第27話
「もっと腹から。息使って」
そう言うとようやく沢里の本来の歌声が練習室に響く。柔らかなバリトンから高音域のファルセット。幼い頃から音楽に慣れ親しんでいるのが分かる喉の使い方。
相性は悪くない。いやむしろ、いい。
どくりどくりと脈拍が上がる。
人と一緒に歌うのは中学生の時以来だった。
一人で歌うと決めたきっかけとなった、あの悪夢が脳裏に蘇る。
責めるような目、冷たい声。
指が止まる。同時に重なる声も消えた。
かすかに指が震え、呼吸が浅くなっていることに気付く。
もしかしたらもう大丈夫かもしれないなんて希望を抱くべきではなかった。
ああ、私はまだ人と歌えない。
「やった……」
ぐるぐると巡るビジョンを裂いたのは、横から聞こえた小さな声だった。
ふと顔を上げると、沢里が喜びと驚きが混ざったような奇妙な表情でこちらを見つめている。
「リンカと一緒に歌えた!」
「……ただのウォームアップでしょ」
たかが一往復もない発声練習で、そこまで嬉しそうな顔をされてしまうと困る。
そう、そのたかが発声練習を最後まで歌いきれなかった事実が私の心を重く押し潰した。
「――私は今日、調子がよくないみたい。ピアノだけにするね」
「あっあのさ! だったらアレ弾いてほしい」
沢里の言うアレとは【linK】が初めて再生数ランキングに入った曲だった。思い入れのあり過ぎる曲のリクエストにぐらりと心が揺れる。
「いいけどこれ終わったらもう帰ってよね」
「おう!」
ネットシンガーの【linK】は本当の私。【linK】の歌は私の救い。もう誰とも歌わない。【linK】こそが私だけの不可侵領域。
そう思っていたのに。
楽しそうに、嬉しそうに。私のピアノに合わせて【linK】の歌を歌う沢里が、とても眩しく見えて。
その歌声をずっと聴いていたい。なんて思ってしまったのだ。




