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殻の中 (7)

 アンネがマリーへ王剣を渡してからは実に単純に物事が進んだ。避難が遅れていた住民に一部始終が広められ、災害時ということも手伝って、マリーは眠るうちにあれよあれよと希望の象徴へ。

「王家はすぐに対処できる」「王様ならきっと」「マリー姫は一回ぶち破ったんだろ?」「いや、もう外に出たって聞いたぞ」「じゃあ、なんで私たちは出られないのよ」「なにか考えがあるに違いない」。事実を知らぬ民衆とは無責任なもので、水と食料、寝床を手に入れると次々に期待をよせ始めたのである。

 暴動が起きなかったのは不幸中の幸いだったが、そのしわ寄せはマリーへと直撃した。それが、今日の引き裂かれるような全身の痛みである。これでも民衆のガス抜きといったところだった。

 仕方がない、らしい。




 気がつけばアンネはいなかった。あたりは既に薄暗い。どのような原理なのだろうか、白い壁に隙間なく囲まれたというのに昼夜の概念は狂いなく動作していた。

 ベッドに立てかけられた剣を手に取る。あの時みたいな全能感は沸いてこない。握り直しても、目を瞑っても剣はただ紅くなるだけ。あのときのように知らない映像が流れ込んでくることもない。

 それが正常なのだとアンネは言った。マリーが力を引き出せたのはあくまで緊急的な措置であり、以降は真に認められるまで苦痛が伴うと。安全面でいえばこちらの方がいいとも。

 しかし、その状態では全力を引き出すにはほど遠いのも事実だ。

 王剣。所有者の願いを叶える剣。その真価を発揮するために必要なことは、明確に自覚すること。心の底から願わなければ力を貸しては貰えない。

 いったい何を望めばいいのだろうか。鞘から冷たい刀身を引き出し、考える。

 マリーは正真正銘、本物のお姫様だ。どんなものでも手に入るし、生活だって不自由はない。家族の愛を感じない時はないし、従者だって頭は固いが優秀で最大限マリーの意を汲んでくれる。それに、自分の炎が好きだと言ってくれた親友だっているのだ。これ以上何を望むのか。

 壁の破壊は初日に願った。国民の安全は二日目に願った。民衆の願いは今日願った。

 剣は応えなかった。

 自分の顔が映る。

 あの時に見えた自分ではない自分。どうしたってあんなことになりはしないのに、妙に実感があった。ちょっと前のクリスみたいだ、と思った。幻覚のはずなのに全て体験してきたことみたいで。もっと真剣に相談に乗るべきだったと後悔する。同時に、嫌だと思った。手にはまだ首の骨を断った感覚が残っている。振り切った後についていた血液も網膜にこびりついて離れない。できれば、こんなものは触りたくなかった。

 それでも剣と見つめ合っているのは自分の願いを知りたいからだ。

 知らない自分には『世界平和』という願いがあった。あくまで参考。どうしてそう思ったのかが知りたかった。けれど、剣はなにも応えない。鏡のようにマリーを反射するだけだ。不安そうで、隈が濃くなった不健康な顔がよく見える。

 ため息をつく元気もなかった。

 机の上には軽食とコップ。手紙が添えられている。


『無理はしないで』


 姉が言えたことではない。昼夜関係なく憲兵と騎士団に指示を飛ばし続け、合間はマリーの面倒を見続けているのだから無理をしていないわけがない。

 軽食をつまみ、剣を持って部屋を出る。トイレに行く間だって、時間を無駄にはできない。






 ぽつぽつと灯りのある廊下を歩き、トイレから自室へと戻る最中、誰かと並んで歩く従者と目が合った。先日、病院でマリーを引き留めた者だった。従者はマリーに一礼をすると、隣にいる女性に耳打ちする。城の中では見たことがない人だった。どうしてここに、と考えてすぐに思い出す。そういえば、教団と親密だった民間人を拘留していたのだった。その中には身体の一部が不自由だった者もいたため、そういった者に王家の従者をつけ、身の回りの世話をさせているのだ。

 女性は驚いたように口を抑え、あわてて一礼をした。……どこかで見たことがある気がする。


「お嬢様、失礼いたしました。ご無礼をどうかお許しください」


「いえ、かまいません。それよりも、そちらの方は」


「あ、ええっと……。はい。グローゲートのフィナスと申します。殿下、どうか命だけは……」


「……どこからそのような根も葉もない風評を聞き及んだかは尋ねませんし、命も取りませんが……。……フィナス?」


 聞き覚えがある。たしか、


「ああ、喫茶店の……」


「ひぃい!! その節は本当に、ほんとうに……! どうか命だけは……!! 知らなかったんですぅ!!」


「取りません。取り調べには協力してくださいね」


 いち吟遊詩人にマリーが言えるのはそのくらいである。言うべきこともその程度だ。第一、すでに手遅れとなった今において彼女らは拘留ではなく保護に近い待遇を受けている。マリーが今更どうこうするようなことにはならない。

 メイドに丁重にもてなすように指示を出し、その場を去ろうとすると、

 どぉんと庭の方で何かが落下したような音が響いてきた。


「あなたはその場に。たしかめてきます」


「お嬢様、失礼ながら私めも同行させていただいたほうがよろしいと思われます。より正確に伝えてご覧に入れましょう」


「……フィナスさんはどうするつもりですか」


「ご同行なさっていただければよろしいかと。お客人も不安でございましょうから」


 そう言うと従者はフィナスを横抱きに抱えた。疲れもあって面倒くさくなってきたマリーは剣を背負い、返事もせずに駆けだした。もちろん魔法を使って。当然のようについてきていたのはもう呆れればいいのかもわからなかった。






 庭に出れば、まず目に飛び込んできたのは大きなクレーター。いまだに砂埃が立ち上がる中心部には二人分の人影。一人が肩を貸して、もう一人は寄りかかるようにして、こっちに歩いてきていた。

 目を凝らしてよく見てみれば


「……姉さま?」


 おそらく、多分。いや、ほぼ確実に姉だった。姉が誰かに肩を貸して、いや、こっちも知っている。リーンだ。砂埃が晴れていくとだんだんその姿がはっきりと見えてくる。二人ともボロボロだった。


「っ、リーン、姉さま!!」


 マリーが駆け寄るとエリザも気づいたようで、力なく手を振る。


「よかった。起きたんだ。ご飯は食べた? お風呂は?」


「そんなことより、これ……!」


 何があったというのか。もしかして、教団が放った魔獣がまだ潜伏していたのだろうか。それで、マリーに秘密で討伐しに行ったということだろうか。

 しかも、リーンの方はぐったりとして動かない。一週間前に見た限りでは少なくともマリーよりは戦えていたはずだ。なのに、どうしてこんなことに……。

 不安で姉を見上げる。しかし、姉の表情はなんだか明るいような暗いような。少なくともなにか深刻な事態が起きたとは考えづらかった。


「いやー、えっと。うーん……。ちょっとした、ケンカ?」


 姉の言葉に、半ば担がれた形のリーンが紫の瞳をギロリと輝かせる。「ひぃ!!」フィナスは情けない声で王家の従者の後ろへとっさに隠れた。


「…………貴女が止めなければ今頃……!」


「……クリスちゃんの元に行けた? 七日頑張って、魔力もほとんど使い切ってできなかったのに?」


 リーンが目を伏せる。姉が冷たさを感じさせる笑みを浮かべた。


「リーン頼める? お風呂入れて、着替えも用意しといて。モーグの方はうちにもお古があったでしょ。あと、てきとーな部屋に……。ううん、あなたがついてて。暴れたら私に言ってね。止めに行く」


「かしこまりました。お客人はどうなさいましょうか」


 エリザは従者の背後で震えているフィナスの姿を一目見て、


「迷惑かけちゃうけど、ちょっとでも空き時間がある人に任せて。リーンが大人しくなったら二人であたって。モーグ家に許可はとってあるから」


「あ、いえ。そこまでしていただくわけには……」


「目、見えないんでしょ? トイレとかどうするの。いいから私たちに任せて。こっちの責任で呼び出しちゃったんだから、と」


 肩から降ろすようにリーンを従者へと引き渡すと、紫の視線がエリザに食らいついた。笑みが引きつる。


「……ごめん、やっぱ私が面倒みる。その人のお世話の方お願い」


「かしこまりました。ご入浴の用意はできております。今日こそは、なにとぞ」


「いやいや、時間ないから。今も父さんたちに無理言って抜けただけだし。まだ目を通さなきゃいけない報告山積みだし、共有もしなきゃいけないから」


 そう言うとエリザはリーンを肩へ担ぎ直し、地面を大きく蹴りだそうと


「……あり?」


 したが、体が大きく前に傾くだけ。魔法陣も現れず、もちろん風も起こらない。顔面から芝に突っ込んだ。


「姉さま!? リーンと姉さまをお願いします! フィナスさんは私が……!」


「りょうか「いや、だいじょーぶだいじょーぶ。このぐらい……。あれ、動かない……」……申し訳ありません、マリーお嬢様。ご助力のほどをお願いいたします」


「フィナスさんをお部屋にお連れして、父様にこのことを報告すればいいんですね。わかりました、すぐに……」


 従者がため息をついた。なにもわかっていない、と言いたげに。


「いいえ。この際です。ともにご入浴なされた方がよろしいでしょう」

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