三話 『たのしいおふろ』
「ふぃ〜」
温かい湯につかり、声を上げたのはエリザである。屋敷につくなり嵐と化した姉は、なんとリーンを突破し、マリーとクリスを心行くまで堪能した後、ようやくおとなしくなった。そのあと、みんなで軽く食事をとったが、『お風呂』という単語を聞くなり、再び嵐と化してお嬢様二人を抱えて突入したのであった。
「エリザ姉、もうすこし淑女らしく……」
非難の声を上げたのはクリスだ。先ほどまで激しいコミュニケーションにさらされていた彼女だったが、リーンに奪還され、全身を念入りに洗われていた。三日入っていないので仕方がないが、王都にいた時よりも心なしか力が入っている気がする。
「……まあ、いいじゃないですか。姉様は働きづめだったわけですし」
「むぅ」
クリスだって王族の次点に連なる者。マリーの言うこともわからないではない。ただ、激しすぎるスキンシップのせいでちょっと言いたいことがあるだけである。
「マリーも、クリスちゃんもいっしょにはいろー。あったかいよー」
エリザは両腕を浴槽の縁に乗せて、目を閉じてすっかりくつろいでいた。あの様子だと湯船の中で寝てしまうかもしれない。だが、そうは見えてもいつでもクリス達を襲う準備はできているに違いない。
「はいはい。体、洗い終わったら入りますよ」
マリーはのんきなものだった。隙を見せれば……、とは思わないのだろうか。それともまさか、姉になら襲われても……、とでも思っているというのか。
「……むぅ」
そんな姿を見ていると、やっぱり何か一言ぐらいは言いたくなる。さて、何を言ってやろうか。緑の嵐。これは単に二つ名な気がする。ずぼら姉。受け流されてしまうのがオチだろう。妹大好き星人。カウンター間違いなしだ。あとは――むぐ。
頬が両手で抑えられた。そのまま、首から上がリーンの方に向けられる。
「お嬢様、浴槽に入る際はリーンのそばを離れぬよう」
「え、ええ」
すぼめられた口で答えた。
「離れぬよう」
ひどく念を押された。表情からはまるで読み取れないが、その瞳には情熱が宿っているように見えた。思わず首を縦に振っていた。
「ふぅ……」
結局、リーンにピッタリくっついて、守られるように浴槽に入った。
肩までつかると、体に湯の温かさが染みるのが感じられる。馬車に三日も揺られっぱなしだったのだ。何もしていなくても、どこか疲れていたのかもしれない。
マリーのほうも同じようだった。声こそ出さないが、手足を伸ばしたりして、気持ちがよさそうだ。
リーンは湯につかってもエリザのほうをじっと見ている。警戒を外さない。
しかし、そんなに警戒しても、エリザが嵐となることはなかった。それどころか、こっくり、こっくりと本当に寝てしまいそうだった。
「……お嬢様、行ってまいります」
リーンが仕方がないといった様子で今にも寝そうなエリザの元へ向かう。じゃぶじゃぶと湯がかき分けられた。そして、声をかけたり、肩をつかんで揺らしたりするが、クリスの目にも睡眠のほうへ向かっていくのが見える。多分、そうなってしまう前にお風呂から出したほうが良いだろう。
リーンもそう思ったのか、エリザに肩を貸し、湯船から上がろうとしていた。貸す、というよりは、エリザが一方的に寄りかかっているようにも見える。
「姉様ったら……。リーン、お願いしますね」
リーンがクリスのほうをちらりと見た。
「お願いしますわ、リーン」
「はい、お任せください。お嬢様方」
そして、二人が浴場を去っていく。エリザの介抱で、リーンはもう戻ってこないかもしれない。つまり、マリーとリーンのふたりきりである。
「なんだか、お風呂場にはマリーとよく来ている気がしますわ」
「お湯には入ってないんですけどね……」
「浴びても水でしたわね……」
とは言っても、びしょ濡れになるまで浴びたのは、マリーにほっぺをなめられたときくらいだ。ちょっと恥ずかしい。
「……思い出さなくて、いいですからね」
「自分がやったことではありませんの」
「…………はずかしいんですよ……」
消え入りそうな声でマリーが言葉を発した。恥ずかしさ以上にクリスの嗜虐心がくすぐられる。
「あら、わたしは嫌ではありませんでしたわ」
「そんなこと言って……」
「本心ですことよ」
そんなこと、言って……。先ほどよりも小さな声だったが、ふたりきりのお風呂場にはよく響いた。なんだかぞくぞくする。
マリーは三角座りでうつむいてしまった。
「ふふふ……」
そっと、近づいていく。自分とそう背丈の変わらないはずの親友の姿がなんだか小さく見える。もう小動物と大差ない。かわいいし。
ぴちゃぴちゃとお湯をかける。マリーが顔を上げて、抗議の意味を込めて半目でクリスを見た。もうすこしかけてみる。反撃もせずマリーが逃げた。けれど、湯船からはあがらない。逃げた先で、また三角座りでうつむいている。
「ふふふふふ……」
かわいい。たのしい。良い遊びだ。
ちょっとずつ、マリーを追い詰めていく。しまいには、もう逃げ場のない、浴槽の角まで追い詰めた。ここで終わりか、一瞬そう思った。追い詰めてどうこうしようなんて、クリスは何も考えていなかった。この時までは。
ところで、湯の効果とはすごいもので、王国でも疲労の回復、病気の療養などに使われている。また、浸かっているときに摩訶不思議なアイデアや閃きが出たなんて話も割とある。
だから、この時クリスお嬢様の脳裏に、昔々こっそり読んだお母さま秘蔵の本のワンシーンが映ることだってなんの不思議もない。浴槽の角という状況は実に都合が良い。
腕を伸ばして、浴槽に手のひらをべったりつける。必然、マリーのほうに体を倒すことになった。マリーは、びくりと震えたが、もう逃げ場はない。驚いて、三角座りも解いてしまっていた。クリスの膝が、マリーのももの間に滑り込んだ。
「つ か ま え た」
クリスにしてみれば、ほんの悪ふざけ。本に書いてあったことを意味も分からずに再現したに過ぎない。しかし、勤勉なマリーは違う。王家の書庫をあさっている途中に、どうしてもそういう本が混ざっていることもある。
しばらく、クリスを見つめていた。そして、覚悟を決めたように目を閉じ、唇を差しだしてきた。
困惑したのはクリスである。いったいマリーは何をしているのか。いったい自分は何をしでかしたのか。わからなかった。
わかるのは、目の前の親友を見ていると、胸の奥がうずいてくるということだけ。
肩をつかんでみた。ぴくりと動いたが、それだけ。体温が手のひらから直に伝わってくる。
伸ばしていた腕を少し曲げる。クリスとマリーの距離が縮まった。
もう少し曲げる。もっと縮まった。
あとちょっとだけ。もうマリーしか見えない。
顔を近づけていく。胸のバクバクに気付いた。
お互いの息がかかった。お互い、弱弱しかった。
あと、指一本。クリスも目を閉じた。
間一髪。邪魔するモノはなにもない。
――浴場に、限ったことだが。
扉の開く音がした。止まった。目が開いた。二人そろって、首を錆びているように音のほうに向けようとする。溜息が聞こえた。
「……使用人も入るからな」
次に聞こえたアンネの声は、なんだか申し訳なさそうだった。




