十六話 『ちょ↑っと混乱』
マリーはどうすればいいかわからなかった。聖女をどうこうするというのは、マリーがどう根回ししても不可能だった。
「それと……」
(それと!?)
原因のもやも結果のもやも、わかったはずなのにクリスは続けようとした。これ以上、どうなれば気が済むというのか。びくびくしながら、マリーは聞いた。
「こ、これ以上があるんですか?」
「そ、その……」
「おんなのこに、目が向くようになっちゃって」
クリスはうつむきながらではあったが、緊張と恥ずかしさが半分半分、という心境の声色だった。
国家転覆、聖女に恋と比べれば、まるで問題ないようにマリーは感じた。いや、クリスにとって問題なのは今までの態度でわかっているのだが、今までの規模が大きすぎた。そんな風に、安心していいのか悪いのかわからないものだから、クリスへの返事がぎこちないものになってしまった。
「……な、なるほど」
その返事を聞いて、あーあ、やっちまいましたわと思ったのがクリスである。いまだに、マリーの表情を見れないクリスは、引かれた、と感じたのだった。自分は賭けに負けた、そう感じたのだ。
(仕方ありませんわね。王家だろうと、庶民だろうと、同性を愛する方のお話は聞きませんし)
一周回って、クリスは冷静になっていた。それよりも、どうやってマリーと元の関係に戻れるかを考えていた。アンネには悪いが、今日はいったん出直して、リーンと考えてから来るのもありなような気がした。
「あっ、そ、そうではなくてですね、ちょっと話が大きかったのでびっくりしていたというか」
私はそういうの別に気にしていないというか、とマリーは続けたが、既に手遅れである。フッとクリスが笑った。
「あなたも、そういう対象ですのよ」
クリスは自棄になっていた。冷静ではあったものの、親友に拒絶されたという衝撃は大きく、何を言われるかなんてもう何も考えていなかった。だから、マリーに目を惹かれた、と真実を告げてしまった。
マリーの反応は、と言えば、
「あ、あぁ……ぅ」
傍目から見れば、まんざらでもないように見える。
しかし、その心情はそうではなく、親友からの突然の告白にマリーは驚くと同時に困惑し、さらに赤面していた。マリーにしてみれば、自分が告白されるとは思ってなくて、でもクリスは恋愛対象ではなくて、でも、かわいい親友に告白されること自体が嫌なわけじゃなくて、とどうすればいいかまたわからなくなった。
また、沈黙が起きた。
今度は、クリスの方から手を引いた。離れる親友の体温になぜか必死で、マリーはもう一度手を取った。
あ、あ、とマリーもうつむいて何やらぼそぼそと言った後、覚悟を決めたように顔を上げた。その目はぐるぐる模様を描いて、顔は耳の先まで真っ赤だった。
「じゃ、じゃあ、ちゅーとかします!? ほら、女の子どうしなら最初に数えないっていうじゃないですか!?」
マリーは自分が何を言っているのかわからなくなっていた。
様子のおかしくなったマリーが気になって、クリスはようやく顔を上げて、マリーの顔を見た。真っ赤だった。そして、少し冷静になった。自分の発言を、よく振り返る。
(……あれでは告白ではありませんの!?)
どう考えてもさっきの発言が原因だった。クリスとしては意趣返し、くらいの意図しかなかった。しかし、そういう対象ですのよ、は、あなたも恋愛対象です、と捉えられてもおかしくはなかった。むしろ、そっちの方が自然だった。
「さ、さっきのは告白などではありませんわ! マリーがかわいくて、つい見つめてしまっただけで……」
「じ、じゃあ問題ありませんね! 練習、練習ですから!」
マリーにはまともな思考は残っていないようだった。クリスにもだが。
(そ、そうだ! リーンは……)
なけなしの思考でクリスはリーンの方を見た。リーンはクリスの片手をがっちりとつかんで離さない。
(リーン! 違いますわ! マリーを止めて!)
リーンは首を傾げた。お嬢様とマリー様の仲が良いのは良いことでは、とでも言いたげだった。
(リーン!)
救援が期待できなくなり、心の中でクリスが叫んだ。マリーを止めなければ、とマリーの方を向くと、既に真っ赤な顔が眼前に近づいていた。もう、マリーしか見えなかった。
(どうにか、どうにか……)
既に、クリスの両手は塞がれていた。どうにもできない。
マリーが目を閉じた。少しずつ近づいてくる。親友の、可愛さと美しさを同居させた魅惑が、すこしずつ、ゆっくりと。ここでふと、どうして自分はちゅーを断ろうとしたのだろう、とクリスは思った。勢いに乗せられただけで、特に理由はない、とクリスは感じた。
(……これはこれで)
いいかもしれませんわね、とクリスも目を閉じた。その顔も、真っ赤だった。混乱が伝線していたことは明らかだった。
少しずつ、二人の距離が縮まっていく。
息のかかりそうな距離から、息のかかる距離へ。
息のかかる距離から、体温が伝わりそうな距離へ。
体温の伝わりそうな距離から――
ふと、クッキーの美味しそうないい匂いがした。まるで焼き立ての、今ここに持ってきたような匂いだった。
「……なにをしているんだ。お嬢様方」
こうして、お嬢様二人とメイド一人をさんざんまたせて、ようやく本日の呼び出し人アンネローゼが登場したのだった。大量のクッキーと、人数分の紅茶をトレーに乗せて。




