二話 『王家と聖女』
朝、朝ではあるが、クリスはもう疲労困憊だった。心配してくれる父母の追及を大丈夫の一点張りでどうにか振り切り、からかってくる兄にジト目の一つをくれてやって、家から出る前にリーンに散々念押しされ、「本当に大丈夫ですわ!!」なんて二回目の大声をあげてしまい、王城への道を猫背気味に進むことになってしまった。
「はぁ……」
お嬢さまはため息を吐いた。原因はわかっている。夢だ。あの夢が全て悪い。どうしてあんなに狂った自分を見せられねばいけないのか。しかも、誕生日の夜に。もう少し穏便な夢にできなかったものだろうか。マリーと一緒に働いている姿とか、リーンと一緒に旅行している姿とか、今からでも差し替えたい。
「いかがなさいましたか、お嬢様」
「なんでもありませんわ……」
この会話も何回目だろう。王城へはそんなに遠くないはずなのに、やけに長く感じる。
「お嬢様の歩幅が普段より小さいからだと思われます」
「こころを読まないでくださいまし!」
「へえ、そんなことが……。気にすることありませんよ、クリス」
メイドの心配、メイドの悪戯をどうにか躱していき、ようやくマリーを迎えに行くことに成功した。十分もない道のはずだが、体感的には一時間くらいかかった気がする。
マリーと会ってからもクリスの疲労はとどまることを知らなかった。一瞬で疲れていることを見抜かれ、自分を差しおいて聞かれたリーンがしゃべってしまうまで数秒もかからなかった。とは言っても、大声と約束を忘れかけてたことの二つで、朝から晒している醜態には触れなかったが。線引きのできるメイドである。
そのメイドは主のことを忘れているのかいないのか、マリーとの会話に熱中しているが。クリスだけはトボトボと歩いている。
ふと、「……――ぁい!」「せい……だ!!」「なん……こっち……――だぁ!」と景気の良い声が聞こえるようになった。同時に、陽気な音楽も流れてくる。
普段のクリスなら、顔をほころばせたりしたのかもしれないが、今のクリスは、大変そうだなぁと思うだけだった。
「あ、そろそろつきますよ。そんなにしょげてないで、楽しみましょ?」
「……そ、そうですわね……」
はぁ、とため息。
クリス達が向かっているのは城下街。聖女の凱旋にはまだ時間があった。凱旋を見るだけなら、あとでその場に行けばいいのだが、このような機会はあまりないこともあって、街もまわってみようということになったのだった。こういう催しは民に交じった方が面白そうとはマリーの言である。
近づくにつれて、「凱旋祝いだ! もってけドロボー!」「んだとォ! こっちはさらに三割引!」「テメェのせいだ! もう一割ひいてやらぁ!」「教団公認! 聖女ちゃん飴!」「おとおさん! あれほしい!」「わたちも!」「こっちも教団公認! 魔獣の肉!」「こっちは王家公認だ! ふッつうの牛肉だけどなァ!」「くじ! くじはどうだい! 一等は王家所有の美術品!」
……やかましい。
普段のクリスならこうは思わない。「負けませんわ!」と一声気合を入れて飛び込んでいくはずだ。民に活気があるのは貴族として良いことだし、お祭り騒ぎは自分だって嫌いじゃない。だが、朝の一連の動きで疲れたのもそうだが、なんというか。……騒ぎに『なれ』てしまっていた。果たして、こんな調子で自分もその一部になれるのか。一抹の不安を抱えながら、もう一度ため息を吐いた。
「どうしたんですか? やっぱり調子が悪いんじゃ」
「いえ、そうではありませんわ。ただ、ええ、ちょっと」
マリーが心配そうな顔でクリスを覗き見る。リーンも言葉には出さないが、視線はよこしていた。ちょっとくらいなら、言ってもいいか。
「夢見が悪くて……」
「夢、ですか? ふーん。どんな?」
「内容までは覚えていませんわ。ただ、ものすごくイヤだったな、と」
クリスはちょっと冷静になっていた。ごまかすくらいならわけない。あれは夢だ。ただの夢。
そこに活気と熱が襲ってきた。城下街に入ったらしい。無軌道に拡散していくそれらは、石畳の道と、レンガと木造が入り混じった家々に反射して、増幅しているように感じた。まとわりついてくる。とはいえ、身動きがとれなくなるほどに人でごった返しているわけでもなく、そこそこ楽に移動できるあたり、暇つぶしにはちょうど良いのかもしれない。
「うーん」
あたりを見回すと、警備のためか、幾人かの兵が混じっていた。しかし、特に騒ぎが起こることもない。活気の一部となってしまったものまでいる。とりあえず、問題を起こさなければいいらしい。祭、ということなのだろう。
「そういうことなら、うちの占い師に占ってもらいましょうか」
「いいんですの? それ。宮廷、とつくのでしょう?」
「いいんですよ。どうせ暇してますから」
あ、リーン、あれ買ってください。あ、わたしもひとつ。かしこまりました。
ふたりの要望を受けて、メイドが買いに行ったのは、王家公認をうたっていた牛肉である。けれども、祭の露店で売っているのだから、当然血が滴るような生で売っているわけではない。万が一を起こさないように、しっかり両面から火が通されながらも、柔らかさを維持している肉厚のそれは、専用のタレをかけられ、サクサクのパンに挟まれている。肉の味とタレがよく絡み、食感も良い。絶品だ。ハズレも多い祭の品々の中で、まごうことなきアタリである。
「働いてるの見たことありませんから」
「それでいいんですの!?」
しかし、残念ながらお嬢様二人はその味を見抜いて購入を決めたわけではない。理由はたった一つだけ。本当に『王家公認だから』である。安全が保障されているから買っただけだ。リーンがいて、影も形も見えないが王家のメイドもついてきている状況ではある。だが、『仕事をこなせるようになるまで庶民と同等』というしきたりを表向き守らされているふたりは、自衛するに越したことはなかった。
「いいんですよ。話してると面白いので」
マリーが笑った。
「いえ、そんなわけには……」
クリスは額を抑えた。
「でも、ちょっと残念ですね。クリスも血を引いてるんですから、もしかしたらその夢にも意味があったのかもしれなかったのに」
「……それは、遠慮したいですわ」
あってたまるか、とクリスは思った。
王家の血は直感、あるいは夢によって現在まで維持されてきたと言っても過言ではない。 夢のままに行動したら金鉱を掘り当てたとか、地図を指さしたらそこに敵対勢力がいたとか、衝動のままに家を飛び出したら美しい伴侶を見つけてきたとか、一代に一つ以上この手の話が存在する。
そして、王家とモーグ家は、かなりの遠縁にあたったりするのだ。
つまり、あの悪夢が意味を持つとすれば、それは現実にあの光景が再現されるかもしれない、ということである。
もう一度、ため息。
「……そんなに、ひどかったんですか?」
「いいえ。そうでもありませんわ」
夢。ただの夢。
「なら、気にしても仕方ないですって。王家の夢だって、全部当たるわけじゃないから考えすぎるのは良くないって伝承にあるんですから。あ、リーン」
マリーが手を振った。つられて、クリスもその方向に手を振る。その先には、たしかにリーンがいた。その手には、三個のステーキサンド。ちゃっかり自分の分まで買っていた。
リーンは気づくと、すっとクリス達の方へ寄ってきた。
「お望みの品はこちらでよろしかったでしょうか」
「ええ、よろしくてよ。リーン、ありがとう」
「ありがとうございます」
差し出された品を手に取り、食べてみる。
「むっ……。やりますわね」
「美味しいですね」
あまり期待はしていなかったお嬢様たちだが、もぐもぐとほっぺにタレをつけていく。その傍らで、メイドは静かに食べていた。
「ほうら、ふぁりー」
「……んくっ。飲み込んでから話してください」
「……ゴクン。聖女様ってどんなお方なんですの? わたし、なにもわかりませんわ」
「……私もわかりません」
「マリー?」
本日二度目のジト目をあげた。
「違います、違いますよ、クリス。父様に頼んだりしたんですけど、結局、今代の聖女様の似顔絵すら見せてもらえなかったんです」
「あら、そうでしたの」
「そうですよ。だから、私、すごい楽しみなんですからね!」
まだ子供であっても王女なのだから、政治に関することはともかく、他のことは教えてもらえてもいいのに、とクリスは思った。どうして、という疑問に答えたのはリーンだった。
「代替わりしてから最初の凱旋まではお顔を公開しないという取り決めとなっております。おそらく、王家には似顔絵はおろか、容姿を言及する文献すら存在しないものと存じます」
「そうだったんですね……。うちもそのくらいなら教えてくれてもよかったのに」
マリーはぷくっと頬を膨らませた。タレが目立って見えた。リーンにハンカチをもらい、頬をぬぐおうとする。メイドは既に食べ終えていた。
「クリスもじゃないですか」
クリスの頬もマリーにハンカチでぬぐわれた。マリーのハンカチは持参してきていたものだった。ちょっと恥ずかしい。
「それでは、時間が来るまでの間、聖女様についてお勉強いたしましょうか」
お召しになったままお聞きください、とリーンは始めた。
――ひとまず、王家の話から始めましょう。現在、王家という単語が指すのはこの世界でただ一つ、マリー様のご家族のみとなります。しかし、過去には、王家と名乗る者たちが乱立していた時があったとされています。
そのような時代を終わらせたのは、突如世界に沸いた魔獣でした。当時の武器ではしとめることは可能だったものの兵の損耗も激しく、また、数も多いため、倒してもすぐに増え、元の数に戻ってしまうことから多くの王家が滅亡しました。また、指導者を失った庶民も同様に蹂躙され、人類が滅亡するやもしれないとまでいわれていたそうです。
この危機の中現れたのが、国祖であるといわれております。国祖さまは一本の長剣と魔法、五人の仲間と三本の短剣ともに魔獣を蹴散らし、大陸を平定しました。海に関しては、現在もそうではありますが、魔獣による危険が多く渡れずじまいであったそうです。
しかしながら、平定したとなっても、それは人間の視点のお話。魔獣にとっては関係がありません。国祖さまは仲間と世界を飛び回り、どうにか倒し続けるものの、その道中で一人の仲間と一本の短剣を失いました。
このままではどうしようもなくなるかもしれないと不安が世を覆い始めたとき、現れたのが聖女さまでした。国祖さまたちと異なり、聖女さまが倒した分、その地域の魔獣の数ははなぜか減ったままだったのです。そこで、国祖さまたちと聖女さまはある契約を結びました。旅を最大限援助する代わりに、魔獣の討伐を行ってほしいというものでした。その際、友好の証として短剣の一本を加工し杖として聖女さまに贈呈したとされています。最後の一本は現在モーグ家が保管しておりますね。
また、聖女さまを支援しようとしたのは民も同様でした。そのような支援が重なった結果、作られたのが教団であると言われています。しかし、聖女さまも不老不死というわけにはいきません。そのため、力を継承することで世の維持を行おうとしました。それが代替わりと言われているものです。
容姿に関する情報がないのは代替わり直後の聖女さまは基本まだ幼かったため、凱旋まで情報の公開を控えようという配慮によるものですね。
――なにかご質問などはありますでしょうか、と最後にリーンが付け加えると、お嬢様二人は感心していた。
「さすが、ですね」
「ええ、すごいでしょ。わたしのメイドですもの!」
「そうですね。本当にすごいです。思わず引き抜きたくなるくらいには」
「あいにく、手のかかる主は間に合っておりますゆえ」
ちょ、ちょっととクリスがマリーを止める隙もなく、リーンは即答した。脊髄反射で答えたような速さだった。
「リーン……っ!」
「はい、リーンはクリスお嬢様一筋でございます」
クリスは感激のあまりリーンに抱きついた。やはり、リーンは忠義のある優秀なメイドなのだ。いつもからかってくるけど。
「というか、そもそもマリーにはたくさんのメイドがいるではないですの! それなのにリーンに手をだそうだなんて……!」
抱きついたまま、クリスは口をとがらせた。
「いえ、確かにそうなんですが、外出していても指を鳴らせばすぐに十人出てくるくらいにはいるんですが……」
その、頑固で、とマリーが続けた。どうにも、従者との関係をあまり発展させられてはいないようだった。というか、一体どこから出てくるというのか。
ふむ、とクリスに抱き着かれたまま、リーンが時計を確認した。片手はクリスの頭を撫でている。
「もうそろそろお時間です。お嬢様、マリー様」
時間を潰し終わったようだった。最後のひとかけらを口に放り込んだ。
「それでは、行きましょうか。いざ、聖女様を拝見しに!」
「あまり興奮しないようにした方がいいですわよ、マリー」
目立たないように、とクリスは付け加えた。最も、メイドに引っ付きっぱなしの方が目立つことは間違いないのだが。




