07 「口だけの男なんていらないのよ」
気づくと足を踏み出していた。
薫さんのもとへ。一刻も早く。
早く早く早く。
「どこへいくんだよっ」
追いついた洋治郎が私の手をつかむ。
「離して」
「勝手ばっかりするなよ。穂鳥がいないとどうしたらいいのかわかんないだろう? お前は教授の代理なんだよ?」
どの口でと洋治郎を見る。
「余震だって大きい。危ないだろうが」
「わかってる。だけど。すぐに戻るから」
「土砂崩れだってあちこちで起きた。消防から応援の連絡も受けてる」
「それはもう指示出ししてあるわ」
「これからも起きるっていうんだよ。穂鳥がいないと困るんだよ」
「すぐに戻るってば」
「穂鳥っ」
洋治郎の声にかぶせるように別の声が響いた。
「いきなさい」
はっとして振り返る。
教授が立っていた。いつものスーツに防寒着姿。それが見事に雪まみれ。どれだけ必死で戻ってきてくれたのかを物語っている。
「いつ戻って? 大丈夫なんですか?」
「穂鳥、すぐに戻ってくるのよね。ならいいわ。いきなさい」
「教授っ」
「洋治郎うるさい。口だけの男なんていらないのよ。この責任感の塊みたいな穂鳥がここまでいうのよ。どれだけの重大事態だと思ってんの。察しなさいよ。だけど穂鳥、いい?」
がっしりと教授が私の両肩をつかむ。
「必ず戻ってくるのよ。待っているから」
潤んだ視界から涙がこぼれ落ちる。大きくうなずいて、私は駆け出す。
どうしたら薫さんをカフェから連れ出せるかなとか。
薫さんがしてほしいことはなにかなとか。
そんなこと、わからない。
わかるわけない。
私は薫さんじゃないから。
わかったふりをすれば必ず薫さんを傷つける。
だったら。
私がして欲しいことを伝えよう。
私は──。
唇を噛み締める。思いがあふれる。大声でいいたい。
あなたに──そばにいて欲しい。
顔に当たった雪が雨のように頬を伝う。
飾った言葉なんていらない。
とりつくろった態度なんてもっといらない。
そんな言葉で生きてはいけない。
だって私たちは。
吹雪の先に漆喰の壁が見えた。
中央あたりにはグレーがかった木の扉。
これからもこの先もずっとずっと、生きていくんだから。
この地震を生き残れたのよ? そんなに簡単には死なないんだから。
死なせないんだから。
扉に手を伸ばす。
大丈夫。
あなたのそばにいる。ひとりにさせない。淋しくさせない。
いつも、一緒にいる。
だから。
扉が開く。
驚いた顔の薫さんが見える。
私は口を開く。だからもうお願い。
──泣かないで。
(了)