第58話
「へえ、リンカは合唱部だったのか?」
セッティングが終わろうという時に、不意に沢里が言う。
その手には中学時代に所属していた合唱部で使っていた楽譜集があった。私はざわつく心を無視して「うん」とだけ答える。
「じゃあリンカが前に一緒に歌ってた相手は合唱の人たちのことだったんだな」
そっけない返事にも関わらず沢里はふにゃふにゃと顔面を緩ませた。私は思わず眉を寄せる。
「な、なんでそんなに嬉しそうなの?」
「え? それは、うん」
珍しく沢里が言いよどんでいる。いつもは聞いていないことまでぺらぺらと喋っているというのに。少しの沈黙の後、沢里は穏やかに、そして静かに切り出した。
「……リンカ、この前言ってたよな。本当のリンカはただの暗いやつだって。でさ、俺にも本当の俺がいるんだけど、実はめちゃくちゃ気色悪いやつでさ」
「気色悪い?」
沢里のイメージとは真逆の言葉だ。爽やかで気のいい性格をしているというのに、一体どこが気色悪いというのか。首を傾げると沢里はなぜかとても困ったように笑う。
「リンカが俺じゃない別の誰かと楽しそうに歌ってるところ、見たくない」
「へ……?」
思わぬ言葉に脳の処理が遅れる。間抜けな顔をしているであろう私を見ずに、斜め下に目をやりながら沢里は続けた。
「リンカが本当の自分を見せてくれたの、嬉しかったよ。で、ずっと考えてた。そういう俺はどうなんだって。前に言ったよな。憧れてるって。でも最近――」
そこで一旦、沢里が息を吐く。
「ちょっと憧れすぎておかしくなってる」
一瞬呼吸が止まった。沢里はいつの間にか真剣な表情になっていて、その目は私の目をしっかりと捉えている。
「それは……」
「だからまあ、前に一緒に歌ってたやつっていうのが気になってて。でも部活ならいいんだ! 合唱なら大勢で歌ってる中の、誰か一人が特別ってわけでもないだろ? はい、リンカに気色悪いって言われる前に自己申告!」
「痛っ!」
ばしばしと背中を叩かれ、流れる空気が元に戻る。




