10話 彼、未だ王都に届かず
王都近く、孤児院。
アローン達を見送った後、ジャックは孤児院のママ、マリルに特訓を受けていた。
ジャックは既に度重なるマリルの攻撃を受け満身創痍だ。孤児院に残って以来、マリルとの特訓は毎日続けている。しかし、彼は未だに、ただの一撃すらマリルに入れられずにいるのだ。
「ホンマに人間か? 十氏族ってのはこんなにすごいもんなんか」
ジャックは震える身体を起こしながら呟く。
「種族は関係ないわ。あなたに足りないものは覚悟。あなた、今自分が死ぬかもしれないと、そう思いながら戦ったことはあるの?」
マリルの言葉がジャックの心に刺さる。彼は今まで、死と正面から向き合ったことなどない自覚があった。それは彼の賞金稼ぎのスタイルにも如実に表れていた。彼は賞金首の命は奪わない。人は彼のことを正義の虎、またはピースメーカーと呼んだ。
しかし、それは真実ではない。彼が人を殺さないのは相手の命を背負う覚悟など、まるでなかったからだ。
その真実を一番理解しているのも他ではない。当のジャック本人だったのだ。
「痛いとこ突いてくるやんけ。それでもワイかて負けなしの賞金稼ぎや。この世界は負けたら死ぬ。そんなことは理解しとるつもりや」
ジャックはマリルを睨みつける。
「いいえ。あなた自分で言ってるじゃない。負けなしだって。そう、あなたは負けてこなかった。それがあなたの心に慢心を生んでるのよ。」
「そんなもん……」
「いいえ。あの子は違う。あの子は常に自分の命を懸けて戦っているわ。あなたも本当は理解してるでしょう」
マリルはそれ以上の問答は不要とばかりに投げナイフを取り出す。それを指の上でくるくる回す。
「ヒトヨガエルの毒が塗ってあるわ。これの毒は強烈よ」
マリルは投げナイフをジャックに投げつける。
ジャックはそれを必死に避けようとするが、ナイフはジャックの太ももを掠めてしまう。
「ぐっ」
傷口から鈍い痛みと共に熱が広がり始める。
「あら大変ね。早く解毒しないと。三時間もすればあなたの全身を蝕みやがて死に至るわ」
「……何のつもりや」
「そして、解毒剤はここ」
マリルは小瓶を指で弄ぶ。
そう。これは鬼ごっこだ。死ぬ気でマリルを捕まえなければジャックは死ぬ。そして、マリルが冗談など言わないことは既にジャックも理解している。
ジャックは痛みと熱で震える足を、歯を食いしばりながら奮い立たせる。
この世界でか弱いことは罪に等しい。他者から与えられるものは痛みと屈辱だ。彼もそれは理解している。だからこそ誰よりも強くあろうとした。他者を喰らう虎であろうとした。しかし、あの華麗で力強い竜を目にした時から彼の鋭い牙も強靭な爪も鳴りを潜めてしまった。
絶対に強くなる。あの男よりも。
果敢にマリルに向かって歩を踏み出す。マリルは未だ微動だにしない。
もう少し。あと少し。あと一歩。
そんな彼を嘲笑うかのようにマリルは数歩後退る。たったそれだけでマリルとの距離は絶望的に離れてしまう。
次第に痛みが彼の思考を侵し始める。熱が全身の自由を奪う。まるで陸に打ち上げられた魚のようだ。
必死でマリル目がけて駆け出そうとするが、無様に足を絡まらせ、地面をのたうつ。
頭の中に霧がかかり、呼吸が浅くなる。
死ぬ。
本能的に直感する。緩やかに彼の記憶が蘇ってくる。
輝く竜との出会い。賞金首たちを警察に突き出し、自信満々に微笑む自分。数々の思い出が蘇る。そして……。
王都の騎士服に身を包み、一時の別れを告げる妹。
ずっと自分の後ろをついて回っていた妹、しかし彼女も自分の道を歩きだした。そんな彼女を陰ながら守ると、そう誓った。あの無垢な瞳を……。無邪気な笑みを……。
こんなとこで死ねるかッ!!
虎の瞳に僅かながら光が灯りだす。先ほどまでの灼けるような熱は冷え痛みを鈍らせていく。頭の霧は晴れ渡り、体中に広がっていた倦怠感は憑き物を落としたかのようになくなっていた。
彼は自身でも驚くほどの冷静さで、懐から二丁の回転式の黒銃“グロス&ソリッド”を取り出し、マリルに向ける。
「飛び道具は有りでもええんか?」
「ええ、もちろんよ」
マリルは挑発するように微笑む。
ジャックの全身から蒼い炎のようなオーラが迸る。
二発の銃声。
しかし、マリルの目から見て銃弾は一つに見えた。
同線上の気道を描く二発の銃弾が空中で炸裂し散弾のように散らばりマリルを襲う。
意表を突かれたマリルが紙一重でそれを躱すと、そこにジャックの姿はない。
マリルがジャックの姿を見失った一瞬、数発の銃声。マリルの背後からジャックが弾丸を放つ。
マリルは弾丸の動きを肌で感じ取り躱していく。
「とてもよくなったわ」
そう言うとマリルは高く飛びあがりジャックの頭上高く飛びあがる。
すかさずジャックは頭上に向けて残りの弾丸を全て撃ち放つ。
しかし、マリルは空中で錐揉みしながらジャックの放った弾丸を全て弾き飛ばし、ジャックを抑え込む形でジャックを取り押さえる。
地面に叩きつけられたジャックは必死でもがこうとするが、先ほどとは打って変わって全身に力が入らない。
マリルはジャックの顎を掴み、無理矢理上を向かせ、解毒剤を飲ませる。
「合格よ。よく頑張ったわね。明日からも頑張りましょう」
ジャックは声の一つも出せずに、全身の痛みを感じているしかなかった。
ただ、自分の弱さが改めて嫌になった。
マリルが去った後、しばらくして水を持ったデージーがジャックの元へとやってきた。
「大丈夫ですか?」
痛む身体を必死で隠し、水を受け取る。
「大した事、あらへん……」
言葉とは裏腹に水を持つ手はぶるぶると震え、呑んだ水は器官に入り、咽こむ。
「無理しないでくださいね」
ジャックを覗き込むデージーの瞳を見た時、彼は涙を流した。
悔しさと、不甲斐なさと、いろんな感情がない交ぜになり、雫となって零れた。
夜、ジャックは一人昼間マリルと特訓をした丘に来た。ここはアローンと話をした場所でもある。
王都からは眩い光が漏れ、辺りを照らす。
「今日は良かったわよ。今までで、一番良かった」
マリルがジャックの隣に腰掛ける。
「ワイには今までで最悪で最低やったけどな」
ジャックは目も合わせず悪態を吐く。
「ふふ、あはははは。あなたって、本当に不思議な人ね」
マリルはジャックの頭にポンと手を乗せ優しく撫でつける。まるで叱られた後の子供を慰めるように。
「ジャック、忘れないで。命を奪わないあなたの戦い方は強さよ。命の重さを知ってさらに強くなりなさい」
「難しい課題やな。でも、頑張るわ」
明日からも彼の修業は続く。
目前にある王都がやけに遠く感じられた。
彼が孤児院に残って一週間目の出来事である。




