第84話
真正面にくるsawaさんの派手なアロハシャツ。思わず横にずれようとすると、がしりと両肩を掴まれる。
「娘よ、次は僕のブレスに合わせて歌うんだ」
「へ?」
「ワン、ツー」
突然の合図に目を白黒させていると、沢里が前奏を弾き始める。
肩を掴まれたまま、sawaさんの顔を見るしかない状況で歌い始める。sawaさんはわざと呼吸が分かりやすいように歌い、それにつられて私も同じ場所で息をする。
がっちりと合された視線を外すことができない。
今私はsawaさんの不思議な力で歌わされている。
気が付くとさくらさくらを全て歌い終えていた。息もれすることなく、呼吸に喘ぐこともなく、他人と一曲歌いきったのだ。
呆然とする私にsawaさんが言い放った。
「んー実に単純! 余計なことを考えずに誰かの呼吸に合わせればよし!」
「あ……」
その時私は歌っている最中はsawaさんの濃すぎる顔面しか見ていなかったことに気付く。その強烈なインパクトに、悪い妄想が吹き飛ばされていたのだ。
「マジ?」
これには沢里も唖然としている。
「一緒に歌う相手をよく見るんだ。なるべく正面から。言葉のとおり呼吸を合わせて歌う。ユニゾンができたら徐々に別パートを歌えるように訓練する。理解できたかい?」
「は、はい!」
「春、娘と歌う時ブレスはなるべく大げさに。呼吸を促すような指揮があるとなお良し」
「ち、ちょっと待ってくれ。それってリンカが歌えるかどうかは俺にかかってるってことか?」
私はそれを聞いてはっとする。sawaさんは当たり前のことのように私を歌わせた。けれどそれはsawaさんだから簡単にやっているように見えるのであって、実際に一緒に歌う沢里には荷が重いのではないか。
沢里もプレッシャーに感じるに違いない。
「ヘイヘイ! まさかできないとでも? 彼女の息もれを治したいとあれだけしつこく頼みこんできたのは嘘だったと?」
「えっ」
「ば、親父!」
どたばたと沢里がsawaさんをスタジオの隅に押しやってしまう。
私がここでsawaさんに見てもらえたのは、沢里が必死に頼んでくれたから。
私のために無理を言ってくれたのだ。沢里の心遣いに胸がぎゅっと締め付けられる。




