三話 『それは月の光のようで』
クリス達がつく頃には、広場は熱気であふれかえっていた。群衆は中央に置かれた質素な儀礼台を輪になって囲み、ぎゅうぎゅうと近づこうとしている。儀礼台付近と聖女が通るのであろう道に向けてだけは兵士によってぽっかりと開けられていたが、そこ以外はすし詰めだ。
「……この広場でようやくお顔が見れるんですよね……」
マリーは肩をすぼませ、うつむきがちになっていた。
「……はい。その後は国王を交え、儀礼がこの場で進行していく手筈となっております」
リーンは表情に変化は見られないものの、声は明らかに落ち込んでいるときのそれであった。
クリスは、「あぁ、だからこんなことになっていますの」と他人事のようにひとりつぶやいた。三人がこのような様子なのも無理はない。なんせ、広場は活気に満ちている。満ちていることは事実なのだが、
「ですが、このような状態となると……」
「えぇ……」
「ですわね……」
見えない。広場には儀礼台を中心に明らかに過密状態の群衆が輪をなしている。クリス達がいるのはその輪の外だ。見えるのは庶民の姿だけ。広場の中心に儀礼台が置かれていることなんてクリス達には全くわからない。背が伸びきっていない子供たちには酷な状況だった。
「申し訳ありません。早くに訪れ、様子を見るべきでございました」
「いえ、リーンのせいではありません。そもそも聖女さまを見るだけなら、父に掛け合えば……。私が欲張ったせい、です」
マリーは落ち込んでいた。地面に座り込んで『の』の字を書きそうだった。あれだけ楽しみにしていたのだ、仕方のないことだろう。しかし、この人混みを強引にかきわけて、というわけには当然いかない。貴族としても王家としても、このような場で民衆より自分を優先する行為をとれば、罰はなくとも恥になる。それに、クリス達はまだそんな権利を行使できない。
「リーン、飛べませんの?」
ダメもとで聞いてみた。
「飛べません」
当然だ。いかに優秀なメイドであっても限界はある。
「魔法をこんなところで使うわけにもいきませんしね」
なにより疲れますし、と付け加え、ふう、とため息をついた。マリーは飛べるらしい。
「ひとめ見るだけなら……」
「だめです。王家だとバレれば騒ぎになるので」
そうですわね、と周囲に目を向けた。親子や、若いカップル、子供たちや老夫婦など、熱気の外にいる人たちは老若男女を問わなかった。ぐずっている小さい子供の姿が映る。それをなだめる親の姿も。カップルもちょっと背伸びをして見えないことがわかると早々に立ち去ってしまっていた。他の人たちも似たり寄ったり。中にはとどまる者もいるが、聖女の姿を見ることは諦めているようだった。
ふと、遠くで歓声があがった。
「聖女さまがこちらに歩き出したようですね。街路に行けばお姿は見れるかもしれません。お顔は見れませんが。お顔は見れませんが」
そうは言うマリーだが、おそらく、同様の考えを持った民衆によって既に街路も埋まってしまっているだろう。
どうしようか、と三人が諦めも視野に悩んでいると、クリスの視界にふと、親子が映り込んだ。さっきまでぐずっていた子と、親である。子供はすっかりと泣き止み、その手にはオペラグラスが握られている。一言二言話すと子供は頷いた。親がしゃがみ、子供がその肩に足をかけて……。
「あれですわ!」
クリスが指さした先には、肩車をした親子がいた。
「リーン!」
「はい。お嬢様」
リーンはしゃがんで、クリスの足を肩にかけ、ゆっくりと立ち上がった。
「見える、見えますわ! あの台までくっきりと! ほら、マリーも」
「……あ、いえ、その、このとしで、かたぐるまはさすがにどうかな、と」
「でもこうしなければ見えませんわよ?」
マリーは困った。マリー自身がひとよりも人目を気にする性格であるのも確かだが、クリスのようにまるで気にしないように行動するのはできる人のほうが少ないだろう。確かにこの場で聖女さまを見たい、見たいのだが……。
(恥ずかしい!)
マリーは迷った。見たい、恥ずかしい、でも他は……、でも恥ずかしい、でも見たい、本当に他にないのか、見たい、でも……。しばらく、さんざん迷った。そして、迷った末、指をパチン、と鳴らした。
すると、建物の影から、ぬっと人影がひとつ生え、メイドが一人、マリーのもとに参上した。
「お嬢様。ご命令を」
主はクリスの方を指さした。顔はうつむいているが、耳も赤くなっていて、どのような表情をしているかは想像に難くない。そして、命令した。
「……そ、そ……の、よっよろしく、ぉねがい……します……」
消え入りそうな声で。
メイドは音を出さずに、口角を釣り上げて笑った。慈しんだ笑みだった。
「おまかせください、お嬢様」
「……マリーのところもすごいんですわね……」
肩車されたお嬢様二人だったが、聖女の到着にはもう少し時間があった。その間、マリーは、「ぉ、重くないですか?」「だ、大丈夫ですか?」など、終始どもりながらメイドと会話していた。「重くないですよ」「大丈夫ですよ」とメイドは返した。クリスはというと、リーンの双眼鏡を使って街路の方を見ていた。
「うーん……。やはり、お顔は見えませんわね」
聖女は白い外套を深々と被っており、顔は見えない。しかし、背丈がクリスと同じ程度であることはわかった。
マリーも見ます? と双眼鏡を差し出すが、マリーは首を振るばかりで受け取ろうとしなかった。
「そういえば、マリーのお父様も儀礼に参加するって言ってましたけれど、どうやって儀礼台まで来るのでしょう? 空から降ってきたり……はあり得ませんわよね」
「いえ、それが、毎回異なるとのことです。お嬢様」
リーンが言うには、群衆に兵達を紛れ込ませておいて入場の時に兵のいる場所を割ったとか、それこそ魔法で空から飛んできたとか、さまざまなパターンがあったらしい。
「マリーは何か聞いてませんの?」
マリーは首を横に振った。
「おたのしみにしておくことが良いと存じます、お嬢様。おそらく、王もそれがお望みでしょう」
ふーん、そういうものなのですわね、とクリス。そうして、聖女の到着まで、他愛もない話をしたのだった。
聖女が広場までもうすぐ、といったところだった。ふと、広場の入口に長剣が刺さっていた。
「? リーン、あんなもの、ありませんでしたわよね?」
「はい、お嬢様。しかし、あれは……」
聖女が広場に近づくにつれて、長剣の周囲が歪んでいく。歪みは人型をとっていき、最後には冠を被った男性となった。
「マリーのお父様ですわ!」
彼こそが、現在の国王である。群衆から、大きな歓声が上がった。国王はその歓声をものともせず聖女を儀礼台へと導いた。聖女が儀礼台へと上る。
「ほら……! いよいよですわよ、マリー……!」
小声でマリーに呼びかけた。肩車されてからはずっとうつむいていたマリーだったが、流石に顔を上げ、聖女の方に向けた。赤くなった顔がよく見える。
そして、聖女はいよいよ外套に手をかけた。
――えっ……
月の光と見間違うほどの銀。それが、髪であると気づくのにほんの少しの時間を要した。次に見えたのは、夕焼けを思わせるような緋色の目。それから芸術品のような端正な顔が明らかとなった。クリスにとって、それは永遠と思える時間だった。
「わぁ……!」
その美しさに恥ずかしいのを思わず忘れ、マリーは感嘆の声をもらした。少しして、王の時よりも大きな歓声が上がった。
歓声がやむと、儀礼が進行していく。その厳かな雰囲気に誰も音を立てることなく、粛々と進み、そして終わった。
クリスはその間ずっと、聖女を見つめていた。その頬は紅葉し、瞳も濡れていた。
儀礼が終わると、早々に民衆は散らばっていった。あの肩車の親子もすでに帰ったことだろう。クリス達も肩車をやめ、マリーとメイドたちが聖女と儀礼の感想を話していた。
「……――! えぇ、お父様も……。……クリス?」
「………………」
クリスは答えない。
「クリス様?」
「………………」
影から出てきたメイドにも。
「お嬢、様?」
「………………」
リーンにも。
「ク、リ、ス!」
マリーが肩をつかんで強く揺さぶった。
「……はっ! 儀礼は、儀礼はどうなりましたの?」
「もうっ。さっき終わったじゃないですか。顔も真っ赤ですけど、大丈夫ですか?」
「そ、う、そうでしたわね! 美しかったですわ!」
クリスは、聖女を見たことがあった。あのとんでもない夢の中で。あの少女が、月の光の少女が現実にいた。いや、問題はそこではなかった。未来の自分が犯罪に手を染めるほどべたぼれでも、クリスが悩んでいただけで問題ではなかった。
――なんですの。この胸の高まりは……っ! ――
そう、問題は、
――これではまるで…… ――
―― 一目惚れしてしまったみたいではありませんの! ――
未来の自分と同じく、恋をしてしまったことだ。
――い、いえっ! わたしは強い意志をもって、あんな、あんな…… ――
―― 悪逆令嬢になんか絶対なりませんわ! …多分…… ――