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ふれたい唇  作者: 天川さく
3/7

03 「アールグレイのアイスティ」それから、なごみさん


 アールグレイのアイスティを片手に窓辺に立つ薫さん。

 外は吹雪。雪の影が薫さんの頬に落ちるくらい。

 それを眺める薫さんの横顔がときどきハッとするくらい険しいことがあった。

 いまにも手にしたグラスを叩き割りそうな気迫。さらにその割れ口を自分自身へ向けそうなやるせなさ。

 広い背中が苦しそうで切なげで。

 こんなに私より年上なのに、まるで迷子の子どもみたい。

 薫さんが抱えているもの。それがなにかなんて見当もつかない。

 それでも見ているとたまらなくなる。

 大丈夫。私がそばにいるから。もう心配はないから。不安なんてなにもないから。

 だから──もう泣かないで。

 伝えたいのに伝えられず、私はただ彼を見つめる。


 エアコンの風に揺れる薫さんの後れ毛。

 やるせなく窓に向けるそのまなざし。

 いくつかボタンをはずしたギャルソンエプロン下の白シャツ。

 きれいに切りそろえられた爪。

 かたちのいい、彼の唇。

 それにふれたくて手をのばしたくて──じりじりする。



 マグニチュード9.6。

 史上最大の地震。いままでの地震がちっぽけに感じるくらいのすさまじさ。

 十分に備えはしてきたつもりだった。それでもあまりに激しい揺れに壁は崩れ落ち鉄骨はむき出しになった。立て続けの余震。地鳴りは波のうねりのように押し寄せて、みんなが立てる悲鳴をかき消すほど。

 洋治郎が私に叫ぶ。


「穂鳥っ。無事か? ライフラインの確認は進めてる。けど、多分ぜんぶ駄目だ。なにからすればいい? 穂鳥、指示して」

「教授は? なにか連絡は?」

「ない。通信基地だってアクセスできない。もう当てにするな。代理だからなんて遠慮せず、穂鳥がガンガンすすめて」


 頼むよ穂鳥、と洋治郎が私に詰めよる。その手が震えていた。心底困った顔つき。首を振る。私だって。目をつむる。──どうして私は平気だって思えるの?


 洋治郎の手を払って私は理学部棟を飛び出した。

 薫さん、薫さん、薫さん。

 ──助けて。

 怖い。

 もう頑張れない。

 私の判断で、私の独断で、これ以上の犠牲が出たら?

 こんなに準備してきたのにすべて無駄になっちゃった。これ以上なにをすればいいの。

 安全と思って避難した場所で火災が起きたら?

 逃げた先で土砂崩れが起きたら?

 必死で手配した飲み水で食中毒が出たら?

 そんな責任──どうとればいいの?


 雪が頬に殴りつける。その冷たさを感じることもできずに私は走り続ける。

 雪に足を取られた。砂のようになった雪道で両膝をなんどもついた。もがくように両手を動かし雪山をかきわける。

 視界がかすみはじめたころ、グレーがかった木の扉が目に入った。

 泣きたくなる。

 あんなにひどい地震があったのに。──ここは無事であってくれた。

 呼吸を整えて扉を引く。

 転がるように中へ入る。風の余韻を残して扉が閉まると、吹雪の音も地鳴りの音もなにもかも消えて静寂が身を包んだ。

 けれど、しんとした空気。

 眉をよせかけた時だった。

 カウンターの奥から「いらっしゃい」と声があった。

 薫さんではなかった。

 三十代半ばくらいのショートヘアの小柄な女性が立っていた。



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