終末の旅行者
外は尋常じゃない嵐だった。太陽はしばらく前に地平の向こうへ姿を消し、銃弾のような雨粒はフロントガラスに容赦なくモザイクをかけている。
真っ暗で不明瞭な視界を、ヘッドライトの頼りない明りが照らしていた。
随分前から道なき道を走っている。おかげで車内はひどく揺れていて、あちこち身体が痛む。
「なあオルナ、本当にこの方向で合ってるのか?」
運転席から声が飛んできた。
金色の髪を腰の辺りまで伸ばした少女だった。歳は私より三つ下だが、しきりに揺れる車両を器用に操っている。
彼女の名前はラッセル。幼馴染であり、私の専属運転手であり、この当てもない旅の同伴者だ。
「このコンパスが正しければ合ってるわ」私は手に持っているそれを示した。
ちらりと碧眼を向けたラッセルは微妙な表情をした。そうじゃねぇよと言いたげである。
私は手元の地図と方位、時間から大体の場所を確認した。
「もう少し走れば大きな道に出るはずよ」
「大きな?」
「これくらいかしら?」私は両手を広げた。
「オレに聞くなよ……」彼女は嘆息した。「周りに建物とかは?」
「無いみたい」
そうか…とラッセルは呟いて首をパキポキ鳴らした。大分お疲れのようである。
外を踊る暴風と雨は、疲れなど見せずにパーティーを続けている。こんな状況でテントを立てようものなら瞬く間賑やかなにパーティーへの参加を強いられることになるだろう。
だからと言って狭い車内で寝るのも避けたかった。休息なんて取れたもんじゃない。なるべくなら雨風を凌げる建物が欲しいところだ。
「ん、何か見えてきたな」
ラッセルの声に前を見ると、地面が盛り上がって段になっているのが見えた。真っ直ぐ左右に伸びている。
ラッセルは慣れた手つきでシフトレバーを操作し、車両を十分に減速させた。
私たちの乗っている車両は前方に車輪、後方に履帯が付いている変わった構造のトラックだ。不整地でも難なく走れるようにこのような形になっている、とラッセルが言っていた。彼女は武骨なこの車を『ドレッドノート号』と呼んで大事にしている。
ドレッドノート号は並の自動車では登れない坂や起伏もある程度なら越えられる。
目の前の起伏は問題ないと判断したようだ。ラッセルは躊躇いなくエンジンを吹かして駆け上がった。
「随分広い道ね」
「そうだな。交通の要所だったんだろう」
幅のある道は車三台が並んで走れるよう車線が区切られていた。道の真ん中には街灯がぼんやりと佇んでいる。電気は来ていないようで暗いままだった。
ラッセルはシフトレバーをニュートラルに戻し一息ついていた。
「デカい道なんだ。道沿いに家とか建ってないのか?」
「そうねえ……」
私も軽く身体をほぐしながら地図を見やる。相変わらず周囲は空白だった。折りたたまれて途切れている道の先を見るために地図を広げた。
あった。ここから少し行ったところに建物を示すマークが描かれている。近くには細く長い線が伸びていた。道ではないようだ。何だろう。
「この道を少し行った先に一つだけ建物があるみたい。廃墟だけど」建物を示す黒い四角形には赤い斜線が入っている。廃墟を示す印だった。
「廃墟ねぇ……。雨風が凌げればいいんだが」
「まあ、行ってみない事には分からないわね」
「それもそうだな。んで、どっちだ」
「えと、こっち」
ラッセルは私が指し示した方へハンドルを切った。道はとても平坦で、緩やかにカーブしている。今まで散々揺れていた車内は思い出したかのように快適さを取り戻した。
特に話すことも無く暇を持て余した私は、翌日の目的地を見つけるため更に地図を広げた。何処かに街は無いのだろうか。
道を示すよれよれの線が這う地図の上を彷徨っていたら、隣で欠伸をする声が聞こえた。
「ふあ……。あー、ねむ」
「……寝ちゃだめよ?」もう少しだけ辛抱してね?
「まだ着かないのか?」
「もうそろそろだと思うけれど」
私は地図から視線を外して前方を見た。黒で塗りつぶされたフロントガラスは変わらない風景を映して、いや――。
「何か光ってない?」
ラッセルも気が付いたようだ。小さく頷いている。雨と暗闇のカーテンの向こうにぼんやりと赤い光が浮いていた。
やがて黒く四角い影が現れた。恐らくあれが目指していた場所だろう。
「あの灯りは非常灯か。電源が生きているのか?」
「電源? 電気が来てるんじゃなくて?」
「周りの街灯は光ってないだろ。電気が来ているとは思えねぇな」
「……あーなるほど」やだ賢いこの子……。
「見た感じ酷く壊れてる訳じゃなさそうだな。入ってみて寝床になりそうか確認するか」
「ええ、構わないわ」
ラッセルはもう一つ欠伸をし、ハンドルを握りなおした。
何の変哲もないありふれたオフィスのようなシンプルさを携えた建物だった。
「随分立派なホテルじゃねぇか」
「ホテルにしては飾り気のない見た目だと思うけれど」事務所よねコレ。
私は建物を見上げた。フロントガラス越しに見える黒く大きな影は、暴風を身に纏い低く唸り声をあげている。まるで突然の訪問者に困惑しているようだった。
三階建ての建物は殆ど原形を留めているようで、窓ガラスが軒並み割れている以外は壁に少しのヒビ割れと苔と蔦がまとわりついているくらいだ。正面やや右寄りに両開きの扉がある。
「寒いからちゃっちゃと入っちまおうぜ」
ラッセルが親指をワイルドに向けている先に、倉庫のような平たい建物が見えた。隣の事務所みたいな建物と繋がっているようだ。端にトラック一台が入れそうな入り口がある。
ラッセルは危なげなくそこへドレッドノート号を滑り込ませた。中は暗くて様子は良く分からない。
「何の施設かしら?」
「さあな。倉庫みたいに見えるが暗くて分かんねぇ。とりあえず降りてみるか」
ラッセルは懐中電灯を片手にさっさと運転席を出て行ってしまった。そのままボンネットの前を通って助手席側へ回り込むと、私が降りようとしている場所を照らしてくれた。
私はお礼を言って何もない地面に降り立った。そのまま後ろの荷台へ行きランタンを取り出す。本体から突き出ているつまみを回すと光が溢れ出た。
このランタンやラッセルが持っている懐中電灯は電気式だ。バッテリーや電池は無く、ゼンマイを巻いた力でモーターを回して発電するように出来ている。持続時間は短いものの安価で壊れにくく、旅にはもってこいの代物だった。
橙色に照らされた室内には背の高い棚がいくつも並んでいた。傍には木箱が転がっている。壁からは荷を運ぶためのコンベアが突き出ていた。うん、これは完全に倉庫ね。
ラッセルは棚に詰め込まれている木箱を調べ始めた。ランタンに照らされた金髪が入り口から忍び込んだ風に攫われて揺れていた。恐らく食料を探しているのだろう。食べることと機械弄りは彼女の得意分野だ。ここは任せよう。
私は今晩の寝床を探すことにした。コンベアの脇の通路から隣の部屋へ移動出来るようだった。ラッセルに声をかけるが、彼女は食料探しに忙しいようだった。仕方なくそのまま通路へ向かう。
ふと壁に備え付けられているスイッチが目に入ってきた。照明用だろうか。操作したものの部屋が明かりに包まれるようなことは無かった。とても残念。
窓のない真っ直ぐな通路を進んで隣の部屋へ移動する。こちらは受付のようだった。
部屋に入ってすぐ左手にカウンターがあり、丸い椅子が並べられている。荷物の受け渡しはここで行われるようで、コンベアがカウンターの端まで伸びている。中央の広く取られたスペースにはソファやテーブルが置かれていた。壁には小さな本棚があったが、中身は空っぽだった。
部屋の奥には上階へ続く階段と、どうやら地下があるらしい。下へ続く階段もあった。私はランタンのゼンマイを巻きなおしてから階段を下った。上を見るのは後でもいいだろう。
地下は思ったより湿っぽく無かった。やや埃くさい部屋は一階の半分ほどの広さだ。壁際に鉄管がいくつか地面から生えており、反対の壁には一つの木箱と――。
「……空き缶。それと煙草の吸殻……」
誰かの残滓があった。大分時間が経っているようで、がらんどうの缶は錆び付いていた。 脇には煙草の吸殻が二本、それ以外は何もなかった。木箱の中も空だった。単にテーブルとして使っていたのだろう。
旅を続けていれば幾度も目にする光景だ。特段珍しい事ではないし、特別なものがある訳でもなかった。私は視線を横に流した。
奥には窓の無い鈍色の扉があった。やや掠れた文字がプレートに書かれている。
「これより先、防護服の着用と線量計を携行の事――」
「ほーん。原子力あたりを利用した電源ってところか?」
「ひゃっ!?」ラッセルちゃん何時の間に!?
飛び上がった私をやや呆れた様子で眺めるラッセル。そんな目で見ないで……。
「天井ぶち破りそうなくらい飛んだな」
「飛びたくて飛んだわけじゃないわ」あとそこまで飛んでない、と思う。
「じゃあ飛びたくなったら驚かしてやるから言ってくれ」
「その機会は二度と来ないとここで断言しておくわ」
私は嘆息した。今だ暴走を続けている心臓を宥めるために胸元を抑えて呼吸を整える。
ラッセルの首に鈴でも付けようかなと考えながら、ふと彼女が倉庫の木箱を調べていたのを思い出す。
「ねえラッセルちゃん。倉庫には何もなかったの?」
「ああ、なーんも無かったな。どれもこれも空っぽだ」
「それは残念」
「二階とかはまだ見てないのか?」ラッセルが首を傾げて聞いてきた。
「ええ。先に寝る場所を探そうと思って」
「なるほどな」
私とラッセルは薄暗い室内を見渡した。
一階は窓ガラスが全滅している影響で雨は兎も角、風は容赦なく吹き込んできて寒い。二階や三階も確認はしていないが状況は同じだろう。この地下室も寒いが吹きさらしより遥かにマシで、それでいて二人が寝るには十分なスペースがある。
今日はここをキャンプ地にしよう。
私たちはドレッドノート号から必要なものを運び入れた。と言っても調理器具や寝袋くらいなものだが。
ラッセルは部屋の中央に食料の入った木箱を下ろした。腰を伸ばしながら辺りを眺めている。
彼女の目が壁際に置かれているもう一つの木箱を捉えた。傍に寝そべっている空き缶と吸殻も見えているだろう。
ラッセルはこちらを振り返るなり。
「……オルナお前、煙草吸うのか?」
「吸わないわよ」何を言い出すのかしらこの子……。
「あと先にメシ食ってるとかずるい」
「食べてないし……」その空き缶は錆だらけでしょうに。
むう、とむくれるラッセル。かわいいけど本当に食べてないし、煙草は勘弁願いたい。
私はため息一つを床に落としてバックパックを開いた。中から小さなストーブと小鍋を取り出す。それと燃料となるアルコールと火をつけるためのマッチも必要だ。
私の行動を見たラッセルはそれは俊敏に木箱の蓋を開いた。素早く手を突っ込んで布袋を出してくる。燃料用アルコールとマッチが入った袋だ。
私は布袋を受け取りながら口をこじ開けられた木箱を覗き込んだ。中には缶詰や干物などの食料が入っている。今日の献立はどうしましょう?
「肉うどん食いたい」隣のラッセルが肉詰め缶を凝視している。
「一昨日食べたでしょう」
「じゃあ乾パンでいいや」
「妥協しすぎじゃない?」それは朝ごはんよ。
ラッセルの小ボケをいなしながら私は一つ缶詰を取り出した。ラベルにはオニオンスープと書かれている。開けて温めるだけで美味しく飲める即席スープである。
一緒に乾燥パスタと塩気の強い干し肉も手に取った。木箱の蓋を閉じてその上に出したものを並べる。
ストーブに必要分のアルコールを入れ、マッチで火を着けた。ぼっぼっと青白い炎が上がって踊りだす。
アルコールストーブは火が安定するまで少し時間がかかる。待っている間に私は干し肉をナイフで薄くスライスした。
スープの缶詰を開け鍋に干し肉と一緒に投入する。パスタはそのままでは入らないので半分に折って入れる。パスタが水分を吸うので水も少々加える。
火が安定したのを確認してから小鍋をセットした。あとは煮えるのを待つだけだ。
ラッセルは既に皿とフォークを用意して待っていた。湯気と良い香りを立て始めた小鍋の中を凝視しながら涎を垂らしている。もうちょっと待ってね?
ラッセルの腹の虫が三回鳴いたのを聞いたころにパスタが茹で上がった。二人分の皿に盛っていく。いつものように彼女の分は多めだ。
「はい出来たわ。熱いから気を付け――」
「あちちっ」
「――てって遅かったわね……」ラッセルちゃん早い……。
はふはふしながらパスタに食らいつく彼女をつい見つめる。ラッセルはこちらに気づくと、膨らませた頬をもぐもぐしながら小首を傾げた。この子はこんな即興の缶詰料理でも美味しそうに食べてくれる。作る側からしたら大変嬉しいことだった。
私はにやにやしていたであろう顔のままパスタを口に運んだ。オニオンとブイヨンの優しい温かさが口いっぱいに広がった。干し肉の塩気も良い感じに効いている。
しばし咀嚼した後、私は調味料の入った小袋を取った。中から乾燥した粉末状の唐辛子が入っている瓶を取り出す。
ラッセルの目が光った。私が唐辛子を入れ終えた瞬間に瓶をひったくった。ぱっぱと振りかけすぐさま頬張る。いつも眠たげな眼がぱっと開かれた。そのまま緩やかに顔が弛緩していく。実に良い顔でもぐもぐしていた。
私も赤が彩られたパスタを頬張る。唐辛子の風味と辛さが良いアクセントを奏でている。後味の柔らかさも相まって幾らでも食べられそうだった。
皿の中は直ぐに綺麗になった。ラッセルは小鍋にあった残りも平らげて満足そうにお腹をさすっている。
私はポットと茶葉を用意してお湯を沸かした。二人分のカップに食後のお茶が注がれる。
ラッセルがはふはふと吐息でお茶を冷ましているのを横目に、ポケットから地図を出し木箱の上に広げた。ランタンのゼンマイを巻きなおして地図が見やすいよう脇に置く。
「なんか面白そうなところあるか?」
「うーん……」
この場所に来るときに通った道が太く横に走っている。来た道を辿るようにしてさらに先へ視線を向けた。
「街があるわ。廃墟ばかりの素敵な街がね」
「ほーん。オルナにとっては廃墟街が素敵な場所に見えるんだな」
「どうしてそこで真面目に返すの……?」
私はさめざめと泣いた。ラッセルは笑いながら私の肩をポンと叩いた。
「まー何か転がってるかもしれねぇし明日行ってみようぜ」
「…………そうね」
「拗ねるなよ……。悪かったって」
「ネタにマジレスすると嫌われるわよ」
「何だその、マジレスって」
「ボケを潰すことを指す言葉よ。さっきのラッセルちゃんみたいに」
「よくそんな言葉知ってんなぁ」
「前にどこかの街にあった図書館で読んだ本に書いてあったのよ」
「……お前、本読むの好きだよな」
「ええ、なにか知識が得られるかもしれないじゃない」
「勤勉だな。オレには真似できそうにない」ラッセルが感心したように言う。
「あの廃墟街にも本が落ちてるかもしれないぞ」
「そうだと嬉しいけれどね」
そう言って私は地図を畳んだ。ラッセルは大きな欠伸をして目をこすっている。
いつもより遅くまで起きているのを思い出した。気が付いてしまうとどこかに隠れていた睡魔が一気に押し寄せてきた。そろそろ寝ておくべきだろう。
私は持ってきていた寝袋を広げた。二人が入れるように大きいサイズのものだ。
「そろそろ寝ましょうか」
「ふあ……そうだな」
ラッセルがよろよろとこちらに這ってきた。そのまま靴を脱ぐと寝袋へ潜っていく。
長い事運転していたのだ。疲れていることだろう。私も彼女の収まった寝袋に身を滑り込ませる。
こうして二人で寝ることによって少なくとも凍えることはなかった。互いの体温が暖房代わりになるのだ。
それでも寒いときは毛布があるのでそれに包まることになる。今日はそこまで気温が低いわけでは無いが。
ラッセルは私の胸元に顔をうずめている。いつもの定位置だ。
「おやすみ」
「おう」
彼女の心地よい温かさにあてられて、私は直ぐに眠りの淵へ落ちていった。
起きると傍にいた温もりはもぬけの殻となっていた。道理で肌寒いはずだ。代わりに湯たんぽくらい用意してほしかった。持ってないけど。
私は寝袋から抜け出し伸びをした。身体をほぐすと小気味よい音とともに意識が覚醒してくる。靴を履きなおして寝袋を畳んだ。
階段から朝の輝きが少しだけ顔を覗かせていた。暗い部屋へ差し込む光のカーテンに埃が反射してキラキラしている。私はランタンのゼンマイを巻いた。
ラッセルの姿はこの部屋には無いようだった。きっとドレッドノート号に戻って整備でもしているのだろう。彼女の日課だ。
朝食でも用意しておこうとストーブに火を入れた。
食料の入った木箱を開いて瓶を一つ取り出した。中に粉末が入っている。出汁として使うのが一般的なものだが、お湯に溶かしてスープとして飲むのも悪くない調味料だ。一緒に乾パンの入った缶詰も取り出す。
小鍋でお湯を沸かしながら乾パンの缶詰を開ける。中には一口大の茶色い焼き色が身を寄せ合っていた。いくつか中身を小皿に出しておく。
少し待つと鍋の中が踊り始めた。泡立つ透明の中に粉末を投入してかき混ぜる。柔らかな香りが寄り添ってきた。
「おっ、メシの時間か?」
程なくしてラッセルが階段を降りてきた。金色の髪がランタンの橙色に照らされて煌めいている。
「おはようラッセルちゃん。 よく分かったわね」
「おう、おはよ。 美味しそうな匂いがしたもんでな」
「匂いて」向こうまでかなり距離あるよね?
いそいそと木箱の向こうに座るラッセル。手元には既にカップが握られていた。
私は彼女のカップに熱々のスープを注ぎ、自分のカップにも残りを入れた。湯気が冷えた空気を押しのけて頬を撫でた。
ラッセルは乾パンを齧りながらスープをちびちびとやっている。
私も乾パンを齧った。しっかりと乾燥した固いパンは口の中の水分を一気に奪い去った。すかさずスープを口に運ぶ。温かさと失われた水分が補給され、ほっと一息。うん、やはり乾パンにはスープを付けないと。
「少し探索してから移動するか」
食べ終えたラッセルが残ったスープを啜りながら提案してきた。
「そうね。 荷物を片付けたら二階に上がってみましょうか」
「ああ。 何か売れそうなモンでも落ちてりゃいいが」
そう言って彼女は立ち上がった。私も片付けて荷物を纏めた。
ラッセルは木箱を抱えて階段を上がっていく。追いかけるようにバックパックを背負い歩き出した。斜めに射した朝日に思わず目を細める。
あれだけ騒いでいた嵐は夢であったかのように姿を消し、空には青が寝ころんでいた。少しの冷たさを孕んだ空気が身体を優しく通り抜けた。
荷物をドレッドノート号の荷台に積んだ私たちは二階と三階の部屋を探索した。
特に目ぼしいものは無く、ラッセルが幾つかお金になりそうなガラクタを拾ったくらいだった。
一階への階段を下り終えた時、ふいにラッセルが窓の外を見やった。私もつられて外を見た。
やや離れたところにほっそりと佇む建物と、平たく広がっている建物。そして、緩く弧を描いて空を指差す一本のレール。
見覚えがあった。以前読んだ文献に同じものが写った写真が載っていたのを思い出す。過去の人類が手にした、宇宙へ人や物を運ぶための一つの手段。
そう、ここは――。
「……マスドライバー基地」
隣で呟く声が聞こえた。彼女にもあの写真を見せたのだ。いつか見てみたいと言っていたこと思い出す。
ラッセルはゆっくりと外に向かった。私は後を追った。
日差しに照らされた発射レールは所々が崩れながらも堂々と立っていた。先端は光を反射して輝いている。
「前に、オルナが読んでた本に書いてあったよな」
「ええ」
「昔の人類が、宇宙で暮らす方法を模索するために作られたスペースコロニー。この先に、それがある」
「そうね」
ここから月までの暗い空、そのちょうど真ん中にコロニーは作られた。当時の技術をすべてつぎ込んだ人類の英知だ。
それに合わせて物資や少数の人を運ぶためにマスドライバー基地も建てられた。この場所以外にもいくつか建設されている。
「会いに行ってみてぇなぁ」ラッセルがぽつりと言った。
「まだ生きてるのかしら?」
「生きてるだろ。地表の全てを焦土に包んだって人類は全滅しなかったんだ。上にいる連中だってしぶとく生き永らえてるに決まってる」
「そうだと良いけれどね」
このマスドライバー基地やスペースコロニーが作られたのは二百年以上も昔だ。そして今の人類にコロニーへ物資を届ける手段は無い。その技術は失われてしまったのだ。
世界屈指の技術大国が引き起こした戦争は、瞬く間に全ての国家を巻き込んだ。
三十年に渡る泥沼の人災は世界人口を著しく減少させ、国家というシステムの破壊と技術の大幅な後退という形で終息した。
残ったのは瓦礫と廃墟、一部の生き物と建物、そして勝利も敗北も無いただ一つの現実だけだった。
大量破壊兵器によって巻き上げられた塵は数年に渡って空を覆って長い雨を降らせ続けた。
寒冷化し草木の生えぬ不毛の大地が残った終末世界を前に、人類は生きることを捨てなかった。諦めなかった。
生き残ったインフラを保ち、爆撃で引き裂かれた道路を繋ぎ、瓦礫に埋もれた技術を引きずり出して明日を生きるために活用した。
使えるものは何でも使った。たとえそれが破壊を象徴するものだったとしても。
そうして継ぎ接ぎされた先端に私たちは立っている。今では気温も大分温かくなってきて過ごしやすい。窮屈な生活を強いられることのない、穏やかな日常が世界を包んでいた。
生きる事に困ることは無く、こうして旅という贅沢も出来るようになった。失われた技術もどんどん取り戻されている。また宇宙へ飛び立つことも可能かもしれない。
ラッセルは真っ直ぐに空へそびえるマスドライバーの発射レールを眩しそうに見上げ。
「旅してぇなぁ、あの先も」
そう呟いた。彼女はレールの、ずっと先を見ているようだった。
「そうね、いつかきっと」
絶望の淵から這い上がったしぶとい人類だ。きっとそう遠くないうちにこの先に広がる漆黒の海原を再び旅するようになるのだろう。今から楽しみだ。
私たちは暫く空のその先を眺めた。未だあの場所に居るであろう人々に思いを馳せて――。
「さて、廃墟街に行ってみるか」
「ええ、ラッセルちゃんお願いね」
私たちはドレッドノート号に乗っていた。倉庫から出て道に戻ろうと動いている。
「あら、非常灯が消えているわ」
建物の入り口にあったはずの赤い光は役目を終えたかのように暗かった。
「地下にあった電源が駄目になったのか。部屋の電気は付かなかったし丁度寿命だったんだろ」
「そうだとしたら私たち運が良かったんじゃない? あの光のおかげで嵐の中眠らなくて済んだのだし」
「確かにな。あの電源には感謝しないとな」
ラッセルはそう言って窓から腕を出し親指を立てた。別れの挨拶をするようだ。
「達者でな。また来るぞ」
私も建物に手を振った。ゆっくりとその姿が遠のいていく。
やがて建物は見えなくなった。細く空に伸びる一本の線だけが私たちを見ている。
私は前に向き直った。いつものように地図を広げ場所を確認する。廃墟街はこの道を真っ直ぐ行った先にあるので迷うことはないだろう。
「次は何に出会えるかしらねぇ」
「存外、なんもないかもしれないぞ」ラッセルが前を見たまま言った。
「そうかもね」
「でもまあ、なんもなくたってブラブラしてりゃ楽しいしな。いろいろ見て回るか」
「良いわね。食料も水もまだあるし、冒険してみましょ」私は地図を畳んだ。
廃墟街を見て回るのもなかなか乙なものだ。飽きたらまた移動すればいいのだ。旅はそれくらい気ままで自由な方が良い。
私たちは他愛もない談笑をしながら道を走る。澄んだ空は斑に白を浮かべ、緑色の草原は所々に土が剥き出しのクレーターを残している。銃弾の跡を残した小さな廃墟には蔦が絡みつき小さな花を咲かせていた。
これから向かう先は、確かに何もないかもしれない。それでも、素敵な出会いが待っていると心の隅で期待していた。
「次は何に出会えるかしらねぇ」
私は少し前に言った同じセリフを繰り返した。遠くに廃墟街が見え始めていた。
「存外、面白いもんがあるかもしれないぞ」
ラッセルが前を見たまま言った。先ほどとは違うセリフだった。その横顔は笑っていた。私も同じく笑っていることだろう。
その廃墟街には巨大な塔が立っていた。とても背が高いようで、先端の方は霞んで見えなかった。
何の為に建てられたものなのか皆目見当もつかなかったが、とても興味を惹かれた。
隣の彼女もきっと、そうだろう。
大きな期待を荷台に乗せたドレッドノート号は、速度を上げ道を進んで行った。
人は好奇心の塊みたいなもので、世の中にたくさん物があるのも、少ない燃料で遠くに行こうとするのも、広い宇宙に負けないくらい大きな夢を詰め込んだ探査機を飛ばすのも、人間の好奇心が成せる技だと思ってます。
彼女たちが旅をしているのも、私がこうして小説を執筆したのも好奇心のせいです。何て奴だ。
でも、こうして素敵な出会いが生まれるのはとても尊いものだと思います。もっともっと出会いたいですね。そこのあなたも読んでいきませんか?
更新頻度は遅いですが、長く書いていくつもりですので何卒ご贔屓にお願いします。