザの襲撃が一回増えるくらいだ。だが、何とかしてあの余裕に満ちている顔を崩したい。お嬢様たちの原動力はそれだけだった。
「「はあ……」」
だが、方法が浮かばない。
チチチ、と鳥が鳴いた。
研修中のお嬢様たち、初めての休みの朝である。
「今日はエリザ姉もいませんし……」
「報告に行っちゃいましたからね……」
朝食をとっても、だらーんとしたままお嬢様たちは話し続ける。もはやその手にはペンも握られておらず、机上の紙だって白紙だ。作戦会議という名目で始まったこの場は、完全に雑談場と化していた。
マリーの言う通り、今、グローゲートにエリザはいない。王都へ二人の研修について中間報告に行っている。もろもろの手続きがあるせいで帰ってくるのは早くとも夕方だ。そのため、新しくヒントをもらうことも、訓練場を使うことも叶わない。かといって、アンネに指南してほしいと言っても、「いいから休め」とお茶を出されて強引に丸め込まれるのがオチだ。なにかヒントをとたずねても同じことだろう。
「……暇、ですわ」
「訓練もできませんからねー」
「そう、そうですわ! せっかく順調でしたのに……」
クリスは打撃で鈍い音が鳴るように、マリーは岩に石釘が刺さるように、なんていうのは一週間も前の成果である。今では他にも、風魔法と格闘の組み合わせが本格的に始まったり、火と水魔法を混合させて蒸気を出したり、魔法単体の出力をあげていたり、想定よりもはるかに速い進歩を見せていた。「マリー! クリスちゃん! よく頑張ったねーっ!」「エリザ様、お覚悟のほどはよろしいでしょうか」「なんの! ふたりを可愛がるまでお姉ちゃんは――、――止まらない!」こんなやり取りがあったのは一昨日のことである。なお、この日の勝利の女神はリーンに微笑んだ。これで、研修期間中は三勝三敗。きまぐれなものである。
「でも、クリスはちょっと頑張りすぎですよー。毎日遅くまで練習してるんでしょ? 今日くらい休まないと」
「むぅ……。」
クリスはむくれた。
しかし、マリーが正しい。リーンの心遣いであったサンドイッチはすっかり常習化し、普段朝食を取る時間は睡眠時間にあてられていた。そのかいあって、訓練も、飛行魔法も上達してきている。だが、疲労もともに蓄積していっているのもまた事実であった。
「……でも、今日はホントになにもありませんわ。このお屋敷は書庫も十分ではありませんし……。アンネには勝てませんし……」
「そうなんですけどねー」
かといって、一日中ベッドの上に転がるのはまだつらいお年頃である。だが、このまま、だらーんと会話を続けるのもそれはどうかと思うのだ。
「暇、ですわ」
「ですねー」
今日は暖かい。うっかりすると、すぐにうたたねしてしまいそうだった。
窓から差す日がお嬢様たちを見守っている。
外で鳥が鳴いた。
「そういえば」
心地よい眠気に身を任せる前に、だらけきった机の上で、マリーがふと口を開いた。
「リーンのサンドイッチって、私、まだ食べたことないんですけど」
言外においしいのかとたずねてきている。
「マリー」
「なんですか?」
「リーンは、わたしのメイド、ですわ」
「? 知ってますけど」
クリスが不敵な笑みを浮かべた。ふっふっふ、なんて声が聞こえてくるみたいだった。
「食べればわかりますわ」
よし、とクリスが垂れきった上半身を起こし、立ち上がる。マリーは、まだ顔を机にべったりとつけて、そんなクリスを不思議そうに見上げていた。
「どこか、行くんですか?」
「何言ってますの、マリー。一緒に行きますわよ」
「サンドイッチ、食べにいきましょう」
そう自信満々に言い放つのだった。
 




