8話 ママと孤児院 その2
「なんでこんな事になんのや……」
しばらくの歓談の後、マリルと一行は孤児院の外の原っぱへと足を運んだ。
きっかけはマリルの一言だった。
「そうそう、アローン、そろそろあなたの成長を見せて頂戴」
アローンは青ざめた顔をしながら項垂れるが、こうなってはどんな言い訳も通用しないと悟っているのか、渋々外へと足を運んだ。一行もそんなアローンの様子を不審に思いつつ彼に続く。
「ほら、お友達も一緒に」
先ほどの失言をしっかり覚えているのかマリルはジャックにも前へ出ることを促し、ジャックもしどろもどろしながら前へ進み出る。
「なんでこんな事になんのや。女性と二対一なんて聞いたことないで」
ジャックは憮然顔をアローンに向けるが、アローンはマリルから視線を外さない。
「じゃ、軽くいくわよ」
そう言い、マリルが地面を蹴った瞬間、強烈な拳打がアローンを襲う。
アローンはそれを腕でかろうじて受け止めるが、その勢いを殺しきれずに後ろへ吹き飛ぶ。
「へ? なん……うぉ!」
それをジャックが視界の端へ捉えたその瞬間、回し蹴りがジャックの腰にヒットし、ジャックは地面を転がる。
「な、なんちゅう力と疾さや」
ジャックは未だに何が起こっているのかわからず、体制を整え切れていない。
しかし、アローンはすぐさまマリルに向かって走り出す。
アローンの拳がマリルに向かって突き出されるが、その拳は虚しく空を切る。アローンはマリルの姿を一瞬見失う。
「上や!」
ジャックの声にアローンが上を見上げると、まさにマリルがアローン目がけ、拳を突き出さんとしていた。アローンはすぐさま迎撃の体制を取る。
「遅い!」
マリルは空中で体制を素早く変え重い蹴りをアローンに叩き込む。アローンはそれをもろに喰らい、ジャックの傍まで飛んでいく。
「アローン、もっとちゃんと本気で来なさい。よくこんなのでこの九年生き残って来れたわね。でも、こんなのじゃ、この先の十年も生きて行けるかどうか、怪しいものだわ」
マリルはつまらなそうに腕をブラブラさせる。
「なにもんなんや、あのママは。ホンマに人間なんか?」
「ママは、獣人だ」
「伝説の十氏族か!?まだ末裔がおったんかいな。そりゃ、常人離れしとるわけや」
ジャックの目の奥に鈍い光が灯る。アローンもゆらりと立ち上がると、マリルに向かって駆けだす。
アローンから突き出される拳打を、流れる水の如くゆらゆらとした動きで往なすマリル。直線的なアローンとマリルの動きが対照的に交差する。しかし、アローンの拳打も蹴りもマリルにヒットしない。
「うぉぉぉぉ!」
アローンのラッシュはますます速さを増していく。
「だんだん楽しくなってきたねぇ。アローン。ほら、お友達も遠慮していないでおいでなさいな」
「クソ!」
ジャックも二人に向かって駆けだす。アローンが拳を突き出せばジャックが蹴りを繰り出す。
ジャックのスピードも二人に呼応するように上がっていく。
「そう! そう! そう! これよ! いいわぁ! 適度な刺激は若さの秘訣よぉ!」
マリルは二人の隙を突いて反撃を繰り出す。
獣人の持つ身のこなしの柔らかさとしなやかにしなる関節。それらを最大限に利かせた鞭のような攻撃。
そして、常人にはとても察知できない微妙な攻撃の気配を一早く察知して身を躱す。もしくは最良の受けを選択する判断力。それこそ、ただ獣人だからというわけではない。マリルがこれまでに潜ってきた修羅場。それらの経験値の中で彼女自身が練り上げてきたものなのだ。
いつしか、受けに回っていたマリルの反撃の数は二人の手数を裕に超え、二人は彼女の攻撃を何とか受け躱すのが精一杯となっていた。
マリルの攻撃は次第に重みを帯びていく。二人は弾かれるようにマリルと距離を保つ。
「ダメダメダメダメ。全然だめよ。アローン。あなたが培ってきたものはその程度だったの? 呪われた忌まわしい力にだけ頼って今まで生きてきたの? 過去に縛られて、力を、技を、そして心を封印して。そんな小さなプライドをどこで身に着けたの? 本当のあなたはもっと泥臭く、もっと貪欲で、そして誰よりも一直線よ」
そこに、先ほどまでの穏やかな表情をした女性はいない。鋭い眼差しで真摯に息子に何かを伝えようとしている一人の女性。それがマリルなのだ。
その場にいる誰もがマリルの言葉の真意を掴みかねていた。アローンの隣で彼女と対峙しているジャックでさえも、彼女が発する音の意味が分からない。
ただ一人。アローンだけが。アローンだけが彼女の言葉の真意を汲み取ることができる。理解することができる。
そう、これは親子の会話なのだ。
アローンは目を瞑り深呼吸する。
「わかったよ。ママ……」
アローンはマリルに向かって一歩、また一歩と歩みを進める。
それはゆっくりと。今までの弾丸のような、はっと息を呑むような動きとはまるで違う、ゆったりとした動きでマリルに拳を突き出す。
マリルは当然のように拳を最低限の動きで躱す……はずだった。
バキィ!!
アローンの拳が完全にマリルを捉える。
周りで見ていた者たちも、そして、マリルでさえも何が起こっているのか理解できなかった。
吹き飛んだマリルもすぐに態勢を整え、アローンに向き直る。
「もっともっと来なさい! 全てをぶつけて頂戴。あなたの全部を見せてほしいの」
マリルはアローンに向かって駆けだす。アローンはゆったりとした動きでマリルを迎え撃つ。
それはまるでダンスを踊るように。二人のダンスは螺旋を描き、速さを増していく。
しかし、勝負は一瞬だった。
アローンの拳がマリルの眼前で止まる。マリルも動きを止める。
「成長、したのね」
マリルは先ほどまでの狂気を孕んだ笑みではなく、憑き物が落ちたような優しい笑みをアローンに向け、彼を抱きしめる。
「私たち、ほんとにここでお世話になるんですかぁー。」
その姿を見ながらデージーは涙目になりながら震えた声で言った。
その後は動けなくなったジャックをみんなで抱え、その日は孤児院で一泊することとなった。
各々が思い通りの時間を過ごす。ウィズとレイラは子供たちに絵本を読み聞かせながら、寝かしつけている。
マリルとクラリスは何やら真剣な表情で語り合っていた。
アローンは星を見上げていた。二つの色の違う月が辺りを幻想的に照らし出す。かつて、彼が兄とそうしたように。しかし、今の彼は一人ぼっちで。
どれほどそうしていただろう。不意に自身に近付く足音に彼は気付く。
「こんなとこで、何やっとんや?」
ジャックが、コーラの瓶をアローンに投げて寄越す。彼の横に腰掛け、自身の為に持ってきた酒を一口煽る。
「星を、見ていた」
「えらいロマンチックやな。そんな趣味があったとは知らんかったわ」
ジャックもアローンと同じように空を見上げる。
二人の間に無言の時が流れる。決して居心地の悪さを感じたわけではないだろう。普段、ジャックに積極的に話しかけはしないアローンがジャックに声を掛ける。
「なにか、話でもあったんじゃないのか?」
ジャックは珍しく言い辛そうに空と手元に視線を往復させると、いつもの陽気な声ではなく、真剣な声音で話し出した。
「ママさん、強かったなぁ。どえらく強かった。獲物無しの手合わせやったけど、正直、獲物があったら勝てるとも思わんかったわ。……でも、アンタはその上を軽く飛び越えよった。昼間のあれも、全然本気とはちゃうんやろ?」
アローンはジャックに一瞬視線を遣ると彼から受け取ったコーラをグビリと一煽りする。
「ママに本気は出せないからな。恩人だ」
「話せるところだけでええんやけど、何があったか聞いてもええか? 昼間っからもやもやしぱなしやねん」
アローンは小さくゲップをして、胡坐を掻くと大きなため息を吐き、話し出す。
「お前が想像している通り、俺は竜人の末裔だ」
竜人、マリルが獣人であるのと同じように、かつて世界を滅ぼした大戦の中で、特に古の魔術である秘術を守護する氏族である。彼らは自らの力を秘匿し、人から離れて生きていく事を選んだのだ。
「ある日、父と母が石になった。古の秘術によって。俺と兄は一夜にして孤児になった。食う為ならなんでもした。二人で盗みを働いたこともあった。寝るところもなく、霜降る夜に草木の上で寝たこともあった。そんな時にママに会った」
「そんなことが……」
「厳密には、ママに会ったのはその時が初めてではなかった。ママは時々父と母に会いに来ていた。昔から綺麗な人で、今とほとんど変わらない。それまで話したことはなかったが、俺たちをずっと探してくれていたんだ」
アローンの口調は穏やかで、心中の秘密を話しているというよりも、思い出話を語るような、昔を慈しむような口調だった。
「ママは孤児院を作って俺達みたいな身寄りのない子供たちを集めたんだ。それがここだ」
「アンタの為にここを作ったんかいな?」
「そうだ。俺と兄は竜人。古の秘術も誰かの手に委ねるわけにはいかない。だが未だに人は遺物を求め、秘術を欲する。ママはそこから俺たちを守ってくれたんだ。だけど今は……」
「ここには守るべき子供たちが仰山おるもんな」
「ここを出たのも自分自身の意志だ。俺に後悔はないし、ママには感謝している。だが……」
アローンはギリリと歯を鳴らす。
「兄は、全てを裏切った。この孤児院を全て石に変えようとしていた。そして、決して漏らすべきではない秘術を世界にばら撒いて、そして知った。父も母も、すべて兄によって石に変えられたのだ。そして九年前のあの日。俺は自身の体が呪われた体になっていることを知った」
それ以上アローンは語らなかったが、ジャックもそれ以上追及することはなかった。
夜はさらに更けていく。
アローンがふと気付くと、ウィズが二人の様子を伺うように少し離れた場所に立っていた。
「さ、寝るか」
そう言ったアローンは、どんな気まぐれだろうか。起き上がり、ジャックに腕を伸ばす。
ジャックは一瞬面食らったが、ニヤリと笑うとその手をしっかり握って立ち上がる。そんな二人を見て、ウィズは優しく微笑んだ。
翌日、アローン達は遂に王都に向けて発つ。
「お世話になりました」
ウィズはマリルに頭を下げる。
「いいのよ。ウィズちゃん。またいらっしゃい」
マリルはにこやかに手を振る。
「あれ、ジャックは?」
レイラがジャックが居ないことに気付く。
「あいつは、ママに鍛えてもらうんだとよ」
アローンは欠伸をしながら興味なさげに答える。
「ここでお別れ?」
「心配すんな。王都はここから歩いて一時間もかからねぇ。またすぐ会える」
それを聞いたウィズは嬉しそうにアローンの腕に跳びつく。
それを鬱陶しそうにしながらも払いはしないアローン。そんな一行が見えなくなるまでマリルは優しく見送った。




