二十話 『転換点』
「……ぶるぶる」
「……ガタガタ」
マリーとクリスは、部屋の片隅で震えていた。その髪は湿っており、体にタオルをまとわせていることから、震えを無視すれば湯上りのように見えるかもしれない。実際には、その水気は本当に水を被ったものだし、何枚ものタオルにくるまって暖を取っているのだが。
「…………」
そして、部屋にはもう一人。水魔法の被害者がいた。リーンである。いつも着ているメイド服をびしょ濡れにし、その髪からはぽたぽた水が垂れている。足元にはタオルが敷かれているので、床を濡らす心配はない。お嬢様もメイドも、使用人が着替えを持ってくることを待っている状態だ。
「ほ、ほんとにごめんなさい。クリス、わたしのせいで……」
「い、いえ。か、かまいませんわ、マリー。おどろきましたけれど……」
二人は寒さからか、黙ってしまった。
「そ、それにしても、み、みずまほうのみずって、あんなに、つ、つめたいもの、なんですわね」
「け、けっこう、つかってた、ですけど、は、はじめてしりました」
お嬢様たちは、ごまかすように話を再開させる。しかし、それでも、ぶるぶる、ガタガタとお嬢様たちは震えが止まらない。
「り、リーンは、だいじょうぶ、でしたの?」
「委細、問題ありません」
服以外はいつも通りのようだった。事態の中心にいたクリス達ほどではないにせよ、様子を見に来たリーンも相応に水を被っていたはずなのだが、震えは全く見られない。
「な、ならちょっと、あんしん、ですね」
「え、ええ。よ、よかった、ですわ」
「お、おふろも、こ、こわれてません、わよね?」
「た、たぶん……」
「あのくらいで壊れるほど、王城の作りは柔くない」
ギィ、とドアが開かれ、金髪長身の女性が入ってきた。アンネである。どうやら、衣服の替えと温かいスープを持ってきてくれたようだった。『ほら、スープと着替えだ』とマリー、クリス、リーンに渡していく。
「あ、ありがとう、ございます……」
「いや、いい。用意したのは使用人だからな。我は持ってきただけだ」
『それよりも、早く着替えてスープを飲め』とアンネが促すと、流石に限界だったのか、三人はすぐに着替え始めた。
着替え終わり、スープで一息つくと、アンネが口を開いた。
「……それで、どうしたらこんなことになるんだ?」
「ちょ、ちょっと、魔力を込めすぎちゃって……」
あはは、と力なく笑うマリー。まさか、頑張る友人がかわいくてほっぺ舐めちゃいました、とは言えなかった。
「いえ、あれはわたしが……、むぐ」
「私の、せいです」
そうですよね、とマリーが目で語る。クリスは頷いた。
「ぷは、……マリーの、せいですわ」
なお、マリーに非があるのは真実である。
「……そうか? そこまで調子が悪そうにも思えなかったんだが」
アンネは怪訝そうだった。リーンも首をかしげている。『熟練していたように見えたのですが……』とでも言いたげだ。
「クリス嬢が失敗するのはわかるが、魔法の扱いにも慣れてきていたマリーが? ……ふむ」
アンネは顎に手をやり、すこし考えこんだ。場合によっては訓練を見直さなければいけないかもしれないからだ。しかし、そんなことを知る由もないマリーは、アンネに近寄って、その耳元に顔を近づける。そして、息を深く吸った。
「私の! せいです!」
「わかった、わかった。だからそんなに大声をだすな。耳が遠くなってしまう」
ただでさえ、としなのだ、とアンネ。
「マリーもこう言ったことだし、今回は良しとしよう。ただ、次から、魔力制御の訓練からやり直しだ。飛行魔法は当分後にする」
「うっ……」
マリーは不本意そうだったが、背に腹は代えられなかった。親友がかわいかったのは事実だが、それにつられてしまったとなると、今度は魔法訓練に精神修行のようなものが追加されてしまうだろう。魔法が楽しみなマリーにとって、余計なものがついてくるようになる事態は避けたかった。
「すまなかったな、クリス嬢。今日はこれで解散だ」
「いえ。今日も楽しかったですわ」
「そう言ってもらえると嬉しい」
ああそうだ、次の訓練の日を決めようか、とアンネ。
「また、都合のつきそうな日にアンネが呼び出すのではありませんの?」
「まあ、そうなのだがな。明日と明後日はマリーの予定があってな」
マリーは不思議そうな顔をした。
「そんなもの、ありましたっけ?」
国の仕事はまだやらせてもらえませんし、とマリー。本当に、何の予定かわかっていないようだった。
「重要なことだ。後で思い出させてやろう」
マリーは、頭に手を当て、目を閉じ、うーんと唸っている。覚えているような、いないような、そういった感じなのだろう。
「それでだ、クリス嬢が良ければ、明日はモーグ家の方で訓練を、とな」
「わたしはかまいませんけど、お父様がなんて言うか……」
宮廷のものと言えば問題はないだろうが、占い師と言った途端に警戒されて敷地に入れないようにされるのは、想像に易かった。
「そのことは問題ない。一応、当主とは十年前くらいに一度会っているからな。宮廷のもの、で何とかなるだろう」
「……そうでしょうか……」
リーンには疑問だった。自分であれば、絶対に入れないという意思が垣間見える。
「なんとかなる。だめだったら水魔法の練習をしていてくれ」
「ええ、では、待っていますわね」
一方、マリーはまだ唸っていた。まだ思い出せないようだ。
「まったく……。我も、マリーを明日に向けて休ませねばならんからな。体も冷やしてしまったし、風邪となれば、先方に迷惑がかかる」
「相手が、いる仕事なんですか?」
「そうだ。その相手とお話するのが、明日のマリーの仕事だ。ほら、行くぞ」
そう言うと、アンネはマリーを抱きかかえた。本当に、今日はここで解散するらしい。
相手はいったい誰だろう、とクリスは思ったが、口には出さなかった。リーンも相手が気になるらしく、首をかしげっぱなしだったが、言葉は発しなかった。
「王家と対談できる相手……」
マリーはまだ考えているようだった。
「では、クリス嬢、リーン、また明日」
そう言って、アンネは歩いていく。考えたままのマリーを連れて。
「ええ、ではまた明日! マリーも、お仕事頑張ってくださいましね!」
リーンもペコリと一礼。
「王家……対等……」
ふと、マリーはクリスを見た。今日、自分に秘密を打ち明けてくれた可愛い親友を。まさか、夢が現実になるかも、なんて、女の子が好きになった、なんて相談されるとは、夢にも思わなかった。告白みたいなものには驚いたけれど、クリスが自分をかわいいと思っているのは、お互い様だとすこし嬉しくなった。
そこまで振り返って、あっ、と声が出た。
「アンネ! 止まって、降ろして!」
『どうした。クリス嬢に挨拶か』とアンネは呑気だった。
「違う! 私のお仕事!」
「ああ、思い出したか」
アンネはひとまずマリーを降ろした。大物と話すというのを自慢したいのかもな、アンネはどこまでも呑気だった。アンネの明日の予定空くから、とマリーに言われるまでだが。
「ねえ、クリス!」
マリーはクリスに駆け寄った。今伝えなければ、手遅れになってしまうと思っているようだった。
「ど、どうしましたの?」
「聞いて、クリス」
「ええ、マリーの話ならいつだって聞きますわ。明日のお仕事あとだって」
「ううん。明日じゃもう間に合わなかった。今日、クリスにあえて良かった」
「ど、どうしましたの。マリーがそんなに言うなんて……」
なんだか照れてしまいますわ、とクリスが続けるよりも早く、マリーが言葉を紡いだ。
「私の明日のお仕事、相手が聖女さまなんだもの」
へ、とクリスの声が、部屋に響いた。
 




