第80話
「さ、さすが有名アーティストの家……」
「ま、気楽にしてくれよ」
そう言われても肩身が狭いものは狭い。
手入れの行き届いた庭を抜け、玄関のドアを開ける沢里にぴったりとくっついて靴を脱ぎ、案内されるがままに家の奥へ奥へと通される。
「おじゃまします」
美しい絵画やセンスのいいドライフラワーが飾ってある廊下をびくびく歩いていると、沢里がくつくつと笑い出す。
「笑わないでよ」
「悪い、なんか借りてきた猫って感じでつい」
むむっと口を引き結んで遺憾の意を表すが、まだ沢里は笑い続ける。
自分はゴールデンレトリバーのくせに。と言いたいがビビっているのは事実なので黙っておく。
長い廊下の突き当たり。重たい扉を開けたその先の光景を見て私は言葉を失った。
「こ、ここって……」
音響設備の整った部屋の中央に透明なしきりがなされ、その奥にはマイクと楽器が並んでいる。
そう、立派な音楽スタジオが目の前に広がっていた。
「すごい! ねえここ、スタジオだよね?」
「親父の専用スタジオなんだ。今日リンカが来るって言ったら喜んで開けてくれてさ」
「家にスタジオがあるとか……! 羨ましいっ!」
沢里のお父さんが何者かはまだ分かっていないが、このスタジオの規模を考えるととんでもない人なのかもしれない。
沢里に促されスタジオの中を見せてもらう。自分の部屋と比べると当たり前だが声がよく通り、音の反響も違う。
空間全てが音楽を生み出すためにある。私はドキドキする胸を押さえてマイクの前に立ち、この場にいる幸せを噛み締めた。
「ここにいるだけでワクワクする」
ふと仕切りの向こうで沢里が生温かい目でこちらを見ていることに気付き、はしゃぎ過ぎていたことが恥ずかしくなる。
「ごめん、はしゃいじゃった……」
おずおずと沢里に寄ると、ぽんと頭に手を乗せられて顔を覗き込まれる。
「緊張ほぐれたか?」
「え?」
「家に入った時、ガチガチだったろ」
「そりゃあね。規格外のお家だとは思ってなかったし……」
「まあ俺もリンカの家行く時は緊張したからお互い様だな」
「え? そうだったっけ」
それは沢里の声を録音した日のことだろうか。
思い返しても緊張していたとは思えない、自然体だったはずだ。第一私の家はごくごく平凡で、緊張する要素はなにもない。
首を傾げていると沢里は悪戯っぽく笑い、「まあ分かんないならいいよ」なんて言ってみせるので、そうだったのかもしれないということにしておく。




