第63話
驚かせてしまった、心配をかけてしまった。それなのに沢里は、私の息もれについてなにも聞いてこなかった。
「ん」
「あ、ありがとう……」
なんでもないようにコンビニで買った二連のアイスを割ってこちらに差し出してくる沢里に、辛抱ならず問う。
「ねえ、どうしてなにも聞かないの?」
「んー」
沢里はアイスをくわえながら空を見上げる。私はいたたまれない気持ちを持て余し、もらった片割れアイスをひたすら揉んでいた。なかなか柔らかくならないそれを両手で包み込むと、急速に熱がアイスに吸われていく。
「つらかったな」
不意に投げかけられた答えに、ぼとりとアイスを取り落す。沢里がそれを拾うのを、私は動けずにただ見ていた。
「思うように歌えないって、すごくつらいから。だからリンカは、つらいの我慢してたんだと思うとなんか……」
沢里はもごもごとそう言うと、急に片手で目を覆い隠して「なにも言えねえ!!」と叫んだ。テレビで見た覚えのあるそのパフォーマンスに私はがくりと首を下げる。
「あんたねえ」
「そして俺は勝手に反省中デス」
「なんで?」
「リンカと一緒に歌いたいって俺がしつこく言うからリンカはつらいのに歌ってくれたんだろ? それに比べて俺は、なんでこうなんだって。優しいよな、リンカ。……ぼくももっと優しい人間になりたいと思いました、まる」
「なんじゃそりゃ」
「せめて俺の前では力抜けよ。俺に優しくしなくていいし、リンカはなーんも気にしなくていい。素のままのリンカでいてほしいんだ。嫌なことは嫌って言っていいからさ」
「沢里……」
渡されたアイスを握った手の感覚が失われていく。目の前の男はやはりなにも聞かないのだ。それどころか勝手に自分の行動を省みてしょんぼりとしている。
沢里にこんな顔をさせるくらいなら、歌わない方がよかったかもしれない。
そこまで考えてふと気付く。歌わなかったらあの一体感は味わえなかった。沢里は思慮深い人間だ。きっと私に無理をさせないように、もう一緒に歌いたいと言わないだろう。
本当にそれでいいのか?
高鳴る胸の前でアイスを強く握る。あの時私は世界に沢里と二人しかいないような、そんな気分になっていた。そしてそれを心地いいと感じたのだ。
『やりたいことを諦めてはいけないよ』
義父の言葉が脳裏に浮かぶ。本当につらいのは、やりたいことから逃げること。
「沢里と歌うのはつらくないの」
斜め前を歩く沢里が振り返った。
「声が合わさった時、すごく気持ちよかった。沢里が私に合わせようとしてくれるのも、私が沢里に合わせるのも、すごく楽しい」
「リンカ……?」
「つらいのは、昔のこと思い出すから」
握り過ぎたアイスから水滴がしたたりアスファルトに落ちる。丸く染みたその跡は、いつかの涙によく似ていた。
「聞いてくれる? 私の――中学時代の話」




